第196話「ヒーロー、起つ」(別視点)





「ヒデオは悲しかった。町の住人たちのために戦った自分が恨まれる。それがたまらなく悲しかった……」


 ヒデオは独り言を呟きながら郊外に建てられているうらぶれた小屋の中に入った。





 この小屋にはヒデオの協力者であるドワーフの研究者、スタニスラフが住んでいる。

 小屋自体はみすぼらしく、今にも崩れてしまいそうだが、見た目に反して頑丈に出来ており、ちょっとした嵐程度では倒壊することはない。

 また小屋の床には地下室への階段が隠されており、そこから地下に作られた広大な研究室へ行くことが出来る。


 この地下研究室を作ったのはヒデオでもスタニスラフでもない。

 いつからこの地に存在しているのかはスタニスラフも知らないらしいが、元からここにあったものだ。いわゆる遺跡である。


 スタニスラフは元は考古学、かつてこの地に存在した統一帝国について研究していた研究者だった。

 統一帝国についてはこのシェイプでもおとぎ話のレベルであり、残されている文献も玉石混淆と言えるものばかりだ。古さだけなら本物らしい文献でも、実際にそこに記された場所に行ってみても遺跡は影も形もなかったり、あるいは魔物の領域に飲み込まれており、調べることなどとてもできないものがほとんどだ。

 一部の貴族の家には何かが伝わっているという噂もあるが、それもどこまで信じられるものかわからない。


 ともかくそうした文献を片っ端から漁り、行けそうなところには調べに行き、当時の事を少しでも調べるのがスタニスラフのライフワークだ。いや、だった。


 スタニスラフがこの遺跡を発見したのは偶然らしい。この辺りに遺跡があったという内容が記された文献を見つけ、とりあえず近くの町ザスターヴァに向かい歩いていたところ、急に足元が崩れて地下に落下し、そこにあったのがその遺跡というわけである。


 それによってスタニスラフの人生は一変することになった。

 この遺跡に残されていたアーティファクトのせいだ。アーティファクトというのは秘遺物とも呼ばれる、古代文明が残した特別なアイテムで、現代では作成できるものはいないとされている。

 このアーティファクトというアイテムには不思議な魔法が掛けられており、触れた瞬間その使用方法がわかるのが特徴だ。それがないものはアーティファクトとして扱われない。


 ここにあったアーティファクトは、ある生物の持つ特性を別の生物に移し替えるという効果を持ったものだった。

 その名を「アルケム・エクストラクタ」。

 そしてスタニスラフはこのアーティファクトに魅了され、その職を考古学者から錬金学者へと変えることになった。


 錬金学に人生を捧げる事を決意したスタニスラフは、遺跡の地上の開口部に小屋を建設し、研究できる環境を整えた。

 そこで問題になったのは実験台である。

 この辺りは魔物の領域も遠く、強い魔物は近くにいない。もっとも強い魔物を捕らえる力などスタニスラフにはないのだが。

 ここらでも見ることが出来る弱い魔物を実験台にすることで、アルケム・エクストラクタの操作に習熟することはできた。

 しかし弱い魔物では数度の実験で死亡してしまい、効率的に実験を行なうことができないでいた。

 これ以上の研究を進めるには、少なくとも人類種以上に強度のある生物で実験する必要がある。

 しかし、それでも死亡しないという保証はない。

 となれば自分でやるわけにはいかないし、まさかザスターヴァの住民を攫ってきて実験台にするというわけにもいかない。


 そこに現れたのが、決して死ぬことのないプレイヤー。

 ヒデオである。


 ヒデオはスタニスラフの研究に全面的に協力した。

 この研究がうまく行けば、このゲームの中で「変身ヒーロー」になることが出来るかもしれない。そう考えたからだ。

 この「ヒデオ」という名前もヒーロー、英雄から取っている。

 ヒーローと言えば、不可欠なのはサポートをするマッドサイエンティストである。

 アーティファクトに魅せられたスタニスラフはヒデオのイメージする狂科学者にぴったりだった。





「──改造することで少しだけ能力値が上がり、変身することでさらに強固な防御力を得ることができる。が、それだけじゃあ悪の組織には勝てないな……。より強くなるためにさらなる改造をスタニスラフ博士に頼まなければ」


 小屋に隠された細い階段を降り、地下遺跡へと進む。

 こんな小屋に壮年のドワーフの男と若いヒューマンの男が2人で暮らしていればいらぬ邪推を受けることになる。そういう誹謗中傷はヒデオの望むところではない。そのため彼は普段は町のNPCの家に下宿していた。

 それももう無理になってしまったが。


 下宿を叩き出されたときにはさすがに苛つきもしたが、直後に町に侵入してきたあの巨人アンデッドたちの事を思い出せばその苛つきも収まる。むしろ同情すらしていた。

 とはいえヒデオ自身もあの巨人アンデッドには為す術もなくキルされてしまったところだった。再び立ち向かう勇気はさすがに湧かず、ヒデオも町を守ることは諦めて一目散に逃げ出した。

