第195話「出汁」





 この『調理』ツリーには『下拵え』しかなかった。

 『下拵え』を取得したところ、新たにツリーと同名の『調理』が現れた。

 『調理』には『錬金』と同じくレシピが存在し、そこに記されている材料をそろえて適切な器具を使えばスキルの力で自動的に行程が進み、料理が出来上がるというシステムのようだ。

 適切な器具とかいうものを揃えるのは少し大変だな、と思いながら『調理』を取得してみると、ツリーに『キッチン』というスキルが追加された。


 『キッチン』は『錬金』で言えば『哲学者の卵』にあたるもので、要はMPを消費することで出現させる事ができる調理器具である。レシピに応じて形状が変化し、最適な器具として使用することができるらしい。煮たり焼いたり、複数の工程が必要なレシピの場合は文字通りさながらキッチンのように一式全てが現れる。当然相応にMPは消費されることになり、つまりレシピごとに必要なMPに差が出てくるというわけだ。これも融合を行なうようになった今だからわかるが、『哲学者の卵』が大きさによって消費MPが異なるところに似ている。


 『調理』が『錬金』と同様の仕様のスキルであるなら、『調理』の取得には『加熱』や『洗浄』、『通電』『粉砕』などの各属性の魔法スキルが必要だった可能性がある。レアは『錬金』取得の際にすでにひと通り揃えているが、そうでなければかなりきつい条件と言える。


 そこまでして『調理』スキルを取得しているような者はいるのだろうか。

 普通に考えたらロクに戦闘を行わない一般NPCがそんなにスキルを取得できるわけがない。

 となるとそこらの街の料理人たちは普段どうやって食事を作っているというのか。

 もしかしてスキルを使わずに料理をしているキャラクターが大半なのか。


「……普段は戦闘メインの騎士とか傭兵で、魔法スキルを全属性取得していて、かつ趣味で料理もしたいという人物がもしいれば持っているのかも。その上さらに『錬金』もやりたいとかって話になれば、事によっては賢者の石が市場に出てくる可能性もあるな」


 今のところ、市場にそういったアイテムが流れてきたという話は聞かない。それはプレイヤーたちの集うSNSにおいてもそうだし、グスタフたちから上がってくる情報でもそうだ。


 ならば今のところはそれほど気にする必要はないかもしれない。

 仮にいるとしても、世の中に物も情報も出すつもりが無いのならいないのと同じだ。

 いつかはどこかでぶつかるのだとしても、今レアに出来ることが自陣営の強化であることに変わりはない。


 それにたとえば『錬金』ツリーなら、『錬金』まで取得せず『錬精』だけでも、差し当たってプレイヤーが必要とする、鉱石から金属を取り出したりなどは可能である。

 同様に『調理』でなく『下拵え』だけでも食材を切ったり下茹でをしたり、下味をつけたりといったことは可能なようだ。アルコールや漬物などの醗酵食品の仕込みもこのスキルで可能なようで、発動すると必要な酵素や酵母菌がどこからともなくやってきて勝手に反応が始まるらしい。


 つまり『下拵え』の下茹でと醗酵を駆使すれば収穫した大豆をスキルだけで納豆化させる事も容易だ。

 おそらく米を炊くのもこのスキルで可能だろう。醤油も作れる。

 大豆と米と塩さえあれば無限に納豆ご飯が作れるという事だ。恐るべきスキルと言える。


「これあれば別に『調理』とか要らないんじゃないかな。鍋と茶碗と箸だけあればいいから別に『キッチン』もいらないな」


 納豆はそれほど好きではないが、大豆に含まれるイソフラボンは女性ホルモンに似た働きをするという話があったため積極的に摂っていた。

 実家は古い家なのでそうした食材は常にストックしてある。特に誰にも不審に思われたことはない。


 とにかく、以上の理由から積極的に『錬金』や『調理』を最後まで取得しているNPCやプレイヤーはそれほどいないと思われる。


 とりあえずここで一旦、自分のスキルを見直してみた。何かが増えているかもしれない。

 かつて『使役』を探していたときはスキル数も少なかったので楽だったが、今ではそうはいかない。


 少なくない時間をかけて調べていくと、『調薬』のツリーに『抽出』が出現していた。その効果は「対象に含まれる成分を分離して濃縮する」と書いてある。

 どうやら『調薬』『錬金』『調理』の全てのスキルで補助として使用可能なスキルであるようで、例えば『調薬』中に発動させれば成分抽出を行う事ができ、『調理』中なら出汁が取れる。


