第126話「ラコリーヌの森」





「おお。ラコリーヌにお客様がいらしたな。これは……王都方面からでもエルンタール方面からでもないな。わたしの知らない方角に新セーフティエリアがあるのか」


 ラコリーヌはさまざまな街道が交わる交通の要所だった場所だ。

 王都方面は当然知っているし、かつてブランを見送ったエルンタール方面もどの方向かは知っている。そのどちらでもない方角に向かう街道沿いに、おそらく新たに運営が設定したセーフティエリアがあるのだろう。

 余裕が出来たら誰かを飛ばして場所くらいは確認しておくべきか。

 運営が専用で設置した新たなセーフティエリアというものを単体のプレイヤーが制圧できるのか不明だが、仮に出来なかったとしてもその周辺をトレントや蟲をはじめとする眷属で固めてしまえば、プレイヤーの湧き狩りができるかもしれない。

 いきなりそんなことをすればこちらがプレイヤーと関わりがあることを悟られてしまうかもしれないし、さすがに運営に怒られてしまいそうなのでやらないが。


 SNSの先ほどのスレッドには待ち合わせなどの書き込みは見当たらなかったため、この現れたプレイヤーたちはマッチングしてできた急造パーティではなく、普段から組んで行動しているメンバーだろうと思われる。


「このタイミングで現れたと言う事はおそらく初ダンジョンなのだろうし、それでいきなり☆3にアタックするくらいだから、さぞ腕には自信があるんだろうね」


 難易度調整をしていたせいで多少時間は経過しているが、それにしても他の☆1や☆2のエリアを覗いてきたにしては現れるのが早すぎる。

 新たに作られたセーフティエリアへの転移は一方通行とされているため、その場所からさらに別の場所に転移するというようなことはできないようになっているはずだ。

 それができたら簡単に国家間などの長距離移動ができてしまうことになり、運営も懸念しているだろうプレイヤーによる流通の破壊につながってしまう。抜けがあるとは思えない。


「お手並み拝見と行こう」


 しかしある程度自分に自信のあるパーティならば、それなりに宣伝もしてもらわなければならない。

 このランクのプレイヤーたちが気持ちよく狩りをし、死に戻りをしたとしても収支としてはプラスだったなと感じられる程度にはお楽しみいただく必要がある。

 リーベ大森林で初心者相手に行なっていた時よりは難易度は高いが、こちらも経験値を人材にかなり投資しているし、ノウハウも蓄積されている。やれるはずだ。





 5人からなるそのパーティは、タンク系の戦士が1人、槍を持つ戦士が1人、弓を持つ戦士が1人、魔法使い系が2人という、対応力という意味ではこれ以上ないほどにバランスを極めた者たちだった。

 しかしただバランスがいいというだけであり、実際に戦闘するとなればいささか前衛が薄いような気がしないでもない。魔法使いが2人もいるならもう1枚前衛を増やし、弓兵あたりをリストラした方が長生きできそうな気もする。


 プレイヤーたちは弓兵を先頭に森の中を進む。

 周囲の木々に時おり傷をつけ、罠や奇襲を警戒しながら徐々に奥へと分け入っていく。

 どうやら弓兵は斥候スカウトも兼ねているようだ。藪や小枝なども払い、魔法使いの服などが引っかからないよう気を使っている。ずいぶんこなれたパーティだ。


 しかし残念ながらここではほとんど意味はない。

 罠など仕掛けてはいないし、木の幹に傷を付けているのは進入ルートの記憶のためなのだろうが、木々のほとんどはトレントであるため、数分もすれば自動回復で傷が消えてしまう。小枝を切りはらったりした部分も同じだ。藪はおそらく普通の植物だろうから完全に無意味ではないが、それだけだ。


 先頭の弓兵が手を挙げる。一同はそれを見て足を止めた。


「っと、小型の魔物だ。たぶんネズミ系。☆3の割には小物だな。始めたばっかりの頃のウサギとかあのへんと同レベルだと思う」


「俺がやろう。矢の消耗は避けたい」


 一歩後ろに位置していた槍兵が前に出て、素早く槍を突き出しネズミを貫いた。

 確かに弓兵の彼の言った通り、あれは序盤にいるようなネズミを連れてきて増やしただけの魔物だ。いずれはもう少し高ランクの獣類も放したいが、『使役』せずに連れてくるのは手間がかかるのでやっていない。あれらは虫やトレントの餌も兼ねているため、さすがに『使役』して仲間同士で食い合わせるのはどうかと思うからだ。


