第10話 取材の後

 そのお願いを聞いたことにより、私は佐倉乃亜のマンションに来ていた。

 深夜三時半になる。

 彼女がタクシー代を支払ってくれるというので、それに目が眩んだというのもある。

 実際、駅の周辺にカラオケ屋もファミレスすら見当たらなかった。

 どこで始発まで時間を潰すかというのは一つの課題としてあったのだ。


 彼女もまた大学近くのマンションで一人暮らしをしていた。

 しかし、山城宅のように安くて奇妙なマンションではなく、オートロック付きの学生には勿体ない1LDKであった。

 二三区内で大学から徒歩五分圏内、駅にも近いとなると家賃は月一〇万円近いか、それ以上なのではないかと思われた。

 ちなみに私は家賃六万円のアパートで、大学に近い六畳一間だが、一階北向きでベランダから塀を隔てた先は隣のマンションのゴミ捨て場という、家賃の安さと引き換えに快適さを犠牲にした家に住んでいる。


 マンションのエントランスで改めて彼女の顔を見ると肌色よりも白に近く見えるほど血の気がなかった。

 彼女は私のジャケットの裾を掴んでいるが、皺になるからと振り払う気にはなれなかった。

 エレベーターで最上階の角部屋まで辿り着くと、彼女は覚束ない手つきで、鍵を開けた。

 そこまで見届けたところで、私は自分の仕事は完了したと判断した。

 深夜の取材の後にまさか自宅徒歩圏内までタクシーで帰ってこられるとは。

 移動が楽という点で今回の取材はとても幸運だった。


「今日はお疲れ様。顔色悪いし、早く寝なよ」


 そう言って、踵を返すも足が前に出ない。

 服の裾が掴まれている。


「えっと、何?」

「上がっていってください」



 彼女がシャワーを浴びている間、淹れてもらった珈琲を飲みながら、スマートフォンで記事をせっせと書き綴っていた。

 この時間ではテレビ放送は終わってしまっているのだろうが、そもそもこの部屋にはテレビがなかった。

 大きなモニターはあるのだが、彼女によるとそれは映画観賞とゲーム用でテレビは見られないという。

 今回のためだけに購入されたビデオデッキも繋がっているが今後使われることはあるのだろうか。

 部屋は綺麗に片付いてはいるものの、オカルト関係の書籍と、学術書が詰まった本棚の威圧感やゲーム機など趣味のものが大量に箱に詰められているため、可愛らしさとはかけ離れていた。


 ――色気のない部屋だな。


 ベッドの上に乗っているぬいぐるみもクマやウサギなどではない、青色のタコ型宇宙人のものだ。

 何のキャラクターか彼女に尋ねたところ「UFO ~A day in the life~」という一九九八年に発売されたプレイステーションのゲームソフトの主人公で、ネットオークションで手に入れたという。

 やはり彼女は変わっている。


 シャワーを浴びて出てきた彼女は化粧を落としていたが、さほど変わったように感じなかった。

 より幼さが増したようには見えたが。


「落ちついた?」


 私はなるべく彼女の方を見ないようにしながら、尋ねる。


「はい」

「そりゃ、良かった」

「ありがとうございました。こんな変な女に付き合わせてしまって」

「いや、それはいいけど、変っていう自覚はあるんだね」


 そこには驚いた。


「まぁ、よく言われますから」

「なるほどね」

「納得しないでくださいよ」


 彼女はそう言って莞爾と微笑んだ。

 なんとなく、今までは彼女と話をしてもどこか彼女の向こう側にいる何かと会話をしているようで手応えがなかったのだが、今は少し通じ合ってるような心持がした。



「あの……私、邪魔……でしたよね?」


 彼女の言わんとすることはわかる。

 だが……。


「次もまた一緒に取材に行こう。深夜に女の子と二人で怪談の取材に行くのも意外と面白かった」

「いいんですか?」

「君がいいなら……」

「ありがとうございます。じゃあ、連絡先交換してもらってもいいですか?」

「いいよ」


 私はついにスマートフォンを差し出した。


「嬉しいです」



「ところで、さっきには何に怖がってたんだ?」

「なんというか……生きてる人間に追いかけられたり、叱られたりするかもしれないというのがダメでした」

「怖くなったの?」

「はい。幽霊的なものといいますか、異界への憧れはあるんですが、そういう物質的な不快感はとても苦手でして」

「本当に変わってるな」

「あのですね……」

「うん」

「私の話をこんなにちゃんと聞いてくれる人って米田さんが初めてなんですよ」

「ん? どういうこと?」

「米田さんも相当変わってると思います」


 ――何言ってるんだよ。僕は常識人だ。



 その後、明け方まで毒にも薬にもならないお互いの潤いのない学生生活の話をして、彼女が目を擦り始めたところで私は帰宅した。

 太陽が眩しい。

 彼女は恐怖への耐性が強いわけではなく、対象にズレがあるということなのだろう。

 そのことを認識すると、途端にふつうの女の子に見えてしまう。

 だが、彼女のことをいつまでも考えている余裕はなかった。

 なぜなら、私にはこの後決して落とすわけにはいかないフランス語Iの講義が待っているのだ。


     *


 後日、スマートフォンで撮影した動画を彼女と一緒に観たのだが、やはりあまりにも暗かったためかあまり視認できるような映像は撮れていなかった。

 彼女の背後のガラスにぼんやりと何か編み笠を被った人間ようなものが映っているように見えなくもなかったが、彼女は窓ガラスの汚れだと言い、そう言われると私にもそのようにしか見えなくなってしまった。


 私は今回の怪談と取材記をまとめてプリントアウトし、編集長に提出した。

 場所が特定されないようにモザイクをかけるといってもちゃんと写真も撮れていたし、記事も悪くないと思う。


「よく書けてた。取材頑張ったな」


 時給換算するととてもやってられない仕事だが自分でも良い仕事ができたと思った仕事を褒められるというのは悪くない。



 しばらくして、乃亜からあの廃屋が更地になったらしいと聞いた。

 私たちのせいかもしれない。

 この日以降、なんとなく用があるわけでもないのに、私たちは二人で会うようになるのだが、それからついぞあの日の話をすることはなかった。

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