第76話「身を知る雨の味」





 レアは薄暗い洞窟の玉座で目を開けた。

 辺りには、自分以外には誰も居ない。





 主君であるレアが死んだからだ。





 まさか死ぬことになるとは思ってもいなかった。

 正式サービスが開始されてから、死んだのは初めてだ。

 いい経験になった。してみたかったができなかった検証もできた。


「……………」


 どうやらレアが死亡すると、その瞬間眷属たちは全員死亡状態になるらしい。

 そしてすべての眷属が1時間後にリスポーンする。

 つまりこれから1時間はこの広い洞窟内で一人きりだ。

 レアが死んだことでスガルも死亡したため、アリたちもいない。


「…………」


 牧場が心配だ。監視役のアリたちがいない牧場は何が起こるかわからない。

 家畜は以前より数を減らしているため、そうむちゃくちゃなことにはならないだろうが。

 どうせ1時間のことだ。そのくらいならいいだろう。


「………」


 違う。1時間後にリスポーンするのはスガルであってアリではない。

 もしスガルのリスポーン後にアリのリスポーンのカウントが始まるのだとしたら、アリたちが蘇生するのは2時間後ということになる。すこし長い。

 同じことがジーク配下のアンデッドにも言える。


「……」


 牧場などを確認しに行くべきなのだろうが、そんな気分にもならない。

 トレの森もそうだ。あの森はトレントしかいない。つまり今、無人だ。

 それにケリーたちがどこまで進んでいたのかも確認の必要がある。

 彼女たちがリスポーンするのはどこになるのか。ここでないのは確かだが。


「……いや、ある意味よかったよこれで。うん。確かにわたしは調子に乗っていた。イベント中でよかった。何しろ経験値のロストがない。今経験値を1割もロストするようなことになれば、大量の経験値を消費して転生したわたしや世界樹がどうなるかわかったもんじゃない。ラッキーだ。そう、これはラッキーなんだ」


 自分の声が震えているのが分かる。


「これを教訓に、常に1割ぶんは経験値を余らせておくべきだね。うんうん。リスクヘッジは投資の基本だ。まぁわたしは別に投資が専門じゃないからしょうがない。これから気をつければっ……!」


 声が詰まる。なんてことだ。こんなところまでアバターは再現できるのか。どんな技術だ。


「ふぐっ……! うう……ひぐっ……」


 悔しい。あまりに悔しすぎて腹の中がぐるぐるする。

 感情が昂ぶって、涙が止まらない。

 喉がひきつり、満足に声も出せない。


 眷属が復活する1時間後までにはマシな顔に戻し、顔も洗っておきたいができるだろうか。

 リアルであれば翌日まで腫れが残るほどのひどい顔のはずだ。鏡がないためわからないが。

 いや、無くて良かったかもしれない。いま鏡などを見れば、情けない泣き顔が目に焼き付いて二度と忘れられなくなるだろうから。





***





 王都を上空から眺めてみれば、その城壁の立派さもさることながら、街並みの美しさにも目を奪われる。ここを廃墟にしてしまうなど、造形美への冒涜と言っていいだろう。ワクワクしてくる。


 さてどこにアダマンを降下させようか、と考えていたら、突然鎧坂さんが勝手に腰の剣崎を抜き放ち、金属音を響かせた。

 どこかから飛来した矢がレアを狙っていたようだ。以前にもこのようなことがあったが、鎧坂さんが気付いてレアが気付かないというのはなぜなのだろうか。見えているものは同じであるはずだ。レアが街に意識を向けていたせいか、あるいは視覚や聴覚以外の隠れたパラメータが存在しているのか。


 気になると言えば今の攻撃もそうだ。

 レアは『迷彩』で姿を消して王都の上空にいる。この状態のレアを視認することはほぼ不可能なはずだ。どうやって狙いを定め、矢を射たのか。


 眼下を見下ろせば、城壁の外に多くの人間が集まっている。その誰もが例外なくレアのほうに顔を向けている。目が合っている者もいるが、微妙に合っていない者がほとんどだ。

 どうやら、あの中に確実にこちらを認識している者がいるらしい。それ以外はその人物に倣ってただ見上げているだけだろう。


 この程度の人数ならば、かつてのイベントで蹴散らしたことがある。

 彼らがプレイヤーだとすれば、あれから時間もたっているし強くなってはいるだろうが、それはレアも同じことだ。

 どうせまた同じ結果になるに違いない。まとめて経験値に変えてやればいい。


 しかし目的を忘れてはいけない。目的はあくまで王都を手に入れることだ。

 レアは人間たちを無視して王都の城壁を越え、アダマンたちを王都上空に大量に『召喚』して街中に降下させた。飛行しながら『召喚』できるレアにとって、どれほど立派な城壁だろうと意味はない。