 なによりヒデオはただのプレイヤーにすぎない。いかにヒーロー願望があるとしても、さすがに自分を化け物扱いするような者たちの町をあれ以上守って戦うというモチベーションは保てなかった。例えいくら格好いいセリフでごまかしても、だ。

 最後には必ず勝てるとわかっていればその限りでもないのだが、残念ながらこのゲームは勝てない敵には勝てないように出来ている。


 階段を下りきって遺跡に入ると、スタニスラフはデスクに向かい、資料をまとめているところだった。


「博士! スタニスラフ博士!」


「ヒデオか。どうした? 次の実験の予定はまだ先だったはずだが──」


「それどころじゃあない! 町がアンデッドの群れに襲われたんだ! 俺も変身して戦ったんだが手も足も出なかった!」


「なんだと!? ざまあみろだ! あの町の連中ときたら、偉大な研究をしているこの俺を──」


「博士! 今はそんな事を言っている場合じゃないだろ! 町はもう間に合わないかもしれないが、あのアンデッドたちがここまで来ないとも限らない! その前に俺にさらなる改造を──」





「──察するに、そちらにある謎の物体がその改造を行なうための装置か。もしやアーティファクトなのかな」





 不意に、聞いたことのない、透き通るような声が聞こえた。

 振り返ると、たった今降りてきた階段、その手前に純白のドレスを纏った女が立っていた。女の頭部には金色の角が生えており、その瞳は片方は赤く、片方は紫にきらめいている。

 薄暗いこの研究室において、その白すぎる女は自ら光を放っているかのようにさえ見える。実は天井の魔法照明の光は全てこの女をライトアップする為に用意されているのではないだろうか。そう思ってしまうほどぴたりと嵌った光景だった。


 またよく見れば女の隣には背中に大きな剣を背負い、男性貴族の着るような仕立ての良い服を着た性別不明の人物が立っていた。この人物も肌が非常に白く、両目が赤い。

 両肩にはコウモリらしき生物を乗せている。


 後をつけられたという感覚はまったくなかった。背後には気をつけ、時折振り返りながら逃げてきたのだ。小屋に入る際にも周囲には十分注意し、誰も居ない事を確認してから独り言をこぼしたほどだ。

 いや、そういえば、あの性別不明の人物の肩のコウモリ。あのようなものが小屋の近くを飛んでいたような。


「なっ! 誰だ! いつの間に!」


「ヒデオ! つけられたのか!」


「尾行には気を使っていた! 少なくともこんな目立つ連中につけられたりはしない!」


「愚か者め! 事実この研究室に侵入されておるではないか!」


 確かにスタニスラフの言う通りである。

 経緯はどうあれ研究室に侵入されてしまったことに変わりはない。そして状況から考えればそれはヒデオの責任だ。


「くそ、仕方ない! ここで戦って研究室にダメージを与えたくないが、好きにさせるわけにもいかない──『変身』!」


 ヒデオが設定しなおした発動キーにより、スキル『変態』が発動した。ヒデオの服を突き破り、黒い甲冑が姿を現す。口元と二の腕に生えた多数の棘が特徴的な、虫のような全身鎧のような不思議な姿だ。それでいて力強いかっこよさがある。


 ヒデオはこの姿を「スカラベ・フォーム」と呼んでいた。


「おお! それが例の変身か! なるほどなるほど。とりあえず『自失』。それから、あー。……こうだったかな。こうして……『ちゃん』と出来ているかな? あ、出来た。ついでに『恐怖』」


《抵抗に失敗しました》


《抵抗に失敗しました》


《抵抗に失敗しました》


 白い女が何かをブツブツ言うのが聞こえたと思ったら、立て続けに何かの抵抗に失敗したとメッセージが出た。

 同時に体が硬直し、視界が真っ暗になり、指一本動かせなくなった。


 こんな事態は初めてだ。

 しかしこのメッセージについてはマニュアルかなにかで読んだような気がする。これは何らかの状態異常攻撃だろう。その抵抗に失敗したため動けなくなったのだ。

 女がブツブツ言っていたのはその状態異常をこちらにかけるための何らかのスキルの発動に違いない。


 ──動けない! スタニスラフ博士!


 駄目だ。声も出せない。

 それから耳もおかしくなっているようだ。水の中にいるような、くぐもったような音が断続的に聞こえるだけで、外部の情報は何も得ることができなくなっている。


 スタニスラフはNPCである。

 初めて出会ったときからそれなりに戦闘力は持っていたが、ある程度進めたプレイヤーほどではない。

 ヒデオが手も足も出せないような敵を相手にしては容易く殺されてしまうだろう。

 そして復活することは出来ない。

 それだけは避けなければ。


 しかし現状ヒデオに出来ることなど無い。

 この状態異常がいつまで続くのかわからないが、一刻も早く回復するのを願うしかない。


 ──博士! 逃げてくれ! 博士え!









