第177話「自然回復」
こうしてリーベ大森林に入るのはずいぶん久しぶりな気もする。
前回来たのは草原に少し立ち寄った時だった。
なんとなく、かつてケリーたちと出会った洞窟に寄ってみた。
あの時はホームエリアとしてごく狭い範囲しか自分だけの領域として設定できなかったが、今は違う。ホームエリアは設定できなくなったが、かわりにこの広大な大森林のすべてが魔物たちの主であるレアのものだ。
洞窟の中は、以前と同じように明かりがなくともなんとなく周囲を把握することができる。
かつては初期エリアゆえのサービスかと考えていたが、それは違うと今なら分かる。
「マナがめちゃくちゃ濃いなここ。なんだこれ」
あまりに濃すぎるマナのため、『魔眼』がなくとも肌で感じることができるようだ。おそらくそのおかげで周囲がなんとなくわかってしまう。
「……プレイヤーと遊ぶ前に、ちょっと実験をしてみよう」
〈では私は先に様子を見に行きます〉
「ああ。頼むよ」
プレイヤー襲来の知らせはスガルにも同時に届けられていた。そういう伝達ルールになっている。
ここへはスガルも伴って来たのだが、スガルにとっても古巣であるここにプレイヤーが襲来するのは久しぶりだ。じっとしていられないのだろう。
洞窟を奥へ進み、地底湖までやってきた。
以前ここでケリーたちを洗ってやったことがあるが、今思えばよくこんな冷たい水でそんなことをしたものだ。マリオン以外はそれほど嫌がらなかったような記憶があるが、やはり猫獣人と猫は違うということなのか。
同じ地底湖でも、伯爵のいたあのアブオンメルカート高地のものと比べると非常に小さく思える。
だが数匹のヒルスニュートが暮らしていくには十分だ。
3匹ほど適当に『召喚』し、湖に放った。
洞窟内には特に生物は見当たらなかったので彼らの食事はどうしようかと思ったが、どうやら湖内部には目が退化した真っ白いミミズのような何かがいるらしい。
濃いマナのせいなのかそういう生物は豊富にいるようなので、それならいいかと放っておくことにした。
この環境でならばもしかしたら勝手に転生条件を満たすこともあるかもしれない。
次に行なったのは、無駄に
大気中のマナがキャラクターの有するMPの元になっているのだろう事はわかっている。
そのことから、MPの自然回復というのはその大気中のマナを吸収することで行われている、という設定なのではないかと考えていた。
このマナの濃すぎる洞窟はその検証をするのにうってつけだ。
MPの無駄遣いで一番安全かつ効率がいいのは『哲学者の卵』を発動し、何も入れずに『アタノール』で熱し、そこで工程を終了させるというものである。すると何も起こらずにランプと水晶の卵が消え、ただMPが失われただけで終わる。
これらのスキルは消費MPが多めであるためか、あるいは連発しても意味があるようなものでもないためか、クールタイムが設定されていない。
苦労して最大値の半分ほどまでMPを減らしてみたところ、ほんの数秒待つだけでMPは元の数値まで戻った。異常な自然回復速度だ。
「ここまで違いがあるのか。ということはMPの自然回復はキャラクターごとに個別に設定されている固定値というわけじゃなく、ゲーム全体のシステムの一環としてきちんと周囲のマナを取り込んで行われているということなのかな。あるいは周囲のマナ濃度を変数にした計算式で常に回復量を算出しているのかも知れないけど」
MPの自然回復量が周囲のマナ濃度に左右されるなら、LP自然回復量はキャラクターの体調によって左右されるということだろう。
もしかしたら空腹度以外にもLP自然回復に影響を及ぼすファクターがあるかもしれない。
「ちょうどいいな。プレイヤーもいることだし、わたしは大雑把にだが『真眼』によって相手のLPを視認することができる。少し試してみるとしよう」
*
「これで☆5か? 言うほどのこともないな」
「この程度ならそうだな、☆3かそれよりちょっと下ってところか」
「昆虫系ばっかだな」
「クモは昆虫じゃないぞ」
