第12話 奇祭
帰省はしたくなかった。
親兄弟に対して思う所はないのだが、取材をするとなると必然的に親戚や旧友たちにも連絡を取らなければならない。
私の地元は村意識が非常に強く――行政区分は「村」ではないが――その地で生まれ育ったにもかかわらず私のような地元愛が薄い異物に対しては当たりが強かった。
地元の国立大学に進学せず、東京の私立大学に行くことが決まった時、高校教師からもまず「おめでとう」などといった祝いの言葉ではなく「東京の私立なんて、金かけて遊びに行くようなもんじゃ。親御さんにこれから迷惑かけるんじゃけ、ちゃんと謝って親孝行しとけ」と言われたくらいだ。
それは私の中で今でも呪いの言葉として残っている。
あるいは本当に私のようなその土地に根付かない者を追い出し/近づけないための呪言のようなものとして無意識的に伝わるものなのかもしれない。
私は親兄弟以外の誰からも祝福されることなく、旅立った。
それが就職活動をしていないどころか留年が確定した状態で、出版社でアルバイトをしながら怪談ライターなどと名乗っていることが近所に知られようものなら、鬼の首を獲ったかのように騒ぎ立てられるだろう。
それは両親に少なからず迷惑をかけてしまうことになる。
両親は都会に憧れを持っていたため、私の進学先が東京に決まったことはとても喜んでくれたし――東京に遊びに出る口実ができたため――地元では名の通った会社の役員を勤めていたこともあり、金銭的には欠片ほども迷惑だとは思っていないらしいが、陰口を叩かれる要素を身に纏って帰省するのは気がひける。
母親は電話越しに私を罵倒するが、どうやらご近所に対しては、東京に行った自慢の息子で通している節があった。
私が多少アホでも、社交的な弟が地元国立大学の医学部に進学してくれたため、プラマイプラスだろうと思ってはいるが、息を潜めておくにこしたことはない。
この時期にやっている奇祭を探すか、アングライベントに潜入するのが一番だろう。
――北の方にでも行こうか。
私は当たりをつけると行き先を探し始める。
「先輩の部屋ってうっすら寒いっすよね。なんか薄暗いし」
「ね。私もそう思います。だから、いっつも米田さんって私の部屋に入り浸ってるんですよ」
スマホ片手に来週の行き先を探していたところ、私の部屋で据え置き機のゲームに興じる山城と乃亜が私の部屋に愚痴を垂れている。
二人を無視して、青森のイタコやカミサマと呼ばれる霊能者を取材するか、即身仏でも見に行くかと考えていた。
「夏場はいいですけど、冬とかめっちゃヤバくないすか?」
「もう冬になったら、一緒に住んじゃいましょうか? 私のマンション、床暖房もついてますし」
――床暖房もついているのか。それはちょっと心が揺れないでもない。
「ってか、先輩たちって付き合ってるんですか?」
私はようやく返事をする気になった。
「付き合ってないし、一緒に住まないよ」
「先のことはわからないですからね」乃亜が真顔で言う。
冗談なのかなんなのか。
「下がガレージになってるから、冷たい空気が部屋の下に溜まってるんだよ」
「それでなんかひんやりするんすね」
「夏場はあんまりクーラーの温度下げなくても平気なんだけど、冬場は確かに暖房点けないと外と変わらないね」
「でも、室温以外にもなんか変な感じはしますよね」
乃亜がやはり真顔で言う。
「何だよ、変な感じって?」
「佐倉先輩、変なこと言うのやめてくださいよ。俺そういうの苦手なんですって。実際、なんとなく不気味な感じはしますけど」
「いや、でも本当にこの部屋なんか視線……感じません?」
私は乃亜の言うことに心当たりがあった。
「あぁ、それは覗かれてるからね」
「「え?」」二人の声が重なる。
「ベランダの塀の向こうって隣のマンションのごみ捨て場なんだよ。で、ちょっと背伸びしたり、ジャンプするとこの家のベランダと家の中見えちゃうんだよね。カーテン閉めてれば見えないんだけど」
「覗く人いるんですか?」
「いるねぇ、何度か目も合ったよ。隣のマンションの管理人。なんか風貌がさ、べったりした感じのゴキブリの羽みたいな髪の毛を七三分けにした感じで気持ち悪いよ。ベランダに洗濯物干してるときとかたまに声かけてくるからね。僕としてもさ、パンツとか干してる最中にゴミ捨て場から顔出して挨拶されるのは気持ちのいいもんじゃないなって思うよね」
