第6話 間諜

 

 どうしてこうなったのだろうか……。初めは彼にも違和感はあったのだ。


 昨日、兄との御前試合に勝利してからというもの、フィヨルドの住む世界は一変してしまっていた。あの兄を負かした試合の後、フィヨルドはその見事な勝利を讃えられて特別に国王に謁見を賜わる栄光を得た。そして、なんとその謁見の際に彼と共に国王の御前に隣席した騎士団長の父親から、国王の面前でフィヨルドの騎士見習いから正式な騎士団員への昇格が言い渡されたのだった。


 若干十四歳と言う若さで正規隊員への昇格は、前例の無い異例の速さであった。本来ならば彼がいくら騎士団長の実子といえども、兄カシュウのように隊規に従い十八歳を待って正規隊員に昇格するしか道は無かったはずである。


 しかし、今回フィヨルドがそれをなし得たのは、およそ騎士団長としての父親の存在があったからに他ならない。彼の卓越した剣技も、御前試合で兄を打ち負かしたことも、国王の威信を借りて騎士昇格を認めさせる筋書きも、全ては騎士団長であるフィヨルドの父親が周到な下準備を経たうえでフィヨルドに与えられたものである。


 しかしながら……フィヨルドがそれを理解するにはまだ若すぎた。


 フィヨルドは、御前試合で兄を打ち負かした時、得も言われぬ優越感を感じていた。それは会場の観衆が自分に向かって称賛の声を上げた時も、特別に国王への謁見が言い渡された時も、最年少での団員への昇格が決まったときも。全てが彼の自尊心を大いに満たし、まるで全てを自分の力で勝ち取ったかのような高揚感に包まれていたのだ。


   


 今、フィヨルドは昨夜父親から言い渡された密命を帯び、裏切り者とされる数名の騎士団員を追っていた。


 降りしきる雪は明け方から徐々にその勢いを増している。フィヨルドは真新しい隊服に身を包み込んで、背後には五人の部下を引き連れて、雪の上に残った足跡と僅かな血痕を頼りに雪道を進んでいた。


「すみません。もう少し急ぎましょう。」


 降り積もる雪に足跡が消されてしまうことを恐れたカシュウは、昨日からフィヨルド付きになった一回りも歳の離れた騎士達へ、不器用に指示を出した。


 どうしても年上の部下たちには遠慮をして違和感のある格好のつかない指示になってしまう。まだ幼く経験も無い彼にとって、それは仕方のないことであるのだが……。しかしフィヨルドはそれを恥だと感じ自らの言葉に苛立ちを覚えた。そして彼はもう一度「馬を駆けさせるぞ。」と少し高圧的な口調で言葉を付け足した。

 

 ――今はまだ全てが不慣れだが、そんなつまらない遠慮など、きっとすぐに気になら無くなるさ。


 フィヨルドは、父から与えられた自分の言葉を忠実に聞く部下達を背後に従えながら、そう自分に言い聞かせていた。



 そうして、フィヨルドが抱いていた漠然とした違和感など、またたく間に優越感という快楽の中へと消えてしまった……



   ※



 ――このまま雪に足跡が消えてくれれば良いが、そうもいかねぇだろうな……


 降り積もる雪にかすかな望みを期待するほどセバストは素人では無かった。しかしこの雪では追跡者を間諜かんちょうとしての技術もまったく役に立たない。じきに雪の上に残した足跡を見つけて追手は現れるはずである。その前に彼は急いで仲間達と合流しなければならなかった。

 どうしてだろうか、先ほど別れたはずのカシュウが未練がましく自分を付けて来ている様だ。しかしセバストは気配でそのことに気が付きながらも、そんなことには構いもせずに、ひたすら先を急いだ。


「爺さん。裏をかかれたぜ。」


 セバストはコートに積もった雪も払わずに、石碑の前でそっと肩を落とす欧陽オウヨウの姿を見つけると無遠慮に言った。


「腹をやられたか?」


 セバストの声に振り返った欧陽は彼の腹部からにじみ出る血を認めて直ぐにそう言葉を返した。しかしセバストに対する彼の声色は先ほどカシュウと話していた時とは異なる、きびしく冷たい声である。


「あぁ。でもかすり傷だ。」


「そのようにも見えんがね。その調子で南都なんとまでつのか?」


「さぁな。逃げられるところまで逃げてやるさ。だがそれよりも、奴ら俺の足跡を追ってもうすぐここに来るぞ。」


「そうか……ならば王都ともこれでお別れだの。」


 その声は、心なしか沈んでいるようにセバストには感じられた。恐らくカシュウの事が原因であるのは間違いない。


「爺さんにしてはやけに湿っぽいじゃねぇか。やっぱりアイツのことが気になるかい?」


「いや、もう言葉は尽くした。ここをたえねばそれまでのお方だと言うことだ。」


「なら良いんだがね。変に情けをかけて俺たちの足を引っ張らねぇでくれよ。」


「不覚を取ったお前がそれを言うのか?」


「まったくだな。でもそんなことより、そろそろ時間だぜ。仲間が迎えに来ている。」


 セバストは自虐気味に笑ったが、無駄話はここまでである。二人は今後の計画についていくつかの情報を交わしながら、その頭を揃いの黒い頭巾で覆い隠していった。


 二人が話していた時間はさほどでは無かったが、そのつかの間に欧陽とセバスト二人の周りには、同じように黒頭巾で顔を隠した数名の男達が集まっていた。彼らもまた欧陽やセバストと共に、この王都にて間諜活動を行っていた邪教と呼ばれる者達であった。




 しかし、その時、二人の姿を遠くから眺める一人の男の姿があった。セバストの後を追って崩れ果てた騎士団本部跡の前に再び戻ってきていたカシュウである。


「やっぱり、お前達は間諜だったんだな。二人で俺を騙していたのか…」


 彼は、その姿を二人の前に晒すと、腰に挿した剣を抜いてそう言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る