第16話 ウシイド祭り
私たちは連れだって神社に向かう。
昼間に外出てみると、やはり東京とは違った。
暑くはない。背が高い木が多いからか日陰が多い。だが、涼しく快適というわけではない。
下から焼かれるような錯覚はないし、歩くことが苦痛ではないが、それでも屋内の方が快適であることは変わらない。
そして、人間の気配がない。煩いが、静かだ。
「ここらへんって子供とかいないのか?」
あまりにも人を見かけないので、私は何気なく山城に尋ねる。
「何言ってんですか……今日、平日ですよ。学校でしょ、ふつうに考えて」
「あぁ、そうか。今日って普通の学生は学校行ってるのか」
「今晩の儀式は平日か土日かは関係なく、一三日って決まってるらしいです。秋祭りはまた別でやるから、日中は普段と変わらない生活なんでしょうね」
山に囲まれたこの集落は全体がゆるやかな坂になっており、神社は北端の高台に位置する。
端から端までは車がないと移動しにくいが、山城の実家は坂の中腹よりもやや北に位置しており、徒歩で問題ない距離であった。
山城が車を出そうと申し出たため、三人は車で神社に向かうだろうと思っていたのだが、私が取材も兼ねて自分の足でこの地を歩いてみたいと言ったところ、三人も歩くと言い出した。
そして結局全員で徒歩でということになったのだった。
「あの、米田先輩」
写真を撮りながら歩く私の隣に古川瑠華が並ぶ。
「ん? なに?」
「先輩の書く怖い話って、リアル怖い人の話とかもあるんですか?」
「なに、リアル怖い人って?」私は訊き返す。
乃亜と山城は半歩下がって、私たちの話に黙って耳を傾ける。
「だから、その……なんていうか」
「ヤクザとか?」
「そういうのじゃないです」
「なんか、変な人っていうか。変態? とか迷惑な人っていうか」
「あぁ、オカルトとか非現実的な話とかじゃなくて、実在するヤバい人間のこと書くかってこと?」
「そうですそうです」
「深夜の墓地に立ち竦む女が幽霊かと思ったら、変わり者の女だったとかね」
と言ったら、袖を引かれた。
「ちょっと……」不満そうな顔をする乃亜がいた。
「ごめんごめん」
ここに来てから、彼女はあまり口を開かない。
口をもごもごと動かしているので、何かを考えているようだが、それを話そうとしないし、私も訊かない。
少しからかってみると、不満そうである一方で穏やかな笑みも湛えており、私は安心した。
何を考えているのかそう遠くないうちに話してくれるだろう。
私は古川に向き直る。
「で、そういうことであってる?」
目の前の先輩を例を出されたことで、迂闊に同意したものか迷っているのだろうか。古川は困ったように視線を彷徨わせる。
「まぁ、その例が適切かは置いておいて。だいたいそんな感じです。で、そういうのって書いたりするんですか?」
「書かないね」
私ははっきり応える。
「どうして?」
そう口にしたのは古川ではなく、乃亜だった。
彼女からすれば、書いたではないかということだろう。
「あー、正確にはオカルト現象だと思ったら勘違いだったとかそういうのは本人に許可をとってかくことはあるけど、変態とかそういうのは書かないってことね」
「なんでですか? っていうか、墓地の話って許可取ってもらってましたっけ?」
乃亜の件は事後承諾であったが、オカルト絡みであったし、私は初対面の時点できちんと立場も仕事も明かしていたのだから、わかるだろう。その話をはじめると長くなりそうだったので、私は乃亜を無視して、古川に向き直る。
「怖い話仕立てにできても、個人が特定できそうなことは書かないっていうのが編集部の方針なんだよ。犯罪者かもしれないし、本人が自分のことを勝手に書かれたって逆恨みして嫌がらせとかされるかもしれないからね。だから、本人に許可取れない場合は書かないんだ」
「なんだか、ちゃんとしてますね」
「意外とね。ちゃんとしてるね」私は他人事のように言い、尋ねる。「何かあったの? 変態を見たとか?」
彼女の話は他愛もないもので、友達とレストランに行った際、満席で待たなくてはならなかった。
外にも数組待っており、入り口前にある名簿に『コガワ 2名』と書き、列に並んでいた。
