第176話「清らかな心臓」





 トレの森。

 その中心部には1本の世界樹が堂々とそびえ立っている。

 そして世界樹の西側には大きく開けた広場があり、むき出しの大地が空を睨んでいた。


「なるほど、清らかな心臓か。そう言う割には随分濁っているような気もするけど、まあ天使のドロップ品と言われればそれっぽい」


 レアはその広場にまばらに落ちている赤く濁った宝石のようなものを拾いながら呟いた。


 鑑定の結果、このドロップアイテムは「清らかな心臓」と言うらしい。

 だがその名前についてもドロップしたモンスターについても大して重要ではない。『鑑定』による説明に比べれば些細なことだ。


 そこにはこうあった。肉体に魂を繋ぎ止める効果があるとされる、と。


「──蘇生アイテムの原材料と考えるべきだよね。これは」


 今の時点でその事に思い至っているプレイヤーは少ないはずだ。

 運営が課金アイテムでテコ入れをするくらいだ。『鑑定』を取得済みのプレイヤーは相当少ないと考えていい。

 しかしそれも今だけだろう。

 イベントの終了後にはメンテナンスがある。課金アイテムはその後から実装される公算が高い。


 イベント期間中、プレイヤーの多くは大量にこのアイテムを手にする事になる。

 特に用が無ければ売り払うだろうが、買取価格が低いようならとりあえずインベントリに仕舞っておくはずだ。NPCと違ってプレイヤーは嵩張る荷物の問題に悩まされることはない。

 天使は定期的に襲来しており、また各国の騎士団や国軍で対応可能なことから、これまでにも数多くの清らかな心臓がこの大陸にばらまかれているはずである。だとすれば希少価値という意味ではさほどではない。それだけなら買取価格は低めだろう。プレイヤーたちはたくさんの在庫を抱えたまま、鑑定アイテムを購入する事になる。

 しかし利用価値の高い消費アイテムの原材料となれば話は別だ。驚くほど高額で取引されていたとしてもおかしくない。その場合、プレイヤーたちは売却するだろうか。かえって売らないというプレイヤーもいるかもしれない。

 いずれにしても現在の市場価値を知る必要がある。


「──ああそうか。聞いてみればいいか」





〈清らかな心臓といえば、天使どもが遺す濁った宝石のことでしょうか?〉


〈そうだよグスタフ。これまでにも市場に出回った事があるはずだけれど、どういった扱いだったのか知りたくてね〉


〈大したものでもありませんよ。数も多いですし、忌々しい天使どものひり出したクソですからね〉


 実際に長い間被害に遭っているとなればそんなものだろうか。グスタフの口調は辛辣だ。エルフならばともかく、ヒューマンだったグスタフならこれまでに直接被害に遭ったことは無いはずだが、天使に先祖でも殺されたのか。

 初見のレアにしてみれば、その形相は恐ろしくはあるものの天使自体の容姿は非常に愛らしいものであるし、多少濁ってはいるがこの心臓もきれいな宝石と言えなくもない。


〈グスタフはこれが何に利用できるのかとか、そういう情報は持っているの?〉


〈肉体に魂を繋ぎ止める効果があるという噂は聞いたことがあります。そのせいで死霊術師のような後ろ暗い生業なりわいの者たちがこぞって買い占めているとか。それもあって、市井しせいではいい印象のあるアイテムではありませんな〉


 ──そっちかあ。


 『死霊』をかなりのレベルで取得しているレアである。これは気づいてもよかったことだ。

 いや、無理か。

 天使、清らか、魂を繋ぎ止める、という単語から死霊術を連想するのは難易度が高すぎる。

 逆にNPCの死霊術師はよく気がついたものだ。普段から何を考えていればそのような発想に至るというのか。


 しかし確かに死亡している肉体に魂を繋ぎ止めてみたところで、このゲームにおいては出来上がるのは良質なアンデッドくらいである。それは普通蘇生とは言わない。

 もう一つ、何か重要なファクターが足りていないのだろう。おそらく死亡した肉体を生きた肉体に戻す何かが。

 それが判明しない限りは蘇生アイテムの制作は無理だ。プレイヤーを総動員しても、ただの『回復魔法』のアンロックでさえ第二回イベントまで待つ必要があったほどだ。もう少し時間が必要なのかも知れない。


