第215話「溜まっていくレポート課題」
それからしばらくのんびりとハイキングを楽しんでいたが、ダンジョンに入ってそれほど経っていないというのに、そこかしこで初心者らしきプレイヤーたちが魔物と戦っているのを見かけた。
通常こうした開放型のダンジョンであれば、外周部のモンスターは少なく、中心に行くにつれてエンカウント率も上がっていくものなのだが、このダンジョンはそれほどに敵の密度が高いのだろうか。
また湿原に出現するモンスターはスライムだけではないようだ。
むしろスライムはどちらかといえば珍しい部類に入るらしい。
プレイヤーたちが主に戦っていたのは鹿だった。
見た限りでは魔物というよりは普通の鹿である。
確かに鹿といえばそれなりに危険な動物だ。生身の人間が素手で打ち倒すのは難しい。本来鹿は臆病なためわざわざ人間を攻撃してくることは少ないが、発情期や飢えた時期などは攻撃的になることもある。
ここの鹿は常時その攻撃的な状態らしい。つまりアクティブモンスターということだ。
「『鑑定』。ワイルドディア、だって。野生のシカだね」
「そのまんまか。鹿の角とかって何かに使えたりするのかな」
「一匹倒してみる? そういえば、リーベ大森林とかにはシカはいないの?」
「いるよ? もっと大きい奴だけど。牧場は解散したけど、今でも時々アリたちが落とし穴掘ったりして捕まえて食べてる」
アリたちは何かの幼虫の方が好みなようだが、量的な問題もあるため大型の魔物を狩って餌とする事も多い。
あの大型の魔物たちもあの森では食物連鎖の最底辺に当たるためか、繁殖速度はそれなりである。
「巨大鹿を狩って食べるアリの群れって、字面がもう怖いんだけど」
「慣れると可愛いものだけどね」
リーベ大森林深部に生息する大鹿がどのくらいの難易度に相当するのかはもうわからないが、感覚的には☆2から3の間といったところだろうか。工兵アリたちだけではハントは難しいが、騎兵や歩兵たちの群れでならカモである。
「鹿とスライムだけかな? ボスまで見に行ってみる?」
「行ってもいいけど……。でも☆1ダンジョンで特に何の仕掛けもないのなら、ボスもすぐに倒されちゃうよね。この湿原は定期的に魔物が居なくなったりしてるって事なのかな」
ダンジョンを支配しているモンスターならば、死亡したところで3時間後にはリスポーンする。しかしその間眷属たちは蘇生できないため、やはり3時間の間は誰もいないフィールドになるはずだ。
「すぐに倒されちゃうって言っても、ボスだけむちゃくちゃ強いパターンもあるんじゃないの? ボスエリアは難易度に含まれないんだし。そんなに気になるなら行ってみれば?」
「……そうしてみよう。興味がある」
ここで頑張っているルーキーたちには申し訳無いが、ここのボスは試しにキルしてみることにする。
ついでに蘇生実験も済ませてしまおう。
ドラゴンがもしいるならそいつで試してみるつもりだったが、本当にいるのかどうかも不明だし、優先順位としてはドラゴンよりも蘇生実験のほうが高い。
ライラは先に立って歩き、奥へと進み始めた。レアもそれについていく。
「どっちかわかってるの?」
「さっきも言ったけど、一応目の見えない妹を連れて旅をしている設定なんだから、レアちゃんが先を歩くわけにはいかないでしょ。
まあどっちに行けばボスが居るのかは知らないけど。雑魚が増えていく方向かな、とも思ったんだけど、どうも全体的に均等っていうか、何なら外周部のほうがたくさん雑魚いる勢いだし」
レアの『魔眼』が拾うMPの反応でも同様である。レアたちが入ってきた入口あたりはもう遠すぎてわからないが、見える範囲だけで言っても元きた方向のほうが雑魚の密度が高いようだ。
しばらく歩くと前方からプレイヤーたちが走ってくるのを『魔眼』が捉えた。
近づいてきてわかったが、かなり慌てている様子だ。イレギュラーなモンスターでも出たのだろうか。
「逃げろ! 時間だ! 警告したからな! トレインじゃないからな!」
「時間? 何の時間なのかな? あと君たちはいわゆる異邦人だね? トレインとは何だい?」
ライラがわざわざそう言ったのは彼らがこちらをプレイヤーだと誤認していたからだろう。
初心者の少年とのコンタクトでせっかくNPCを演出したというのに、この彼らにプレイヤーだと言いふらされでもしたら台無しだ。
「NPCかよ! 構って損したぜ!」
そう言い捨ててその3人のパーティは走り去っていった。
「……構って損した、とはどういう意味だろう」
「あれじゃない? あとでSNSとかでトレイン呼ばわりされるのを恐れて一応声をかけたけど、NPCなら死んだら終わりだからわざわざ話しかけて損したぜ、って意味なんじゃない?」
なかなか見下げた心意気だが、極限状態であったのならわからないでもない。