 出汁は『下拵え』でも作成可能だが、『抽出』を使えば一瞬で全く雑味のない出汁が取れるようだ。レアは普段料理をしないのでそれがすごいのかすごくないのかよくわからない。

 成分のみを抽出した素材を使用してポーション類を作成したときに、品質にどのような影響が出るのかはやってみなければわからないが、まさか悪くなることはないだろう。場合によっては賢者の石のように上位のアイテムが完成するかもしれない。回復薬のグレートとか。


 ポーションにはクールタイムが設定されていないし、満腹度も増えないので回復量が物足りなければ追加で飲めばいいだけだ。しかし戦闘中などなるべく短時間で大きな成果を得たい場合では、1本あたりの回復量が大きくなればそれが生死を分けることにもなる。


 それはそれで有用だ。後ほどレミーやその配下の職人たちに取得させて検証させるとして。

 その前に『錬金』である。

 『錬金』においてはどのように活用できるのか。


 正直に言えばどう活用できるのかとか割とどうでもよい。

 重要なのはこのスキルをどう使えば融合のその先を見ることができるのかだ。


 『調理』や『調薬』においては、工程のはじめや途中に素材に対して行えば成分の抽出や出汁を取ることが出来る。

 状況によってどういう効果を及ぼすのかが自動で選択されているらしい。

 つまり融合の最中に使用すれば、素材から特性のみを『抽出』出来るかもしれない。


「よし、では。『哲学者の卵』」


 とりあえず試してみるのが手っ取り早い。

 1体のニュートを『召喚』し、現れた水晶の卵に入れてみた。

 ニュートはまだまだ例の川、地図ではコンファイン川という名前だったが、そこに大量に生息している。少なくなったらまた行って『使役』してやればいいだけだ。ブランもライラも使うかもしれないので無茶は出来ないが、数体くらいなら誤差である。


「『抽出』!」


 水晶の卵は一瞬光り輝くと、瞬く間にその内部が謎の液体で満たされた。

 中のニュートは死亡してしまったようだ。両生類は目を見ても生きているのか死んでいるのか分かりづらいが、さすがに目の前で眷属が死亡すればわかる。


 水晶の卵の中の液体に浮かぶその姿はまるで何かの資料でみたホルマリン漬けのようである。かつては標本として採取した生物を保存するために、ホルムアルデヒドという薬品の溶液に漬けて瓶などに入れていたらしい。それにそっくりだ。


「状況から言ってこの液体が『抽出』された特性に関するアイテムかな。ええと……『鑑定』」


 表示されたウィンドウにはこうあった。


 ヒルスニュートの出汁、と。


「……なるほど」


 ニュートが死んでしまうのも無理はない。生きたまま出汁を取られたわけだ。

 というか、確かに死亡する可能性のある検証だったとはいえ、想定外に残酷な事をしてしまったような気がしてきた。


「さすがにこれは……ごめんなさいとしか」


 『錬金』に関するスキルを発動している間に、その対象に向け『抽出』を発動したのは間違いない。

 にもかかわらず、なぜか調理中だと判定されたということなのか。

 それとも単体で発動する場合は全て広い意味で「出汁を取る」ような結果しかもたらさないというのか。


 確かに例えば薬草から成分を抽出すると言っても、出汁を取るのと変わらないといえば変わらない。

 これはお茶を淹れたりコーヒーを淹れたりするのも同じだ。

 抽出とは本来そういうものである。


「でもあれだな。出汁もお茶もコーヒーも水を溶媒として抽出を行うという点で共通しているな。もしかして特性を抽出するとかの場合には専用の溶媒が必要なのかな。それがない時はとりあえず水で抽出するって仕様になっていて、結果的に出汁が取れると」


