第16話「ウェイン、草原に立つ」(別視点)





 ――さて、まずはキャラメイクからかな。


 勤務先から帰宅し、自室のVR機器を起動し、ウォームアップさせている間に食事や入浴などの雑事を済ませる。

 このVRマシンは最新鋭のもので、外装は違うが医療業界などでも使われている高性能マシンだ。平均的なサラリーマンの年収の倍ほどの金額がするが、彼の給料であれば購入するのはそう難しくない。

 この時代、殆どの仕事はリモートで完結出来るようになっている。工場勤務でさえ、自宅に居ながらにして工場のロボットを操作、あるいはティーチングするだけだ。医療業務さえVRを利用し、ロボットアームを操作して行われる。

 しかしながら、遠隔だけでは対処しきれない問題やトラブルも決して無くなりはしない。先の医療業務でも、例えば患者が医療機関へ移動しなければならないような場合などはどうしても現地にサポートスタッフが必要になる。

 彼の仕事はそうしたシステムの潤滑剤のような内容だった。

 VR空間上ではなく、実際の現場に行かなくてはならない彼の給料は必然的に高い水準になる。


 その勤務形態上、他の一般的な職種のサラリーマンなどよりも、出勤時間などの面で拘束時間が長くなる。ゆえに彼の唯一の趣味であるゲームをする時間が短くなってしまう。彼はそのハンデを、周辺機器やゲーム内課金に給料をつぎ込むことでカバーしていた。


 この最新鋭VRマシンも、これからログインするゲームのために用意したものだった。

 完全な情報封鎖のもとで行われたクローズドテスト。彼はそのテストに応募し、合格し、短い時間ながらもゲームを楽しんだ。

 すっかりそのゲームに魅せられた彼は、このゲームのために貯金を崩してこのマシンを購入することに決めたのだ。正式サービス開始までに間に合ってくれれば、と考えていたが、幸いにもオープンβテスト直前に届き、セットアップを昨日済ませて、今日の仕事上がりを迎えたのだ。


 クローズドテストのときとほぼ同じビルドでキャラクタークリエイトを終え、キャラクターネーム「ウェイン」となった彼は、ゲームの世界にダイブした。

 新システムの「先天的な特性」とかいうもので「美形」を選択したせいで経験値が足りず魔法技能が取れなかったが、ゲームを始めて数日も狩りをすれば魔法の1つや2つは取得できるだろう。


 ――さぁ、異世界の冒険の始まりだ。





 そして1時間後、彼はようやく草原に降り立っていた。


「……チュートリアルでなんで1時間も取られるんだよ……。クローズドテスターはチュートリアル免除とかにしてくれてもいいのに」


 チュートリアルのサポートAIの説明では、基本的に世界観やゲーム内の雰囲気に関するものばかりだった。クローズドテストをみっちりやった彼にとってはそのようなことは今更言われるまでもなく、テストの時に目の当たりにしたAIのあまりの完成度の高さに、NPCを人間と同じように扱うことにもなんの違和感も持っていなかった。

 NPCとPCに差がないなど、今さら言われるまでもない事だ。


「というか、このゲームPCとNPCをシステム上で見分けることができないから、あんまりうかつな扱いは最初からできないと思うんだけどな。ほとんどの人は」


 クローズドテスト時にも、NPCだと思ってぞんざいに接した露天商が実は生産特化のプレイヤーで、その後プレイヤーメイドのアイテムを誰からも売ってもらえなくなり、最後はテストにログインしなくなってしまったプレイヤーの失敗談などが専用掲示板で語られていた。


 気を取り直してウェインは草原を見渡した。遠くにうっすらと街並みが見える。


 ウェインが初期スタート国に選んだのは人類種の国家のひとつ【ヒルス】だった。

 ヒルスは海に面した国で、山も盆地もあり、特に農業を始めとする一次産業で栄えている。また国内に流れる三つの大きな川を利用した水運で、山から切り出した木材や鉱石を国中に運んでいる。川のひとつは国内最大の漁港まで流れているため、国内の農産物などを輸出するのにも一役買っている。豊富な水源と木材由来の燃料によって鍛冶も盛んに行われており、これといって苦手な産業はない。特別に裕福というわけでもないが、極端な貧民も居ない、安定した情勢の国である。