しかし現在はイベント期間中であり、彼らのデスペナルティは非常に軽い。
極限状態とは言い難いケースではないかと思われるが、か弱きNPCを守ろうとかそういった気遣いは無いのだろうか。
「レアちゃんだったら助けた?」
憮然とした雰囲気を感じてか、ライラが尋ねてくる。
「……その時になってみないとわからないけど。利害が全く絡んでいない相手だったら多分、助けると思う。利害が関係しているのなら、メリットのある方を選択する」
それを聞いたライラは、よろしい、と言って笑った。
何がよろしいのかわからないが、軽めに苛ついたので利害が絡んでいようといまいとライラは助けないことに決めた。
「しかしトレインとは。わざわざ違うなんて言うってことは、少なからず自覚のある行動をしているってことだよね」
「そうだね。……多分あれかな。何か来るよライラ」
プレイヤーたちを追ってか、前方から巨大な何かが近づいてくる。
何かというか、形からしておそらく熊だ。
「LPがずいぶん多いな。MPは妙に少ないけど。こんなの1匹いるだけで余裕で難易度☆3くらいまで上がっちゃうレベルだと思うんだけど、なんだこいつ」
「普段は☆1ってことは、普段は難易度表記に含まれない場所にいるってことだよね」
「……じゃあ、こいつがボスか。なんで出てきたんだろう」
「ふつうに、お腹が空いたんじゃないかな」
「餌なんて眷属にでも運ばせればいいじゃない」
「──ねえレアちゃん。これは盲点だったんだけれども。
いくらボスモンスターだからといって、みんながみんなINTが高いとは限らないんじゃないかな。そして『使役』を持っているとも限らない」
「え? 『鑑定』……。これは……」
その巨大な熊──と言ってもジャイアントコープスほどの大きさは無いが──ギガントブルムベアは、ほとんどSTRとVIT、そしてAGIにしか能力値が振られていなかった。
さらに『使役』も持っていない。
『使役』は通常、種族スキル以外で取得する手段はないと言っていい。つまり生まれながらに、あるいは転生した際に取得できなかった者は、基本的に生涯取得することはない。
この熊はそういう種族だ。
「大きな……気難し屋?」
「昔、そういう名前の戦車があったみたいだから、名前はそこから取ってるんじゃない?」
この際名前はどうでもよい。
ギガントブルムベアはボスクラスのモンスターであるにも関わらず、『使役』も持っていない。しかし状況から見て普段はボスエリアにいるらしい。つまりやはりボスである可能性が高い。どういうことなのか。
「……ボス、は居るけれど、領域内の他のモンスターは別にボスの眷属ではない、って事なのかも。そしてこのボスは定期的に、多分お腹が空いたらボスエリアの外に出て、餌を求めてこうして暴れまわる。さっきのプレイヤーたちが時間がどうとか言っていたのは、このボスの食事の時間なんじゃない?」
確かにそう考えれば辻褄が合う。
しかしそれはつまり。
「じゃあ、このダンジョンは、他の誰にも支配できないって事になるんだけど」
「そうなるね。ボスを倒しても連鎖的に雑魚が死ぬってわけじゃないし、となるとボス不在の状態で、領域が別の単一勢力に制圧される状況っていうのはまず有り得ない。
まあ元々、よほどうまくやらないとダンジョン指定された領域の支配を塗り替えるなんてのは難しいけどね。ほぼ確実にプレイヤーがいるから。レアちゃんはよくやったよねあの草原」
あれもたまたまだったのだが、結果オーライだった。
「じゃあ熊は最初にこの領域をどうやって支配したんだって疑問は残るけど、とりあえず納得はした。でもこれは勉強になるな。単に領域を奪われたくないというだけなら、こういう形も有りだ」
ギガントブルムベアはすでに目の前にまで迫り、レアたちを睨みつけている。
いきなり襲おうとしないのはこちらを警戒しているためらしい。
INTが野生の獣並しか無いというのに賢明なことだ。
「INTが低い分、野生の勘的なものでもあるのかな」
「あー」
「あーってなに。心当たりでもあるの?」
「いや、前に配下の狼たちが、野生を失ったら道に迷ったみたいなこと言ってたから」
「へえ。それってINTを上げたせい? それともレアちゃんの眷属になったせい?」
「もうわかんないし、検証しようもない」
「まあそうだね。仮にINTを上げたせいだとしたら、能力値を上げるという行為はメリットだけじゃない可能性もあるのかな」
今さらそんな事を言われても困る。
しかし仮にそうだとしても、そのデメリットを上回るメリットがあるのは確実だ。
現に白魔たちは、野生の群れだったころは散り散りに逃げるしかなかった相手を実力で叩き伏せることができている。
「とりあえず、熊ちゃんを料理しよう」
