第2話 白い目

 弟に負けたこと、自分はもう騎士団に必要無いと言われた事。心の整理もつかないまま、カシュウはただ呆然ぼうぜんと騎士団の控室へと向かっていた。冷たい石造りの通路ですれ違った何人かの騎士団員達も、そんな腑抜けた姿のカシュウに対して声をかける者などは誰もいない。それどころか肩を落とすカシュウに対して、騎士団の仲間は揃って冷ややかな視線を送っていた。


 仲間が国王陛下の御前にあって明らかに格下の相手にあの様な無様な負け方をしたのである。誇り高き騎士団の隊員達にとってそれは耐え難い恥であった。


「まったく騎士団の面汚しだ。」


 どこからか聞こえてくるカシュウをさげすむ声。そして押し殺した笑い声もまた彼に向けられたものだった。


 通路に溢れ出ていた隊員達の突き刺さるような視線に気づかないふりをしながらカシュウは騎士達の控室の扉を開ける。隊員達の声が扉越しにもわかるほど賑やかに漏れ聞こえていた控室は、カシュウが扉を開ける音と共に、にわかに静まりかえった。百人は入るかという広々とした部屋に詰めていた騎士達が皆一様に部屋に入ってきたカシュウの姿をじっと目で追っている。ただ、誰一人として彼に直接話しかける者は居ない。遠巻きに押し殺した話し声がボソボソと聞こえるのみである。


 カシュウは部屋の片隅の誰もいない簡素な木のテーブルを選び、黙ったまま身仕度を始めた。自らの敗北が招いた結果であったが、カシュウにも自尊心と言う物がある。彼はもうこれ以上、侮蔑ぶべつの視線に晒されながらこの場所に留まることが出来なかった。そして、カシュウはとうとう我慢出来ずに急いで背囊はいのうへ荷物を詰め込むと逃げ出すように部屋の扉へと向かった。


「おい。帰還命令も出ていないのに帰るのかよ。団長の息子だからっていい気になりやがって。自分は命令を無視しても許されるってか?」


 部屋から逃げ出そうとするカシュウをそんなけんのある言葉で呼び止めた男がいる。彼はカシュウと同じ年に騎士団に入団した同期のセバストであった。

 しかしカシュウは仲間の言葉すら気づかないふりをして押し黙ったまま、まとめた荷物を肩にかけ控室の扉に向かって行く。


「シカトするんじゃねぇ。皆んなのつらを見て気が付かないのかよ。黙ってるんじゃなくて、まずお前は俺達に言うことがあるだろうが。」


 セバストの言葉は団員の多くが感じていたことであったが、騎士団長の息子という彼の特殊な立場を気にして誰もそれを言わないだけであった。しかし既に冷静さを欠いているカシュウはその言葉の意味さえわからない。なおも黙り続けるカシュウに、セバストの声は次第に厳しいものへと変わっていく。


「情けねぇな。いつまでも黙ってるんじゃねぇよ!無様な試合で騎士団の名を下げたんだ。皆んなに頭を下げろって言ってんのが分かんねぇのか。それともなにか?俺たちに下げる頭はねえってか?お坊ちゃんよ!」


 その時、カシュウの表情が一変した。セバストはカシュウが「お坊ちゃん」と呼ばれるのを嫌うことをよく知っていた。だからこそ敢えてそう呼んだのだ。


 今までこぶしを握りしめひたすら黙って耐えていたカシュウだったがセバストの「お坊ちゃん」と言う言葉を聞いた瞬間、一気に頭に血が登った。カシュウは持っていた荷物を床へと放り出し、セバストに駆け寄るやいなやその胸ぐらを掴む。そしてそのままそばにあった木のテーブルへとセバストを押し付けた。


「おい。セバスト。お前は俺に喧嘩を売っているのか!」


 頭に血が登っているカシュウは怒りの形相でそう言うと、なおもセバストの体ををテーブルに押し付ける。

 しかし怒りで周りが見えなくなっているカシュウに比べ、胸ぐらを掴まれ押さえつけられているセバストは、テーブルに押し付けられた衝撃で、その口元から血を流しているにも関わらず至って冷静であった。部屋に、詰めていた隊員達も、突然起こった騒動に何事かと2人の周りへと集まって来ている。セバストはそんな周りの野次馬達を意識しながら、口元に不敵な笑みを浮かべてもう一度カシュウが忌み嫌う呼び名を口にした。


「あぁ、売ってるぜ。騎士団長の息子、カシュウお坊ちゃんにな。」


「クソッ皆んなで俺を馬鹿にしやがって!」


 激情したカシュウがその腕をセバストに向かって振り上げる。


 しかしその腕は振り下ろされることは無かった。振り上げられたカシュウの腕は年長者の隊員に背後から掴まれてそれ以上動かす事が出来ない。


「隊務中の私闘は規律違反だ。それ以上は止めておけ。」


 上司の仲裁によって勢いを削がれたカシュウは仕方なくその振り上げた腕の力を緩めた。騎士団にとって規律は絶対である。もしこのままセバストを殴ってしまっていれば最悪の場合、除隊も免れ無かったかもしれない。


 一方、開放されたセバストは口元の血を袖で拭きながら押し付けられていたテーブルから起き上がった。


「残念だったなカシュウ。だがな、今日で潮目が変わったぜ。お前も身の振り方を考える事だな。」


 立ち上がるなりそう言ったセバストは何食わぬ顔でカシュウの横を通り抜けていく。しかしそのすれ違いざまにカシュウの耳元でセバストの小さな声が聞こえた。


 ――気をつけろ。お前は団長の本当の息子じゃない。母親の連れ子だ。皆んな知っている。それを理解して行動するんだ。わかったな。


 それは、母親が子供を静かに叱りつける時のような、押し殺した小さな声だった。セバストはそう言い終えると、この件には全く興味を失ったかのようにカシュウの横を通り抜け、部屋から先に出て行ってしまった。


 ――俺が団長の息子では無い……


 一気に頭が冷え、あとに残されたカシュウは、周りの冷ややかな目線も忘れて、ただひたすらセバストの言葉を頭の中で繰り返していた。


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