第21話 彼女からの手紙

 杉本さんとの会話が途絶え、お互いに無言で仕事を続けること一時間。

 彼女がまたぽつりと言った。


「そういえば最近、流行ってる怪談あるよね。私、友達とかいないんだけど、外歩いてるだけで二回も聞いたくらいだから」


 私のような仕事をしていると、数パターンの怪談が常に流行っていると認識している状態にあるので、ピンとはきていない。

 あと、なんとなく察してはいたが友達がいないという情報は聞きたくなかった。

 高校卒業した時からなのか、火傷を負ってからなのかはわからないが、彼女の周りからは人はいなくなってしまったのだろう。


「流行ってる怪談ですか。どんなのですか?」

「Siriってあるでしょ。スマホの音声アシストの。あれに何か決まった質問をすると何も答えてくれないんだけど、ふと気づくとおかっぱで赤い服着た女の子がじっと自分の家の方を見てるんだって。ストーカーか何かかと思って声をかけようとするとふっとどこかに消えちゃう。ある日、窓にべたっと手をついて家の中を覗き込んでいて……目が合うと、その家が燃えちゃうって」

「結構、キツめの怪談ですね」


 怪談の中には怪異が人間に危害を加えるものもある。


「私なんて実際に家燃えたことあるしね。リアルに感じて余計怖いよね」

「そうですよね……」

「今のは冗談よ」

「わかりにくいですし、そういう冗談は笑えないのでやめてください」

「ごめんなさいね。今日はちょっと仲良くなれた気がしたから、ちょっと口が滑っちゃった」

「仲良くなれたと僕も思いますけど、気は遣うじゃないですか」


 私たちは曖昧な表情を浮かべながら、互いの仕事に戻る。

 私は気になって、ふと投稿フォームから送られてきたメールを確認すると、その中に三通似たような内容のものがあった。

 家が燃えるパターンは一つだったが、そのどれもがおかっぱ――もしくはボブカット――の赤い服の女に何かしら危害を加えられるという内容だった。

 かつて山城の家から見た乃亜のことを思い出す。

 この怪談が乃亜に関係あるかはわからないが、私はこの怪談のことがどうにも気になってしまい、調べてみることに決めるのだった。


     *


 投稿者に詳しい話――誰から聞いたのか、場所や時期など――を直接でもメールでも構わないので聞きたいと返事を出して、帰宅する。

 季節はすっかり秋だ。

 北向きの私の部屋は地下のガレージ――大家の車とバイクが停めてある――に、熱を吸い取られ、冬を先取りしている。

 ポストに突っ込まれている郵便物を掴んで、ベッドの上で一つずつ開けていく。

 DMや振込用紙の中に一つ、違和感を覚える便せんがあった。

 差出人は「佐倉乃亜」。

 旅行に行く前に投函されたものだった。

 もはや山城も古川も乃亜の話題は一切出さない。それは行方不明になったからではなく、最初から乃亜のことなど知らないかのように。

 どんどんこの世とのつながりが薄れていく中で、手紙はきちんと届くのかと思うと、なぜだか笑いがこみあげてきた。

 それとも私があちら側に行っていなければ、この手紙をDMと一緒に捨ててしまっていたのだろうか。

 とにかく、私の表情は彼女の意思を知る機会を得たことで、きっと喜色を滲ませているのだろう。鏡を見なくてもわかる。

 ベッドに腰かけ、数枚に渡る手紙を読み始めた。


 乃亜の手紙は、自らが存在したのだということを声高に叫ぶかのような内容だった。


 乃亜曰く、彼女は自身の父親と母親が置いて姿を消したことを恨んではいなかったという。

 両親が消えたということは認識していても、この世界とのかかわりを断ち切った彼らについての感情は曖昧で、悲しかったということは記憶していても、実感が沸かない。

 では、なぜ彼女は両親の後を追うかのように異界へ行くことに執着したのか?

 私は薄暗くなって、文字が読みにくくなってきたので電灯を点ける。

 再び手紙に視線を落とすと、今になって乃亜の字が気になってくる。


 ――こいつ、めちゃくちゃ字下手だな。


 丁寧に書いているのはわかるが数文字を奇妙に繋げたり、独特な書き方をしているため、非常に読みにくい。

 彼女が書く字を知るのがこんなタイミングだということに苦笑しながら、手紙を捲る。


 奇妙な経緯で姿を消した両親に対して、本当に乃亜が抱いていた感情は愛ではなく、羨望だった。

 彼女は羨ましかったのだ。

 世界ごと捨てていけるほどの執着、それを追っていく愛が。

 本当に愛なのかはわからない。

 母親もまた父親に対しての記憶や感情は薄れていたはずだ。彼女は恋をし直したのか、乃亜と同じように手記があり、それを元にもう一度会いたいと願ったのかはわからない。

 ただ、興味に突き動かされ、研究を続けてきた。


 そして、彼女は私に出会い、恋をして……それを失うことへの恐怖に耐えられず、この世界とは異なる場所に行くことを決意したのだという。

 これまでの研究――異界に行く方法を探ること――は興味/趣味に近いものだったが、いつぞや使命に変わっていた。

 彼女特有の勘で、今回の旅行で異界に行くのだろうという確信があったらしい。

 私にも一緒に来てほしいと思いながらも、それは傲慢だとあえては誘わなかった。

 たまにこちらの世界に現れる幽霊と呼ばれるものや怪異のようにふとした時に自分を思い出してくれればいい。最悪、自分が父親や母親のことを思い出せないように、忘れてしまってもかまわない。

 自分が私のことを思い続けることができればそれでいいのだと。

 一緒にいて、すれ違ったり、別れたりするくらいであれば、両親と同様にこの世界の人間であることすらやめようと。


 私は彼女が生来持つ奇妙な思考に一抹の恐怖を覚えた。

 手紙を持つ指先が汗で滲む。

 枕元のティッシュ箱から一気に二枚を引き出し、手を拭う。

 そして、最後の一枚にはたった一行だけ、こう書かれていた。


『こっちに来る決心がついたらいつでも来てください。来なくてもずっと一緒にいます』


     *


 私は誰かに見られているような気がして振り返る。

 ただ白い壁があるだけだ。

 ガラス窓をじっと見つめる。

 汚れたベランダと錆びた柵しか見えない。

 

 ――乃亜はいるのか? 僕を見ているのか?