ライラがそう言うと、次の瞬間、ギガントブルムベアが突然ずしゃりと倒れ伏した。死亡したわけではないが、辛くて立っていられないという感じだ。
一瞬ライラの体がマナで輝き、その後何やらMPが減ったのは『魔眼』で見てとれた。その後ギガントブルムベアのLPがゴリゴリと減り始め、倒れたのである。
「……何それ、何したの?」
「『邪眼』の状態異常攻撃だよ。猛毒と衰弱を同時にかけたのさ。右目と左目でそれぞれ別の状態異常を設定できるようになったからね」
状態異常を同時にかける。
初めて聞く話だ。そのようなことができたのか。
少なくともレアの持つ『邪眼』では出来ないため、これは邪王の種族的なボーナスなのか。それともツリーを解放していけば可能になるのか。
衰弱状態は全能力値が一定割合で低下する状態異常だ。その部分は疫病と似ている。
違うのは、疫病が時間とともに重症化していくのに対し、衰弱は時間とともに回復していく点である。また疫病は重症化すれば周囲に感染するが、衰弱はそういったことはない。疫病のようなスリップダメージもない。
時間をかける前提ならば疫病は複数の状態異常の上位互換と言えるが、短時間ならば他の状態異常よりも効果は低い。
今ライラが疫病を使わなかったのはそういう理由からだろう。
また猛毒は最大LPに対する割合ダメージを継続的に与える状態異常である。弱い毒に比べて与えるダメージが大きかったり、複数の症状を引き起こしたりするため、薬で治療するのが難しい。
この時与えるダメージの割合は毒の強度とVITの数値で判定が行われるため、対象のVITが高ければ与えるダメージも減る。
毒の強度は本来固定値だが、ライラの場合は「毒」という特性によって与える毒の強度にボーナスを得ることができるらしい。
強いとはいえ、ギガントブルムベアは見たところ☆3程度の野生のボスである。
ライラとの能力差は大きい。致死毒かと思えるほどのダメージを与えているということだろうか。
「ところで、毒とかの割合スリップダメージってさ、いつの時点での最大LPを参照して決められていると思う?」
「……ダメージが入る瞬間の、じゃないの?」
「違うみたいなんだよ。いろいろ検証してみたんだけど、どうも毒を受けた瞬間に決定されるみたいなんだよね。
今みたいに衰弱と猛毒をまったく同時に受けた場合、最初にそれぞれの状態異常に対する抵抗判定が同時に行われる。そこで抵抗に失敗すれば、衰弱はその時点で即座に実行され、能力値が下がる。
一般的に衰弱状態になるとLPの最大値も減るんだけど、これはVITなどの能力値が下がってしまうからであって、最大LP減少自体は衰弱の効果とは関係ないみたいなんだ。
一方猛毒の方も、抵抗に失敗した時点で最初の工程、つまりダメージ割合を決めるための、毒の強度とVITの間での判定に移る。この時、同時判定になるけど衰弱によってVITが減らされているから、その効果を受けて減少した数値で計算される。
実際のダメージ値もこの時に決まるんだけど、LP最大値が再計算されるタイミングは一連の処理が終わってからになるらしくて、この時点では最大LPはまだ減っていないから、最大LPの元々の値を参照してダメージ割合が決まる。
そして状態異常の処理が終わった後、改めて最大LPの計算が行われて、減ったVITなどの能力値に応じて最大LPが減る。
つまり衰弱と猛毒を同時にかけると、実際の割合をはるかに超えるダメージを与えられるってわけさ」
「長い。レポート。じゃあ疫病は? あと、大天使の時にもそれやってればもっと楽だったんじゃ?」
「やったんだけどね。衰弱も疫病も抵抗されちゃったから猛毒しかかけられなかったけど。
それと疫病も同じだよ。あれは単体でそれらの効果を内包してるから、より厄介だ。でもあっちは目に見えて効果が出てくるまでに時間がかかるからね。これまでは重症化していくにつれて加速度的に与ダメージも増えていく効果なのかと思っていたんだけど、たぶんそうじゃなくて今言った仕様のせいだと思う。
衰弱は時間とともに回復していくけど疫病は逆に重症化していくから、本当はここに疫病も加えて3種類の異常を叩き込めれば完璧なんだけどね。まあ今はいいかなと」
今はいいかな、ということはその気になれば出来るということだ。
右目と左目で別々の効果を与えることができたが故に2つの状態異常を同時に与えられたと言っていた。
であれば、同時に3つ与えるためには目が3つ必要になるはずだ。
「もしかしてライラ、目が増やせるの?」
「……おっと。失言だったか。湿原だけに!」
「……。熊、死んだみたい、だよ」
「ちょっと、こっち向いてみなさい?」
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