 『召喚』のスキルを解放していくことによって獲得した、一度に大量に眷属を呼ぶやり方だ。『召喚』する対象を複数選択する形式なのだが、レアは脳内でドラッグするようにまとめて限界まで選択し『召喚』を行った。これを行なうとしばらくはクールタイムのため『召喚』系のスキルが使えなくなるが、どうせもう今日は必要ないため構わない。


 アダマンたちにはなるべく建物を壊さないよう、兵士や騎士を中心に始末するよう指示を出しておく。ラコリーヌにいたような強力な騎士がいることも考え、常に一人の騎士に対して班単位で当たるよう厳命する。


 準備が完了したので、次は城壁の外の者たちだ。

 恰好がばらばらなので傭兵の集団だろう。やはりプレイヤーのように見えるが、だとしたらせっかくのイベント中になぜこのような平和な王都にいたのかわからない。


 どうせこちらは見えているのだろうし、MPの無駄なので『迷彩』は解除し、プレイヤーたちの前に降りる。

 あれから矢が飛んできていないのはなぜだろうか。これでは誰が射たのかわからないままだ。


 目の前のプレイヤーと思しき集団は、かつてイベントで蹴散らしたあの状況のまるで焼き直しのように見える。確かに装備品などはいくらか上等なものばかりになっているが、まさかアダマンを超える金属を使っているようには見えない。仮にアダマンだったとしても現在の鎧坂さんには通らないが。


 以前と比べて重装備の、いわゆるタンク職と思われるプレイヤーが極端に少ないのも気になるが、まあ誤差だろう。


「──お前が「災厄」だな。まさかイベント2日目でヒルスの王都まで侵攻してくるとは……。運営はこの国を滅ぼす気だったのか?」


「本当に来るなんて……。でも賭けてよかったかも! 災厄なんて倒したら、私たち間違いなくMVP獲れるよね!」


「まあNPCが嘘つく意味もないし、イベント中だっての考えれば、割と分のいい賭けだったと思うぜ。だからこそこんなに、しかもトップ層ばっかり集まったんだしよ」


「さっきも上からアンデッド大量に投下してたし、今回のアンデッド侵攻イベのボスがこいつなのはもう間違いないだろ」


「……街は大丈夫かな」


「街なかはローソンさんたちが対応してくれるはずだ。信じるしかない」


「つか、でけえな! これ種族的には何になるんだ?」


「アンデッドでしょ。デュラハンとか?」


 プレイヤーたちは話しながらも、その場に10人ほど残して後衛らしき者たちが下がっていく。

 些細なことだ。レアは気にしない。どうせ矢だろうと魔法だろうと、鎧坂さんを着ている限り効果はない。目の前に残った前衛の10人を始末してからゆっくり殺せばいい。


「前回優勝者のレア氏に連絡がとれなかったのは痛いが、まあ仕方ない。今の俺たちなら、レア氏が束でかかってきても勝てるくらいには稼いできたし、イベントボスが相手でもこの人数ならやれるはずだ」


 ぴくり、とレアの眉が動いた。

 レアが束になってかかっていっても勝てる、だと。

 本気で言っているのだろうか。

 ならばわからせてやる必要がある。


 もう一度、あのエキシビションマッチを再現してやろう。


 レアの意思を汲み取った鎧坂さんは、先頭にいた男に音もなく『縮地』で近寄り、抜きざまに『スラッシュ』を放った。


 これまでこの攻撃を凌いだのはジークだけだ。それに鎧坂さんも二度の転生を経て、あのころとは比べ物にならないほど各パラメータも向上している。

 仮に防いだとしても盾ごと真っ二つに出来る。


「──うおおあぶねっ! 見たことなかったら死んでたぞ!」


 しかし躱されてしまった。


 ──バカな!