正確には列のようなものはあったが、名簿順に呼ばれるため、並んでいない人もいて、通行人の邪魔にならないようにという以上の意味はなしていなかった。
それなりに長い時間を待つも呼ばれない。
友達とおしゃべりをしながらだったので、待つことは苦痛ではなかったが、少し違和感はあった。
ふと気がつけば自分たちよりも後に来た人の名前が呼ばれ、中に入っていく。
名簿を見ると、すでに自分たちは呼ばれて、店内に入っていることになっていた。
「つまりですね、『コガワ様』って呼ばれたときに他人が平然と返事をして入っていったってことなんですよ」
「呼ばれたのに君が気づかずに、順番飛ばされたんじゃなくて?」
ふつうに考えればそうだろう。
「それがですね、違うんですよ。そこのお店では案内した名前は名簿に線を引いて消すんですけど、呼んだけどいなかったところには不在の『不』って書いてたんです」
「なるほどね」
ゆえに彼女は他人が自分たちのフリをして店に入ったと判断したのだ。
「で、どうしたの?」
「一応、似たような名前の人が聞き間違えたのかなって思って名簿見たんですけど間違えそうな名前一個もなかったんですよ。そしたら、怖くなっちゃって……他人のフリして入れるような人と同じ空間にいたくないなって、違うお店に行きました」
「はいはい、なるほど。ちょっとオカルト風だね」
「ですよね。こういう話のことです」
「脚色したら記事にならないこともないと思うけど、なんというか怖さの質が絶妙にオカルトと『本当に怖いのは人間』みたいなものの中間でジャンル分けしにくいからなぁ。編集長にボツにされそうな気がするよ」
「そうですかー、残念」
私は古川とこうして話しながら歩いていたのだが、後ろで乃亜と山城が不機嫌そうに黙っていたので、慌てて会話の輪に入れて、神社までの道のりを二人のご機嫌取りに費やすことになった。
神社は思っていたほど立派なものではなかった。
だが、小ぶりではあっても手入れは行き届いており、人間の気配は漂っている。
祭りといっても、出店が出るわけでもないということなので閑散としていた。
「普通だな」
私は独りごちた。
しかし、山城は反応する。
「別に特殊な宗教ってわけじゃないですからねぇ」
「なんか、変わったもの祀ってるとかないの?」
すると、山城が立ち止まる。
「祀ってる……っていうか、ちょっとだけ変なとこはありますけどね」
「どんな?」
「俺、東京に出るまで絵馬の本当の使い方知らなかったんですよ」
「どういうことだよ?」
「いや、なんかここらへんの地域というかこの神社特有なんですよね」
百聞は一見にしかずとばかりに、山城が先に立つ。
私だけでなく、女性陣も首を傾げながら後を追う。
絵馬の前で立ち止まった山城はなんとも形容しがたい表情を浮かべている。
私たちは絵馬の一つ一つに書かれている文言を目で追っていく。
「なるほど、ね」
そこには自分たちの子供や親、兄弟がどこにもいかないように、攫われないようにということしか書かれていない。
合格祈願のようなものはただの一つもないのだ。
『たかしがさらわれませんように』
『きょうこが井戸に連れていかれませんように』
というようなばかり。
「何が攫いに来るのかはわからないんですけど、なんか鍵をかけてない家の人間が攫われたあとは、井戸からどこかに連れて行かれてしまうみたいなことは言われてますね」
山城はこともなげに言う。
子供の頃から何度も何度も聞かされてきてうんざりしているのだろう。
「私、この絵馬の感じは……ちょっと怖いです」
乃亜がぽつりと誰に対してでもなく言った。
「これ見てると形式だけ儀式をやるっていうのではなく、実際にまだ人間が消えるって信じてる人がいるんだなってわかるな」
「はい、うまく言えないんですけど、多くの人間があるのかないのかわからないものにずっと怯えながら生きてるっていうことに苦手意識のようなものがあります」
現象そのものよりも、それを取り巻く人間の状態に怯える女なのだ、乃亜は。
「心の底から信じてる人もいるみたいですけど、もうじいちゃんばあちゃん世代くらいですよ」
山城は手招きして、私たちを神社の事務所へ誘導する。
プレハブの事務所は外観から抱いていたイメージよりは広く、小綺麗ではあった。
物がなく簡素であると言い換えてもいい。
