第214話「アブハング湿原」





 以前にSNSに情報が上げられていたのは、ペアレ王国にあるというルートという村だ。

 ただし具体的な場所がどこなのかまでは書かれていなかった。


 しかし今は有志の作成したスゴロク地図がある。

 それも最新版だ。

 この最新版は、ライラに教わった天空城位置予測スレに上げられていたものである。


 高い精度の地図が無ければ移動ルートの予測など到底無理だ。

 おそらくイベント限定転移サービスを利用し、全ての街の、隣接する街を書き出し、その位置関係から精度の高い地図を作成したのだろう。

 距離に関係なく隣接さえしていれば転移先リストには載るため、全ての街のリストを入手する事が出来ればある程度正確な街の位置を記した地図を作成することも不可能ではない。

 街のリストは協力してくれるプレイヤーを作ったり、あるいはSNSで有志を募れば入手は出来るはずだ。

 ただしこの方法では街同士の位置関係しかわからず、街以外に何があるのか、そして大陸全体の詳細な形状は不明なままだ。

 しかし天空城の移動ルートを絞り込むだけならこれで十分である。

 ルート選定のための情報はどのみち街基準となる襲撃タイミングだ。大陸の外周は関係ない。


 レアにとっても、とりあえず知りたいのはルート村の位置であり、大陸の外周はこの際どうでもよかった。


「……ルート村までのルートを調べないと。ふふ」


「何か言った?」


「何も?」


 この地図をもとに目的地を目指すとして、問題は移動の手段だ。


 手っ取り早いのは空を飛んで直行することである。

 幸いレアもライラも単独で飛行する手段を有している。


「どうせその気になったらすぐ行けるんだったらさ、ちょっと寄り道しようよ」


「寄り道?」









 リフレの街から通常の転移サービスで飛んだ先は、ペアレのアブハング湿原という☆1ダンジョンだった。

 このダンジョンには隣接してキーファという街がある。ダンジョン設定されているにも関わらずすぐ側に街があるということは、つまりペアレにおけるポータルということだ。


 今のところ、ペアレ王国についてはレアもライラもブランもほとんど何もしていない。

 旅のついでにこの国のポータルの様子も見ておくのも悪くないというライラの提案だ。


「街に行ってもいいけど……。どうする? せっかく来たし、ダンジョンも覗いていく?」


 知らないダンジョンというのは新鮮に感じる。興味がないでもない。

 以前にテューア草原やノイシュロスの街でも見学をしたが、サンプルデータは多い方がいい。


「そうだね。せっかくだし」


「んじゃあ、どうしようか、私たちの設定は。プレイヤー? NPC?」


 転移先の広場のようなキャンプ地にはログアウトしているプレイヤーのテントしかなく、今のところ誰にも出会っていない。

 リフレの街の傭兵組合には数名のルーキーらしきプレイヤーがいたが、特にこちらには意識を向けていなかった。


「……NPCにしよう。もし顔とかがバレた時、そっちのほうがまだマシだ」


「そうだね、わかった」


 白ローブと黒ローブの怪しい二人組NPCの誕生である。

 とはいえ、この世界では旅の際にローブやマントを羽織るのはそれほどおかしなことでもない。汚れが目立つので敬遠されるが、白いローブやマントは染色の必要がないため安く売られている。黒いものは多少値が張るが、こちらも一般的な染料なら『錬精』や『調薬』などで作成可能であるため高いと言っても知れている。


 つまり怪しいは怪しいが、通報されるほどでもないということだ。

 もっとも旅人が手ぶらであるのは十分に不審だ。

 その点を聞かれたら、すでに街で宿でも取ってある事にでもしておくしかない。


「湿地帯かあ。足元が汚れそう」


「『洗浄』一発で綺麗になるんだし、別にいいじゃん」


 湿原は見える範囲でもいくつもの小さな池のようなものがあり、非常に雄大な美しさを見せてくれる。このような美しい光景を前にしても自分の靴の汚れしか気にしないとは、ライラの心の狭さたるや。


「ほら、グズグズしてないで行くよ。『天駆』」


「は?」


「ん?」


「なにそれ、レアちゃんちょっと浮いてない? あれ? バグ?」


「このゲームには基本的にバグはないよ」


「あ、『天駆』か。確か私も持ってたなそれ。よし」


 湿原で足を汚さない地表ギリギリを2人で移動する。

 見渡せば、湿原に生える植物が太陽の光を浴びて思い思いに花を咲かせている。


「『鑑定』……。ええと、ミミズバショウ? ミズバショウの誤植……じゃないな! めしべかと思ったらあれミミズか! 気持ち悪!」


「腐ってもダンジョンかぁ。強烈なビジュアルだねぇ」


「あ、でもあれポーションの材料になるのか。ええと、再生ポーション……」


 再生ポーションは確かに通常のポーションなどよりも高いが、NPCの一般人が手が出ないというほどでもない。素材はそれほど稀少なものでもないのだろうと考えていたが、あれがそうだったようだ。