 考えてみれば、どれだけ高額だったとしても素材が大量に出回っているなら蘇生アイテムもNPCが街で販売しているはずである。

 しかしこれまでそのようなアイテムを見たことがない。

 つまりこの素材だけでは製作は出来ないという事だ。別の素材か、あるいは『錬金』の『大いなる業』のような何らかの特殊なスキルが必要だと考えられる。


「……まあいいか。どのみち今のところわたしにとって蘇生アイテムの価値は低い。対抗手段や使用の妨害を考える方が有益だし、それなら自分で作成出来なくても問題ない」


 グスタフにはプレイヤーたちがもしこのアイテムについて質問してきたら、なるべく死霊術に関連する事を全面に出して説明するよう言っておいた。

 ついでに念の為不審に思われない程度にそれとなくプレイヤーたちから清らかな心臓を買い集めておくよう指示を出し、グスタフとのフレンドチャットを終了させた。





「それはそれとして、弱い天使ではやはり大したテストにはならなかったな」


 レア自身のスキルやステータスの確認、そしてアンフィスバエナである【ユーベル】の性能テストである。

 天使たちの攻撃は非常に軽く、レアの四方を守る『魔の盾』に阻まれて直接のダメージを通した者はいない。

 盾へのダメージも軽微だった。この程度なら、おそらくレア本体への攻撃ならばノーダメージだったはずだ。盾そのものの防御力は基本的にはレアと同じ数値になるが、盾はクイーンの糸で織られたドレス等の装備を着ていないため、その分防御力は低いからだ。


 ついでに気になったのでクイーンアラクネアに織らせたドレスも『鑑定』してみた。

 今レアの身に付けているドレスは「女王のドレス(無垢)」という名で、高い魔法耐性を持ち、防御力もいつかのNPC騎士が着ていた鎧よりも高かった。

 さらに装備特性として「1以下のダメージを無効にする」というものもあった。しかしこれは先の騎士の鎧や以前に着ていた服などにも同じ記述があったため、おそらく体を守る装備品共通の特性だと思われる。

 この記述には見覚えがある。真竜人の種族特性の『竜鱗』の効果のひとつに同じものがあった。


 これがおそらく『魔の盾』のライフが削られた理由だ。

 盾は天使の攻撃により、一定回数ごとにわずかにLPが減っていた。

 ドレスの分だけ防御力が低いと言っても、隣でピンピンしているユーベルとそう大きな差があるとも思えない。違いがあるとすればユーベルには真竜人から引き継いだ『竜鱗』がある事だろう。

 盾が天使の攻撃を一撃もらっただけではダメージは見えない。しかし数回おきにはダメージが入っている。

 この事実と鱗や防具の仕様を合わせると、おそらくこういうことだ。


 このゲームのダメージは小数点以下も計算され、数字上では現れてこないダメージもシステムとしては存在する。


 普通は小数点以下のダメージを受けたところでLP自然回復によりすぐに回復し、そもそもダメージを受けたという自覚すら起きない。真っ裸でいたとしても、被害として目で見える数字になる前に自然回復により受けたダメージは消えてしまう。

 しかし『魔の盾』にはLP自然回復も微小ダメージ無効もないため、受けたダメージが素直に蓄積されていき、やがて目に見える結果として現れてくる。


 この仕様を利用できるかどうかは別として、それはそれで有用な検証ではあった。

 しかし、天使との戦闘で有用だったのはそこまでだった。


 他にブレス攻撃はどの能力値によって威力が算出されているのか、ユーベルの能力値を弄りながら検証してみたかったのだがそれも叶わなかった。

 ユーベルのブレス自体には大したダメージは設定されていないようだが、追加効果の猛毒や疫病により天使は数秒で死亡してしまうからだ。


 天使と言えば清浄であり汚れなき存在である。おそらく毒や病に弱いのだろう。

 当然相応に抵抗力は高いはずだが、その分抵抗に失敗した場合のダメージは大きいということだ。

 普通は毒や病に対する抵抗力といえば、侵されてからの死ににくさを表しているのだろうが、このゲームのシステムにおいて抵抗といえば行動判定の成否における指標のひとつである。抵抗に成功すれば全く何の影響も受けないが、失敗すれば追加効果の全てをその身に受けることになる。