「よし。で、どうするこれ。ネズミの素材なんて今さらだけど」


「……本当にただのグレイラットだな。放っておこう。売るのも手間だ」


 インベントリがあるため持って行っても何の問題もないだろうが、確かに捌くとすれば手間になる。解体と言う意味でも売却と言う意味でも。

 レアにとってはありがたい限りだ。あのネズミは餌であるので、生きていようが死んでいようが大差はない。死体をそのあたりに放っておいてくれるなら後でアリなりクモなりが回収して餌にするだろう。


「ネズミしかいない……わけはないよな。☆3で」


「まあ、まだ入ってからいくらも歩いてない。そのうち……っと、来たみたいだぜ。音がする。少なくともネズミよりはデカい」


 弓兵が耳に手を当てた。『聴覚強化』を持っているらしい。

 森の木々はほぼトレントのため、アリやクモはその気になれば音を立てずに移動が可能だ。障害物であるトレントの方が音が鳴りそうな枝葉を避けてやるだけでいい。しかしわざわざ音をたてているということは、おそらく監督のクイーンアラクネアのサービスだろう。


「……くるぞ……きた! こいつは……クモか!」


「でか過ぎて一瞬何なのかわかんなかったぜ! タランチュラか!」


「糸に注意しろ!」


 現実でもゲームの魔物でも、クモはどの種も糸を分泌する事が出来る。

 ゆえにリーダーらしきタンクの男性の警告は間違ってはいない。いないのだが、少し足りない。

 毛の多いツチグモ系のクモの中には、稀に腹の毛を飛ばす種の物がいる。フサフサのクモを見かけたらまずそれを警戒すべきだ。その毛は刺激毛などと呼ばれ、触れると炎症を起こす。

 現実のクモは足などで腹を蹴って毛を飛ばすが、魔物であるこのレッサータランテラは特に何の原理もなく急に毛を飛ばしてくる。理不尽に思えるが、レアの『フェザーガトリング』なども方向性としては同類のため、考えないことにしていた。

 そしてその毒性も、炎症を起こすなどという可愛らしいものではない。


「うお! なんか飛ばしてきた!」


「うぐっ! ……毒針だ! 食らうと毒状態になる!」


「大丈夫か!? 『解毒』!」


 後衛の魔法使いのうちのひとりはヒーラーだったらしい。

 毒を受けたらしいスカウトに近寄り、『解毒』を発動させ回復している。

 『解毒』は『治療』のツリーにあるスキルで「あらゆる毒状態を解除する」というマルチでマジカルなスキルだ。毒自体はゲーム内にも神経毒や出血毒、筋肉毒など多くの種類が存在しているが、スキルで言えばこの『解毒』だけがあれば事足りる。

 このレッサータランテラの毒は筋肉毒の一種である。筋肉細胞の隙間に浸透し、細胞を破壊する。症状としては筋肉痛に似ているが、放っておくと痙攣や呼吸不全などを起こして死亡する。

 ゲーム的に言えば、継続ダメージを与えつつ時間経過で即死、という事になるだろうか。それで言えば出血毒はより継続ダメージに特化した毒だと言えるし、神経毒はダメージと麻痺を与える状態異常と言えるだろう。

 このレッサータランテラの毒については、痛みやダメージなどは毒状態にさせさえすれば与えることができるが、最後の即死については別途VIT判定がある。初心者ならば死ぬかも知れないが、このランクのプレイヤーには普通に抵抗されて終わる程度だ。

 毒を受けたスカウトの彼も、針では有り得ない種類の痛みから毒だと判断したのだろう。なんであれそういう怪しげな症状ならたいてい『解毒』で事足りるため、優れた状況判断と言える。