 仮にレア自身であっても、今のを初見で躱せる自信はない。確かにまっすぐ行って切るだけのため、知っていれば躱すことも不可能ではないだろうが。

 この男は見たことがあると言った。どこで見たのか。


「前回優勝者が使ってきた技だ! プレイヤーが使えるスキルはこいつも全部使えると考えて動いたほうがいい!」


 前回のイベントか。

 確かに、あのバトルロイヤルではこれを何度も使っていた。利便性が非常に高いため多用させていたが、そのせいでこのコンボは鎧坂さんの癖になってしまっていた。良くない傾向だ。今度、ディアスやジークなどにスキルとは違うテクニックとして稽古をつけさせるべきかもしれない。


 しかし、前回も今回も鎧坂さんに任せているため、スキルの発動に発声が伴っていない。そのためどうやら、一連の動きを一つのスキルだと思っているようだ。

 であれば『縮地』を発動した後、別のスキルや通常攻撃などに繋げてやれば躱されることもないだろう。


 フレンドチャットでそう鎧坂さんに伝える。指示したとおりに『縮地』で別の剣士に肉薄すると、スキルを使わずに横薙ぎに払う。身長差が非常に大きいため、鎧坂さんの横薙ぎは相手にとっては立体的に斜めに振られる斬撃に感じられるはずだ。

 さすがにこれを躱すのは不可能だったようで、ギリギリで盾をじ込んできたが、もろともに斬り飛ばした。

 盾はまるでバターのように斬り裂かれ、というつもりで見ていたのだが、斬れたことは斬れたもののかなりの抵抗があり、切り口も歪だった。

 あれは鉄ではないのか。


「ギル!」


「大丈夫だ! 死んでねえ! くそ、大枚はたいた魔鉄製の盾が一撃でオシャカかよ!」


 盾がうまく斬れなかったせいで、斬り飛ばせたのは剣士の左腕だけのようだ。


 先程から何か、うまくいかない。

 アダマンたちと模擬戦をおこなった時は、もう少し軽快に動けていたはずだ。

 以前のイベント時よりはよく動けているのは確かだが、2段階の転生をしたというのにこの程度だっただろうか。


「任せて! 『中回復ミドル・ヒール』! 『再生リジェネレーション』」


 後衛の魔法職から何か魔法が飛んできた。

 どうやら目の前の、たった今左腕を斬り飛ばしてやった剣士が対象だったようで、その剣士の傷口が光に包まれる。

 その光の粒が左腕の形を構成していき、光が消えると腕が元に戻っていた。

 斬り飛ばしたガントレットは戻らないようだが、ダメージは全て回復しているとみていいだろう。


 ──回復魔法! 発見されていたのか!


 この手のスキルは他者と連携する前提のスキルのため、情報を秘匿するメリットは少ない。

 SNSなどをチェックしていればレアも取得できていたかもしれない。


 これは慢心だ。

 一番多く経験値を稼いでいるだろう自分が、一番多くスキルを知っているはずだという。

 だがそんなはずはなかったのだ。近接系の攻撃スキルなど、レアもあえて取得していないスキルはたくさんある。そういった、レアが取得を見送ったスキルの組み合わせを試したプレイヤーはいくらでもいるはずだ。レアだけがゲームを楽しんでいるわけではないのだ。


 ──このイベントが終わったら、久しぶりにスキルの開発をしてみよう。その前にSNSを巡回し、すでに出回っている情報は全てチェックし、一通り試してみてから……。


「『かみなり』!」


 ずん、と一瞬視界が揺れた。考え事をしている場合ではなかった。

 どうやら魔法攻撃をうけたらしい。鎧坂さんがダメージを受けている。だが問題ない。この程度のダメージならばそのうち自然に治癒するはずだ。


 いや、問題なのはダメージ量ではない。ダメージを受けたことそのものだ。


 検証では、鎧坂さんにダメージを通せたのは世界樹の杖を装備したアダマンメイジだけだった。

 アダマンナイトの強さを思えば、アダマンメイジもかなりのレベルの魔法使いだと考えていいはずだ。そのアダマンメイジが世界樹の杖という最高級の武器を装備してようやく叩き出したダメージを、プレイヤーが再現した。

 ありえない、とは言い切れないが、考えにくい事は確かだ。


 いや、今はそれは後にすべきだ。ダメージを与えてくる可能性がある敵がいる。ならば優先して対処する必要がある。

 鎧坂さんは今魔法を放ったプレイヤーに顔を向け、『縮地』で距離を詰めようとする。


 しかし、その直前に、突然視界が闇に覆われた。


 ──何だこれ! 見えない!


