第5話 受け入れ難い真実

「カシュウ坊っちゃん。早いうちに王都からお逃げなさい。団長は自分の後継者を弟君のフィヨルド様にと考えておいでです。」


 欧陽は話の最後に改まってそう言った。その表情は先程までの穏やかな表情では無く、昨夜見たあの別人のような厳しい顔。


「ちょっとオウさん。どう言う事だ?団長がフィヨルドを跡継ぎにしたがっていると言うのは俺にも分かる。でも俺は弟が団長だっていっこうに構わないんだ。どうしてそれで逃げなきゃだめなんだよ。」


 当然の疑問であった。普通に考えればフィヨルドが跡継ぎになる事とカシュウが王都から逃げ出す事は全く関係がない。しかし悲しいことに此処ここは王都であった。弟が兄よりも前に出ると言うことは許されないのだ。


「昔からそうだった。やはり貴方はお父上に似て甘い。よくお考え下さいませ。この王都では貴方が宜しくても、序列が邪魔をするのです。この王都で序列を無視して弟が兄を差し置き団長になるなどと言う事が有り得ますか。」


 欧陽にそう言われ、はたと気が付いたカシュウは思わずその口を閉ざした。彼も騎士団の中にいてこの理屈がわからない程バカではない。今まで王族や貴族がその序列を護る為に裏で行ってきた数々の悪行を、王都の守護者である騎士の彼が知らないはずがないのだ。


「じゃあ、俺は一体どうなるって言うんだよ。」


 カシュウは吐き捨てるように言った。そして欧陽の口からは残酷な言葉が返ってくる。


「あらぬ罪をかけられて処断されるか。もしくは暗殺。」


 その瞬間、カシュウは腰を下ろしていた石から突然立ち上がった。そして欧陽に怒りの視線を向けるとそれを振り払うように彼に背をむけた。


 ――馬鹿にしている。セバストにしてもオウさんにしても……。そんな馬鹿げた話があるわけないじゃないか。


「バカバカしい。根拠もないよた話なんかに付き合ってられるかよ。おい。オウさん。あんた言っていい事と悪い事があるぜ。事件があった時、団長は隊規を犯してまで俺の事を助けてくれたんだろ?おかしいじゃないか。」


 カシュウはその憤りを隠すことが出来ない。気を抜けば怒鳴り散らしたくなるその感情を抑えながらカシュウは欧陽に背を向け森の出口へと向かって行く。

 馬鹿げた話にこれ以上無駄な時間を使うことはない。彼がこれから隊に戻ればやらなければならない業務が山ほどあるのだ。


「カシュウ坊ちゃま。団長を信じてはいけません。」


 立ち去っていくカシュウの背中に追い縋る様な欧陽の声が聞こえる。しかしその声をカシュウは怒りを押し殺した声で遮った。


「オウさん。もう世迷い言はいい。それ以上言うと俺はあんたを団長に突き出さなきゃならん。今のは聞かなかった事にする。お願いだから黙ってくれよ!」


 森の中には再び雪が舞い始めていた。水気の多い重たい雪は一人森の中を歩くカシュウの肩を冷たく濡らしていく。こんなことならば雨避けのコートを羽織ってくるべきであった。カシュウは舞い散る雪が顔にかからないように視線を足元に向けながら森の出口へと向かう。しかし……雪の降る森と言うのはなんと静かな世界であろうか。


――いっそオウさんの言葉も雪が掻き消してくれれば良いのに……


 カシュウは、ただ無心になれと自分に言い聞かせ、ひたすら森の出口をめざした。



 しかし、森の出口ももう少しといった所でカシュウは新雪の中に赤い斑点の様な物が点々と続いているのを発見する。


「これは、もしや……。」嫌な予感がした。上から降り積もる雪に消えかかっているが、慌ててその斑点に近づいて見ると、それはまさしく血痕であった。

 狩人かりゅうどが仕留めた獲物の血痕かとも考えたが、血痕と共に続く雪の上の足跡は明らかに人間の物。万が一の場合も考えたカシュウは、すぐに辺りを警戒をしながら周囲を見回す。


 そんなカシュウの背後から一人の男の声が聞こえた。


「おいカシュウ。お前はまた頭に血が登ってるんじゃねぇだろうな。」


 聞き慣れた声がする。振り返れば、そこには昨日から行方が分からなかったセバストの姿があった。しかし今の彼の姿は、木にもたれ掛かるようにしながら脇腹を押さえ、呼吸も少し荒い。そしてその押えられた脇腹からは僅かに赤い血が滲んでいた。


「お前の弟は強いな……まったく嫌になるぜ。警戒していたのにこのザマだ。昨日の試合でもそうだったが……ありゃ恐らく聖痕を授けられてるな。」


「おい。あまり声を出すな。腹をやられたのか?」


「へっ。これくらいで、くたばる様なやわ身体からだかよ。」


 その傷の深さを心配して、思わず近寄ろうとするカシュウを、セバストはそう言ってたしなめた。


「しかし、血が…。」


 セバストの血は止まる様子もなく、滲んで赤く染まった隊服からは、今もなを血がしたたり落ちる。


「まぁな…。ちょっとしたへまをやっちまってな。しかし、それよりもカシュウ。爺さんはどうした?お前、あいつから話を聞いたんだろ。」


 何故セバストは、自分が今まで欧陽と会っていたことを知っているのだろうか……。だがカシュウは先の欧陽との会話以来、頭が混乱して目の前にいる友に何を聞けば良いのかさえ分からなくなっていた。


 そして、そんなカシュウの表情を見て取ったセバストは呆れ返るように言葉を繋げた。


「お前……まさか、本当に途中で耐えられなくなって逃げて来たのか?それじゃ昨日と同じじゃねぇかよ。」


 しかし、本当はカシュウにも分かっていたのだ。確かにセバストの言う通りである。彼は今まさに真実と向き合う事を恐れ、欧陽のもとを逃げ出して来たところなのだから。


――こいつはいつもこうだ。いつだって最後の最後で尻込みをする。


 セバストは、いつもながらのカシュウの意気地の無さに呆れる思いであった。しかし腹の傷もそうだが、今のセバストにはそんな事にかまけている暇は無い。彼にとっては一刻を争う事態が訪れているのだ。


「まぁいい。俺はあの爺さんに用事がある。石碑の前にまだいるんだろ?どうする?もう一度爺さんのところへ戻るか?それとも……。」


 しかしカシュウから返ってくる言葉はない。


「勝手にしろ。俺はお前がもう少しましなやつだと思ってたがな。まったく爺さんも気の毒だぜ。お前とはもう会うこともねえだろうから、ここでお別れだ。」


 セバストにはもうこれ以上道草をする時間は無かった。彼はカシュウの返事を待たず、苛立った様子で立て続けにそう言うと、負傷した脇腹を押さえ振り替えることもなく森の奥へと消えて行った。

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