 これはありそうだ。

 今の所、『錬金』は全てスキルで賄えている。必要な道具もスキルが勝手に用意してくれる。

 それは『調理』も同様で、『キッチン』を使えばあらゆる調理道具が自動的に揃えられるだろう。『錬金』と同じ仕様なら下手をすれば調味料も揃っている可能性さえある。

 塩や砂糖は単体で存在し、それ以外の調味料も各種あるはずだが、それらはあくまで『キッチン』や『調理』を使えないキャラクター用のアイテムだということだ。もしかしたら『調薬』も同様の仕様かもしれない。


 だとすれば、溶媒が必要な工程も自動でなんとかするようなスキルがあってもおかしくない。

 それが何かは今の時点では不明だが、存在するならいつかは取得できるはずだ。


 経験値はまだ残っている。





 しかし、それからしばらく色々試してみたが、有効そうなスキルはアンロックされなかった。


「──やはり必要なのはスキルではなく、溶媒なのかな」


 その溶媒が作れるとすればこれも『錬金』しかない。

 これまで多数のアイテムをその目にしてきたことでレシピはかなり埋まってきている。

 しかし溶媒の名前もわからないのでは、この中にそれがあるのかも、あったとしてもすでにレシピがアンロックされているのかも不明だ。

 ひとつずつ試すというのもいいがどれだけ時間がかかるかわからない。しかもレシピに無ければ徒労に終わる。


「変身は惜しいけれど──あ、いや、ブランには悪いけれど、今の時点ではこれ以上は無理か……」


 何か突破口が必要だ。情報が足りない。


 当然一番いいのは当事者である「ヒーロー」の行方を追うことである。

 彼自身にはさほど価値は感じられないが、かならず「博士」と接触するはずだ。

 その博士がNPCであれば捕らえて脅迫か『使役』し、プレイヤーであれば金貨か情報か、その人物が欲しがる何かを見返りに協力を要請する。


「多分今一番近くにいるのはブランかな。もう遅いかもしれないけど一応消息を掴むよう言っておくか……」









〈ヒー……ロー? ああ、変態さんか!〉


〈そう。やはり現状だけでは変身能力をキャラクターに付与するのは難しくてね〉


〈それならふふふ。今アザレアが追ってるよ! こんな事もあろうかと! こんな事もあろうかと!〉


 これはちょっとレアも言ってみたかったセリフだ。若干羨ましい。


〈アザレア君は町を制圧する現場リーダーをしていたんじゃなかったの? 町の制圧はもういいの?〉


〈えっとね──〉





 ジャイアントコープスに引き千切られたくだんのヒーローは、ブランたちに襲撃されているその町でリスポーンした。

 しかしそこはNPCに貸してもらっていたらしい下宿部屋だった。

 彼が魔物のような姿に変身するところを見ていたNPCに部屋を叩き出され、通りに転がり出てきたところをアザレアが発見した。

 巨大なアンデッドの群れに襲撃されている最中に下宿人を叩き出すような余裕があるとは見上げたNPCだが、その人物にとっては家の外にいるモンスターも家の中にいるモンスターも敵である事に変わりはないのかもしれない。


 ともかく、直前に自分たちの前に立ちはだかった男が、死亡したのち時をおかずして再び目の前に現れた。

 そのためアザレアはこの男を主人と同じプレイヤーだと考え、殺すのはやめにした。

 殺したところですぐに復活するのはわかっている。それに主人のブランはこの男に何やら執心していた様子だった。

 それなら適当に泳がせ、この町以外の拠点を突き止めたほうが喜ばれるだろう。

 アザレアはコウモリに姿を変え、1体はその場に残り、2体で男の後をつけ始めた。

 男はそれ以上その町で戦うつもりはないらしく、一目散に町から逃げていった。


 それから程なくして町は制圧され、住民は全てブラン配下の吸血鬼へと変えられた。





〈──とまあ、そんなわけで、今アザレアの化けたコウモリが2羽、へん、ヒーローくんを追っているというわけなのさ!〉


〈それはすばらしい〉


 思っていたより状況はいい。

 できればブランの元へ行き、直接調べてやりたいところだ。


〈ブラン、あの──〉


〈あ! 今こっちにいるアザレアの残り物に連絡が! 郊外に小屋みたいなのがあって、ヒーローくんはそこに入っていったって!〉


〈いや、残り物て。それ本人に言うと泣くんじゃない?〉






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