 このダンジョンは☆1であるため、そこで採取可能な素材も安価なものになる。湿原でしか採れないとしても、それほど高騰はしないのだろう。


「あれいくつか持って帰って家庭菜園とかしないの? なんとか草原で」


「草原でも育つのかどうかわからないし、しないよ。あと触りたくないし」


 他にも薬草として有用らしい植物がいくつも生えている。

 やはり初心者向けの、採取メインのダンジョンであるようだ。


「あ、レアちゃん見てあそこ。誰か戦ってるよ」


「ミミズバショウと?」


「これ戦闘力無いから違うでしょ。でもそんなに大きくない相手だな、なんだろあれ」





 興味本位でふらふらと近づいていくと、初心者らしきプレイヤーが戦っているのはスライムだった。


「えい! よし、倒した!」


 ちょうど戦闘も終わるところだったようで、プレイヤーが振り下ろした棍棒の一撃でスライムは力尽き、その身をまき散らして絶命した。

 見た目から少女かと思っていたが、声からするとプレイヤーは少年のようだ。

 スライムの死体は消え、後には瓶詰めされた液体が残されている。


 このゲームのスライムはプルプルした可愛らしいタイプではなく、ドロドロしたタイプである。

 基本的に水っぽい身体をしているのだが、ゼラチン質というか、半固体の部分があり、そこが本体であるらしい。一見すると溶けかけた氷のようにも見える。

 本体の中には核のようなものはなく、従って弱点部位も存在しない。純粋に与えられたダメージによってのみ死亡に至る魔法生物だ。

 そのため死亡時には死体は残らず、ドロップ品を残して消える。


 あの瓶詰めの液体はそのドロップ品だろう。

 こっそり鑑定したところによれば「スライム水」とある。死体のままではだめなのか。いや残らない仕様のため仕方がないが。


「これで必要分は集まっ──うわあ! 怪しい人がいる!」


 こちらの視線に気づかれたらしい。

 いやレアは例によって目を閉じたままだ。視線はライラのものだけである。つまり視線に気づかれたのならライラのせいだ。


「──驚かせて申し訳ない。見事な手際だったね。君は異邦人かな」


「喋った! あ、すみません。いほう……? あ、プレイヤーのことかな? そうです異邦人です!」


 異邦人、というのは公式の呼称ではない。あくまで保管庫がどうとか言うのを面倒がったライラがオーラルで流行らせただけの言い方だ。普段オーラルでNPCのふりをする時にそういう言い方をしていたためについ口に出てしまったようだ。


「あの、あなた方は? NP、このへんの人ですか? 何か用ですか?」


「いや、私達はちょっと旅を……ええと、そう、妹の目を治すための旅をしているんだ。オーラル王国を知っているかな? あちらの方から来たのだけれど。

 この湿原は薬草類が豊富だと聞いたものでね、何か目に効くような物でもないかと思って。それでたまたま君の姿を見かけたので、つい気になって近寄ってしまったというだけなんだ」


 こちらを見ながら話しているところを見るに、妹とはレアのことらしい。

 確かにレアは目をつぶったままだし、顔もそっくりだ。そういう風に見えてもおかしくない。相変わらず口だけはよく回ると感心した。

 ヒューマンだとしてもエルフだとしても耳の形が少し邪悪だが、言わなければ目立つまい。どのみちフードと髪で隠されている。


 ライラが話しながら口元を隠すマスクを下げたので、レアも仕方なくそうした。

 顔バレするリスクはあるが、初心者ならば前回のイベントボスの顔などよく知らないだろう。

 どのみちNPCで押し通すつもりなら顔バレしたところでさほどの問題はない。どこかで誰かに正体に気付かれたとしても、どうせ人間に化けて何か企んでいたとか思われるだけであるし、だいたい間違ってない。


「妹さんの目を! それは大変ですね……。あの、どういうアイテムが必要だとか、そういうのは分かってるんですか?」


「それはわからないんだ。いやすまない、君の邪魔をするつもりはなかった。気にしないでくれ」


 少年に謝意を述べて別れた。

 別れた後も少年はしばらくこちらを気にしているようだった。しかしやがて踵を返して街の方角へと去っていき、『魔眼』の効果範囲から出て行った。


「──いやあ、初々しいねえ」


「そうだね。しかし棍棒とはまた、渋い武器を持っていたな」


「スキルがないなら棍棒が一番効率いいんじゃないかな。どういう風に武器を振ったとしても当たればダメージ与えられるし。それにこの湿原のメインのモンスターがスライムだというなら、剣だろうと棍棒だろうと与えるダメージにそんなに差はないだろうしね」


「なるほど、そうかも」


 刃物を扱う事に抵抗がなかったために考えた事もなかったが、確かに何のスキルもない一般人が振るうとしたら棍棒が一番いいだろう。

 ビジュアルやカッコいいイメージから初期武器に剣を選ぶプレイヤーが多い中で、実に合理的な判断だ。好感が持てる。


「なんかスライムのドロップ品集めてたみたいだし、棍棒持ってたからそのクエスト選んだとかもあるかもね。なかなかの有望株だよ」


「……あの調子なら、すぐに経験値を稼いで成長するだろうし、いずれわたしたちの前に立ちはだかる日が来るかもしれない。その時彼がどんな顔をするのか少し楽しみだ」


「いや、私たちって言われても。私は別に立ちはだかられるようなことを表立ってするつもりはないんだけど」




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