第231話「アップデート」
「──メンテナンス明けにすぐに突撃とは、いささか気が早すぎるんじゃないのかな。そんな事してるの、ウェインたちだけだよ。まったく」
ログインしてしばらくし、新たに支配する事になったダンジョン【墜ちた天空城】にプレイヤーたちの攻撃があったという報告を受けたレアはぼやいた。
しかし残念ながら今は彼らの相手をしている暇はない。
システムメッセージへの返答は最初から決まっている。というか、ご丁寧にそんな確認をしてくれるとは思っていなかった。
もともとあの地を事実上のダンジョン化させるつもりで準備はしてあったし、運営のサポートでプレイヤーが来るというのなら他と同じように撃退するだけだ。
あの領域は現在、レアの支配下の他のどの領域よりも厳戒な警備体制を敷いている。天空城の内部に入り込むことさえ困難なはずだ。
また運よく潜り込めたとしても、小さめの島ひとつ分に相当する領域である。探索するだけでもどれだけかかるかわかったものではないだろうし、内部はほとんど丸ごとアリの巣になっている。侵入者を見つけて狩りだす事など造作もない。
まだ確認していないが、感覚的には難易度も☆5くらいにはなっているはずだ。
アリたちによる探索を邪魔されるのも鬱陶しい。訪れるプレイヤーたちには残らず経験値になってもらう。
とはいえ、そのアリたちですらまだ完全に内部の探索ができているわけではない。
当然だが崩落してしまっているところも多いし、もともと土壁や岩だった部分ならともかく、地表部分などの瓦礫に埋まってしまった場所では新たに穴を掘って道を作るというわけにもいかない。
探索は難航していた。
それにしても、プレイヤーたちによるこの襲撃は予想外に早い。
さすがに本格的にちょっかいをかけられるのは課金アイテムなどの話題が落ち着いてからになるものと思っていた。
本来であればメンテナンス後に一度お茶会を開催し、ライラやブランと今後の動きについて打ち合わせをしておくつもりだったのだが、予定が大幅に狂ってしまった。
と言ってもそれもあくまでメンテナンス前、システムメッセージが発信される前までの予定だ。
今はもっと優先するべき事がある。
ブランには詳細な連絡をする暇がなかったが、ライラとはメンテナンスの間に自宅で打ち合わせをしてあった。
レアはブランにすぐさまお茶会の延期の連絡を入れ、キーファの街に移動した。
墜ちた天空城の事はスガルに一任し、まずはあの街の支配に動く必要がある。
*
キーファの街に着くと、モニカを伴い城に向かった。
今頃はライラもポートリーの、ケルコスとかいう街の支配に向かっているはずだ。
それほど余裕がないわけでもないが、遊んでいるだけの時間があるとも思えない。
今回は効率最優先で領主の身柄を確保する必要がある。
キーファの領主の住まう城はそれほど大きくはない。
王都の要塞じみた山城を見た後ではただの大きめの家にさえ見えてしまうほどだ。
おそらく獣人の築城技術ではこのあたりが限界なのだろう。やはり王都の山城は旧文明の遺産と考えた方がよさそうだ。
住民も兵士も、そしておそらく領主本人も他の種族に比べて強いためか、あまり厳重に警戒しているようには見えない。
城壁の外に呑気に駅を拡張しているのも自分たちの強さに対する自信があるためかもしれない。
こうした傾向はポートリーでも見られたという話だった。ただしあちらは貴族階級こそ傲慢だったにしろ、一般のエルフについてはそれほどでもなかったようだが。
いずれにしても警戒が薄いのなら潜入は容易だ。
レアとモニカは城にひそかに侵入し、最深部へ向かった。
途中でエンカウントした兵士は片端からモニカに『使役』をかけさせた。
ジャネットたちの情報が正しいのなら、『使役』を持つ貴族階級は事実上王族だけのはずだ。であれば領主と言えどもそれはあくまで制度上のものに過ぎず、システムによって地位が約束されているわけではない。
だとすれば普通に考えてこの城を守る兵士の中に「騎士」は居ない。
案の定、遭遇する兵士たちは問題なくモニカの支配下に入っていく。
街の住民や他国の一般兵士よりも強いのは確かなのだろうが、それを想定した上でモニカには経験値を振っている。さらに必要とあらばレアが魔法で一時的に強化してやることもできる。よほど強い個体であるなら話は別だが、そうでもなければ抵抗できない。
近頃では人口が急激に増えつつあるとはいえ、キーファは所詮辺境の一都市に過ぎない。プレイヤーにとってはともかく、NPCにとってこの街はそれほど魅力的ではないはずだ。
腕に覚えがあり、それによって身を立てようとするならば、王都やもっと別の大きな街へ行くだろう。極端に強いNPCがこの街の兵士として雇用されている可能性は低い。
