第72話「ラコリーヌの街」(別視点)





 討伐隊が王都を出立して8日。

 ようやくラコリーヌの街が見えてきた。

 この日は日の出とともに野営地を出立したため、まだかなり早い時間だ。





 9日ほど前。

 急遽、遠征軍を編成すると通達があり、本来であれば徴兵年齢に達していない少年兵や、兵役を全うし退役した予備役なども召集された。

 どこに遠征する軍かはわからないが、つまり、上層部は現役の兵士のみでは戦力として心もとないと判断しているということだ。


 一体何と戦わせるつもりなのか。


 ほとんどの王国民の記憶にある限りでは、この大陸で戦争が起こったことはない。

 どこへ何と戦いに行くとも知らされぬまま、ただ集められ、明らかに予備と思しき武装までもを支給された。

 ありえないことだ。

 どこに行くのかもわからないままでは、行軍計画も立てられない。

 となれば兵站の準備もこちらではできないし、かといって輜重部隊や物資などが国から用意されているといった事もない。

 わけがわからないまま準備を急かされ、ついに王都を出発するという段になって、王族直属の近衛騎士から指揮官、それも百卒長センチュリオン以上の高官にだけ、この編成が実は遠征軍ではなく討伐軍であること、そしてその討伐対象が知らされた。


 人類の敵。


 その災厄についてわかっていることは非常に少ない。

 エアファーレンの街のそば、リーベ大森林にいるらしいということ。

 そして邪なるものに連なるらしいということ。


 これらの情報はヒルス聖教会の総主教らから伝えられたことで、確度は非常に高いという。

 聖教会の主教といえば、神より神託を賜ることが出来るとされている。

 なかでも総主教ともなれば、その神託の内容もより詳しくなり、今回の件で言えば、その災厄の住処まで伝えられたのは総主教のみだったという話だ。


 それを知らされた時、司令を始め指揮官一同は頭を抱えた。

 災厄など、人が相対してよい存在ではない。

 あれは自然災害のようなもので、歴史の中でときおり現れる天空城の天使たち、その1体でさえ、兵士が10人集まって勝てるかどうかというレベルだ。実際に災厄とされているのはその天使を束ねる大天使だが、これに至っては歴史書に目撃証言すらない。出会った者は例外なく死んでいるからだという噂まである。


 その災厄を討つ。

 いかに兵士を集めて軍を作ろうが、そのような事が出来るわけがない。そのくらいは王国上層部でもわかりきっているはずだ。ではなぜこんなことになったのか。


 司令たちに打ち明けた近衛騎士が言うにはこうだ。

 災厄とはいえまだ生まれたばかりであり、他の大陸の災厄ほどには成長していないはずである。ゆえに今ならばまだ、災厄を討つ事が可能かもしれない。


「かもしれない……など。そのようなあやふやな……」


「言いたいことはわかる。が、しかし放置するわけにもいかん。なにより災厄が生まれたのは我が国の領土なのだ。突然、庭の隅に天空城が降りてきたようなものだ。将来的に常に災厄に悩まされ続けるような事態になるやもしれぬことを思えば、ここでその可能性に賭け、討伐を狙うしかない」


「近衛騎士殿、それはわかります。わかりますが……」


「司令、もはや討伐軍の編成は完了し、これから出立となる。今更止めることなどできない。この件には、非常に多くの尊き方々の御意志が絡んでおる。ここで逃げて戦わずにすんだとしても……」


「どのみち王国で生きてはいけまいか……。であれば、せめて兵たちには知らせず、ただ大森林の魔物を平定するとだけ……」


「無論、そのつもりだ。ゆえに貴官らのみにお話しした」


 今更どうしようもない。どうしようもないならば、覚悟を決めて進むしかない。

 何より司令や指揮官級が気弱な様を兵に晒すわけにはいかない。





 道中では何の問題も障害もなく、想定を超える早さで行程が消化されていった。


 速度を優先するため、食糧などの物資はほとんど持たずに出発した。補給はすべて立ち寄る街に依存し、本来であればそんな軍は街からまともな対応など期待できないところだが、意外なほど穏やかに対応された。

 あらかじめ王都から連絡が来ているのは確かだろうが、いったいどんな説明をしたのだろうか。


 最短距離を進むため、途中魔物の領域に隣接する、いわゆる辺境の街を経由することもあった。

 街道に沿って行軍しているとはいえ、通常であれば魔物の領域近くをこれほどの数の人類が動けば、様子見程度のちょっかいがあるものだ。たいていは小競り合い程度に終わり、魔物、人類ともにさしたる被害もないまま終息するくらいのものだが、それでも被害確認や安全確保で多少のロスは発生する。

 しかし今回の行軍ではそれがない。

 まるで魔物たち全員が、それどころではないとでも言うような。あたりは不気味なほどに静まりかえり、何か良くないことの前兆であるかのような、不吉な予感を司令に抱かせた。


「……いや、予定が順調なのはよいことだ。今はただ、一刻も早く予定地にたどり着き、任務を遂行することのみを考えねば」


 ふいに、隊列の前方が慌ただしく騒ぎ始めた。

 隊列の先頭はラコリーヌの街に着いたところだろうか。

 ここを越えれば次は辺境、ルルドだ。その先に目的地、エアファーレンが、そしてリーベ大森林がある。

 ラコリーヌの街は魔物の領域から離れていることもあり、また交通の要所でもあることから、流通や街の拡大を阻害しないよう城壁等は建設されていない。やや小高い立地に、栄えるままに街が広がっている。