 ウェインがこの国を選んだのは、その安定した国力からくる治安の良さもあるが、クローズドテスト時からこの国で始めていたからだ。初心者というか、ゲームスタート直後のプレイヤーが何かと活動しやすい国なので、初期スタートにこの国を選ぶプレイヤーは多い。


 ウェインは早速インベントリから初心者用の片手剣を取り出し、腰に佩いた。『盾』系のスキルを選べば何かしら盾装備がもらえていたかもしれないが、こういうゲームは最初からいろいろなものに手を出そうとしてもうまくいかない。初めは何かひとつに特化して自分のスタイルをしっかり定めるべきだ。


 ウェインはスキル『片手剣』と『パリィ』、そして『俊敏』を取り、余った分はSTRとAGIに振っていた。典型的な軽戦士だ。いずれは魔法を取得して魔法戦士系の戦い方を目指している。そのためにパラメータの初期値がバランス型のヒューマンを選んでいた。


 チュートリアルによれば、ここからあの街までの間には、今のウェインが余裕を持って戦えるだけのモンスターしか出ないはずだ。

 序盤はあの街を拠点にして、しばらくは経験値稼ぎと金策に勤しむとしよう。

 ウェインはそう考え、歩き出した。





 街に近づくにつれ、街の向こうにうっすらと森が見えてきた。おそらくは魔物の領域だろう。魔物の領域に近い街らしく、かなりしっかりとした城壁も見える。ウェインの知らない街だが、初期スタート位置がどこになるかはランダムなので仕方ない。

 政情が不安定な国や貧しい国などでは、魔物の領域に近くとも街にこういった壁を用意することが出来ない。あるいは市壁を建てるための許可が国から降りなかったりするらしい。ヒルスはそういったことはない。とはいえ、さすがに城壁があるのは魔物の領域に近い辺境と王都くらいだが。

 あの森であれば、経験値稼ぎも金策も問題なく行えるだろう。初期スタート位置に近い森だ。さほど強い魔物がいるとも思えない。

 

「おっと、ワイルドラビットか」


 見た目も名前もただの野うさぎだが、油断しているとダメージを貰うこともある。さすがに死んでしまうことはないだろうが。

 しかし、ダメージも油断すればの話だ。ウェインのビルドとプレイヤースキルなら初期装備でもノーダメージで完封できる。


 ワイルドラビットの体が一瞬沈み込む。

 これは攻撃の予備動作だ。


「『パリィ』!」


 飛びかかってきたワイルドラビットに、『パリィ』を合わせる。体当たり系の攻撃は防御されれば反射ダメージを受け、回避されると体勢を崩す。『パリィ』は成功時と失敗時で回避判定か防御判定かが分かれるのだが、成功すれば回避判定になる。

 案の定ワイルドラビットは体勢を崩し、隙だらけの側面を晒していた。


「よっ! そら!」


 ウェインは連続で片手剣を突き入れ、ワイルドラビットを倒した。

 肩慣らしには丁度いい相手だった。


 ステータス画面を表示させると、僅かな経験値が入手できていた。


「このペースじゃ、魔法覚えるのはいつになるかわからないな。やっぱり街に行って落ち着いたら森に入ってみよう」


 もとより、経験値稼ぎは時間がかかるものだ。

 かつてのMMORPGは、いかにエンドコンテンツを充実させ、キャラクターの成長がカンストしたプレイヤーに新たな装備やアイテムを供給してゲームを引き延ばすかということに注力したタイトルばかりだった。しかし次第にそうしたビジネスモデルにユーザーが飽き、若者のゲーム離れが叫ばれるようになっていった。


 そんな中、VR技術が一気に躍進し、ゲームも完全没入型VRの時代になった。実際にプレイヤーが体を動かす感覚で遊べる時代に、かつてのスタイルのゲームは合わず、業界は新たなスタイルのゲームを求められることとなった。

