第8話 葛藤

 柄を逆手に握り締め、切先きっさきを地面に向けたつるぎは、セバストの胸元を狙い高々と持ち上げられていた。ほんの少し……。あとほんの少しの力を込めるだけで、セバストの息の根を止めることができる。


 しかしカシュウは、どうしてもその剣をセバストの身体に突き立てることは出来なかった。


 それは葛藤とでも呼べば良いのだろうか……。


 カシュウにとっては今までずっと押し殺し、知らず識らずのうちに自らの心にうみのように溜まっていた疑問や軋轢あつれき。それらが今、自らの剣で命を奪われんとする友の姿を目の前にして、いよいよ『良き騎士団長の息子』と言う殻の中に押し留めることが出来なくなってしまったのである。


 とうとうカシュウはその剣を力なく下へと降ろした。


「どうしたんだ?やめちまうのか?」


 死を覚悟し雪の上に横たわっていたセバストは、カシュウのつるぎが闘気を失った事を感じとり、青ざめた唇を小さく動かしてそう言った。


「わからない。俺は今、お前を殺そうとしていた。でも、どうしても身体が動かないんだ……。」


 思いもよらぬ言葉を聞いて、セバストは閉じていた目をゆっくりと開けた。そして薄っすらと目に入って来たのは、うつむいた姿で虚ろな瞳を虚空に向けるカシュウの姿であった。


「お前は…いったい何を考えている?」


「それも分からない。隊の規則ではお前を殺さねばならないのに……。しかし……何故殺さなければいけないんだ?邪教だからか?裏切り者だからか?」


「そうだ……俺は邪教であり裏切り者だ。」


「教えてくれよ……邪教とはいったい何なんだ?お前だって、オウさんだって、とびきり良い奴だったじゃないか……。」


 今まで押さえつけていた、止めようのない言葉がカシュウの口から溢れていく。


「なるほどな。お前にすりゃ……上出来じゃねぇか。そこまで考えたんだからよ。俺も身体を張ったかいが……あったってもんだ。」


 セバストはそう言いながらも脇腹を押さえて苦しそうにその身をよじる。再びセバストの脇腹から大量の血が溢れ出た。

 これだけの血を流せば、セバストがもう助かる見込は薄いだろう。しかしそれはカシュウとて同じことであった。すでにカシュウは獲物を手にした6人の敵に囲まれている。


「おい。セバスト……。お前はこのまま死ぬのか?」


 カシュウはつぶやくようにそうセバストに訪ねた。しかしすでにセバストの意識は彼の体から徐々に離れつつあった。


「さぁな……。だが…このままじゃいずれにせよ死ぬだろな。」


 朦朧ととする意識の中でセバストの声は、まるで譫言うわごとでも言っているかのようにカシュウには聞こえた。


「どうすれば助かる?」


 その瞬間、虚ろだったカシュウの声に、突然生気が宿った。

 セバストはそんなカシュウを見て、その問いに答えることもなく、苦痛に顔を歪めながらその口元に笑みをたたえたのみだった。そして二人の周りを取り囲んでいた邪教の仲間達に、一言「もう、こいつは大丈夫だ。」と伝えた。


 セバストの言葉で武器を降ろした男達の中の一人が、一言も発せぬままにセバストを担ぎ上げた。そしてもう一人が手早く脇腹の傷口をきつく縛り上げる。気がつけばいつの間にか欧陽オウヨウが男達に次々と指示を出している。

 剣を降ろしたカシュウはその様子をただ立ち尽くして眺めているだけだった。


 この場所にもう俺の居場所は無い……


 そう思ったカシュウは、友とに別れを告げることもなくその場を立ち去ろうと森の出口へと足を進める。


 しかし、立ち去るカシュウの背中に、再びセバストの虚ろな声がかけられた。


「頼む……助けてくれ。じきにお前の弟フィヨルドが俺達を追って来るんだ。だがこの体じゃぁ俺はもう逃げ切ることができねぇ。でも……もしお前が協力してくれるなら……。」

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