「……ここかな。それっぽい」
「は。こちらが領主の自室になります」
モニカに『使役』された兵士の案内により、ついに領主の部屋まで到着した。
「では、入ろう。この周辺にいた兵士はほとんど支配下に置いたと思うけど、無駄に音を立てて目立つ事もない。ここは静かにわたしが開けよう。『解放:糸』『解放:金剛鋼』『斬糸』」
スキルを発動し、扉の蝶番を音もなく切り裂いた。
支えを失った扉は、倒れ込む前にレアのインベントリに仕舞いこまれる。
インベントリに入れる事の出来るアイテムにはサイズ制限があるため、家そのものや巨大な岩などを入れることはできないが、扉くらいの大きさであれば十分可能だ。
室内には大きく豪華なベッドに横たわる獣人がひとり、いやふたりいた。
この街の領主夫妻だろう。
まだ日が高いというのに優雅な事だ。この辺りには昼寝の習慣でもあるのかもしれない。
レアの脇に控える兵士に視線をやると静かに頷いた。この者たちが領主で間違いないようだ。
「モニカ」
「はい。……『使役』」
これでもし、この領主がすでに何者かによって『使役』されていたとしたらモニカの『使役』は成功しない。いつかの洞窟のアリにしたときのように、エラーメッセージとともに失敗するはずだ。もっともNPCであるモニカはその事実を知ることはできないが。
「問題なく『使役』できました」
『使役』できたということはエラーは出なかったということだ。つまりこの領主たちは今の今まで誰の眷属でもなかった。
どうやら間に合ったらしい。
「よし。お疲れ様。引き続きで悪いけれど、この領主館の他の兵士もすべて『支配』しておいてくれ。そして今日からモニカ、君がこの街の事実上の領主であり、彼らは全員君の騎士だ」
レアはインベントリから何種類かのポーションをそれぞれ何本か取り出し、部屋のテーブルに置いた。
この城に兵士があと何人残っているのか不明だが、持ち前のリソースだけですべて終えられるとは思えない。
モニカには悪いがポーションを飲みながらデスマーチをしてもらう。
「そこの元領主、いやこれからは領主代行だな。彼らが目を覚ましたら事情を説明しておくように。それではわたしは次があるからもう行くけれど、宿屋の方もよろしく頼むよ」
揃って頭を下げるモニカと兵士を背に、レアはウェルスの北部の森、白魔たちの元へ自分自身を『召喚』した。
キーファの街の宿屋ではジャネットたちが持ち帰ってきた大量の書物の調査が行われている。モニカにはその監督も指示してあった。
ジャネットたちに言いつけてあったペアレ王城の調査は素晴らしい成果だった。
まさか書庫の本を根こそぎ盗んでくるとは思わなかった。
関係のありそうな数冊に限って持ち出すことくらいは予想していたが、そんな事をせずとも確かにインベントリを利用すれば全て持ち出す事も容易に可能だ。実に合理的な判断である。
この仕事はレアをたいそう満足させた。
クエストを完了させたジャネットたちは馬車でキーファの街に戻らせた。
結局ジャネットたちはSNSにあの宿について書き込んだりはしなかったため、銀の荒熊亭は依然としてプレイヤーたちからはノーマークである。
そのため、当初宿は休業中ということにして、従業員総出で盗んだ書物の調査をさせておくつもりだった。しかし今後もこの街で営業を続けていくのなら地元のNPCに不審に思われるのもよくない。
そこで全ての宿泊客をモニカに『使役』させたのである。
この宿自体が高級志向であり、この街がもともとルーキー向けのエリアであったためか、幸いプレイヤーの宿泊客はジャネットたち以外におらず、スムーズに支配することができた。
ついでにジャネットたちの宿泊部屋もひとり1部屋に変えさせ、最終的に宿のすべての部屋をレアの手の者で埋めた。これはレアの事情を一方的に押し付ける形になるため、宿代はレア持ちだ。
ジャネットたちは特典のマイルームがどうとか言っていたが、なんとなく何を考えているのかわかったので詳しくは聞いていない。
食堂は変わらず営業中であるし、支配したと言っても元宿泊客にも食事は必要だ。そのため厨房係やウェイトレス役には人員を割かなければならないが、その分元宿泊客たちも人手として利用可能になる。
元宿泊客の彼らはこのランクの宿に泊まれるだけあり、それなりの財産と、それに見合った教養も持ち合わせていた。
資料を読んでまとめるくらいは造作もない。
そして当のジャネットたちはその間、アブハング湿原で熊狩りだ。
しばらくは経験値稼ぎに勤しんでもらう。
以前の彼女たちであればギガントパンターベアには太刀打ちできなかっただろうが、今の彼女たちの能力値なら五分五分くらいだろう。他のプレイヤーに見られていないという条件付きではあるが、さらに人間を辞めてしまえば十分余裕を持って勝てるはずだ。
