第9話 怪談の現場へ――
「なるほど。あの辺りにそんな所があったのか」
「都内といってもだいぶ寂れてるところらしいですよ」
「今晩行ってみるか……」
乃亜は満面の笑みで頷いた。
――まぁ、当然ついてくるわけだよな。
私と彼女は一度解散し、深夜一時に目的の駅で落ち合うことにした。
徐々に気温が上がってきて、ジャケットはもう暑くて羽織っていられない。だが、夜になると風が身体を冷やす。
いつでも羽織れるように黒い薄手のシャツを用意し、ワンショルダーの小さなカバンに取材用のメモ帳とペン、カメラ、軽量懐中電灯、モバイルバッテリーを入れる。
基本的にはメモもカメラも懐中電灯もすべてスマートフォンで済ませてしまうのだが、スマートフォンが使えなくなったら取材ができなくなってしまう。
いつぞやに何故かスマートフォンが起動しなくなったことがあり、その時は自分の脳内の容量や正確性に不安があるメモリに頼らなくてはならなかった。
いつまたそのようなことが起こらないとも限らないので、準備はしておくにこしたことはない。
私はコンビニで買ったマズい唐揚げ弁当を腹に詰め込むと、時間まで寝ることにした。
そして、しっかり予定通りの時間に目を覚まし、最寄の駅から電車に揺られること一時間弱。
一時間程度はスマートフォンでソーシャルゲームのログインボーナスを回収し、ノルマをこなしていればあっという間だ。
電車を降りて、のんびり歩いて改札に向かって歩く。
わかっていたことだが、改札前に彼女はいた。
そして服装は先ほどとは違ってゴブランドレスに変わっていた。
人形のような服装が好みらしい。深夜の廃屋にこんな格好の人間がいたら、幽霊の方が幽霊が出たと驚いて逃げ出しそうだ。
「同じ電車乗ってたんですね」
終電が待ち合わせ時間の五分前に着くので、おそらく同じ電車に乗っているだろうと思ってはいたがわざわざ探さなかっただけだ。
彼女は気づいていなかったらしい。
「あぁ。今日は可愛い恰好してるね」
うっかりそんなことを言うと彼女は口をもごもごさせた。
「じゃあ、早速行きましょう。グーグルマップで調べたんですが、けっこう距離ありますよ」
彼女は意気揚々と歩き出した。
その姿は幼い子供のようで、とても年上には見えない。
乃亜が友人から聞いていたとおり、外灯は少なく、街明かりも二三区内に比べると圧倒的に少ない。
都内にも関わらず、地元の田舎――中国地方の〝田舎にしては都会〟という半端な場所で十八年を過ごした――に似た空気を感じる。
「ところで、米田さんってなんで今のアルバイトしてるんですか?」
流石に二人して黙って歩くということはなく、ぽつりぽつりと会話を交わしながらその廃屋へと向かう。
「操山出版のバイトって大学のサークルの紹介で辞める時に後輩を紹介して辞めていくことになってるんだよ」
「じゃあ、米田さんも先輩の紹介で?」
「そうだね。まぁ、先輩に出版業界のバイトあるって言われて、のこのこついていったら、怪談雑誌とヤクザ雑誌作ってたっていうね。適当に怪談でっちあげとけば大丈夫とか言われたけど、実際にはそんなことないし、ライターって話だったのに本来は編集者がやるようなラフ書いたりとか、入稿とか、HPの更新とかもやらされてるよ」
「でも、そんなに嫌じゃないんですよね?」
「……まぁ、そうだね。結構楽しいと思う」
「じゃあ、良いバイト紹介してもらえてラッキーでしたね」
「そう……かもね。流石にこのまま操山出版に就職しようとは思わないけどさ。みんないつ出社していつ帰ってるのかもわからないくらいずっといるし、それなのに残業代もボーナスもないらしんだよね」
「それっていいんですか?」
「駄目なんじゃない? わかんないけど」
あまり自分のことを話すのは得意ではない。
他人の話を聞くのが仕事なのだ。
しかし、まだ先は長い。
「佐倉さんはなんで院に進んだの?」
「私ですか……やりたくないことはいっぱいあるのに、やりたいことはなかったから……ですかね」
「はぁ」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。
彼女のこういうところが苦手だった。
「具体的にどういうことがやりたくないの?」
「一番は仕事ですね。次に生活全般」
「生きるために必要なこと、だいたいを占める要素だね」
「そうなんですよ。だけど、死ぬのは怖くて」
「はぁ」
そう話す彼女は活き活きとしていて、どこまで本気なのか私には測りかねた。
「でも、幽霊を科学的に証明したいとかそういうのはやりたいことなんじゃないの?」
「え? 別に幽霊がいるかどうかはどうでもいいといいますか、いるのはわかっていますし、それを証明して認められたいというよりは……前にも説明したとおり、私はあっち側に行きたいだけです」
「そうなんだ」
「そうなんですよー」