「っと! これ、そう強い攻撃じゃないな! 抵抗できたぜ!」


「それ以前に、刺さりもしねえぞ」


 レッサータランテラは歩兵アリなどよりはかなり強いが、言っても低級のアリと比べられる程度だ。

 ☆3に自信満々でアタックをしかけるプレイヤーに太刀打ちできるほどではない。

 槍兵には毒針は刺さりはしたようだが毒状態にはさせられなかったようだ。タンクに対してはその皮膚を破ることさえできていない。彼の素のVITで弾かれてしまったらしい。


「オラよっ!」


 あまつさえ、弓兵のナイフで止めを刺されてしまった。

 これでもおそらくかつてリーベに来ていた初心者たちなら余裕で全滅させていただろう魔物だ。それを思えばこのプレイヤーたちの強さも際立って見える。

 レアは自分の事を棚に上げ、プレイヤーのインフレも甚だしいなと感じた。


「このクモのモンスターは見たこと無いな。持って帰るか」


「何に使えるんだこれ。糸は吐かなかったけど、もし糸持ってるなら裁縫系の素材とかか?」


「待て、タランチュラはたしか食えるぞ」


「お前こそ待てや!」


 和やかに談笑しながらインベントリへレッサータランテラの死体をしまい、パーティは再び進み始めた。


「にしても、ずいぶん近づかれるまで気づかなかったもんだな」


「ああ。なんかこの森、ずっとサワサワ言ってて、音が聞こえづらいんだよ。風が吹いてるって感じでもないんだけどな」 


 それはおそらくトレントの仕業だろう。

 クモやアリたちの移動に音を出さないのと同様に、誰も居ないところに音を出す事も出来る。

 この弓兵のように『聴覚強化』に頼った探索をする者を騙す事など造作もない。


 その後も断続的にクモやアリが、時に集団で襲いかかるが、どれもおよそ危なげなく対処していく。

 彼らの自信はその確かな実力や経験に裏付けされたものであるらしい。


 そうしている間にも、どうやら他のプレイヤーたちが続々と集まってきているようだ。

 SNSを覗いてみれば、ラコリーヌで待ち合わせというワードも散見されるし、マッチングパーティも多い。

 とりあえず他のパーティの監視はクイーンアラクネアたちに任せ、レアは引き続きこの記念すべき最初のパーティの最期を見届ける事にした。


 格下相手に5人がかりとはいえ、その総討伐数を考えればそれなりに経験値も素材も稼いだ頃だろう。

 今回は様子見の意味合いが強かったらしく、彼らはそろそろ引き上げるようだ。

 しかしこのままただで帰してしまうわけがない。


「……マズいかもしれね」


「なんだ、どうした? どのみちそろそろ引き上げようってところだし、問題があるならとっとと帰ろう」


 弓兵の言葉にリーダーのタンクがそう返す。しかし弓兵の顔は晴れない。


「……いや、すまん。マジでヤバい」


「なんだよ、どうした? なんか聞こえるとかか? クソでかいモンスターの動く音とか」


「違う。……帰り道がわからねぇ」


「はぁ!? いやいや、なんか印つけてたろ! それ辿ったら良いんじゃ──」


「待って! よく見てよ。この木。さっき彼が傷を付けたのはこの木だった。でもほら、傷がどこにもない」


 槍兵が叫ぶも、冷静に魔法使い──彼は確かヒーラーの方だった──ヒーラーが木を指して言う。

 確かにそこにつけたハズの傷は綺麗サッパリ消えている。

 トレントが自然治癒したのだろう。


「……わけがわからんが、印が消えているのは確かだ。その上でどうするかだ。方角は朧げながらわかっているし、来た道ならば覚えがあるだろう。記憶を頼りに帰るしかない」


「くっそ。せっかく稼いだのにデスワープなんてごめんだぜ」


「悪い……くっそお俺のミスだ」


「初めて来る場所だ。ここはそういうダンジョンだったということだろう。いい情報を得られたと思っておこう。現時点でこれを知っているのはおそらく俺たちだけだ。お前のせいじゃない」


