とある冬の記憶

もみじおろし

思い出。


 男は夜勤を終え、自宅のドアノブに手を掛ける。

 ふと、左手首にある時計に視線を落とせば、秒針が六と十二を指していた。


「もう、こんな時間かよ」


 そんな憎まれ口を叩くと、どこからか小鳥のさえずりが耳に入る。

 そりゃ、小鳥も鳴きたくもなるわな、こんな気持ちのいい朝じゃ。

 まあいい、とりあえず家に入ろう。


「ただいまー」

『……………』


 一応帰りの知らせを告げるが、家の中から応答は無い。

 こんな早朝じゃ寝てて当たり前だ。

 

 寒い廊下を進み、リビングに到着。カーテンが閉まっていて薄暗い、とりあえず荷物を適当にテーブルに置くと、キッチンに向う。


「お湯入ってるかな?」


 呟やき、ポットの中身を確認する。

 おそらく足りるだろう、そう思い買ってきた赤いやつの蓋をペリペリと開けると、カップの側面に書いてある調理法に従い、お湯を注ぎリビングに戻る。


「5分にセットしてと…」


 男はスマホのアラームを5分に設定すると、席に座り昔の記憶を思い出す。


 ──とある大晦日の夜。


 俺と彼女は手を繋ぎ、冬の寒い夜空の下コンビニへ向かっていた。


「また遅くまでバイトとか、大晦日の日くらい休めばいいのに」

「確かにな。まあ、でもどうせ用事無かったし」

「私は一人で寂しかったんですけどー」


 彼女がほっぺたを膨らませて文句を言っているので、俺は「ごめん、ごめん」と謝った。

 突いたらプシュー、っと空気が抜けそうな顔をしているが、そんな顔も可愛いと思ってしまう。

 

 そんな事を話していると、俺ら二人はコンビニへ到着した。

 店内に入ると「しゃいませー」と、気だるそうな店員の声が耳に入る。

 そりゃ年越しをバイト中には迎えたくないよな。

 俺は店員に若干の同情を感じつつも、お目当てのコーナへ歩を進める。


「……うーん、どれにしよっかな」


 目の前に並ぶ数十種類のカップ麺。

 暫く悩むと俺は、ある一つのカップ麺を手に取る。


「えー、赤いきつね? 年越し蕎麦なんだから蕎麦にしなよ?」


 彼女がそう言うので俺は反論した。


「いいんだよ。それに地域によっちゃあ、蕎麦じゃなくて、うどんの所もあるんだぞ?」

「え? あんた何処出身だっけ?」

「東京だけど……」

「関係無いじゃん!」


 軽くツッコミを入れられると、彼女も一つカップ麺を手に取り、俺に見せてきた。


「じゃあ私は緑のたぬきー」


 そう言うと彼女は、ニコッと笑って八重歯を覗かせる。くっそ、可愛い奴め!

 

 そんなこんなで買い物を済ませると、俺達は同棲中の家に到着した。


「うー、寒い」


 寒いキッチンで一人お湯が沸騰するのを待っていると、居間でコタツに入り、テレビを見ている彼女から声が掛かる。


「ねー、早くしないと年明けちゃうよー?」


 うるさいな! 分かってるは! コッチは寒い中立ってるっていうのに、一人コタツでぬくぬくと待ちやがって!


 と、そんな事を思っていると『ピー』と、やかんから沸騰を報せる音が耳に入る。


 俺はコンロの火を止めると、既に準備してある二つのカップ麺にお湯を注ぐ。

 注ぎ終わるとカップを持ち、彼女の待つ居間へ向かった。


「お湯入れてきたぞー」

「ご苦労」

「てめぇ…」

「ごめん、ごめん。ありがとう!」


 彼女が手を合わせ感謝を述べているので、とりあえず許してやる事にした。

 コタツの中に入り、ふとテレビ画面の左上に視線を向ければ、【11:30】の表示が目に入った。


「あー、今年も後30分の命かー」

「なにその言い方?笑」

「面白いかなと思って」


 そんな事を話しつつテレビに顔を向けていると、どうやら3分経ったらしく、彼女がペリペリと蓋を開けた。


「お先ー」


 彼女は蕎麦だから3分だが、俺のはうどんだから5分だ。まあいい、後2分で俺も食べれる。

 

 美味そうな匂いが俺の鼻腔を刺激する。

 思えばまだ夜ご飯を食べていない、そう思うと俺のお腹が『ぐう』と鳴る。

 テレビ画面に視線を戻せば、芸人達がお尻をしばかれている。


「アハハ、見ろよコレ、めっちゃ痛そう」

「コレ毎回思うんだけど、終わった後お尻大丈夫なのかな?」


 暫くテレビに見入っていると、唐突に彼女から声が掛かった。


「ねえ、大丈夫なのそれ?」

「え? 何が?」

「うどんよ、うどん!」

「あっ」


 完全にテレビに見入って忘れていた。

 まあいい、少し過ぎたくらいで味は変わらないだろう。

 ペリペリと蓋を開ければ、鰹だしのいい匂いが俺の食欲をそそる。

 もう俺の腹は空腹を待ってはくれない。

 ズルズルっと、一口すすると、それから暫くテレビに目もくれず夢中で啜った。

 

 水を飲み、一息付き、テレビ画面に目を移す。


「あっ、後ちょっとで年明けじゃん」

「本当だ」


 【00:00】の瞬間を待ち俺はテレビ画面を見つめる。

 テレビ画面ではカウントダウンが始まった、10、9……3、2、1


「明けましておめでとう御座い」


 俺は彼女の顔を見て言葉をつぐむ。

 何故なら彼女の口が、もぐもぐと動いていたからである。

 あれ? さっきコイツは蕎麦を食べ終わってたよな………。俺は確認したくない情報を確かめるため、自分のカップ麺の器に視線を落とした。


「あっ! おい! 俺の残してあったアゲ食べやがったな!」

「ん? ごべん、食べないのかなと思って」


 もごもごと口を動かし、そう言うと彼女はペロと、舌を出して笑って見せた。


「ごめん、食べちゃった」


 ──ピリリリリ!

 男がそんな昔の思い出に浸っていると、スマホのアラームが鳴った。

 どうやら5分経ったらしい。

 腹ぺこだった男は蓋を開けると、夢中で麺を口に運ぶ。

 暫く夢中で食べていると、突然部屋が明るくなった。


「あんた、電気ぐらい付けなさいよ」


 声の主に顔を向けると、妻が起きてきたのか電気のスイッチを押し立っていた。


「うーん、美味しいな匂い」

「ダメだぞ。コレは俺の飯なんだから」


 俺の言葉を聞くと妻が隣の席に座った。


「ねえ、あれ何?」


 妻がそう言うので指差す方に目を向けると彼女から「もーらい」と声が聞こえた。


「あっ! お前! 俺の最後に残してあったアゲを!」


 妻はもぐもぐと口を動かすと、ペロと舌を出して笑顔を見せた。

 そう、俺はこの顔にやられて結婚したんだった。

 

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