ただ、彼女が私をからかおうとしているわけではないのはわかった。
だが何を言っているのかさっぱりわからなかったし、頭が痛くなってきそうだったので、話題を変えることにした。
「佐倉さんはどういうものが好きなの?」
「ゲームと映画ですね。ザ・現実逃避です」
大きな道路は車があまり通らない。
等間隔に並ぶコンビニが遥か先まで続いていて、自分たちがどのくらいの距離歩いたのかわからなくなってくる。
「どんなのが好きなの?」
「ゲームはなんでもやりますが、特に好きなのは『ゼルダ』と『ワンダと巨像』ですね。映画は『ドライヴ』ってわかります? レフンのやつ」
「あぁ、わかるよ」
「米田さん的にはどうです? ゼルダ、ワンダ、ドライヴ」
「そうだね、趣味いいなって思ったよ」
「嬉しいです」
さらに正直に言えば、私もすべて好きだった。
ちなにみ、レフンの作品だと、ドライヴ、ネオン・デーモンが好きだ。
そして、件の廃屋に到着する。
よくこんな建物がいまだに残っていたものだ。
自分たちの親世代の人間が大学生だった時点で空き家になっていたというのに。
周囲には明かりがなく、パッと見は真っ黒い穴が立体化したように感じた。
「これは最初から場所がわかってないとちょっと辿り着けないな」
「そうですね」
自然に迷い込むことが困難な入り組んだ裏路地に位置しており、彼女によるとグーグルストリートビューも手前の道で途切れていたそうだ。
実際には車で来ることは可能だろうが、それなりの運転技術がないと大通りまで出るのは苦労しそうだ。
「たしかに、こんなところに誰かが入っていったらそれだけで不気味だな。そりゃ、ここに入ったら行方不明になるなんて噂にもなるだろ」
私たちは敷地の外から廃屋を眺めるが何がわかるでもない。
ただただ真っ暗でおどろおどろしいボロ家があるだけだ。
――さて、ここからどうしたものか。
不法侵入すべきかどうか悩んでいると、乃亜が口を開く。
「では、中に入りましょう。その際ライトで照らしがてら私を撮ってください。何か映るかもしれません」
「あー、やっぱり入るか」
「ここまで来た以上は入りましょう」
私もせっかくここまで来て、何も起こらずに帰るというのも味気ないと思っていたのだ。
腹をくくって、スマートフォンの懐中電灯と動画撮影機能を起動する。
あまり明かりを点けるのは気が進まなかったが、このいつ崩れてもおかしくない廃屋に深夜に忍び込むということもあり、怪我のリスクを僅かでも下げるためには明るいに越したことはないと判断した。
「わかった」
私たちは草が好き放題に生えている庭を抜けて、裏手に回る。
「ここが入った人間が行方不明になると噂の廃屋です。早速入ってみましょう」
あの自主制作映画をなぞるように彼女はカメラに向かって言う。
「壁も穴が空いていますし、窓ガラスも割れてますね。どこからでも忍び込めそうです」
そして彼女は勝手口の扉に手をかけると、ドアはまるで私たちを誘い込むかのように開いた。と同時にドアノブが壊れて地面に転がる。
その時のカーンという金属音が意外と大きく、私たちは二人してビクリと身体を震わせた。
すぐに建物の中に身体を滑り込ませたが、この音に近所の人間が気付いたのか隣接する家屋の窓の電灯が点けられた。
「多分、今ので見回りが来るか、警察に通報されると思う。正直に話せば割と許してもらえるけど厄介だからさっさと出よう」
「わ、わかりました。でも、あの自主制作映画で少女が映り込んでいたあそこだけ撮ってください」
「仕方ないな」
私たちはリビングだったと思しき部屋に行くとぐるりとスマートフォンで撮影し、外へと向かう。
二階への階段は完全に崩れており、二階に上がることはできなさそうだったので、あの心霊現象が起こったのが二階でなくて本当に良かったと胸を撫で下ろした。
私に同行している女性はもし心霊現象が起こったのが二階だったとしたら階段が崩れ落ちていても強引に上がる方法を探しそうに見える。
外に出るとパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
通報されていたとしてこんなに早く来るとも、わざわざサイレンを鳴らすとも思えないのでおそらく別件だろうが、それでもこんなところに深夜に出入りしているのを見られるのはまずい。
私たちは手を繋ぐと、息を潜めて敷地の外に出ると早歩きでその場から遠ざかった。
私は大通りまで出ると、乃亜の手が汗でじっとりと湿っていることに気づいた。
「どうしたの?」
「パ、パトカーのサイレンの音が苦手で」
墓地は平気で、パトカーの音はダメなのか。よくわからない。
「気分が悪くなってしまって」
「あぁ、そう」
「その……お願いがあります」
「なに?」
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