といってもあくまでそうするように促しただけであり、特に強制はしていない。彼女たち風に言えば、次のクエストが始まるまでの間の自由行動というところか。
*
街でするべきことを終えたレアは、次はウェルスにある森に飛んだ。
突如現れたレアに対し、いつかのように白魔やモン吉たちが並んで首を垂れている。
どの個体も以前に見た時よりも威圧感が増している。天使襲撃によって稼いだ経験値を彼らに与え、配下に割り振るように言っておいたためだ。
しかし今用事があるのは白魔やモン吉たちではない。
ここに来たのはレアが密かに移動出来る中で、目的地に一番近い場所だからだ。
その目的地とは、ウェルスのプリュマジュ山岳地帯、その麓にあるヴォラティルという街である。
プリュマジュ山岳地帯はダンジョンとして登録されているため、転移サービスを使えば直接乗り込むこともできる。
しかし今それをするわけにはいかない。
現在はアップデートにより、ヒルス王都やその周辺の宿場町、あるいはリーベ大森林やトレの森、ラコリーヌの森、果てはテューア草原の中にさえ新たな転移装置が出現している。
それらを使えば誰にも見られず転移が可能だが、転移先はあくまでダンジョン近くのセーフティエリアである。ならばそこには必ずプレイヤーがいる。転移する入口はよくても出口で人目を避ける事は困難だ。
特にメンテナンス明けから間もない今なら、さぞかしプレイヤーであふれているに違いない。
イベントが終わり、期間限定の転移サービスが終了した以上、ヒューゲルカップから自国に戻るにはポータルとなる街を目指すのが一番手っ取り早いからだ。
すでに拠点として利用している宿屋のあった、キーファの街のようにはいかない。
そのため一旦白魔たちの森に移動したのだ。
ここからは姿を消して空を行き、ヴォラティル領主の館の敷地に上空から直接侵入する。
移動は例のスゴロク地図を参考に行なう。
街と街の間の位置関係しかわからないが、その距離や位置精度はすでに十分実用の域にある。
森エッティ教授という人物には足を向けて寝られない。
白魔たちに短く別れを告げると、翼を解放して空に舞う。
この森自体は地図に載っていないし、周辺に街もないが、方角だけならおおよそは判明している。
どこかの街さえ発見できれば、目的地も連鎖的にすぐに見つけられるはずだ。
*
今回のメンテナンスでは、実に大きな追加や変更があった。
まずは新転移サービスだ。
NPCが居住しているという判定に時間がかかるためか、墜ちた天空城にはまだ出現していないようだが、これまで支配していたダンジョンや自作の宿場町には転移装置が現れていた。
これはまるで水晶で出来た透明な樹木のようなビジュアルであり、一見するとアーティファクトのようだった。このゲームの開発は水晶に特別な思い入れでもあるのだろうか。それとも困ったら透明にしておけばそれっぽく見えるだろうという思考の放棄なのか。
またこの判定基準である「NPC」の中にはどうやら野生の動物なども含まれているらしく、特に魔物などがいない草原や荒野の真ん中にも出現が確認されていた。この分だと水中にも存在していそうだ。
しかし新しく転移装置が急増したと言っても、そこから転移できる先はあくまでリストにあるダンジョンだけである。こちらのほうは今回新たに追加されたのはレアの支配する【墜ちた天空城】と、ブランの制圧したザスターヴァとカニエーツという街だけのようだ。
そうなると基本的には、新転移装置はダンジョンからの脱出や、広大なフィールドで迷った時のエスケープなどに使われる事になるはずだ。その場合おそらく最も多く利用されることになる転移先は、すぐ近くに街があるダンジョンだろう。
つまり、今後はよりポータルの重要度が高まったと言える。
ヒルスのポータル、そしてオーラルのポータルはレアたちの一味──マグナメルムの支配下にあるが、それ以外はほとんど手つかずのままだ。
いや、つい今しがた、ペアレのポータルであるキーファの街も支配したところだ。
残るポータルはおそらく3ヶ所である。
次にレアにとって重要だったのは、落下ダメージに関する仕様の変更である。
これまでは物理エンジンによって計算されたのであろう落下時の衝突エネルギーを利用し、ウルルを高高度で『召喚』して落下させることで地表のオブジェクトに大きなダメージを与えることができた。
あの天空城を単騎で墜落させることができたのもそのおかげと言える。
しかしこれからは、この方法でウルルを落下させてしまうとウルル本体にも大地に与えたものと同じだけのダメージが入ってしまう事になるようだ。
ウルルは全身がアダマスの塊であるため、高い物理耐性と魔法耐性を持っている。