「そうなんですね……なんか怪異的なものじゃなけど、けっこう怖いですね」
乃亜が憂鬱そうに言う。
「妖怪みたいなオジサンってのがね。いや、美人でも怖いんだけどさ」
山城が立ち上がり、レースのカーテンを少しだけ開けて、外を覗き見る。
「うわっ」
「あぁ、いた?」
「いました。鼻から上出してこっち見てます」
「気持ち悪いよな。あの管理人のせいで、隣の家とか結構入れ替わり激しいんだ。女子大生とか入ることもあるんだけど、だいたい一年保たないね。まぁ、今ゴミ捨て場の掃除でもしてんだろ。すぐに引っ込むから放っておけばいいよ」
「よくこんなところ住めますよねー」
山城が怯えたような声を出す。
「三角形のいわく付きに住んでたやつが何言ってるんだよ」
――自分のことをどれだけ高い棚に上げてるんだ。
私は思わず笑ってしまった。
「大学から近いし、家賃が安いからね。ま、幽霊が出るよりマシだよ」
「それは本当に先輩の言うとおりっすわ。引っ越してよかったー。風水とかってあれ多分マジで効果ありますよ。俺、引っ越してから彼女できたりとかいいことばっかですもん」
「じゃあ、そろそろ山城はもう幽霊が出ない家に帰りなよ。彼女と楽しいことしてればいいだろ」
「冷たいこと言わないでくださいよ。彼女は今日バイトで俺寂しいんすよ。せっかくだし、三人で一緒に晩飯食ってから解散にしましょ? ね?」
――仕方ないな。
「晩飯食べたら、二人ともちゃんと帰れよ」
二人は口を揃えて「はーい」と返事をした。
ただ、私は彼らに一つ言っていないことがあった。実際に姿を見るようなことはないが、隣のマンションの管理人がいない時でもたまに窓の外から視線を感じるということを……。
「ところで先輩、さっきから何してるんすか? ずっと何か調べてすよね?」
「あぁ……そういえば、僕来週から一週間バイト休みもらったんだよね。明日あたりからしばらく留守にするから」
「え? どのくらい留守にするんですか?」
乃亜が尋ねてくる。
「一週間くらい。来週の土日には帰ってくるよ」
「帰省とか旅行ですか?」
「帰省はしないよ。旅行は旅行だけど、頭に〝取材〟がつくやつね」
「それ、私が一緒に行ってもいい取材ですか?」
間髪容れない質問に私はややたじろいでしまった。
「え? 来る気なの? 別に君が興味持ってる異界への入り口とか神隠し系の行方不明事件に関する怪談取材とかじゃないと思うけど」
「思う? 思うってなんですか?」
眉根を曇らせ、早口でまくしたてる。
その剣幕にややたじろいでしまった。
「いや、休みもらって地方に取材に行くことになったんだけど、行き先はまだ決めてないんだよ。奇祭とか、正体不明の変な建築物とかないかなーって思って、ググッてたんだけど」
「そうなんですね。でも、なんでわざわざ地方に? 面白い怪談の投稿とか都内にいい場所ないんですか?」
「この時期は幽霊や怪奇現象も遅めの夏休みらしくてね。いい相談や投稿がなかったから、こんなことになってるんだよ」
「そうなんですね。私の方もたしかに今はそんなにいいネタないです。雑誌に掲載したりとか考えたことなかったんですけど、最近は噂とかも不作かもしれないですね」
「まぁ、そんなわけで、地方であんまり他の雑誌とかネットで取り上げられてないマイナーで面白いもの探しに行くんだよ。ま、今のところ何もアテがないんだけどね」
「そうなんですか……」
私は佐倉乃亜との距離を測りかねていた。
彼女の家に行き、連絡先を交換したあの日から、私たちはお互いの家を行き来する協力者となった。
友人以上と言ってまったく差し支えないと思う。
深夜に二人で墓地やトンネル、廃墟を探索し、こうして家にまで来られて一緒に過ごす時間が増えて、好意を持たないままいるというのは難しいものだ。
だが、なるべく意識をしないようには心がけている。
やはり旅行に連れて行くことにはやや抵抗がある。
もはや異界に行きたいなどとほざく変人であるという最後の理性を保つ壁が崩れ、二人の関係がよくも悪くも変わってしまいそうだからだ。
すると、私たちの話を黙って聞いていた山城が口を挟んでくる。
「ちょっといいっすか?」
「なに?」
私はろくなことを言わないだろうと露骨に訝るも、彼は意に介する様子もない。