クーラーが強めに効かせてあるため、蒸し焼きになるということもなさそうだ。
「東京からわざわざこんなところまで遊びに来てくれるなんて、ありがたい話ですよ。龍彦は幸せものだ」
宮司が冷たい麦茶を出しながらにこやかに話す。
五十代あたりだろうか。顔は焼けて、皺が深く刻まれている。
山城が生まれる前からここで仕事をしているという。
「自慢の友達なんだ。色々聞かせてあげてよ」
「あぁ、どこから話したものかな」
私たちは宮司の話に耳を傾ける。
『ウシイド祭り』
この祭りの起源についてははっきりと伝わっているという。
歴史はさほど古くなく、記録も書き残されている。
はじまりは江戸時代中期の頃、この山奥には既に小さな集落が幾つかあり、協力関係があったのだが、それがいつしかまとまって一つの村として形成されたようだ。
主に農業で生計を立てていたという。
「それは今もそんなに変わらないな」
宮司が言うと山城が頷く。
もともと『ウシイド祭り』とは呼ばれていなかったそうだが、年に一度この時期に牛か馬を生け贄に捧げなければならないというしきたりはあったと記録されている。
その馬や牛は各家が持ち回りで出すという決まりになっていた。
だがある年、疫病が村に蔓延する。
当番だった家の牛と馬が病にかかって死滅してしまった。
どの家も似たり寄ったりの状況であったことは想像に難くない。代わりに自分が生け贄を出そうと言える人間もいなかったのだろう。
結果としてその年は生け贄を出さないということになったらしい。
どのような形で供物としていたのか具体的な記述は残されていないが、すべて神に捧げるということで、村人は肉にも革にも手を付けることができず財産が失われるだけの行事であったらしい。
生け贄を出さずに何も起こらなければ、そのまま廃止してしまおうと思ったのかもしれない。
しかし、その夜――差し出すものがなかったとはいえ、生け贄を捧げなかったことを村人たちは後悔することになる。
人間がやったとは思えない方法で子供が殺されたのだ。
両手両足がもぎ取られ、腸が引きずり出され、乱暴に食い散らかされていたと記されている。
そして、どこからともなく村中に大声が響き渡る。
――牛はもういらない。来年からは女か子供を生け贄に差し出せと。
村人たちは絶望するが、どこにも逃げることはできない。
行く当てもなく、また同じように一年を過ごすしかなかった。
自分が次の生け贄に選ばれないようにと祈ること以外にできることもないままに。
だが、事態は急変する。
悪夢の夜から一年が過ぎようとした頃、高名な阿闍梨が修行の旅の道中、この村に立ち寄ったのだ。
村人たちは僧侶に助けを求め、阿闍梨は救いの手を差し伸べる。
「よくある昔話って感じですね」
私はそう言いつつも、そのよくある昔話が現代に伝わる怪談のモデルやルーツだと推測できることはよくあるし、そう馬鹿にしたものではないとも思っていた。
古典怪談は現代実話怪談と異なり、結局最後まで意味がわからないというようなことはなく、物語として綺麗に構成されているものが殆どだ。
その多くは権力者を闇に葬るような復讐、自然災害、口減らしなどのメタファーと推測される。
近寄ってはならないとされる場所が災害が起こりやすい地域であるなど、現代からだとそれが怪奇現象ではないことが明確だが、当時それを伝える手段として怪談が使われたというのも興味深い。
「似たような話は古典や歌舞伎にも出てくるからね」
宮司は淡く頷き、麦茶で口を濡らすと話を続ける。
助けを求められた阿闍梨は二つ返事で化け物の討伐を引き受ける。
そもそも実際に「二つ返事だったのか」わからないし、この話自体のすべてが作り話の可能性もあるわけだが、「二つ返事」などと細かい演出が入るのも面白いと思う。
化け物退治の当日、阿闍梨は村人たちに朝になり、自分が札を剥がしに来るまで決して、家から出ないように言いつけた。
村人たちは家に籠り、阿闍梨は戸に札を貼る。
翌朝。
村人は誰一人欠けることなく、朝を迎えることができた。
彼らは喜ぶも、阿闍梨は浮かない顔をしている。
牛の頭をした鬼を村の外れの井戸に封印したのだという。
そう「封印」。その存在を抹消にするには至らなかったのだ。
翌年以降も力が最も強まる日には井戸から這い出てきて、人を食らう。
