第92話「蟲の女王」





 スガルを転生させる必要があると考えたのにはもちろん理由がある。

 現時点で幹部クラスの眷属のなかでスガルだけがまだ転生を行っていないということもあるが、それ以上に実利的な問題があった。


 スガルが、クイーンベスパイドが産み出せる眷属の数が最大数に達してしまったのである。


 これまでは、正確に何匹のアリを擁しているのかはっきりとは把握していないものの、リーベ大森林、それから隣の草原の地下あたりで活動する分には問題なかった。

 しかしこれがさらに外部に侵略するとなると、一気に数が心もとなくなる。

 トレントなども、一定範囲内での増殖の数、つまり生存密度が制限されていたくらいであるし、これも似たようなものだと思われる。

 となると、必要になってくるのは新たな女王アリだ。


 現実のアリの場合、女王は最初の交尾で一生に産むすべての卵の分の精子をオスから受取り、それを体内に貯蔵している。それがゲーム内設定にも反映されているとしたら、産めなくなったということはそれが尽きたということになる。

 しかしスガルにそれとなく聞いてみたところ、どうもそもそも、彼女たちには雌雄という概念自体がなさそうだった。つまりすべての卵が無精卵ということだ。

 現実のアリならば、女王は有精卵と無精卵を産み分けることができ、無精卵から生まれるのはすべて雄アリになる。しかしそもそも性別がなく、無精卵しか産めないのであれば、産まれる卵は雄ではなく無性、または雌雄同体ということになる。

 仮に全てが同じ卵なら、そこからフェロモンや餌の差などによって次の女王が選別され、そのように変態していくのだろうが、スガルの産む卵は産んだ時点で成長先が決まっている。

 であれば、次の女王が生まれるとしたら、それは卵として生まれた瞬間からそう決まっていると考えるのが妥当だ。


 つまり、現在のスキルツリーに次世代の女王などの卵を産むスキルがない以上、おそらく何らかのブレイクスルーが起こらなければ女王級のアリを生み出す事は出来ないのだ。

 特定の条件を満たすことでアンロックされる可能性はあるが、例えば世界樹の『株分け』では世界樹そのものを増やすということはできなかった。同様にスガルがクイーンベスパイドである以上、同格のクイーンを産むことができないという制限がある可能性は十分考えられる。

 ならばせっかくであるし、スガルを格上に転生させてそのブレイクスルーを狙ってやろうというわけである。


「イベントの取得経験値増加のおかげで、さっき使ってしまった分は王都の住民から回収できそうだし。

 今はデスペナルティによるロストがないから、昨日の昼間のプレイヤーとの戦闘もわたしが殺した分だけプラスになってるしね。ラッキー、ラッキーだよははは」


 大丈夫だ。

 レアは落ち着いている。


「これならスガルの転生分は足りるだろう。もしものための貯金については……明日から貯めよう」


 しかしこうして使えば使うほど、それに比例して残しておかなければならない量も増えていく。


「……わたしが死んでしまえば全て台無しになってしまうけど、死ななければ問題ないだけだし」


 そもそも死んでしまうリスクを減らす意味でも、ここは投資しておくべきだ。


「というわけで、わたしはいったん森に帰るよ。後は任せてもいいかな」


 レアの独り言をずっと黙って聞いていたジークに告げる。別に混じってくれてもよかったのだが、ジークはあまり自己主張の強いほうではないらしい。この性格でよく騎士団長になれたものだ。よほど優秀だったのだろう。


「かしこまりました。王都はお任せを。しかし戻られるのであれば、ディアス殿をお連れ下さい。彼は陛下の近衛ですので」


「そうだった。向こうに飛んだら呼ぶとしよう。でないとまた拗ねそうだし」


 別にジークが、ディアスを王都に置いていかれては面倒くさい、などと考えているわけではない。と思う。





 スガルを目標に自分を『召喚』し、女王の間へ戻った。


 女王の間では子狼たちがじゃれあって遊んでいた。

 そういえばディアスに子守りを任せていたはずだが、王都に来てしまってチビどもはどうしたのかと思っていたら、スガルが面倒を見ていたらしい。

 忘れる前にと続けてディアスを『召喚』すると、ディアスは子狼たちにかまわれながら、壁際の定位置へ移動した。


「昨日はすまなかったね、いきなり死んでしまって。それと森の復旧作業ごくろうさま」


〈とんでもございません。……ディアス殿はまたずいぶんと精悍な御姿になりましたね〉


「はっはっは。これでも若いころは──」


 やはり若干面倒くさい性格になってしまった。

 アンデッドから人間に近づいたことで、性格的に人間味が出てきたというか、蘇ってきたのだろう。この程度なら許容範囲ではあるが。


「すぐにスガルもかっこよくなるよ、たぶんね」


 レアはさっそく、インベントリから賢者の石グレートを取り出した。

 賢者の石はすべて王都に置いてきたが、グレートはすべて自分で管理している。通常の転生とひとつ飛ばし転生では新たに得られる情報が格段に違ってしまうからだ。


「さ、転生の時間だ。おいでスガル」


 賢者の石グレートをスガルに渡す。

 スガルの手から卵型の小瓶が光と化して消え、スガルの体に溶けていく。

 レアの目からは、使用の瞬間から小瓶がマナの塊になったように見えていた。使用前はただの魔力を持たないアイテムにしか見えなかったため、魔法などと同じく起動キーのようなものをきっかけにして魔力を発する現象に変わるのだろう。