相対する人間の威圧や威容に気づかない――もしくは、そのふりができる――というのは、一つの才能だろう。
本心を言えば、私は彼のそういった馴れ馴れしさが嫌いではなかった。
なぜなら、私は友達が少なかったからだ。
サークルには所属しているものの、途中から奇妙なバイトに明け暮れ、同期たちが就職活動を始め、大学にも来なくなってしまったので、遊び相手が激減している。
多少変わり者であってもこうして遊びにきてくれるのはありがたかった。
「米田さん、その集落でしかやってない変な祭りとかでいいんですよね?」
「うん、まぁ、そうだね」
「じゃあ、一緒に行きますか?」
「実は俺も来週から実家に帰省しようかと思ってるんですけど、うちの地元でなんか変なしきたりというか祭りみたいなのやってんですよ」
「え? そうなんだ? そういえば、山城の出身ってどこだっけ?」
「あぁ……言ってませんでしたっけ?」
山城が口にしたのは、奇しくも私の地元と同じ県の北部の山間にある村の名だった。
私は田舎の中では都会に属する南部地域の出身であったため、山間部の地理にはあまり詳しくないが、聞いたことくらいはあった。
「出身県、僕と同じだったのか」
「先輩と同郷だったんですね。いやー、奇遇だなぁ。運命感じますね」
「私はすごく疎外感があります」乃亜が口を挟む。
「いや、そんなことで疎外感とか感じないでよ。ってか、山城と同郷で運命とか別に感じないから。気持ち悪いだけだから」
「え、先輩そんなこと言わなくても……」
二人してまるで今にも泣き出さんばかりに戦慄いた。
私は一人でいる気楽さと、この二人がいる面倒くささを天秤にかけながら慰め、山城が口にした祭りについて尋ねるのだった。
「そういえば、山城の実家があるあたりって、かなり山奥だよな。奇祭なんてやってるんだ?」
「そうなんですよ。地元にいた頃って別にそんなに変なことだと思ってなくて、どこにでもあるもんだと勝手に納得してたんですけど、街の方の高校に進学して、はじめて余所ではそんなことやってないって知ったんですよ」
「へぇ」
同じ県の出身者にも山城が住む集落で行われている祭事は奇妙なものに思われたという。
「ただ、俺も詳しくはあんまり知らないんですよね。変なのはわかるんすけどね」
私と乃亜は首を傾げた。
「なんで山城が詳しく知らないんだよ?」
山城からは大した情報は得られなかったが、簡単に言うとこういうことだった――。
彼が住む集落はかなりの田舎であり、周囲は山に囲まれ、道は入り組んでいる。
住人は老人ばかりで、いまだに汲み取り式トイレが残っており、当然ネット回線も通っていない。
その集落では年に一度、祭りに参加する大人以外の人間が家から決して出てはならない日というのがあるという。
〝子供はオバケに攫われるから〟というのがその理由であり、山城は幼心に大人だけが何か美味しいものを食べていたり、いかがわしいことをしているに違いないと思っていたという。
だが、山城が中学を卒業し、高校生になっても、両親はその日になると同じような説明を続け、山城はどうやら周りの大人たちが本気でオバケに攫われるから、祭りの参加者以外が外に出られないと思っているらしいことに気づいた。
魔除けを玄関の前に置き、家に閉じこもる。
そして、祭りの参加者だけが外で何か儀式を行うらしい。
〝らしい〟というのは、山城は早生まれであり、祭りへの参加資格を得る十八歳になってすぐに上京したため、結局どのような祭りなのか聞くことがなかったためだ。
「上京したから、祭りの内容教えてもらえないなんてのは聞いたことないですし、祭りに合わせて帰省する兄ちゃんとかいたんで、たぶん取材はできると思いますよ。俺ん家に泊まれば、宿泊費もタダですから。どうっすか?」
彼の提案はとても魅力的に思えた。
逡巡した後、すとんと首肯しようとしたところ――。
「佐倉さんも一緒にどうです?」
「ぜひ、お願いします。三人で旅行……楽しみですね」
私が返事をする前になんとなく確定してしまい、ただ曖昧に笑うだけだった。
だが本音を言えば……彼らと旅行に行くことは、ちょっと嬉しかった。
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