そう会話をしながら進むプレイヤーたちをオミナス君の視界を通して眺める。
勇ましくもリーベ大森林に挑んできたプレイヤーたちは4人組だった。前衛2人に魔法使い2人というなかなか尖ったパーティだ。スカウト役は誰がしているのだろう。
戦うさまを見る限りではかなり上位の実力者のようである。ただ戦闘だけを行ない効率的に経験値を稼いできたということだろうか。
罠などに対する警戒もせずに戦闘だけやって経験値を稼げるような場所があるのならぜひ教えてほしいところだ。INTが低めの魔物たちでも楽して稼げそうだし。
「ヒルスの王都のスケルトンより防御力も低いし、あっちよりもやりやすいな」
「デスペナ無いうちに偵察に来ようってだけだったが、これなら狩場こっちに移してもいいくらいか?」
と思ったら、どうやら罠のないダンジョンとはヒルス王都のことだったらしい。
確かに王都の街並みはなるべく変えたくないために罠は設置していない。
建物が破損した時も『建築』や『石工』のスキルを取得させたレヴナントにすぐに修繕させていた。
迎撃用の部隊とは別にカーナイトを定期的に巡回させ、壁の落書きやゴミのポイ捨てにも対応させている。
彼らはそんな、おそらく大陸一整備の行き届いた王都から来たようだ。
しかしどこのダンジョンでもあのようにサンダルで歩けるわけではない。それを知らないままでは彼らのためにならないし、何よりこの大森林を低く見られるのは面白くない。
レアはプレイヤーたちの上空、オミナス君の元に移動すると、そこにユーベルを『召喚』した。
彼らの周辺からはすでに魔物たちを退避させている。
見上げればユーベルの姿を確認することができたかもしれないが、リーベ大森林は深層よりも浅い場所の方が木々が深く密集して成長している。日の光も届きにくい環境では上空を巨大なドラゴンが覆ったとしても気付くことは困難だ。
ユーベルに指示をし、上空から『プレイグブレス』をゆっくりと吐き出させた。
「なんだ? なんかダメージを受けたぞ」
「こっちもだ。範囲攻撃か? どこからだ?」
「おい少しずつLPが減っているぞ! 能力値も下がってる! なんかの状態異常だ!」
プレイグブレスの追加効果、状態異常「疫病」である。『鑑定』をかけるとこちらに気付かれてしまうため詳細に確認したりはしないが、彼らの様子を見る限り全員が疫病状態になっているのは間違いなさそうだ。
「疫病」は毒よりも継続ダメージが小さく、むしろダメージ自体は無視できるレベルだが、かわりに全能力値が重症度に応じて低下する。そして治癒されないかぎり時間経過で徐々に重症化していき、一定以上の重症度になると周囲に感染する。
「疫病ってなんだこれ! どの解毒ポーションでも回復できないぞ!」
「いつの間に
「……ぐ! やばい、俺もう重症だ……! なんで進行速度が違うんだ……?」
「……こっちも重症だ。たぶんVITが低いと進行が早いんだろう。でも疫病だけならすぐに死ぬことは──」
「アリだ! アリが来たぞ!」
「クモもだ! 糸が──」
「引き千切れない!? さっきはできたのに!」
「能力値ダウンのせいだ! 放っておくと重症化してもっと下がっていくぞ!」
能力値が下がることによって当然VITも下がり、その分病状の進行速度も早くなっていく。
早期に治癒できれば大した影響もないが、放置することで毒や猛毒よりも重篤な症状を引き起こす状態異常、それが「疫病」だ。
現在レアがもっとも受けたくない状態異常のひとつでもある。毒や火傷もそうだが、これらのダメージは『魔の鎧』でMPにコンバートできない。
とはいえ対策自体は簡単で、免疫を再現したかったのか何なのか、一度疫病に
しかしそもそも疫病状態を誘発する攻撃をしてくるエネミー自体がまれであり、普通は対策を常時用意はしていない。
ポーション全般を取り扱うNPCの店ではたいてい疫病の治療薬やワクチンの取り扱いがなく、『調薬』をある程度修めている職人が直接品物を売っている店か、薬剤を専門にしている店にしか置いてないのも理由の一つだ。