「おし! 成功だ! 視界は奪った! 今だ!」


 何が今なのかは不明だが、強烈に嫌な予感がする。とっさにレアは魔法を放った。


「『ヘルフレイム』!」


 もはや声を出したくないなどと言っている場合ではない。


「なんだ今の声! 誰だ!」


 基本的に範囲型の魔法は対象範囲を視認して初めて発動することが出来る。ただし例外がある。

 それは自分自身を範囲の中心にする場合だ。全ての範囲型魔法は、この場合のみ実際に見ていなくても発動できるようになっている。自分中心に強化系などの魔法を発動する時に、いちいち自分の身体を見るのが手間だし意味がないからだ。自分が魔法を撃つのだから、そこに自分がいるのは見るまでもなく当たり前のことだ、という理屈である。


「ぐわ! 炎が!」


「くそ! 誰が撃った! 作戦にないぞ!」


「違う! こいつよ! 災厄が自分中心に魔法撃ったんだわ!」


「むちゃくちゃだ! そんなんありかよ!」


 これで周りの有象無象は燃え尽きたはずだ。


 だが視界は晴れない。

 これが魔法なのか、何らかのスキルなのか、アイテムなのかもわからないため対処もできない。


「み、みんな、大丈夫!? 『範囲小回復エリア・リトルヒール』!」


 さきほどのヒーラーの声が聞こえ、周りから口々に感謝を伝える言葉が聞こえてくる。


 それはつまり、周囲の奴らはまだ死んでいないということ。


 ありえない。レアの『ヘルフレイム』は今や、アダマンの塊をも溶かすほどの威力がある。今の一撃は、鎧坂さんに相当なダメージを与えることをも覚悟して放ったものだ。剣崎の一閃で盾を切り裂かれるレベルのプレイヤーたちが生き残れるはずがない。


