第23話 後輩の彼女

 私は家路につく。あたりは暗くなるが都会の暗さは、明るい。

 東京の道はやはり明るい上に煩い。自らの吐息と心音に雑音が混じって、考え事に集中できない。

 二時間ほどもうろうろと遠回りをしたが、結局は自分もその乃亜なのかそうでないのかわからない化け物を呼んでみるしかないのかもしれない。

それ以外には何も思いつかなった。

 怪談にはまったく何の共通点もなく、全国各地で同じ現象が起こることもあれば、特定の場所で特定の条件下で起こるものもある。

 今回は再現性がある。科学的な事象かもしれない。科学的に解明することはできなくても限りなく条件を近づけることはできる。


 ――帰るか。


 私は自宅アパートの前に誰かが座り込んでいることに気づく。


「ん?」


 電灯の下に女性が座り込んでいる。

 夕闇の中にぽっかりと沈む深夜のような黒髪。

 乃亜よりも幽霊に近いその姿には見覚えがあった。


「どうしたの?」


 私は古川瑠華に声をかける。


「あの、山城君から聞いてませんか?」彼女は立ち上がりながら言った。

「幽霊見たって話?」

「そうです」

「うーん、近くに喫茶店があるからそこで話そう」

「……はい」


 私が歩き出すと、彼女が隣に並ぶ。

 彼女の「はい」には幻滅がぶら下がっていた。



 私と古川は深夜まで営業している近所の喫茶店で向かい合って座った。

 山城と初めて会った店は二十時に閉店してしまうため使えない。


「すみません、無断で家まで押しかけてしまって」

「いや……それはいいけど。山城に場所聞いたの?」

「そうです。大学の帰りになんとなく先輩の家の前通ろうって流れになって、その時に覚えました」

「なるほど。まぁ、住所聞いたりはしないか。山城も場所はわかっても住所までは言えないだろうし」

「私、米田先輩に話聞いてほしくて……」

「うん」

「見てしまったら、家が燃やされたり、殺されたりするっていう怪談の女の子見たんです。山城君の時みたいに私のことも助けてほしくて……」


 彼女と私の視線が絡み合う。

 だが、その意図するところは違うのだろう。

 彼女は烏羽玉の黒髪を肩にかけ、ブラックのまま珈琲を啜った。

 切れ長の目に睫毛がかかる。長くて濃い睫毛はカーテンのようだと思った。


「助ける……か」

「なんだか歯切れが悪いですね」


 私はこのまま彼女の怪談話を聞くべきかどうか迷っていた。

 それよりも本当の目的を問いただした方がいいのではないだろうか……。


 ――可哀想だが、仕方ない。


「どうしたの? 山城と喧嘩でもしたの?」


 すっと彼女の笑みが淫靡なものに変わる。


「どうしてですか? 山城君とは仲良しですよ」


 平然と言う彼女に不気味なものを感じつつも、それは恐怖の一歩手前だ。


「山城と別れたのかと思ったよ。うちに来ることはあいつには相談してないだろ?」

「言ったら大変ですからね」

「そうだろうね。まぁでもあいつ純粋だからな。君が怪異を見たって信じてるみたいだったよ」

「先輩は信じてくれないんですか?」

「まぁ……難しいよね」


 彼女は嘘を吐いている。

 噂になっている怪異は失恋した男の未練なのか、女の嫉妬なのか、呼び寄せるスイッチになるのは少なくとも投稿も経験談も、別れた相手への感情だった。

 だが、古川にはそれがない。

 となると、怪談を口実に私に会いに来ただけだろう。


「やっぱりプロには嘘ってバレちゃうものなんですね。山城君なんてすぐに信じてくれたのに。先輩に相談しようとか、お祓いに行こうとか大騒ぎでしたよ」


 彼女は嫣然と微笑む。


 ――不思議な子だな。


 山城の実家に行った後は特に会うこともなかったし、彼女の名前をフルネームで覚えていないような私に執着する理由はなんだろう。


「そうだね。やっぱり創作怪談じゃなくて実話怪談の蒐集してるとなんとなく盛ってるなーとか嘘だなーっていうのはわかってくるよ」

「けっこう芝居上手かったと思うんですけどね」

「今回は上手い下手じゃなくて、その怪異を見るに至るまでの条件を君が満たしてないからってだけだよ。今流行ってるのじゃなくて、全然知らないタイプの怪異見たって相談だったら騙されてたかもね」

「なるほどぉ。次からの参考にしますね」

「次はもうないよ」

「でも、本当に怖い目に遭うかもしれないじゃないですか」

「僕はただの怪談雑誌のライターで霊能者でもなんでもないんだよ。どうも山城も君も履き違えてるようだけどさ」

「でも、山城君のことは助けましたよね」

「結果的にそうなっただけだよ」

「なんだ。山城君の時みたいに怪談を口実にすればうちに泊まりにきてもらったり、泊めてもらったりできるんじゃないかって思ってましたよ」

「ははは。今までに体験者の家まで取材に行ったのは山城の時だけだよ」

「意外と真面目なんですね」

「どうだろうね。真面目だったら留年とかせずにちゃんと就職してるよ。ところで、なんで僕だったの? 山城の実家に行ったときもそんなに二人きりで話したりしなかったろ。きっかけがよくわからないんだけど」

