第70話「王国の受難」(別視点)





「──報告します!」


 名のある職人4人がかりで作らせた、非常に硬く高価なヒルス・エボニー製の重厚な扉がノックと同時に開かれた。


 一国の宰相たる人間の執務室に入室するには、あまりに礼を失した行動だ。

 しかし王城の、このエリアまで入れるほどの権限を与えられた者が、その程度の礼儀を知らぬはずがない。


 ──今、その無礼者は報告と言ったのか。


 ヒルス王国宰相ダグラス・オコーネル侯爵は、ただならぬであろう報告の内容に知らず身を強張らせ、眉間の皺を深くした。


「も、申し訳ありません、火急の用件でしたゆえ──」


 不機嫌そうなオコーネルの様子に自らの失礼に気付いたのか、伝令は顔を青くしている。


「よい。火急であるなら疾く話せ。何事だ」


 そうして語られた内容は、辣腕で知られる宰相オコーネルをしても、驚愕させるに値するものだった。


「はっ! 王国領内の魔物の領域から、多くの魔物が現れ街を攻撃しているとの報告が各地より上がっております!」


「なんだと!」


 魔物の領域の外へ魔物が現れる。

 それ自体は珍しいことではない。魔物もこの世に生きるひとつの生命だ。生息域内で数が増え過ぎれば自分たちの生活を維持しきれなくなり、外部に活路を見いだし領域から出て──いや領域を広げるべく侵攻を始める。

 これまでも幾度もあったことだし、辺境の街にはその兆候を見逃さぬよう専門の機関が置かれている。

 しかし、宰相のもとには辺境のどの街からもそのような報告は上がっていなかった。


「なんの兆候もなく……突如あふれ出したというのか、魔物が……。ばかな」


 さらに詳しく報告を聞いてみれば、辺境のあらゆる都市に魔物が押し寄せ、守備隊と交戦しているという。

 それどころかいくつかの都市ではすでに城壁が越えられ、市街地や住民に被害が出ているところもあるらしい。

 同時に救援要請も届けられているとのことだが、中央から援軍を出すことはできない。

 東に現れた新たな災厄に対し、討伐軍を編成し、すでに出立させていたからだ。

 ゆえに各辺境都市に攻め入る魔物どもには、各地に駐屯している守備隊に対応してもらうしかない。


「本来であれば、各地の守備隊も災厄討伐軍に編入させたかったくらいだったのだが……。遠征を急がせるためにそこまで出来ずにおったのが、却って良い目と出たか……」


 そこへ再び、執務室の扉を無遠慮に開く者が現れた。今度はノックすらない。


「報告します!」


「控えろ! 今はそのような──」


「も、申し訳ありません! 何をおいてもお伝えしろとの、守備隊からの最後の文です!」


「最後だと!? いったいどこの──」


「城塞都市エアファーレン、城塞都市ルルド、ともに陥落!」


 ばかな、と声が出るところだった。

 みっともなく喚かずに済んだのは矜持を守るにはよかったが、その実、単に驚きすぎて呼吸さえままならなかっただけのことだった。


 エアファーレンといえば、先だってに総主教からもたらされた新たな「人類の敵」の住処にほど近い街だ。先ほどの災厄討伐軍、その目的地とも言える。

 常であれば討伐軍結成式や行軍パレードなど、士気の向上や国民の理解などの効果を狙った行事を執り行うところだったが、人類の敵がまだ幼いうちにと急がせて、それらすべてを省略して出撃させたところだ。

 何より速度を優先し、兵站については考えず、補給は道道の街などで徴収することで賄うつもりだったほどである。国内の行軍であったため可能な、かなり乱暴とも言える作戦だった。


「間に合わなかったということか……。すでに街一つを壊滅させるほどの勢力だと……。いや待て、ルルド? どこだそれは」


 宰相と言えど、辺境すべての城塞都市を瞬時に思い出せるほどの記憶力はない。


「はっ。トレの森──通称、帰らずの森と呼ばれる魔物の領域に近い、辺境の都市であります!」


「──思い出したぞ。街を建設したはいいが、魔物の領域に入ったものが出てこないとかで、危険すぎるため一向に開発の進んでおらんかった街か。今はなんとか監視のみ継続しつつ、エアファーレンと他の街との中継として経営のやりくりを……。馬鹿な、すると災厄はエアファーレンを陥落させ、すでにルルドまで進軍しているというのか!」


 だとすれば驚異的な早さだ。こちらで軍を組織したときにはもう、エアファーレンは落ちていたというくらいの話になる。

 しかしそうであればさすがにもっと早く連絡が来ているはずだ。

 すべての辺境の都市には、伝書鳩や伝令兵など、火急の際には複数の連絡手段による報告が義務付けられている。


「いえ、それが……。どうやらそうではないらしく、エアファーレンの街はアリ型、ハチ型のモンスターの大軍が、ルルドの街はトレントの大軍が襲ってきたようでして……。その陥落のタイミングは、双方ほとんど同じだった模様です」


 ともに陥落、という報告だったことを考えれば、これは当然と言える。そう報告してきたということは、ほとんど同時に知らせが届いたということだ。あの2つの街は、街道上でこそルルドの先にエアファーレンがあるという並びになってはいるが、この王都からの直線距離で言えばおおむね同等だ。

 同時に鳩を飛ばしたならば、おおよそ同時に知らせは届く。


「別々の……勢力だというのか……」


 総主教の神託によれば、生まれ落ちた災厄は一体だけのはずだ。それとも何か。たまたま偶然、災厄の魔物と、都市を壊滅させられる災害級の魔物が同時に生まれたとでもいうのか。どんな偶然だ。