 再びヒデオが五感と体の自由と取り戻したとき、地下研究室には何もなかった。


 スタニスラフ博士も、白い女も、性別不明の剣士も。

 それどころか、博士が命より大切にしていたアルケム・エクストラクタも、研究資料も、それ以外の遺物も、何もかもが喪われていた。


 ただがらんとした古びた石の壁だけがあり、天井に魔法照明が煌々と輝いているのみだった。

 この魔法照明は町で売られているもので、後から博士が設置したものだと聞いている。

 あの白い女にとっては何の価値も無かったということだろう。


 争ったような形跡は一切ない。

 スタニスラフ博士は抵抗すら出来ず、連れ去られたと考えられる。


「──なんてことだ。博士……!」


 ヒデオは膝を落とし、石の床に手をついて嘆いた。

 床にはヒデオが破り散らした服の残骸が落ちている。これも無価値なものとして置き去りにされたようだ。


 いや、それはヒデオ自身も同様だ。

 敵にとってスタニスラフ博士は連れ去る価値のある人物だったが、ヒデオはそうではなかったらしい。


 ヒデオはプレイヤーであり、どこに連れ去られたとしても死ねば最後にログアウトした場所で復活する。

 あの町がすでに制圧されており、リスポーン候補から外されていた場合はこの地下遺跡になる。

 共に連れ去ってくれさえすれば何らかの手がかりが掴めたはずだ。死を恐れる必要のないヒデオなら、命と引換えに博士を逃がすなどの事もできたかもしれない。


 しかし敵はヒデオを連れ去らず、それどころか傷一つ付けていない。

 あの町で一度殺され、下宿先でリスポーンしたところを見られていたのかもしれない。ヒデオが復活可能な存在であると察し、殺しても無駄だと断じて放置していった。


「それで俺は見逃されたということか……」


 スタニスラフ博士は性格には難があったが、それでもこれまで一緒にやってきた戦友だ。

 と言ってもこの辺りには大した魔物もいないため、特別に何かをしたというわけでもない。

 全てはこれからだった。

 もう少し実験が進めば、もっと魔物の領域に近い街に拠点を移し、それから本格的に活動を始める予定だった。


「何者だったんだ、あの白い女は……」


 あの言い草からして、目的はアルケム・エクストラクタだろう。

 変身するためのアイテムを求めていたのか、単純にアーティファクトを集めているのか、それは不明だ。

 しかし、あれほど目立つ容姿をしているのなら、もしかしたら他のプレイヤーでも目撃している者がいるかもしれない。


 ザスターヴァの町は魔物の領域も遠いし特に産業もないためヒデオの他にプレイヤーは居なかったが、他の街にはたくさんいるはずだ。

 ヒデオはこれまでSNSなど利用したことがなかったが、そんな事にこだわっている場合じゃない。









「羽根……っぽいと言えば羽根っぽかったか? 仮にあのドレスのスカート部分が羽根だったとしたら、もしかしてあれが第七災厄、人類の敵か……」


 敵は思いのほか有名で、強大な存在だった。


 こんな状況だというのに、偶然地下アイドルに会ってしまったかのような、不思議で微妙な高揚感を覚えていた。

 何しろSNSによれば第七災厄はある意味ラスボス的な扱いだ。

 今回の天使による襲撃でも、直接関わりはないはずであるにも関わらず、スレッドの至るところに名前が登場している。


 そんな中で第七災厄は天使を無視し、ヒデオの元へ現れた。

 別にヒデオに会いに来たわけではなく、目的はスタニスラフ博士、そしてアーティファクトだろうが、そこにヒデオが居たというのも確かなことだ。


 真のヒーローには、そうした運命的な出会いもしばしばあるものだ。これはヒデオが引き寄せた運命だと言える。


 これまでの第七災厄の動きを見れば、彼女の目的がアーティファクトにあるのは明らかだ。彼女はヒルス王都で一度プレイヤーたちに敗北している。そのきっかけを作ったのがイベントアイテムのアーティファクトらしい。

 その経験のせいで彼女はアーティファクトを危険視し、その存在を嗅ぎつければこうしてやってきて回収するようになった、と。

 おそらくそういう設定だろう。


「……奴らがどこへ博士を連れ去ったのか、それはわからないが……。俺がもしアーティファクトを手に入れる事ができれば、再び彼女は現れるかもしれない。

 ──第七災厄とアーティファクトの情報を集め、いつか博士を救い出す。……誰も、人の未来を奪う事は出来ない!」


 これまでは言うなれば、長いオープニングのようなものだった。


 ここに来てようやくヒデオの真の戦いゲームは始まったのだ。






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