 ──というか、その前に鎧坂さんはなぜ無事なのか。


 ダメージは確かに受けてはいるが、想定よりもずっと少ない。


「──フィールドデバフが効いてて助かったぜ。準備が面倒だが、その分効果は抜群だな」


「プレイヤー側が用意した戦場にボスを連れてくるなんて、普通だったら絶対ありえない状況だからな」


「ちょっと! 余計なこと言わない! イベントボスだって高度AI積んでるかもしれないのよ! 対策されたらどうすんの!」


 ──フィールドデバフだと……。


 それはジークやディアスの『瘴気』のようなものなのだろうか。いや、現状を見るにあれよりもっと強力な効果だろう。

 準備が面倒などと言っていた。つまりこの戦場には、あらかじめそのデバフを発動させる準備がしてあったということだ。

 そこにのこのことレアが現れた。


 もはや油断や慢心で済ませていい話ではない。

 どうせ自分に勝てるものなどいないと高を括っていた。

 せめて自分が戦うことになるくらいの者でも居ればいい、などと上から目線だった。

 調子に乗っていた。


 その結果がこれだ。


 普通に戦っていたら以前と同じようにレアが圧勝していたかもしれない。

 だがデバフを仕込んだフィールドに誘い込まれ、弱体化した状態で戦わされ、こちらの攻撃は回復され、視界を奪われ、このざまだ。


 レアは愚かな自分に腹がたった。許せない。

 他人を許すのは容易だが、自分を許すのは容易ではない。


 いや、やはり他人を許すのも容易ではない。こいつらも許せない。こいつらに絶対に負けたくない。

 レアは負けず嫌いだった。


 視界が効かないのなら、剣崎たちで蹂躙するだけだ。彼らはそれぞれに視覚を持っている。


「まだ視界は回復していないはずだ! それに今の魔法のリキャストタイムも終わってない! アレをやれ!」


「任せてくれ! 『恐怖』!」


《抵抗に成功しました》


 しかしその瞬間、鎧坂さんの動きが止まった。レアが操作しようとしても全く動かせない。

 状況から考えて、鎧坂さんは状態異常「恐怖」にかかっていると思われる。


 だがそれはあくまで鎧坂さんがかかっているだけで、レアがかかっているわけではない。

 それはシステムメッセージからも明らかだ。いかにデバフを受けているとは言え、角を持つレアが人類種の『精神魔法』の抵抗に失敗するとは思えない。


 しかし現実として身体は一切動かない。なぜなのか。


 おそらく、こういうことなのだろう。

 鎧坂さんは鎧であり、現在はレアが装備しているに過ぎないが、同時に魔物でもある。ゆえに装備状態だったとしても別個に判定が行われ、抵抗に失敗すれば状態異常にかかる。

 装備したまま鎧坂さんの自律行動が可能であることを考えれば、逆に鎧坂さんの状態異常が装備者の行動に反映されてしまうのは当然の仕様と言える。


 つまり今、鎧坂さんは自律行動として、恐怖にすくんで動けないということだ。

 盲点だった。まさかそんな落とし穴があるとは。


 ──でもそもそも鎧坂さんには『精神魔法』が効かないはずだ! なのにどうして!


「災厄の動きが止まったぞ! 『恐怖』にかかった!」


「デバフかかってるっても、イベントボスの精神抵抗突破するって、お前どんだけ極振りしてんだよ!」


「目潰しのおかげだって! 暗闇状態なら『恐怖』の抵抗判定にマイナス補正かかるから! それより、持ってた魂縛石が消費された! やっぱりこいつはアンデッドだ!」


 初耳だ。『恐怖』の判定にそんな仕様があったとは。

 しかし考えてみれば気づくはずがない。なぜならレアは、これまで明るい所にロクに出たことがない。

 常に暗闇で『恐怖』を放っていた。特性の「美形」の影響で『魅了』のほうが効果が高いと考えていたが、知らないうちに『恐怖』にも環境によるバフが乗っていたようだ。

 比較対象の両方に別々のバフが乗っているなら、比較してもあまり意味はない。


 そしてもうひとつ。魂縛石とかいうアイテムだ。

 それが何なのかは不明だが、名前からして『死霊』の『魂縛』と似た効果を持っているのだろう。『魂縛』は術者自身に魂をストックさせる効果があるが、あのアイテムはその魂の代わりをする消費アイテムなのかもしれない。


 鎧坂さんはアンデッドではないが、ホムンクルスとゴーレムの中間のような存在だ。どちらも『精神魔法』を通すには別途魂が必要なため、それで消費されたのだろう。

 『精神魔法』は効かないし、魔法を使うこともない鎧坂さんや剣崎たちには、全くMNDに経験値を振っていない。レアのスキルの効果で多少上昇しているだけだ。さらにデバフフィールドとやらで弱体化していては、抵抗に失敗するのも仕方ない。

 剣崎たちも反応しない。鎧坂さんが『恐怖』の抵抗に失敗して、剣崎たちが成功するというのは考えにくいため、彼らもまとめて恐怖で竦んでいるのだろう。


「今だ! 攻撃を集中させろ!」


 四方八方から魔法が飛んできている。しかし鎧坂さんにはわずかなダメージしか通っていない。

 このまま放っておいても「恐怖」から回復するまでに死ぬことはないだろうが、そんな情けないことができるはずがない。


 こいつらは必ず殺すと決めたのだ。


 視界も効かず、動けもしないのであれば、鎧坂さんの中にいても仕方がない。

 今、受けている攻撃が魔法ばかりであることを思えば、周囲にプレイヤーはいないのだろう。先ほどのような自爆覚悟の魔法攻撃が届く範囲にいるとは思えない。

 もう、姿を見せたくないとか舐めた事を言っている場合ではない。全力で叩き潰す。

 自分の目で直接確認し、高位魔法をばらまけばいい。


「『ホワイトアウト』」


「うわ! なんだ!」


「光!? 見えない!」


 効果時間は長くはないが、周囲一帯の全てのキャラクターの視界を奪う『光魔法』だ。この隙に鎧坂さんから外に出る。


 背中のハッチを開け、素早く身体を出すと、鎧坂さんの肩に手をかけ、這い上がる。

 腰の翼を広げてバランスをとり、片足を鎧坂さんのハッチにかけ、身体を支えた。


「なんか出てきた!」


「中の人いたのか!」


「落ち着け! ラスボス2段変身はお約束だ!」


 プレイヤーたちはもう『ホワイトアウト』の視界不良から復帰している。効果時間が異常に短い。やはりデバフの影響が大きいようだ。

 出来れば視界を潰している間に何人か片付けたかったところだが、視界を奪われているのは実はレアも同じだった。


 異常なまでに陽射しが眩しい。

 目を細めて光を抑えなければ、まともにあたりを見渡すことも難しい。

 