 しかし城壁こそないが、その街の広さは王都に劣らない。そしてその活気は王都をしのぐほどである。

 初めてラコリーヌを見る兵士たちが、多少騒いだとしてもわからないでもない。


 前方の隊を指揮しているはずの、百卒長のひとりが司令のもとへ駆けてくる。

 街に着くという報告など、伝令で十分なはずだ。わざわざ指揮官がする仕事ではない。


「何事だ」


「はっ! ラコリーヌの街に間もなく到着いたします! それと、上空なのですが……」


 馬上から、眼下の隊列に主に意識を向けていた司令はそこで初めて視線を上げた。

 遠く丘の上に見えるラコリーヌの街に、討伐軍の先頭がまさに入ろうとするところだ。それは先ほどから見えている。問題はその上だ。

 ラコリーヌの街のさらに向こうに、暗雲が迫っているように見える。

 いや、雲にしてはシルエットが荒いというか、粒がおおきいような。


「なんだ、あれは……」


「わかりません。わかりませんが、急ぎ、街へ入った方がよろしいかと」


 百卒長の意見はもっともだ。あれがなんであれ、対処するにしても、しないにしてもここまで来ているならラコリーヌの街の領主などと合議が必要だ。

 もしあれが仮に災厄と何か関わりのある魔物などであれば、ことはラコリーヌの街だけの問題では済まなくなる。討伐軍が対処すべき問題だろう。


 もっともその場合は、災厄がすでに大森林から外に解き放たれたということを意味しており、この討伐の成功率は限りなくゼロに近くなるのだが。


「お前の言う通りだな。全隊を急がせ、街へ入れるのだ」





 ラコリーヌの街の中は、普段の賑わいは鳴りを潜め、静まりかえっていた。

 本来ならまだ朝市が開かれていてもおかしくない時間だ。しかし住民たちは家に閉じこもり、窓から不安げに外を覗いたりしている。

 討伐軍を目にした住民たちが安心するような表情を浮かべたのが救いだ。

 みな、東の空を気にしているようだ。


 街に入ってしまえば、あの妙な雲の正体も見えてきていた。

 それはアリを抱えたハチの群れだった。

 まだ距離があるであろうにもかかわらず、姿かたちがわかるほどに巨大なハチだ。

 司令の知るハチのサイズとあまりにかけ離れており、そのせいで見続けていると距離感を失ってしまう。

 街に向かっているのかと考えていたが、どうやら一定の距離を保って空中に静止しているようだ。見ようによっては、何かを待っているようにも感じられる。


「まずは、領主に遠征隊到着の報告を。それと宰相閣下に鳩を飛ばせ。この街に到着した際に伝書鳩を飛ばすことは予定に入っている。その報告に、巨大なアリを抱えた巨大なハチの群れと接敵したと付け加えろ。宰相閣下の指示を仰ぐのだ」


 ハチたちが飛んでいるのは街の東側の上空だ。本来であれば、この日一日はラコリーヌの街で休息し、街の周辺に夜営で一泊して翌日にルルドへ向け出立する予定だった。しかしあのように魔物の大群が浮いている中で休息や夜営などできるはずがないし、何よりルルドはここより東だ。真下を通過することをハチが許してくれるかは不明だ。


 どのみち、鳩が戻るまでに数時間はかかるだろう。予定より早く到着しているとはいえ、その頃には日も昇り切ってしまう。それまで相手が何もせずに待ってくれているとは限らない。

 報告は出したが、宰相の指示を待たずに状況を開始する可能性は非常に高い。

 兵士たちには不安が見えるが、もともとこちらは災厄を打倒するために編成された軍隊だ。ヒルス王国が戦う災厄といえば天使どもばかりだったため、複数の兵士で自分たちの頭上にいる敵と戦う訓練は教練課程に入っている。

 徴兵されたばかりの少年兵たちは教練を受けていないが、退役したベテランの予備役と組ませて編成している。彼らがうまくフォローして、サポート班としてなら機能してくれるだろう。

 もとより、メインは現役の兵たちのつもりだ。連携がカギを握る作戦には、ベテランとはいえ普段訓練で合わせていないものたちは混ぜられない。


「ほとんどの天使たちは無策に白兵戦を挑んでくる。それに対する連携訓練を積んだ兵たちだ。あそこにいるのはハチとアリだが……。どのみち白兵戦になるのは天使相手と変わるまい。これだけの兵数があれば、撃退するのも可能なはずだ」


 兵たちの世代では直接天使とやりあった経験のあるものはいないが、それでも記録によれば訓練によって大幅に損耗率が下がったとされている。訓練が有効であることは明白だ。


 司令は街なかにサポート班を残し、現役兵のみで構成された攻撃部隊を街の東側に展開させるよう指示を出した。とはいえ、相手を刺激しないよう、街から離れすぎないよう注意させる。


 百卒長たちが動き始め、領主館へ走らせていた伝令が戻る。領主が会いたいそうだ。

 司令は後のことを副官にまかせ、領主館に向かう。


 大丈夫だ。何も問題はない。そのはずだ。




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