《眷属が転生条件を満たしました》

《「クイーンインセクト」への転生を許可しますか?》

《あなたの経験値3000を消費し「クイーンアスラパーダ」への転生を許可しますか?》


 3000というと、ついこの間のことだが、懐かしい数字でもある。

 魔王、または精霊王へ転生するのに要求された数字だ。

 つまりこれからスガルは、レアと同格の存在へと転生するということだ。

 不死者の王の要求値は1000と少なめだったが、これらのことから考えると、同様に災厄級とされる魔物であっても、その潜在能力には差がある可能性がある。


「3000を支払い、クイーンアスラパーダへの転生を許可する。

 でも考えてみれば世界樹なんて5000とか要求されたしね。消費量だけで考えるとわたしの陣営で世界樹が一番格上ということに……」


《転生を開始します》


 マナを大量に吸収し、スガルの体が見えなくなっていく。閉じた視界はピンク一色だが、光の色が違うだけで目を開いていても同様の光景が見えていただろう。


「それにしても、アスラパーダってなんだろう。アスラ、パーダで分かれるのかな? アースラ? アスラー? パダ……パーダア? アースラ、パァダァ……あ、節足動物?」


 光が収まると、以前より一回り小さくなったスガルが視える。

 目を開き、その姿をよく見てみた。


「おお? かっこいいじゃあないか!」


 そのシルエットはかなり人間に近くなっていた。むしろシルエットで言えばレアなどは翼を開けば鳥にしか見えないので、レアの方がもはや人間より遠いと言える。


「いや、でも腕とか多いし、さすがにまだわたしのほうが人間に近いよね……。シルエットで言っても」


 スガルの顔は仮面のような、硬そうな皮膚に覆われていた。表情などは作ることが出来そうにない。節足動物の女王なら外骨格なのだろうし、甲殻と言えばいいのだろうか。

 その甲殻は口のあたりで上下に分かれており、上顎側と下顎側でそれぞれ別の仮面をしているようにも見える。

 頭部には髪が生えているようにも見えるが、非常にフワフワとした質感をしており、ヤママユガなどの頭部に似ている気もする。触角もある。

 目は複眼になっており、仮面のような顔より少し奥まったところに丸みを帯びて存在している。これも人間の目のような位置だ。

 身体も関節ごとに分かれているが、やはり硬そうな外骨格で覆われており、一番近いイメージは球体関節人形だろうか。


 しかし人間に近いシルエットだったのはそこまでだった。

 まず、腕が三対ある。脚も入れれば八肢あるということだ。人間とは程遠い。

 それから脚の付け根の後ろ、人間で言えば臀部の位置からアリやハチのような腹部が伸びている。一見すると太い尻尾を生やしているようにも見える。

 人間で言う腹の部分も球体関節人形よろしく分割されているが、これは昆虫で言うなら腹柄部ということなのだろうか。ではその下から脚が生えているのはどういうことなのだろう。

 腕三対と背中の翅二対は有翅体節、昆虫で言う胸部から生えているので、そこまでは昆虫であり、そこから下は別の節足動物が融合している、とかそういうことなのだろうか。


《災害生物「蟲の女王」が誕生しました》

《「蟲の女王」はすでに既存勢力の支配下にあるため、規定のメッセージの発信はキャンセルされました》


「なんか欲張りセットみたいな……。まあ、かっこいいからいいけど」


〈ありがとうございます。非常に……非常に大きな力を感じます。なるほど、ボスが今回お出かけになられた理由がよくわかります〉


「え? どういうこと?」


〈このような力を持ってしまえば、試してみたいという誘惑を抑えきれません〉


「あー……」


 レアは別にそういった理由で自ら出陣したわけではなかったが、今になって言われてみれば、そういうところがなかったとは言えない。

 結局あれから『翼撃』などを試せていないため、むしろ今でもそういう気持ちが消えているわけではないまである。


〈ディアス殿は、そのような力強いお姿になられたのに、落ち着いておられますね〉


「儂にはもっと優先すべきことがありますからな」


 レアの警護ということだろう。

 本来他に優先すべきことがいくつもある身としては耳が痛い。


「しかし、システムによる呼称が特定災害生物じゃなくて、ただの災害生物だったな、スガル。

 アンデッドとか魔王とかと違って、特定の勢力に対して特に災害級ってわけじゃないから……とか? 逆に全方位に対して厄介だからとかなのかな。ニュートラルな災害というか。

 どのみち、メッセージはキャンセルされたみたいだし、判明することはないだろうけど」


 しかしその見解で正しかった場合、もしアナウンスされていたら、全勢力の特定のスキルを持ったキャラクターに発信されていた可能性がある。それは単純に狙ってくるだろう敵が多くなるということだ。

 スガルが順当にリーベ大森林で成長していたとしたら、この森はかなりの激戦区になっていたのかもしれない。


「それはもう今さら言っても仕方ないことだね。それより、あたらしく取得可能になったスキルを見てみよう」





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