「そんな馬鹿な……」


 しかし宰相の言葉に答えられるものはいない。エアファーレンの街を拠点にリーベ大森林を攻略させるつもりだったが、いきなり頓挫してしまった。宰相は頭を抱えた。









 翌朝早く、宰相はすでにデスクに向かっていた。

 すでに、というか、昨夜からずっとである。各地から寄せられる救援要請に、応えられないと返事を書き、また討伐軍にはエアファーレンの街がすでにないことをどうやって伝えたものかと頭を悩ませていた。


「報告します!」


 また、ノックのない無礼者の襲来だ。

 しかし今となっては国に仕える高官が無礼なことより、そんなエリートが無礼を押してでも報告しなければならない事実を聞きたくないという気持ちのほうが強かった。


「……何事だ……。このような朝っぱらから……」


「アルトリーヴァの街、壊滅との知らせがありました!」


「はあ!?」


 宰相は必死に記憶を手繰る。辺境にそのような名前の街はあっただろうか。

 椅子を蹴倒すように席を立ち、壁にかけられた王国地図を睨みつける。


「こ、ここです」


 今報告に飛び込んできた者が地図の一点を指差す。そこは。


「へんっ、辺境ではない……ではないか!」


 そこは、国境線といえば国境線なのだが、背後にアブオンメルカートという、踏破不能な高地が切り立つ崖として存在している地域だった。

 伝承によれば高地の上には古城があり、人の住まない今となっては魔物の領域と化しているとされているが、どのみち崖を登ることもできなければ、下ることも不可能なため、単に王国は巨大な壁として認識していた。

 その高地の向こう側に隣国ウェルスが存在しているが、高地の存在から直接の交易はあまり盛んではない。

 そうした立地であるがゆえに、その一帯はヒルス王国の端に位置していながら辺境だとは認識されていなかった。


 その街は高地の水源から流れ込むコンファイン川が運んでくる肥沃な土壌によって、大麦などの栽培で成り立つ街だ。大麦が領主に税として納められ、領主がそれを他の街などに売ることでなんとか生計を立てている。

 周囲には危険な魔物のいるような場所はなく、富があるわけでもないため野盗のたぐいもほとんど出ない。


「そんな平和な街がなぜ……」


「連絡は、その隣街のエルンタールの街からの伝書鳩のものですが、それによればアルトリーヴァから逃げてきた衛兵の1人が、街がスケルトンの大軍に襲われた、と証言していると……。しかもそのスケルトンは、ヴェルデスッドの街のある方角から現れたらしく……」


 ヴェルデスッドとはアルトリーヴァよりもさらに高地側にある街である。

 スケルトンの大軍がそちらから来たということは。


「馬鹿な……。ではすでに、スケルトンの大軍に2つの街が落とされているということではないか!」


 一体何がどうなっているのか。


 辺境という辺境で、魔物があふれ出し。

 たった1日のうちに、4つもの都市が陥落した。

 しかも対応しようにも、主力となりうる軍はそのほとんどが災厄討伐のためにすでに出兵している。


 その軍が向かっているのが、陥落した都市のうちルルド、エアファーレン方面であるというのは、不幸中の幸いといっていいものかどうか。

 あれだけの戦力ならば、少なくとも現地の状況を探るくらいは出来るはずだ。


「……遠征に出発した討伐軍はどうしている。定期連絡は来ておろう。時間的に見れば、今日か明日にはラコリーヌの街辺りを通過する頃かと思うが……」


 ラコリーヌの街は王国の交通の要衝だ。ここからならば、街道沿いにルルド方面にもアルトリーヴァ方面にも向かうことが出来る。


 前回の定期連絡ではまだラコリーヌに到着していなかったはずだ。ラコリーヌの街には専用の鳩舎があった。そういった街に到着した際には定期便とは別に鳩を飛ばす手筈になっている。

 何しろこの遠征には王国の、いや大陸の未来がかかっていると言っても過言ではない。

 他国に援助こそ要請していないが、正式な使者は送っている。他国にまで飛ばせる鳩など存在しないため、早馬を乗り継いでの強行軍ではあるが、隣国に知らせが届いているかは微妙なところだ。


 であれば、しばらくは王国のみで対処するしかない。

 壊滅したと思しきアルトリーヴァとヴェルデスッドの街の住民には申し訳ないと思うが、あの辺りにはさしたる産業も特産もないし、治める領主も影響力のある貴族ではない。ならばもうあの地方は今は捨て置き、事態が終息したのちに再度平定すれば良い。


「討伐軍は……予定通りにリーベ大森林に向かわせるしかない、な。ルルドの街は迂回して、帰らずの森も刺激せぬよう回避させる。街道は確かもともと森を迂回して敷設してあったはずだ。エアファーレンの街は……壊滅したというのがどの程度なのか……。魔物から奪還し、駐屯地として使えそうであれば、なんとか……」


 どのみち、討伐軍が今どこにいるのかが正確にわからないことには鳩も飛ばせない。ラコリーヌの街に到着するのがいつになるかわからないが、その報告を待ち、返信する形で情報の共有をしていくしかないだろう。

 

「報告します!」


 久しぶりに、まともなノックと、礼儀をわきまえた入室があった。

 ここは王城、その深奥の、王国宰相の執務室なのだ。本来は常にこうあるべきなのだ。


「討伐軍、ラコリーヌ到着とのことです!」


 まずは、どこそこの街が壊滅、という内容で始まらなかったことに安堵する。


「そうか。では情報と次の指示をしたためた文を返すので……。なんだ? まだなにかあるのか?」


「はっ! 同時に、討伐軍接敵、との報告が」


「せ、接敵? 敵と出会ったということか? 何とだ? わざわざ接敵などと報告してくるということは、そこらの魔物や野盗程度ではあるまい」


「はっ! 大量の……アリを抱えたハチの群れとのことです」





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