だが、封印を強める儀式を行えば被害が出ずに済むし、地獄に括り付けてあるため、一日凌ぐことができれば鬼は一年はこちらに現れることはない。
そして阿闍梨は修行のために村を去り、二度と姿を現すことがなかったという。
翌年からは村の女子供は閉じこもり、男たちは阿闍梨に教えられた方法で封印をやり直すことになり、牛の化け物を井戸に封じたことから『ウシイド祭り』と称されることになった。
「とまぁ、こんな感じだよ」
「ありがとうございます。参考になります」
私がそういうと宮司は闊達に笑う。
「田舎のこんな昔話が大学生の研究に役立つなんて嬉しいことだよ。ここの出身なのに龍彦はまったく興味を持ちやしない」
「近所の友達だって誰も興味なかったって」山城が言う。
朗らかな雰囲気で山城の子供時代の話に移りかけたとき、一人が水を差した。
「その後に本当にいなくなった人っていないんですか?」
胡乱な面持ちで乃亜がぽつりと言う。
まるで独りごちたかのようだったが、発言内容から宮司への質問以外の何物でもない。
宮司の顔色が変わる。一瞬、山城を見る目に瞋恚が宿ったようにも思えたが、山城の阿保面を見て、彼が余計なことを言ったわけではないことを察し、自分のこの一瞬の表情の変化、視線の動きが私たちに真実を語ったのと変わらないということに気づいたのだろう。
「まぁ……あまり外の人たちに話すことじゃないんだけど……ある」
「差支えのない範囲で教えてもらってもいいですか?」
前のめりの乃亜に気圧されたのか、意図せぬ方向に憶測を膨らまされるのを避けるためか、宮司は再び語り始める。
乃亜はまたいつもの癖でもごもごと何かを咀嚼するようにしながら、耳を傾けていた。
私は人が消えるということに異常に執着する彼女に軽い嫌悪感を覚えながらも、記事にどのように書くかをイメージしていた。
外の蝉が煩い。
『ウシイド祭り』が行われるようになってから、たまに人が忽然と消えることがある。
それも決まって祭りの日の夜に。
正確には祭りの日の夜なのかどうかはわからない。
祭りから数日経ち、ふと誰かが思い出す。
「そういえば、最近見かけない」「学校をここ数日無断で休んでいる」など。
様子を見に家まで行くと、行方をくらましているということが。
人が一人消えても騒ぎにならないことなんてありえない。
だが、この時期の行方不明者はなぜか誰もがそもそも存在してなかったかのように、いなくなったことにしばらく気づかない。
誰かとかかわりを持たずには生きていけないこのご時世だからこそ早めに発覚するが、一人暮らしの老人などでいまだに消えたことに誰も気づいていないのではないだろうかと宮司はふと怖くなることがあるらしい。
実際に姿を消しても。捜索願を出すくらいしかできることはない。
姿を消した人間が戻ってきたことはない。
「最初は迷信にかこつけて、誰かが気に入らない人間を殺したり、誘拐したりってことじゃないかと思っていたらしいが、姿を消した人間のことが思い出しにくくなったり、誰も気づかなかったりっていうことを実際に体験するとね。やっぱり化け物に攫われたんじゃないかと思ってしまうよ」
「実際に宮司さんも知ってる方が?」乃亜が尋ねる。
「あぁ、同級生でね。祭りの日に家出をしたらしい。そして戻ってこなかった。私自身もしばらく見かけないのに不自然に思わなかったんだ。だが、なんとなくそんな友達がいたなって思い出してからは、子供が行方不明になったのにあまり慌てていないその両親のふるまいが恐ろしくてね。ひょっとしたら親が殺したんじゃないかと疑ったくらいさ」
私は不謹慎ながら、この話までを記事にしようと版面を頭に描いていた。
だが、私を超える不謹慎な奴がいた。
「それは残念でしたが、いずれ科学的に解明される日が来ますよ」
何を言っているのかわからないという顔を全員がしていた。
帰り道、乃亜の目を見た私は――あぁ、こいつは今晩祭りに行く気だなと思った。
姿を消すまでの過程は違うが、人がふと姿を消し、周囲の人間が気付かない/あまり気にしない、というのは彼女の両親の時と同じだ。
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