第3話 欧陽

 御前試合で弟に破れ、同期の仲間といさかいを起こしたその日、同じ新米隊員達と共に闘技場の撤収を終えるとカシュウは特に上からのお咎めも無く、そのまま自分の寄宿舎へと帰ることとなった。


 少々拍子抜けしたカシュウだったが、いっそのこと何かしらの処分を食らったほうがまだ気が楽であったろう。セバストの言葉が気になって仕方がない。彼は心の置き場を失くしていた。


 昼間はちらつく程度だった雪は、日が暮れるとともに次第に本降りとなった。街ゆく人々は、降りしきる雪に身を縮めながら家路へと急ぎ、カシュウもまた肩に積もった雪を手で払いコートのフードを目深にかぶり直すと、多くの商店が立ち並ぶ目抜き通りを足早に通り過ぎて行く。しかし、彼の足は何故か自分の寄宿舎とは正反対の方向へと向いていた。


 カシュウはセバストが去り際に彼に伝えた言葉の真偽をもう一度確かめたい一心で、居ても立っても居られずにセバストの下宿へとその足を向けていたのである。


――恐らくセバストは俺を庇う為に敢えて俺に突っ掛ってきたに違いない。


 時が経ち頭の冷えたカシュウは、ようやくその考えに至ったが、それでも心の動揺だけはどうしても抑えきれずにいた。

 カシュウには、セバストが耳元で囁いたあの時の口調がとても嘘を言っているようには思えなかったのだ。自分が団長の実の子供ではなかったなどとセバストの狂言であって欲しいと願いながらも、心の奥底はで今まで感じてきた父親に対するの様なものがカシュウの心をひたすらかき乱すのだ。



 いつの間にか降り積もっていた雪は辺りの音を吸い取って、街は静寂と闇が支配する世界へと変わっていった。


 この王都は、神への信仰と人々を支配する秩序が重苦しくのしかかった都市である。この王都に住む人々は何よりも変化を恐れ序列でもって長い間その変化をはばんできた。そして時に行き過ぎた者達は髪や肌の色にまでその序列を押し付けようとする。


 出る杭は打たれ、変化を求める者は街を追われる。この都市はそれを何百年と繰り返してきた。全ては神が定めたこの国の姿を永遠に維持する為に。


 この王都とはそのような文化の一切花開かない都市であった。

 

 この都市では商店が立ち並ぶ大通りといえども、日が暮れると間もなく店は閉じられる。街灯などはもちろん無く夜行のランプを持たないカシュウは、静寂と暗闇の中で沿道に立ち並ぶ家々から微かに漏れるわずかな明かりを頼りにしてセバストの下宿へとたどり着いた。

 この街の建物はいずれも重厚で格式高い。たとえそれが下宿屋の建物であってもその古く大きな扉は前に立つ者に気の遠くなる様な歴史感じさせるのである。


 カシュウが下宿屋の大きな扉を叩くと、しばらくして中からこの下宿屋の主人が訝しげに顔を出してきた。しかし彼は騎士団の隊服を着込んだカシュウの姿を見ると途端に態度を改めて、うやうやしい態度でカシュウを建物の中へと招き入れた。


「セバスト様なら、昼過ぎに一度こちらにお戻りになられましたが、それからまたすぐにお出掛けになられましたよ。恐らくはまだ戻ってきてはいないと思うのですが……」


 そう言いながらも主人はカシュウを2階のセバストの部屋の前まで案内する。


「おいセバスト。カシュウだ。いないのか?」


 カシュウは何度か部屋の扉をノックしながらそう叫んで見たが、やはり主人の言うようにセバストはこの部屋に戻ってきてはいなかった。

 思い起こしてみれば試合終了後の撤収の際にもセバストは姿を見せなかった。一体あれから何処に行っているのだろうか。カシュウがなんともやりきれない気持ちで下宿屋を後にしようとしたその時だった。玄関ホールの片隅にカシュウは見知った男の姿を発見した。その口髭が特徴的な年老いた男はなにやら知人の男性と話し込んでいる様子でカシュウの姿にはまだ気付いていない。


 男の名前は欧陽オウヨウと言い、この王都では珍しい漢字名の南方出身の男である。カシュウが幼い頃より騎士団付きの使用人として雇われており、騎士団の中で育ってきたカシュウは彼のことを、「オウさんオウさん。」と呼んでは付きまとい祖父のように慕っていた。


「オウさん。なんでこんな所に。」


「カ、カシュウ様こそ何故このような場所にお出でなのですか。」


 カシュウに突然声をかけられた欧陽は、驚きを隠せない様子で思わず声を詰まらせた。しかしその顔付きは普段見慣れた優しく穏やかな表情では無く、見るからに緊張感を漂わせている。それはカシュウが一瞬別人ではないかと躊躇ためらったほどであった。


「もしかして、セバスト殿に会いにいらしたのですか?それならば今はおよしなさい。」


 何かを察したようにそう言葉をつなげた欧陽の表情は依然として固いままである。欧陽は話し相手との会話を切り上げ、カシュウのもとに駆け寄るとその背中を押し出すようにして玄関の扉へと向かった。


「ちょ、ちょっと待ってくれオウさん。あんたは何かを知っているのか?」


 欧陽の手によって開かれた扉からは強い風と共に雪が舞い込んでくる。


「申し訳ございません。今この場所で詳しく貴方にお話することは出来ません。明日の早朝に西門を出た無銘むめいの石碑の前でお待ちします。なんとか今日はこらえてこのままお帰りくださいまし。」


 いつもと異なる欧陽の様子に、訳もわからないまま強引に建物の外へと連れ出されたカシュウ。降りしきる雪はそんな2人の会話をかき消していく。


「明日、石碑の前で、貴方が今最も知りたい事をお伝え致します。貴方の出生についても。」


 そう言った欧陽の言葉もまた、すぐに雪に吸い込まれていった。

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