 実に人の出来たリーダーだ。槍兵の悪態もただつい口にしてしまっただけらしく、弓兵の肩を叩いている。


「……待て。え? 確かこっちから来たよな? あれ?」


 しばらく、来た道を戻っていった彼らだったが、いくらも行かないうちに立ち止まる事になった。

 当然だろう。彼らの通ってきた道はすでにそこにはない。


 ラコリーヌは森である。ゆえにその「道」を構成しているのは木々であり、その木々はトレントだ。

 ある程度プレイヤーが遠ざかったトレントたちは、周囲に気付かれないようゆっくりと移動し、彼らが通った獣道を閉ざしたのだ。

 道中で捨て置かれたネズミなどの死体もすでに回収されている。

 彼らの記憶にある、あらゆる痕跡はすでに残っていない。


「……明らかに道が変わっている。そういうことか……! ☆3と言うには、敵が弱すぎると思っていたんだ! ここはおそらく、モンスターの難易度ではなくギミックの難易度で☆3と判定されてるダンジョンだ!」


「迷いの森……ってところか……」


「なんか、足元の草っていうの? 伸びてきてないか?」


 ただトレントたちが移動しただけでは、その隆起した地面によって気づかれてしまう。

 それを誤魔化すために、要所要所に配置されたエルダーカンファートレントが断続的に弱めの『祝福』をバラ撒いている。世界樹の『大いなる祝福』ほどのふざけた効果は無いが、足元の草を多少成長させるくらいは出来る。

 生い茂る木々によって、昼間でも薄暗く感じる深い森だ。

 ところどころに廃墟のような瓦礫はあるが、それも苔や草木に覆われて殆ど見えない。

 目印にしたとしても、トレントたちが自分と一緒に移動させている事もある。

 無策でこの森から脱出するのは困難を極める。


 加えて言えば、☆3の割に敵が弱く感じたというのなら、おそらく難易度の判定基準になっていただろう無数のトレントが戦闘に参加していなかったためだろう。


「……詰んだなこれは」


「くっそ、死に戻りするしかねえか」


「俺たち入ってから結構経ってるし……。ああやっぱりだ。ここにアタックしてるパーティ、それなりにいるわ……」


「今更遅いかもしれないが、一応注意喚起をしておこう」


 注意喚起は構わない。どうせすぐに万人の知るところとなる。

 だが自死による死に戻りはいただけない。

 それではレアに経験値が入らない。


 周囲から大量の糸がパーティ目がけて吹きつけられた。


「うわ! なんだ!? 糸!?」


「クモか! いつの間に!」


「嘘だろ!? 何の音も……」


「まずいぞ! 囲まれている……!」


 経路の変更などの、トレントたちが動く音はおそらく気づいていなかったはずだ。なにせ常にそういう音を出すようにしている。その音に紛れて、クモたちは気づかれないよう包囲したのだ。

 そして包囲しているクモはレッサータランテラではない。グレータータランテラだ。サイズはふたまわりは大きく、体色も濃い。


「さっきの奴らじゃない! くそ……糸が!」


 タンクの彼は糸を引きちぎって防御しようとするが、一瞬遅かった。毒毛針を鎧の隙間に受け、苦しみだした。

 レアがかつてヒルス王都で倒した騎士たちのように全身鎧を着ていれば防げていたのかもしれないが、彼の鎧にはいくらか隙間が多かった。

 毒で苦しむと言っても実際の痛みほどは感じていないはずだが、麻痺も併発しているのかもしれない。ふたたび糸を吹きかけられているが、今度は振り払おうとしない。


「頼む、解毒を……」


 しかしヒーラーはそもそもタンクのように最初にかけられた糸も引きちぎれていなかった。あっという間に糸に絡め取られ、すでにタランテラたちの元へ引き摺りこまれている。

 これはもうひとりの魔法使いも、そして弓兵も同じだ。

 槍兵は糸からは脱出したようだったが、タンク同様毒針で行動不能になっている。


 グレータータランテラと言っても、1体や2体であれば彼らに容易に倒されていただろう。

 しかし多数で包囲し、奇襲で行動阻害をしかけ、状態異常をばら撒きながら安全圏から一方的に攻撃すれば、熟練パーティでも刈り取れる。


 クモたちが糸に巻かれたプレイヤーに順々に止めを刺し、リスポーンによって死体が消えたことを確認したところで、レアはオミナス君から視界を戻した。




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