 そういえば、生身でまともに外に出たのはこれが初めてかもしれない。さっきは確か森の中で、陽光は木々に制限され、これほどまでに眩しく感じることはなかった。しかし今は遮るものが何もない。

 太陽は中天よりは傾いているとはいえ、直射日光を強く浴びていることに変わりはない。

 視力に関するデメリットについては「弱視」だけのつもりだったが、もしかしたら「アルビニズム」と「弱視」を両方取得したことで、デメリット同士でシナジー効果が生まれているのかもしれない。


「てかこれ……」


「まんま、リアル女王じゃん……」


「なにそれ?」


「大昔のゲームで、そういうボスが居たんだよ。アリの女王で。まああっちは羽までアリだったけど」


「てか、どう見ても天使じゃん? アンデッド大発生の黒幕は天使だったってこと?」


「なるほど天使か……。確かにそうとしか言えないような美しさだな。単なる造形美を超えた、訴えかけてくるような圧倒的な美しさを感じる」


「ここまで綺麗だと嫉妬も起きないわ……」


「ていうか、やばくない? 天使ってことはさ……アレの効果が……」


「いや、でも明らかに効いてんじゃん」


「天使に見えるが、こいつがアンデッドなのは確かなんだ! たぶん、天使がアンデッド化した存在だと思う!」


 戦闘中だというのに、のんきにおしゃべりをしている。

 余裕を見せていられるのは、レアが行動を起こしていないからだろう。

 だがそれももう終わりだ。


 相変わらず眩しくて仕方がないが、相手のおしゃべりのお陰でだいぶ慣れてきた。まったく目を開いていられないというほどではない。

 どっちの方向に敵がいるのかくらいは分かる。


 敵の前衛は思っていたより離れていないようだ。

 視界を奪い、行動を縛ったことで安心して近くに寄ってきていたのだろう。


 ──その油断を後悔させてやる。


 レアはもともと「弱視」のため、生身では中距離以上の敵にまともに攻撃できない制限がある。

 それにこう視界が悪くては、想定していたように魔法では満足に狙えない。

 ならば近付いて行って、物理で殴る。

 『精神魔法』で動きを止めてやれれば話が早いが、狙いを付けられないのは『精神魔法』も同じだし、無差別にばら撒くと鎧坂さんたちにどんな影響が出るかわからない。何しろ魂縛石とやらの効果は正確には不明なままなのだ。


 レアはすばやく鎧坂さんから飛び降りると、手近にいた近接物理系と思しきプレイヤーの首めがけて回し蹴りを叩きこんだ。

 弱体デバフを受けていようと、相手が人間の形をしている以上、壊し方は体に叩き込まれている。薄ぼんやりとしか見えていなくても関係ない。


 むしろ弱体を受けている今の状態でさえ、本来のステータスが高すぎるために、レアの身体の操作感としては反応が良すぎてやりづらいほどだ。

 長年叩き込まれた鍛錬のおかげで、全くなんの能力値も上げていないような状態が一番動きやすいと感じる。こんな事なら普段からゲームの中で身体を動かしておけばよかった。

 おそらく普通に成長させていたのなら、違和感もそれほど感じずに済んでいたのだろう。大量の経験値で急激にアバターを成長させてしまった弊害と言える。


 違和感を抑えつけ、無理やり放った回し蹴りはしかし、意識を刈り取るつもりの一撃だったにもかかわらず、刈り取ったのは首そのものだった。

 彼我の能力差から言えば当然だった。ここはゲームの中の世界だ。STRやVITに桁がいくつも違うほどの差があれば、まともな格闘戦など望めない。


 首を刈り取られたプレイヤーはその場に崩れ落ちる。じきにリスポーンで消えていくのだろうが、それを眺めている暇はない。


 崩れ落ちるプレイヤーの腕を掴んで止めると、後衛の魔法使いたちがいるであろう方向に適当に投げつけた。

 圧倒的なSTRで投擲されたその死体は、回転しながら飛翔し、レアの目でははっきり見えないくらいの距離まで飛んだところで、光になって消えた。リスポーンしたのだろう。

 それを確認すると一旦目を閉じた。瞼は熱く、眼球には疼痛がある。薄目でさえも長時間は開けていられない。


「……ちっ」


「見た目のわりにやべえぞこいつ!」


「絶対魔法特化だと思ったのに!」


「素手で撲殺してくる天使かよ!」


「恐怖はもう解けたのか!」


「おそらく脱皮することでバステを無効にしたんだ!

