番外編 怪談ライター見習い、最初の事件(第三話)
「ここがその劇場ですか」
米田先輩は劇団"言葉"が幽霊騒ぎによって直前でキャンセルした劇場の中を見回して言った。
キャンセルはしたものの、急に他の公演ができるわけでもなく、他に借り手もつかないので今週いっぱいはこの小劇場自体は"言葉"が借りている状態ということだった。
「意外と狭いっすね」
俺は思っていたよりも狭いことに驚いた。最近、改装したばかりの小綺麗で小さなビルがその劇場で一階が待合、二階が劇場、三階が楽屋兼倉庫ということになっているらしい。
「キャパは七十くらいで、ぎゅうぎゅうに詰め込んでも百は入らないくらいです」
「へぇ」
「ここの劇場ってこれまでも心霊現象とか起こったとかって話はありますか?」
「いえ……私はまだ一年なので聞いたことないですが、どこの劇場もそういった話はあるみたいです」
「そうですか。多分なんですけど照明の関係でそういう錯覚が起きたとかだとは思うんですよね、再現できればみんな納得して落ち着くと思います。もし本当の心霊現象だったとしても過去の話を調べれば出てくると思います。それをみんなに言えばここの劇場を今後使わないってことで他の劇場で公演再開できますよね」
「そうですかね」
「そうですよ!」
米田先輩は何も言わずに俺のことを一瞥した後、今は何も置かれていない客席スペースを腕を組んで歩き回っていた。
そして立ち止まったかと思うと橘さんに声をかける。
「橘さん」
「はい、なんでしょう?」
「中止になった公演の台本って読めますか?」
「あぁ、はい。あります。データでいいですか?」
「えぇ」
二人は連絡先を交換すると、先輩はパイプ椅子を一つ組み立て、そこに座って台本を読み始めた。
「恋愛物なんですね」
「はい、高校時代の彼女を田舎に置いて……というか捨てて一人で上京してくるんですけど、彼女の方は彼をずっと待ってるっていうけっこうリアルというか東京の大学生にはよくある話です」
「へぇ、面白そうですね」
「先輩はそこで読んでてください。その間に俺が解決しときますよ」
「あぁ、そう」
きっと先輩は今回は余計な手出しをせず、俺に任せてくれているのだ。
その期待に応えたい。
「じゃあ、まずはその幽霊が出た時に照明がどんな感じだったか同じようにやってみてもらえますか?」
「わかりました」
橘さんに照明を当ててもらい、ステージに立ってみる。
下から観ているよりも実際に立つとステージはずっと広く感じた。
とはいえ、決して舞台全体が把握できないというほどではない。
この距離感で明らかに違和感があれば恐ろしいはずだ。
「照明点けます!」
客席の明かりが落とされ、先輩のスマホの光だけが迷子の蛍のように浮かんでいるが、それ以外は真っ暗だ。
そして舞台上が明るく照らされる。
昼間のシーンなのだろう。まったく変な影ができたり、何か見間違えるようなことはなさそうだ。
俺が照明ブースに入り、彼女に主演女優の立ち位置に立ってもらったがそれでも特に不自然な点はない。
「照明の目の錯覚、って感じではないですね」
「そうなんですよ」
彼女も同意する。
「うーん。次はこの劇場で昔人が死んだとか、何か心霊現象が頻発してたとかそういう噂を調べますか」
「調べきれますかね?」
「なんとかなります!」
俺が胸を張ってそう言った時――。
「ちょっといいかな?」
先輩が暗闇から俺と橘さん、どちらに向けたのかわからない声を発した。
「なんすか?」
「お前じゃない」
二択を間違えたらしい。
「あ、私ですか?」
「えぇ、この脚本書いたのは演出家と同じ人ですか?」
「はい、うちのサークルは基本的には脚本と演出は同じ人間がやることが多いですね。たまに卒業しちゃった先輩の台本使う時とかは演出家が別で立ったりしますけど。今回は三年の先輩が脚本と演出兼ねてます」
「その人に連絡できますか? できれば電話で」
「はい……たぶん、大丈夫だと思います」
