第73話「ラコリーヌの瓦礫」(別視点)
「すまぬ。よくぞ来てくれた。まずは座ってくれ」
領主の館では、名を告げるなり応接間に通された。さすがに兜は脱いだが、鎧はそのままでソファーを勧められた。剣すら預けていない。非常に異例なことだ。
「お前たち、下がれ。何かあればベルで呼ぶ。それまでは応接間に誰も近寄らせるな」
領主は自身の護衛の騎士を扉の外に待たせ、人払いをした。これも異例だ。一軍の司令官とはいえ、貴人が貴族というわけでもない軍人と一対一で対談するなど聞いたことがない。
「司令も見ただろう。東の空に浮かぶ虫どもを。あれは災厄がらみだと思うかね? いや、遠慮は結構。私は王都より災厄発生については聞き及んでおる」
司令はほっと息をついた。あれらの魔物の対処について、災厄について触れずに話しあう事は難しい。宰相からの返信によっては、ここは置いて災厄討伐を優先せねばならないかもしれない。それを理解してもらえるかはわからないが、話し合いにおいて前提情報が共有されている事は大きい。
「あれが災厄がらみで無かった場合、司令たちはこの街より災厄の討伐を優先せねばならない。違うかね」
「……私の口からは今はまだなんとも。現在、宰相閣下にラコリーヌの状況について報告し、指示を待っているところです」
「そうか……。いや、感謝する。司令の立場では、ここを通過して一刻も早くエアファーレンに向かいたいところだろうに」
「いえ、このような状況です。なるべく、できるだけの事は……」
「すまぬ……」
今は静まりかえっているが、かつて司令がこの街を訪れたとき、活気の絶えない、賑やかな良い街だと感じた。
確かに魔物の領域からは距離もあり、街道が交わる街という立地にあって、商業的に成功しやすい条件はあったといえる。しかしそれと住民が明るいのとは別の話だ。
いかに良い土地であったとしても、治める者が強欲であったり、横暴であったりすれば、住民があれほど笑顔を浮かべることはないだろう。
この領主館に通された際にもそれは感じた。司令が領主と直接対面するのは初めてだったが、一地方の領主の住まう館にしては、その広さに対して護衛の騎士が少なすぎる。使用人はそれなりにいるところを見るに、本来は護衛の騎士ももっと多いのだろう。ではその騎士たちはどこへ行ったのか。
おそらく、街なかを巡回し、住民の不安を和らげたり、魔物の様子をうかがったりしているのだろう。
司令は指示を出してすぐに領主館へ呼ばれてしまったが、もしかしたら今頃部下たちに協力してくれているかもしれない。
そんな領主であれば、司令としても権限の許す限り、できるだけのことは協力したい。
王国宰相オコーネルは決して冷徹な人間ではないが、彼が見ているのは王国全体の利益や安全だ。いざとなれば、国を守るためにこの地を見捨てる決断をするかもしれない。
司令とて、一兵士ではなく国を守る将軍だ。国家のために宰相閣下が決断されたのなら、その命令に従うことに否やはない。その時には毅然と、この街を捨て置いて任務に向かうだろう。
そしてそれは領主も承知している。
「できれば、長旅で疲れておろう貴官らをねぎらいたいところだが、この状況だ。それすらも叶わぬラコリーヌを許してくれ」
「いいえ、顔をお上げください。そのようにおっしゃっていただけるだけで……」
そこへ、扉を叩く硬質な音が響いた。まるでドアノッカーで叩いたかのようなこの音は、おそらく外にいる護衛の騎士が手甲をつけた手で叩いているのだろう。
誰も通すな、と言いつけられている騎士がわざわざノックをするくらいだ。
一瞬、領主と視線を交わす。
「どうした。何事かあったのか」
「は! 遠征軍より伝令の方がお見えです。こちらにおいでの司令官殿に緊急の──」
その瞬間、遠くに雷が落ちたような、鈍い音が振動とともに響いてきた。
断続的に鳴り響いてくるそれは、得体の知れない不安をあおってくる。
「なんだこれは! 何が起きた!」
「失礼します! 司令! ハチどもが動き出しました!」
もはや猶予なしとみてか、扉を開け伝令が叫ぶ。
ではこの音と振動は、あのハチどもが引き起こしているというのか。
一体何をすれば、こんな音がするというのか。
「領主様、申し訳ありません。とにかく、私は街へ行きます!」
「すまぬが頼む! 街にいる護衛騎士には、貴官らと連携するよう指示してある! 好きに使ってくれ!」
「感謝いたします! では!」
館から出ると、音はいっそう大きく響いている。東の空には煙が立ち上っているのが見える。急いでそちらへ向かいたいが、逃げ惑う住民たちがそれを許さない。
なんとか人波をかき分け、街を走るうちに、逃げ惑う人々に住民以外のものが混じり始めた。
彼らは討伐軍だ。その少年兵たちだ。サポート役として、街なかの東側に配置されていた者たちだ。
守るべき住民を置いて逃げ惑うなど、と激昂しかけたが、彼らは正規の訓練を受けてはいない。ついこのあいだまでは逃げる側の立場だった者たちだ。混乱して逃げ惑うのも仕方がない。
「おい! 何があったのだ!」
手近な少年兵を捕まえて詰め寄る。
「ア、アリです! アリが岩を飛ばしてきて……」
「アリだと!? 街の外にいたハチの抱えていたアレか!」
「そのハチの抱えていたアリです! そのアリが飛ばした黒い岩が……とつぜん破裂して……街が……火が──」
確かにハチはアリを抱えていた。
どこかのアリの巣を襲った帰りで、あのアリはその成果だとか、そんなことなのだろうと軽く考えていた。アリとハチの関係性など、深く考えていなかった。