 それより前衛はなるべく距離を詰めるんだ! これ以上移動させたくない!」


 今叫んだのがリーダー格だろう。ならばこいつを倒せば連携が出来なくなるはずだ。

 その聞き覚えのある声を頼りに距離を詰め、接近したら少しだけ瞼を開け姿かたちを確認する。腰を落とし、手のひらを前に向け、狙い定めた相手の体幹の中心に叩き込む。現実だったらレアの手が折れているだろうが、現在のレアの能力値の高さなら押し負けるのは相手の方だ。


 吹き飛ばすつもりで放った掌底は、しかし想定以上に柔らかかった相手の胴体を貫通してしまう。それはそのまま、レアの行動に一瞬の制限をかけた。


 そしてその隙を見逃すプレイヤーたちではなかった。


 遠くが見えないレアにはどこから飛んできたのかはっきりしたことはわからなかったが、レアの横顔めがけて何かが猛スピードで近づいてくる。

 レアは咄嗟に体をひねり、腕が刺さったままのプレイヤーの体を盾にしてその飛来物をガードした。


「『恐怖』!」


《抵抗に成功しました》


 すかさず『恐怖』が飛んでくるが、無駄だ。

 魔王に『精神魔法』は通用しない。


「だめか!」


「くそ、リーダーが!」


「イカ墨玉を防がれたのが痛かった! でもこれで確定した! デバフフィールドと目潰しの組み合わせが『恐怖』の成功ラインだ!」


「いや、違う! さっきは魂縛石が一度に6個消費されたけど、僕が持ってるストックはあと4個だけだ! アイテムが足りなかった可能性もある!」


 まったく的外れなことを言っているが、訂正してやる義理はない。

 魂縛石とやらが6個も消費されたのは鎧坂さんと5本の剣崎たちの分だろう。どうやら1個で魂1体分の代わりになるらしい。

 しかしいいことを聞いた。いま飛んできた何かが鎧坂さんの視界を奪ったアイテムだ。

 イカ墨玉とか言っていた。海のアイテムだろう。落ち着いたら海へ向かうのもいいかもしれない。


「──『ライトニングシャワー』」


 情報のお礼に、『恐怖』と声が聞こえてきたあたりを薄く睨みつけ、範囲魔法をお見舞いする。

 しっかりと視認しなければ魔法の命中率は下がるため、レアが中距離以上に魔法を当てるのは至難だが、範囲魔法ならばそれもある程度カバーできる。単体魔法より多いMP消費と引き換えになるが、MPなど気にしている状況ではない。


「ぐあっ……」


 聞こえてきた声よりも手前までしかはっきりと見えなかったため、そこを起爆中心にするしかなかった。そのせいで直撃はさせられなかっただろうが、声から判断するにギリギリ効果範囲には捉えられたはずだ。


「明太リストがやられたぞ!」


「弱体化してても後衛職なら一撃なのかよ……」


「物理特化でも魔法特化でもないぞ! 両方バカみたいに強い! 後衛はもっと下がれ!」


「『範囲小回復』!」


 ついでに巻き込まれたらしい、範囲内にいた中で生き残っているプレイヤーに向け、範囲回復の魔法が放たれる。

 だがそれは悪手だ。

 先ほどから、回復系の魔法を投げているプレイヤーの声はひとり分しかない。

 つまり、おそらくヒーラーはひとりだ。

 ならば。


「『スノーストーム』! 『プロミネンス』! 『アースクエイク』! 『ハリケーン』!」


 範囲回復魔法のリキャストが終わる前に、飽和攻撃でまとめて殺す。

 ダメージ覚悟で自分中心に範囲魔法をばら撒いた。速度重視のためだ。いちいち目を細めてそこらの範囲を視認などしていられない。


 自爆ダメージとは別に、さきほどから肌がちりちりする。おそらくこれが日光に弱いアルビニズムのデメリット効果だろう。これ以上無駄に時間をかけてはいられない。急がねばならない。