橘さんは客席の明かりを点けると、照明ブースから客席に降りてくる。
俺もステージから飛び降り、彼女と自分の分のパイプ椅子を組み立て、三人を頂点とした正三角形になるように配置する。
「彼が電話に出たら今の状況を説明して、僕に代わってください。スピーカーモードで」
橘さんの電話に脚本家はすぐに出た。
彼女はかくかくしかじかでと怪談作家の先輩に今回の件の相談をしたところ、直接話したいと言っていると経緯を説明し、脚本家は少し渋る様子ではあったがその場に米田先輩がいると知ると直接話すことを承諾した。
挨拶だけすると、先輩はいきなりとんでもないことを言った。
「この芝居のモデルにした彼女は生きてるんですか?」
電話の向こうから絶句する気配を感じる。
橘さんも俺も同様だ。
「まぁ、どちらでもいい……というと語弊はあるんですが、心当たりがあるなら劇団員に黙ってないで、きっと自分が恨まれていてこんなことになった。生きているなら謝罪に、亡くなっているなら墓参りに行って、お祓いに行く。そして一言すまなかったと言うべきでしょう。こちらが見当違いなことを言っていたら……申し訳ありません」
しばらく経ち、電話口からか細い蚊の鳴くような声が聞こえてくる。
橘さんがスピーカー音量を最大にしていいたのに耳を澄ませてギリギリ聞こえるかどうかといったところだ。
「彼女が会ってくれるかどうか……」
「会ってくれるんじゃないですか。こうして怒りに来てるわけですし」
「そうですね」
「芝居のモデルにして美談にしたかったのか、綺麗な思い出にしたかったのかはわからないですが、結構こういう怪談ってよくあるんですよ。本当の心霊現象かもしれないし、あなたの必死さにあてられた集団催眠のようなものかはわからないですが。劇場という場所がそもそもオカルト現象を起こしやすいというのもありますけど……場所や照明のせいにしていても解決しないですね、やっぱり。人の思いに正面から真摯に向き合うのが大事だと思いますよ」
「はい……」
「説教くさいことを言ってしまって申し訳ありません。でも、多分それでサークルのみんなは落ち着くんじゃないですかね」
先輩のこの言葉に俺ははっとした。
きっとこれは俺に向けても言っているのだろう。
俺はこの幽霊――生霊か――の彼女がどうしてここに現れたのか、ここで芝居をしていたのがどんな人たちだったのか、そういったことと向き合わずに表面的なことばかりを見て先輩の真似事ができていると思い込んでいた。
本当に俺は馬鹿だ。
だから、瑠華ちゃんも離れていってしまうんだ。
この件はこれで解決ということになった。
橘さんとは劇場の前で別れ、俺と先輩は学食で早めの夕食を摂ることにして移動する。
俺はカツカレーの大盛、先輩は定食A――なんでも先輩が言うには栄養面で一番コスパがいいらしい――を注文し、窓際のテーブル席で向かい合って座った。
「米田さん、よくわかりましたね。幽霊が脚本家の元カノの生霊だって」
「別にわかってないし、適当に言っただけだよ」
「でも当たってましたよ」
「たまたまね。それにあれが実話だってのが当たっただけで幽霊が生霊かどうかなんて確かめようがない」
先輩はこともなげに言うが、本当にすごいと思う。
「なんで実話を基にしたって思ったんですか?」
「実話怪談の取材ずっとやってきたからね。なんとなくそうかなって感じるもんだよ。それにそこはどうでもいいんだ。彼らになにかしら次に進むためのきっかけをあげられれば。それがちゃんと脚本家の彼が彼女と向き合うことだと思った」
「俺、そんなこと全然思いつかなかったです」
「山城は少しだけ――逃げ癖があるからね。一番わかりやすいものや真正面にあるものを見逃すことがあるのかもしれない。ま、嫌でもそのうち向き合うようになるよ」
「そうですかね……いや、そうですね。そうできるようにします」
俺は帰り道、一つ決めたことがある――。
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