第22話 もう一つの赤い服の女の怪談

 古川の話を聞く前に私は投稿者から情報を集めることにした。

 投稿者の三人は全員が都内在住ということだったが、そのうち二人は実際のところ身近に体験者がいたわけではなく、あくまで噂を聞いただけということだった。

 メールに書いてあった以上に得られるものはなかった。

 だが、残りの一人はむしろ向こうから私に会って話したいと申し出てくれ、私は情報提供者と喫茶店で顔を合わせ、話を聞いた。


 今回の情報提供者は三十歳手前のサラリーマンで地方の国立大学を卒業後、東京で就職したという。


「改めまして、米田学と申します」


 私は名刺を渡して、自己紹介をする。

 濃紺のスーツを纏う駅員のような風体の彼は自身の名刺を差し出すことはなく、偽名だろうと思われる日本で二番目に多い苗字だけを口にした。

 不審に思ってというより、あまり関係を深め過ぎないようにしているといった感じで、私に対して失礼な態度をとるというわけでもなかったので、特に何かを言うことはなかった。


 ――話が聞ければそれでいいしな。


 いつもの喫茶店ではなく、彼の職場の最寄りの指定の店だったため、どうにも居心地が悪い。

 店内に流れる音楽は流行りのJPOPで、木製の椅子も洒落てはいるが冷たくどうにも尻がしっくりこない。

 だが、彼が話し始めると仕事柄か、身体の余計な感覚が消え、聴力が研ぎ澄まされる。


 彼には結婚を考える恋人がいた。

 だが、ある日彼女が姿を消してしまう。

 周囲の人間はそもそも恋人がいたことすら知らないと言い、自分の中でも夢のように思えてくる。

 だんだん彼女のことを忘れかけていたその時、視界の端に彼女の影がちらつくようになる。

 しかし、捉えることはできない。

 その影に焦点が合わないのだという。

 なんとなく、ボブカットで赤い服ということ、そして顔も思い出せないがなんとなく彼女の雰囲気に近い気がする。

 ストレスが徐々に溜まっていく。

 病気か過労で幻覚のようなものを見ているのではないか。

 自分には恋人がいたが、その失恋のショックがあまりにも大きく、脳が彼女の存在を消そうとしたが上手くいっていない。そう考えると最近の出来事のすべてに説明がつく。

 なんとか自分を納得させ、日常生活に戻ろうと努力をする。

このままの状態が続くようであれば、病院にかかることも検討しなければならない。

 仕事にはとっくに支障が出ている。電話に出られない。会議で大事な話を聞き逃す。期日に書類が提出できないなど、今年度の査定は期待できない。

 同期の中で役職が付いていない人間の方が少数派になりつつあり、そろそろ上に上がりたいと思っていたのに、こんなわけのわからない理由で出世が遠のくのは耐え難かった。

 ところが……女の影がだんだん近づいてくるのがわかるのだ。

 視界の端に一瞬映り込む程度だったものが徐々に徐々に大きく、近くなってくる。

 病院に行くかどうか、まごまごと決心できずに憔悴しきっていたある日、書店で怪談本が目に留まったという。

 普段は決して手に取ったりはしないが、この時はなぜかパラパラとページを捲ってしまった。

 ふと、一つの怪談が目に留まる。

 それは、身近な人間が何やら明確な意思をもって、急に消え、周囲の人間が気にしないというものだった。

 自分の経験とは多少異なるが――消えた後に視界に入り込んでくるという点で――解決方法までたどり着いた人もいるのではないかと、実話怪談の本を読み漁り、ネット上でまことしやかに囁かれる都市伝説を追った。

 それなりに時間をかけて探したが、まったく同じ経験をしたという人間はいかなった。

 そうこうしているうちにも女の影はどんどん近づいてくる。

 もはや日常生活はまともに送れないレベルになっていた。

 こうして他人と会っているときは姿を現さないが、一人になるともう息がかかるほどの距離に感じるのだという。

 彼は限界を感じていた。

畢竟、たどり着いたのが私――米田学というわけだ。

 この手の怪談にはたまにふらりと戻ってくるパターンもあるが、怪異となって見守る――見守っているのかはわからないが――というのはほぼない。

 昔話には鳥になって見守るだのというオチの場合もあるが、それはただそんな気がするという以上のものではないだろう。

 

 病院に行こうかと思っていたところ、玄関からふと何かが玄関の前にいるような気がして、インターフォンのカメラを点ける。

 画面には目が映っていた。

 はっきりと。

 こちらを見つめている。

 焦点など合うはずのない距離。

 だが、見ている。

 目が合っている。

 これは自分がおかしいからではない。

 いてもたってもいられなくなり、『怪奇世界』の公式サイトの投稿ボタンを押すことにしたのだった。


「なるほど」

「信じてもらえますか?」彼は言った。

「信じます」

 基本的に明らかな悪戯でない限り、私は信じる。

 それが勘違いや、投稿者が騙されている可能性もあるが、本人は実際に体験した――と思っている――のだし、体験談を聞いたのは確かなのだ。


 ――掲載するかどうかの判断は本当かどうかじゃないし。


「私はどうしたらいいんでしょうね」


 それは独り言のようにも、私に尋ねているようにも聞こえた。

 両方だったのかもしれない。

 私は霊能者ではない。

 ただのライターだ。

 取材をしているだけだ。

 だが……このまま金券を渡して帰らせるのは忍びないと思い、役立つかどうかはわからないが、と前置きをした上でのアドバイスを送る。


 まずは病院に行くことを勧め、次に矢田部編集長から何か本当にヤバい案件に首を突っ込んでしまった時に相談するよう紹介してもらっていた霊能者の連絡先を教えた。

 そして、以前にその霊能者に取材を行った際に聞いた簡単な盛り塩結界の作り方を教える。

もう家まで怪異が迫ってきた以上、手遅れかもしれないし、むしろ家の中に霊を留めてしまうリスクもあるが、何もしないよりはマシだろう。

 私自身は霊自体はあまり信じておらず、塩を撒いたりしたことはない。ということまではあえて言わなかったが、塩についても効果の有無、盛り方、食塩・粗塩のどちらを使うかはじめ、複数の説があり、自分が紹介するのはあくまで会社が懇意にしている霊能者が言っている方法だということは伝えた。

 彼はちょっとでも効いたら儲けもんだと微笑んだ。


「ところで……その赤い女が現れる前に、SiriやスマホのAIに何か質問をしませんでしたか?」

「質問……はしてない」

「……」


 彼の言葉を待つ。

 質問は。ということは、質問ではないものはしているのだろう。


「〝消えた彼女に会いたい〟と言った……と思う」

「何か返答はありましたか?」

「いや。最初から応えられると思っていたわけでもないし。AIも〝死んだ〟と言われれば、何か頓智が利いたものや、宗教的な返答ができたかもしれないが、 消えたと言われると、向こうから追加で質問しないと答えようもないだろうしな。それに独り言のように呟いただけでそもそもAIも反応していなかったような気がする」

「なるほど。そうですか」


 そして、我々は別れた。

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