違ったというのか。あれは、アリを抱えたハチの群れではなく。
ハチに運ばせたアリの群れだったというのか。上空から攻撃するために。
破裂する岩を飛ばすアリなどという、聞いたこともないような魔物を。
別の種であるはずのハチが。
それも、あのような大群で。
「馬鹿な……」
そのようなこと、アリとハチの両方を支配するような何者かに統率でもされていなければありえないような事態だ。
そんな存在が。
「災厄……だというのか……。これが」
地響きのような轟音は今も続いている。いや、司令はすでに足を止めているというのに、近づいてきている。
つまりこの音が、岩が破裂している音ということなのだろう。そう聞いたにもかかわらず、まったくどういうことなのか想像できない。
いつのまにか、捕まえていた少年兵は逃げ去っている。
いや、この状況で彼らにできることはない。逃げられるのであれば、それがいいのかもしれない。
とにかく今は街の外に展開しているであろう本隊と合流しなければ。
それが叶ったとして何ができるかわからないが、それが叶わなければ何もできない。
司令は伝令兵を連れ東へ急いだ。
「司令殿! こちらに鐘楼が! この上ならば、街の様子もある程度見えましょう!」
なかなか進めず、気ばかり焦る司令に、伝令が声をかけた。
確かに、本隊と合流する前に、一度落ち着いて状況の正確な把握に努めるべきかもしれない。
伝令が示したのは鐘楼というより火の見櫓のようなものだが、周りの建物よりかなり高い。これであれば、街を見渡すこともできよう。
櫓に登った司令は、まずは本隊の位置を確認するつもりであった。そうしたのち、状況にどう対応すべきが最善か判断して、本隊のところへ向かう。
しかしその必要はなくなった。
街の外、東側の大地は、耕されていた。
遠近感が狂わんばかりに広大な土地が、種蒔き前の畑のような姿に変わっていた。本隊の姿はどこにも見えない。
いや、あれは街の外ではない。街の一部だ。街の外から続いて街の中、東側のおよそ四分の一ほどまでが耕されている。
そしてそれは今も広げられている。横一直線にアリを抱えたハチたちが並んでいる。アリの腹の先から一斉に黒っぽい何かが発射される。遠目に見てもかなりの速度だ。それが街に、家に接触するやいなや、轟音とともに破裂し、炎と破片をまき散らしている。
ハチの列が通り過ぎた後には何もない。何がそこまで駆り立てるのかというほど、隙間なく岩を降らせている。
あの中にあっては住民の生存は絶望的だが、討伐軍はそうではない。家さえ一撃で破壊せしむる面攻撃といえど、鍛え上げられた一部の兵士ならば耐えきることも出来る。
今も瓦礫を押しのけ、耕された街から起き上がる兵士がいる。
しかし彼は立ち上がった途端、頭から血を吹き出して倒れ伏した。ここからでは何が起こったのかわからないが、もう生きていないだろうことだけはわかる。
たとえ岩の雨による攻撃を凌げたとしても、どうやら結果は同じらしい。
初撃であるあの破裂する岩は、一流の兵士にとってはそれほど致命的な威力ではなさそうである。攻撃を受けてすぐに立ち上がれるということは、大きなダメージを受けたわけではないということ。
だがそれがなんだというのだろう。立ち上がったところで、謎の攻撃で止めを刺される。
いやそれ以前に、たとえ兵士が生き残れたところで、はるか上空にいるハチたちをたたき落とす手段がなければそれ以上の抵抗はできない。
あの高さではおそらく通常の魔法などは届かないだろう。弓も同様だ。しかし相手側の攻撃はひとたび射出さえしてしまえば届かないということはない。初速に与えられたエネルギーが尽きたとしても、放っておけば勝手に下に落ちていく。
天使どもを撃退することはできても、殲滅することができない理由がこれだ。
天空城にはあらゆる攻撃が届かない。
天使どもは近接攻撃しかしてこないが、もしやつらがこの光景を見て次から上空から岩などを落とす戦法を取り入れてきたら絶望的だ。
司令にはもうわかっていた。
討伐軍は、事実上すでに街中を逃げ惑う予備兵力しか存在していない。
そしておそらく、その生き残りも遠くない未来に、このラコリーヌの街と共に消え去るのだろう。
司令ならば生き残れるかもしれない。あの謎の攻撃がなんなのかは不明だが、頭などの急所をガードしておけば即死は免れることができそうだ。もしかしたら指揮官クラスや上位の実力を持つ兵士ならまだ生きているかもしれない。
領主も同様だろう。あれほど精力的に騎士を運用している領主だ。自身も強くなっているに違いない。
そして領主が生き残るということは、不死身の護衛騎士もまた生き残るということだ。
だがそれがなんだというのか。いくら強いと言っても、この攻撃から住民を守るのは不可能だ。
この街は滅び去る。
災厄討伐も失敗だ。
災厄どころか、その尖兵であろう魔物たちにさえ手も足も出なかった。
交通の要、そして商業の要でもあるラコリーヌを失った王国は、この先どうなるのだろうか。
予備役、そして未来ある若者たちまで駆りだした、王国軍の主力も失うことになってしまった。
もはや災厄に組織的に対抗することもできない。
「いや、そんな未来の話など……。もし、この勢いでハチどもの群れが王都まで飛んでいけば……。貴族たちは生き残れるとしても、王都民はもはや──」
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