 そうして台頭してきたのが、プレイヤーキャラクターの成長がカンストしてからが長いゲームではなく、そもそもプレイヤーキャラがカンストするのに膨大な時間が必要になるゲームだった。なんのことはなく、プレイヤーキャラの成長がすぐにカンストするゲームが流行っていたのは、単純に「プレイヤーキャラの成長というプロセスが面白くなかったから」だったのだ。


 VR技術の発展によって、キャラクターの成長そのものも楽しめるようなゲームが増え始め、エンドコンテンツ型のゲームは姿を消した。

 そういった背景の中で、時代に順応したゲームフリークたちは、遅々として進まぬ経験値稼ぎやレベル上げさえ楽しむようになっていったのだった。

 

「街についたら、まずは宿を探して部屋を借りなくちゃな。それから傭兵組合に行って、森の方面のクエストがないか確認して……」


 ワイルドラビットの死体をインベントリに仕舞い、ウェインは街を目指して再び歩き始めた。

 街につくまでに数匹のワイルドラビットを狩り、経験値と素材稼ぎをするのも忘れなかった。





 街は城壁で囲まれているため、その門には衛兵が立っている。彼らは犯罪者を取り締まることもあるが、城壁は基本的に対魔物用のものであるため、それほど厳しくはない。

 ウェインのような、というか、プレイヤーたちのような身元不明の人物でも、街の中に持ち込むことが禁止されているようなものを持っていなければ、基本的にはそのまま入れてくれる。

 もっともプレイヤーにはインベントリがあるため、持ち込み禁止の物品を気にする必要はないが。


 衛兵に手頃な宿屋の場所を聞き、宿が多い区画を目指して歩く。街に入った以上、危険なことなどないだろうが、早めにリスポーンポイントを上書きしておきたい。リスポーンポイントは基本的に最後にログアウトした場所になるので、宿についたら一度ログアウトする予定だ。


 衛兵に教わった宿屋はずいぶんみすぼらしかったが、NPCと違って実際にそこで眠るわけでもなければ、寝ている間にインベントリの持ち物が盗まれるということもない。宿屋であるからにはセーフティエリアとして設定されているはずだし、セーフティエリア内では窃盗などを含む敵対行動は基本的に取れない。

 序盤の宿に無駄な金を使うつもりはなかった。


 チェックインして部屋に入ると、木のベッドに藁葺きらしき敷布団、薄っぺらいシーツ、他には家具もなしと、いかにも安宿といった様子だった。

 ここを教えてくれた衛兵にしてみれば、ウェインの格好は安そうなシャツとズボン、切れ味の悪そうなショートソードと、いかにも駆け出しの傭兵のそれに見えたのだろう。金も持っていなかろうとの親切心でこの安い宿を教えてくれたつもりなのかもしれない。実際間違っていないし、金を使いたくないのも確かなのでウェインにとってはありがたかった。


 一旦ログアウトし、すぐに再ログインする。明日から3日間は仕事も非番のため、俗世のことなど考えない。最新鋭のこのマシンなら、その気になればトイレも食事も無視できる。とはいえ丸3日もそんなことをすれば、出勤する前に軽いリハビリを行わなければならなくなるが。





 ウェインはリログ再ログインするとさっそく傭兵組合へクエストを探しに行くことにした。

 宿屋の主人に場所を聞き、大通りを通って傭兵組合へ向かう。街中とはいえ、路地裏や治安の悪い場所を通ればなんらかのトラブルに巻き込まれないとも限らない。そうしたトラブルに遭うにしても首を突っ込むとしても、もう少し強くなってからだ。


 道は教わったためそう迷うことはない。辺境に城壁を建てて街を作る以上、かなり綿密な都市計画に沿ってこの街は建設されている。仮に迷ったとしても大通りに出られれば、すぐに再び目的地を目指せるはずだ。

 

 日中だからか、辿り着いた傭兵組合には傭兵は少なかった。普通の日勤の業種なら、昼間のこの時間帯に仕事に出ていないというのはあまりないのだろう。傭兵が少ないのは外に仕事に出かけているからだ。

 受付と思しきカウンターへ行き、今日からしばらくこの街で稼ぎたい旨を伝える。登録などは特にない。傭兵など所詮はアウトローだ。いつ死んでしまうかとんずらしてしまうかもわからないような者を、いちいち管理など出来ない。