「それこそオカルトですよね。私が聞きたいくらいです。山城君って彼氏がいながら、どうしても米田さんのことが気になって……いつの間にか好きになってました」

「そっか」


 私はこういうときの対処法を知らない。


「ただ……山城君と先輩と一緒に旅行して、彼の実家まで行ってみて……なんだか、彼のことが頼りないなって、ちょっと幻滅したのは確かです」

「あんな田舎まで新幹線じゃなくてレンタカーだったしね」


 冗談めかしたことを言ってみる。

 彼女も破顔し、声が和らぐ。


「本当ですよ。新幹線使ったとしても、あの山奥までは行くの大変なのに。結婚したら、あそこが実家になるのはちょっと嫌だなぁって。あんなに憧れてたフィールドワークも実際に行ってみると辛くて。行ったことでいろんなことがわかったのは良かったと思うんですけどね」

「僕と山城は同郷だからね、言っとくけど」


 ――まぁ、新幹線使えば四時間強で実家には着くから、同じ県とはいえ山城の実家よりははるかに楽なんだけどさ。


「やっぱり、田舎もいいですよね」

「もう遅いよ」


 私たちは夜の喫茶店で小さく笑いあった。

 そして、彼女の手が誘蛾灯に惹かれるかのように私に向かって伸びる。

 腫物に触るように、そっと私の手の甲に触れる。


「今回のこと、ごめんなさい。嘘を吐いて気を引こうとしました」

「うん」

「でも、諦めません」

「え?」


 彼女が言わんとすることが一瞬理解できず、言葉が出てこない。


「私、今日話してみて思ったんです。やっぱり米田先輩のことが好きです。山城君とは別れます」

「別に山城と別れたからって、付き合わないし、君のことを好きになるかもわからないよ」

「でも、先輩って彼女いないですよね?」


 ――彼女の中からも乃亜は綺麗さっぱりいなくなってしまったのか。


 乃亜と古川が親しく話していた姿を思い出して、胸の奥にさざ波が走る。


「いない……かな」


 そう、恋人はいない。

 いないのだが……。


 古川の背中越しのガラス窓から覗かれているような、乃亜が私を見守り、見張っているような。そんな気がしてならない。

 夜になると乃亜の気配が濃くなっていくように思える。


「じゃあ、まだチャンスはありますね」

「どうだろうね。僕にもわからない」

「大丈夫です。私、結構しつこいんで。それに付き合えなくても恨んだりしないので心配しないでください」

「ははは。まぁ、あんまり期待はしない方がいい。あと、僕なんかより山城の方がずっといい男だよ。これは確かだから。まぁ、じっくり考えてみるといい。たまたま身近にいた年上の男がいいような気がしてるだけだと思うな」

「そんなことないですけど、この話は平行線になりそうなので、今日はここまでにしましょう」


 私が二人分の珈琲代を払い――後日、経費で落とすのだが――、彼女を駅まで送っていった。

 その間、私たちは仲の良い先輩後輩であり、後期の単位やサークルのことなど他愛もない話をした。

 再び家への道程で私は決意した。

 噂の怪異が乃亜なのか、そうでないのかはわからない。

 だが、怪異でもいい。


 ――会いたい。



 深夜二時。

 駅前は酔いつぶれた学生たちで溢れかえっているが、大学寄りの私のアパート近辺はようやく東京らしさが鳴りを潜め始めた。

 おそらく東京であることを意識せずにいられるのは二時からせいぜい四時までだろう。

 私はスマートフォンの音声認識AIを呼び出す。


 ――消えてしまった彼女に会いたい。


 単語を変えながら、何パターンも囁く。

 すると、数十回目でスマートフォンが反応しなくなった。

 一瞬、画面の向こうから女に覗き込まれたような気がした。

 だが、スマートフォンを手放さず、握りしめる。

 都市伝説が真実であり、成功したという確信があった。


 ――来い、乃亜。


 私はここ最近ずっと視線のようなものを感じてきた。

 それは気のせいだったのか、乃亜への執着による錯覚だったのか。

 だが、これで近づいてくるだろう。

 

 私は山城の実家から戻ってきて、爆発的に広がった怪談は乃亜の怒りのようなものではないかと考えていた。

 怪談として広まれば私に自分の存在を強く認識させることができる。

 そして違う男に呼び出されたことに腹を立て、危害を加えているのではないかと。

 そんなことしなくても愛している、忘れないと伝えるのだ。

 一緒にいるときから好きだった。

 離れ離れになってからも好きになった。

 一緒にいないのにだ。

 オカルトチックだと思う。

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