このおかげで弱点部分以外には通常攻撃はほぼ通用せず、耐性貫通や防御無視などの特殊効果のある攻撃手段を持たない者が相手であれば、無傷で戦う事も可能だった。
これまでは落下ダメージも通常ダメージのひとつと見なされていたため、気にせずウルル・インパクトを行使できたのだが、これからはそうもいかなくなるということだ。
インパクトを行使するとウルルは高確率で死亡してしまう。いくら『
戦略の幅を狭める、とはよく言ったものだ。
確かに単に大陸を更地にするだけならば、これを繰り返すだけでよかった。
その選択肢を取りづらくなったというのは、逆に他の戦略を広く取らざるを得なくなったということでもある。
おそらく本来運営としては「仕様を悪用した予期せぬプレイスタイルを防止するため」とでも言いたかったはずだ。
とはいえ仕様を悪用されたという事はシステムに隙があったということであり、バグの少なさを売りのひとつにしている商材としては公言しづらいことだったのだろう。
そのせいで妙な言い回しになったのではないか、とレアは考えていた。
*
どうやら、墜ちた天空城にちょっかいをかけてきていたウェインたちも全員スガルが始末したようだ。
ちらほらと後追いでウェインたち以外のプレイヤーパーティも集まってきているようだが、どの集団もウェインたちほどの実力もなければ統率力もなく、人数もいない。
メガネウロンはともかく、スガルが出るまでもない相手ばかりである。
その顛末を聞きながら、レアも自分の仕事を済ませていた。
現在レアがいるのは領主館の執務室であり、本来の主であるヴォラティル領主はすでに『使役』してあった。
もはや慣れたものである。この程度ならスガルの報告を聞きながらでも問題ない。
今はその領主に命じ、現在この街にいる全てのノーブル・ヒューマンをここへ呼び集めさせているところだ。
レアにしてみれば、街を支配する難易度としてはキーファの方がよほど高かったと言える。
なぜなら獣人たちには真の意味での貴族はおらず、トップである領主一族を支配したところで、その配下の兵士たちも全て従うとは限らなかったからだ。
ゆえに街を支配させる者に『使役』を取得させ、兵士たちは全員その者の眷属にする必要があった。
領主本人でこれを行なえば手っ取り早いのだが、前述の通りシステム的な貴族ではない獣人の領主は種族的な『使役』を持たないため、余計なコストがかかってしまう。
幸いキーファの街にはすでに汎用の『使役』を取得させているモニカがいたため、領主の代わりにモニカに全てを任せることにした。表向きはこれまでと変わらず領主が街を支配しているように見せかけて、キーファの街を治めるように指示しておいたのだ。
それと比べれば、領主さえ押さえてしまえば大抵の問題が解決するヒューマンの街は楽でいい。
しかし今回はそれだけではまだ足りない。
キーファのように貴族の居ない街であればこれでよかったのだが、種族として貴族が存在する街ならば、領主の他にもその家族も含めた、この街にいる全てのノーブル・ヒューマンを眷属にする必要があった。
貴族がいたおかげで支配はスムーズに行えたが、貴族がいたせいで余計な仕事も増えたということだ。
それらを済ませ、念のために全員の能力値を上げられるだけ上げたところで、ようやくミッションは完了である。
ここまで終わらせるのに2日もかかってしまった。
しかし残るポータルはあと2ヶ所だ。
これでポートリーがうまくいっていれば、シェイプを除くすべてのポータルはマグナメルムの支配下に置くことができたと言える。
ポートリーのケルコスの街の首尾については聞いていないが、ライラが失敗することなど初めから心配していない。
「さて、あとはシェイプだけか。でもあそこはブランに任せる約束をしているし、まずはブランに現状を聞いてみなければわからないな」
SNSを見る限りでは、シェイプ王国全体としては多少治安が悪くなっている程度でそれほど劇的な変化はない。
馬泥棒がどうのとかいう書き込みがちらほらあるが、あれはシェイプに限ったことでもないし、ブランと無関係であるらしいことはすでに判明している。
イベント中、シェイプでは初期に陥落させた2つの街くらいしか被害は出ていないようだが、性格的にブランがただサボっているとも思えない。
何をやっているのかまったくわからないが、何かはしているはずだ。本人に聞いてみるしかない。
2日ほど遅れてしまったが、2人に連絡してお茶会の開催を伝えた。
★ ★ ★
章ごとに書こう書こうとは思っているのですが……
お読みいただきありがとうございます。
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