 ゆえに報酬もすべて成功報酬のみだ。成果を持ち帰らなければたとえ死にかけるほどの苦労をしたとしても金にはならない。もっともプレイヤーは死ぬことはないが。


 続けてウェインは道中狩ってきたワイルドラビットの売却を頼んだ。死体そのままでも売ることはできる。解体費用や手数料などを差っ引いた上で、素材の売却金額で売れる。ただ通常死体は徐々に劣化していくので、そのまま持ってきても二束三文にしかならない。ウェインはインベントリが使えるため死体の劣化はない。インベントリからワイルドラビットを5匹取り出し、カウンター横の台車に載せた。


「おめぇさん、保管庫持ちか。珍しいスキル持ってやがんな」


 受付の職員が軽く驚いた顔をした。

 NPCの中では、生まれつき極稀に保管庫と呼ばれるレアスキルを持つものがいるとされている。ウェインが使ったインベントリの機能がそれだ。

 つまりNPCたちはプレイヤーの事をそういうレアスキルを持った者として認識しているということだ。


 ――もっとも、極稀に生まれてくるんじゃなくて、インベントリを使えるNPCがプレイヤーと比べて少ないだけだけどな。


 もし仮に「最近はそんな奴をよく見るが」なんて言われた日には、そのよく見る奴らというのは100%プレイヤーだろう。間違いない。


 ワイルドラビットの代金を受け取ると、早速クエストボードを確認し依頼を見繕う。

 傭兵組合に持ち込まれた依頼はクエストボードに貼り出されるようになっている。しかし傭兵がそれを剥がして持っていくことは認められていない。

 傭兵はただ依頼を確認し、達成した時に受付で告げるだけだ。その時初めてボードから依頼が剥がされる。

 割の良い依頼は取り合いになるが、自分の他に誰がその依頼を遂行しようとしているのかはわからない。故に誰より早くボードを確認し、誰より早く依頼を達成しなければならない。

 そうして1日働いて帰ってきた結果、すでに誰かが達成していたなどということも珍しくない。もっともよほど珍しい仕事でもなければ、似たような依頼は他にもあるためそちらの達成に切り替わるだけだが。


 そのため依頼者側も報酬をどのくらいにするのか思い悩む。高ければもちろん優先的に達成になるが、人気が高いようなら多くの傭兵が達成のために行動するし、そうなれば同様の依頼の中で2番目3番目の金額で出したとしてもすぐに達成になる。かといってあまり安すぎると手数料だけとられていつまでも達成にはならない。その見極めが難しいのだ。専門の仲介業者がいるほどである。


 ウェインが狙うのはあまり実入りのよくなさそうな依頼だ。それと貼り出し開始日が古いもの。そのあたりの依頼なら、他人とかぶることは少ないだろう。

 どうやら、森の方面に行く必要がありそうな依頼は人気がないようだ。都合がいい。


 一通り依頼をチェックし傭兵組合を出ると、ウェインはさっそく森へ向かうことにした。

 森の中には魔物の領域との境界があるらしく、森の方へ向かうウェインに衛兵が警告をしてきた。適当に流しながら街を出、ウェインは森へ入った。


 魔物の領域との境界があるとは言っても、その手前までは普通の森のはずだ。

 森の中は鬱蒼と木々が生い茂っており、昼間なのに薄暗い。足元も歩きにくく、地元の人間もあまりこちらには立ち入っていないのだろうことが伺える。森歩き自体は慣れているというほどでもないが、経験がないわけでもないのでなんとか探索を続ける。


 ウェインが思っていたよりも本格的な森だ。今の装備で入れる場所ではなさそうである。藪や蔓などを切り払うナタのようなものが必要だし、肌を露出しないような服もいる。初期装備では早々に駄目になってしまうだろう。


 これ以上深くまで分け入るのは自殺行為だと判断したウェインは、一旦街へ戻ることにした。依頼は達成できないだろうが、あの分ならしばらくあとに行ってもまだあるだろう。金が貯まるまでは草原で適当にうさぎ狩りでもしながら、あわよくば草原で達成できる依頼を狙おう。

 

 その日は結局草原へ戻り、ウサギを10匹ほど狩って帰った。





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