こちらも治癒するには病状に合った治療薬が必要になるが、毒と同様現実ほどには種類は多くない。
あらかじめ対策を用意してくれば完全に防ぐこともできるが、そうでないなら初見殺しとも言える攻撃だ。
サンダルで近所を散歩するような気分で森に来た彼らではどうしようもない。
グレータータランテラの糸によって拘束された前衛職のプレイヤーは、身動きが取れないままビートルウォーリアやビートルナイトの攻撃を受けてそのLPを減らしている。
疫病の重症化が深刻な魔法職はもっと哀れだ。
近寄ると感染してしまう恐れがあるため、遠距離からスナイパーアントの狙撃の的になっている。
スナイパーアントはレアからの指示で急所は狙わないよう攻撃していることもあり、まるで戦場で足のみを撃ち抜きその場に転倒させ、助けに来た敵兵を次のターゲットにする熟練の狙撃手のような事をやっている。
ただし、彼には誰も助けは来ない。すぐ隣で同じように寝転んでいる魔法職の仲間の他には、クモの糸で拘束され巨大なクワガタとカブトムシにいびられている頼りない戦士職しかいない。
別に嗜虐心を満たすためだとか、嫌がらせや腹いせのためにこのような指示を出しているわけではない。
レアは冷静に『真眼』で彼らのLPの様子を観察していた。
──普通の状態よりは、自然回復のスピードが遅いな。わずかな差だけど、それも前衛職より後衛職の方が遅いように見える。これは健康状態によって自然回復に影響が出ると判断して間違いなさそうだ。
大した差でもないが、ギリギリの攻防をするような事態に陥った時、これは大きな助けになる。
ここで疫病の有用性について確認することができたのは良かったと言える。
『邪眼』のツリーを解放していけば、そのうちに疫病や猛毒を視線ひとつで与えることも可能になるだろう。逆にそういう攻撃をしてくる存在もいるかもしれないということでもあるが。
「細かい数値はともかく、だいたいわかった。もういいよ」
前衛職の彼らがクモの糸を引きちぎることができなかったのは疫病のせいだけではない。
レッサータランテラからグレータータランテラへひそかにバトンタッチしていたからだ。
同じような状況で彼らを全滅させるだけならユーベルをわざわざ呼ばなくても可能である。単にプレイグブレスやLP自然回復の検証をしてみたかっただけだ。
あえて弱めのアリやクモで獲物をキルゾーンまで誘い込み、糸やタンク系の甲虫類で動きを止めてスナイパーがキルする。
それが現在のリーベ大森林におけるもっともコストパフォーマンスのいい戦闘パターンである。
もっとも客が来ないため、使われることはないのだが。
過剰な戦力で押しつぶせばいいだけならば、そこらの空を優雅に飛んでいるメガサイロスをけしかけるだけだ。
木々の密集している場所だろうと彼らにとっては関係ない。高いSTRとVITによって、森林の浅層に密集している樹木は彼らにとっては茹でたブロッコリーのようなものだからだ。何の障害にもならない。
「イベントを機にもっとお客が来てくれればここの子たちも緊張感を持って任務に当たれるんだろうけど……。現状ただの窓際部署だからな。近くに街ももうないし、NPCの傭兵が来る事もなければ、野生の魔物の群れなんかが襲撃してくることもない。おそらく大陸でもっとも平和な地域だよね」
それを考えると天使の襲撃はちょうど良かったと言える。もっと頻度が高くてもいいくらいだ。
〈──レアちゃん今暇? ちょっとお願いあるんだけど。あと相談も〉
ライラからフレンドチャットだ。
確かにちょうど一息ついたところではある。
しかしお願いはともかく相談というのは珍しい。大人の言い方なら相談というのもたいていはお願い事のことだが、わざわざそんな言い方をするような事とは一体なんだろうか。
〈今暇になったところだよ。どうすればいい? 今どこにいるの?〉
〈今いるのはヒューゲルカップなんだけど、こっちから行くよ。この間の広場がいいな。あそこで待っててよ〉
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