 ユーベルの総合的な戦闘力を考えればこの程度の天使たちが抵抗できるはずがない。

 何度かINTやDEXを弄ってブレスを撃たせてみたのだが、統計的に確信が持てるようになる前に天使が居なくなってしまった。


「相性が悪いというやつだな。わたしに対する精霊王の呪いのようなものだ。たぶん、属性というか、なんかそんな感じのアレも正反対に近いだろうしね」


 ということは逆説的にレアやユーベルもまた、天使の特殊攻撃を受ければ大きなダメージを被る可能性がある。

 そこらを飛んでいた天使は通常攻撃しかしてこないため問題ないが、例えば大天使などと対峙する際には注意が必要かもしれない。もっともその場合はおそらくお互い様なのだろうが。


「他の支配地域も……、どうやら問題ないようだし、天使とやらの襲撃はひとまず落ち着いたかな」


 予定通り、レアの各支配地域はそれぞれの担当者に任せておいて問題なさそうだ。

 命知らずのプレイヤーが無茶な突撃をしてきそうな場合は別途対処する必要があるが、その際にはすぐに連絡を入れるよう指示してある。


 SNSをざっと流し読みしたところでは未だ戦闘中の地域や、そもそも天使の襲撃を受けていないらしい地域もあるらしい。

 イベント告知のシステムメッセージには大陸中のすべてのキャラクターが襲撃を受けるというような趣旨の内容があった。

 それが正しいならば、襲撃を受けていないのはまだ天使が現れていないだけだと考えるべきだろう。

 レアが早くも天使たちを片付けてしまったのは主に試した攻撃手段の威力と範囲のせいだが、プレイヤーや国の騎士たちが守る都市でも、すでに状況が終了している地域が多くある。

 こう言ってはなんだが、レアやその関係者よりも早く天使を殲滅できた勢力があるとは考えにくい。

 となるとやはり、天使が襲撃してくるタイミングには地域によって差があると考えるべきだろう。

 レアの支配地に関しても、例えばリーベ大森林などよりリフレの街やヒルス王都の方が早く襲撃を受けた。

 この微妙なタイムラグはなんなのか。


「──これは天空城の現在位置からの距離によって差が出ていると考えるのが妥当かな。天使たちの実力が全て☆2ということは、画一的な能力値なのだろうしおそらく移動速度にはそう差はない」


 SNSに上げられている報告の、書き込まれた時間と場所を全て拾い上げ、例のプレイヤーメイドのスゴロク状の簡易マップとヒルス王国地図、オーラル王国地図などを照らし合わせて統計をとれば天空城の詳細な位置を割り出すことも不可能ではない。


「……いや、さすがにそれは1人では無理……というかやりたくないな。ライラに手伝わせるとしても作業量が半分になるだけだし……。ブラ、いや、まあ今回は諦めようか。もしかしたらそのうち有志の誰かが割り出してくれるかもしれないし、SNSをチェックしながら待っていよう」


 レアは1人ではない。

 ネットワークの海の向こうには志を同じくする大勢の仲間たちがいるはずだ。

 わざわざ言わなくても、この事にすでに気付いて行動を始めているプレイヤーもいるに違いない。

 運営もしがらみを忘れて協力するべきだと言っていたことだし、ここはまだ見ぬ仲間たちの力を信じるとしよう。


 そこへ、リーべ大森林を管理させているクイーンベスパイドから連絡が入った。


「──ふうん? 空気を読まずにダンジョン攻略にばかり血道を上げるパーティがいるのか。しかもリーベ大森林とは珍しい。というか前回のイベント以降では初めてだな」


 しかし運営の推奨する協力プレイを放棄するというのはいただけない。

 ここはひとつ、自分の利益しか考えないプレイヤーに協調性というものを教え込んでやるべきだろう。







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