 汗がシャツまで抜けて、背中に張り付くのを感じる。

一人で居たくない。

 だが、山城のことを散々馬鹿にしてきた以上、奴に助けを求めるわけにはいかない。

 サークルやクラスの友人たちとも疎遠になってしまっている。

 行く場所もない。

 私は祈るように目を閉じ、手をあわせる。

 ただ、祈りの対象も祈るべきこともわからない。

 無闇に壁に向かって、頭を垂れる。

 

 ――なんて間抜けなんだ。


 すると、遠慮がちにスマートフォンが震え、着信を告げる。

 

 ――山城か。


「米田先輩、お疲れ様です。今って時間大丈夫ですか?」

「あぁ、別にいいよ」


 あえて余裕ぶった風に応えてしまうが、こればかりは先輩としての礼儀作法のようなものだ。なんだか急に部屋に一人でいるのが怖くなってきたから丁度良かったなどとは口が裂けても言えるものではない。


「二つありまして……大したことじゃないんですけど」

「何? まぁ、話してみなよ」


 結論から言えば、電話をかけてくるタイミングは完璧だったが、話の内容は所詮は山城とでもいうべきもので、私にとっては「悪い話」と「最悪の話」だった。

 だが、山城にとってはそのうちの「最悪の話」はただの世間話で、「悪い話」は「山城にとっての最悪の話」だった。

 同じ話でも立場によって、大きく変わるものだと改めて実感した。

 まずは私にとっての「最悪の話」から。

 山城の故郷にある私と乃亜が異界に行ったあの井戸が潰されたらしい。

 子供が落ちたことが原因だ。

 祭り/儀式をやる上では井戸自体はあってもなくてもいいのだし、言い伝えに井戸を潰すべからずとは書かれていない、ということで埋めてしまうということになったという。

 実際、埋めたところで誰かが消えたとかいうこともなく、祟りのようなものはなかった。

 私は『誰か消えたけど、お前らが気づいてないだけかもしれないぞ』と思ったが、言ったところで理解できないと口にするのをやめた。


「埋めたっていうのは……土をかけたのか?」

「肝試しで掘り返す馬鹿がいるかもしれないからってコンクリートで埋めたらしいです」

「そうか」


 ――最悪だ。


 私の中では乃亜との関係を七夕の織姫と彦星になぞらえることができるなどと甘っちょろいことを思っていたが、あの井戸に入ることができないのであれば、もはや悠長に来年を待つわけにもいかない。

 そして、自らの発想の気持ち悪さに軽くえづいた。

 もはや、恐怖に近い感情は霧散していた。


 もう一つの「悪い話」。

 これは私にとっても、それなりに悪い話だった。


「瑠華ちゃんがですね」

「瑠華って誰だ?」

「俺の彼女の古川瑠華ちゃんですよ。覚えといてくださいよ」


 山城の彼女のことは「古川」としか認識していないし、山城ですらフルネームは覚えていない。

 少し考えれば思い出せそうだが、今はそんなことを思い出している場合ではない。


「で、古川がどうしたって?」

「最近流行ってる赤い女って知ってます?」

「うちにも何個か投稿来てたよ、ディティールが違うから実際の体験者からどのくらい離れてるのかわからないけど。これから調査するところだった」

「まだ何もわかってないんですね」


 彼の口調からもはや古川の身に何が起きたのかは容易に想像がついた。


「古川が赤い女見たのか」


 私は疑問符を付けずに言った。


「そうです」

「まぁでも、お前が見たのと同じで幽霊じゃなくて、ただの変な奴ってこともありえるし、噂通り家が燃えるとかってことはそうそうないと思うけどな」

「俺の時……あぁ、そうでしたね。そうか。俺の時も赤い服着た女が墓地に立ってて……先輩に助けてもらって……あれ?」

「幽霊とかじゃなくて、ただオカルト好きな変わり者の女が散歩してたってだけだったんだよ。忘れるなよ」

「あぁ、そうだそうだ。そうでしたね」


 ――古川の名前を忘れるくらいなんてことないだろう。お前は乃亜のこと丸ごと忘れてるんだ。

 しかし、彼を責めようという気にはならない。乃亜が勝手にこの世から姿を消したのだから。


「先輩なら瑠華ちゃんを助けてくれるんじゃないかって思って……」

「まだ噂についてよくわかってないんだが、できる限りのことはするよ。フルネーム覚えてなくても大学の可愛い後輩だからな」

「流石、米田先輩っす」

「いや、正直まだ何もわかってないし、何もできないかもしれない。ただ、できる限りのことは調べてみるってだけだよ」

「それで充分です。先輩が調べてくれるってだけで、瑠華ちゃんも落ち着くと思います」

「あとお前もな」

「はは、そうですね」

「ところでさ」

「はい、なんです?」

「山城って下の名前なんていうんだっけ?」


 絶句する気配を感じながら、私は電話を切った。

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