 攻撃の隙間に回復を飛ばされたりしなければ、至近距離にいるプレイヤーは今のですべて片付くはずだ。

 もっと強力な魔法で一撃というのも可能だが、自分中心にそんなことをすればレアといえど耐えきれるかはわからない。


 それにここまでロクに敵からダメージを受けていない。前衛が消し飛べば後衛から遠慮なく魔法が飛んでくるようになるだろうが、さすがに今のレアの自爆攻撃ほどのダメージを受けることはないだろう。ならば耐えきれる。


 攻撃魔法の合間にヒーラーが何やら回復を飛ばしていたようだが、範囲回復はリキャスト中のはずだ。回復できたとしても単発で一人か二人だろう。その程度なら残っていても問題ない。


 しかし盾として都合がよいし、魔法主体の攻撃に切り替えたためそのままにしてあったのだが、この腹をぶち抜かれたプレイヤーはなぜリスポーンしないのだろう。いつまでレアの腕にまとわりついているつもりなのか。


 そろそろ引き抜いて捨てておくか、と考えたレアの腰に、何かがしがみついてきた。

 こいつは確か、最初に腕を斬り飛ばしてやった、ギルとか呼ばれていたプレイヤーだ。今回のレイドの中では珍しいタンク職である。タンク職らしく、体力が多いために生き残ったのか。いや、弱体化しているとはいえレアの魔法はそんなに優しくはない。

 ではレアの魔法攻撃の合間にヒーラーがわざわざ回復していたのはこいつか。なんのためにたったひとりを回復なんて。


「今だ!! 壊せ!!」


 そのプレイヤーが叫んだ。


 レアの視力ではよく見えなかったが、後衛たちが遠くで何かをしたようだ。

 その瞬間、水晶か何かが砕け散るような音とともに、レアの体が突然重くなった。


 はっきりとわかった。

 これがそのデバフフィールドとやらだ。なぜいきなりこんな強力になったのか。

 同時に全身から力が抜ける感覚がある。とても立っていられない。レアの腰にしがみついていた男がだらりと足元にずり落ちた。たぶん死んでいる。

 ただのデバフではない。減っているのはおそらくLPライフポイントもだ。しかもこれまでと違い、無差別のようだ。だからこのギルというプレイヤーも死んだ。

 腕に刺さったままのプレイヤーの死体が重い。レアはたまらず膝をつく。こいつがリスポーンしなかったのはこのためか。

 一刻も早くこのフィールドから出なければならない。ダメージというより最大LP減少のようだが、すでに受けていたダメージは最大LPに対しての割合で減るタイプではなく、受けたダメージはそのまま固定値で据え置きにされるタイプのようだ。ギルが死んだ直接の原因はこれだろう。減少した最大LPの値よりそれまでに受けていたダメージの方が大きかったためにデバフと同時に即死したのだ。


 そしてレアも自分自身の魔法によって多大なダメージを受けている。さらに、これまで以上の強力な弱体化も受けている。LPはすでにレッドゾーンを割り、わずかしか残っていない。しかもそれも放っておけば「軽度の火傷」によりじりじりと減り始めるだろう。

 まずい。しかし足元の男が邪魔で移動のための一歩を踏み出せない。


 ──こんな重たい鎧なんて着やがって。でもいざとなれば『キャスリング』で……。


 いや、だめだ。ここに来る前にどうでもいいことで使ってしまっている。あれのクールタイムは24時間だ。

 『術者召喚』でエスケープもできない。『召喚』系のスキルが使えるようになるにはまだもう少しかかるだろう。それに、死体に纏わりつかれたこの状況でその手のスキルが発動できるかわからない。


 今日の行動のすべてが裏目に出ている。

 調子に乗り、後先考えずに行動してきた結果だ。


 しゃくだが、飛んで逃げるしかない。上空から高位魔法の絨毯爆撃で片付ける。


 『飛翔』で浮き上がり、力を振り絞って腕の死体を振り払う。

 その瞬間、その死体と目があった。

 知っている顔だった。そして先ほどの、聞き覚えのある声。こいつは──


 ふいに、鋭い殺意を感じたような気がした。

 反射的に振り返る。


 眼前に矢が迫っていた。


 ──そういえば、最初に矢を射てきた奴が……。


 おそらく眉間に突き刺さったのだろう。ヘッドショットクリティカルだ。





《1時間以内なら蘇生を受け付けられますが、ただちにリスポーンしますか?》

《イベント期間中につき、経験値の減少はありません》





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