第7話 怪談取材に現れたのは――

 五月一四日。

 ゴールデンウィークも終わり、大学構内を歩く人の数もだいぶ減ってきた。

 私はこの日、怪談投稿者の女性を待つため、自身も通う都内某大学の北口前にある卒業生が経営するという喫茶店にいた。

 ここ最近の実話怪談についての投稿はこれといって目新しいものはなく、メールで掲載許可をとって終わりにした。

 だが一つ、心霊映像とその撮影場所――オカルトスポットについての噂を送ってくれた投稿者がいた。

 詳しい話が聞きたいとメールを送ったところ、直接会って話がしたいという返事がきたため、今日この日を待ち合わせとしていたのだ。

 都内に住んでいるということで、こちらから相手方の最寄駅まで行ってもよかったのだが、こちらの都合に合わせてくれるということで、大学の講義終わりで行ける馴染みの喫茶店を指定したのだった。

 私は山城の時と同じように、机の上に怪談本を置き、珈琲を飲みながら待っていた。

 手帳を開いて、ここ最近の予定をチェックする。

 既に一度講義をサボってしまってはいたものの、ゴールデンウィーク明けになっても気力自体はまだ十分にあった。

 これまでの三年間は、ゴールデンウィーク中に五月病に罹患し、前期の単位を大量に落とすという愚行を繰り返してきたが、今年の私は一味違うという確信があった。

 教育学部生でありながら、卒業までの教員免許の取得は絶望的だが、教師になるつもりなどさらさらないので、そこは問題ない。

 教職を取り、なおかつ卒業などとそこまでの贅沢は望まない。

 この調子であれば、来年はフランス語Ⅱと卒業論文の提出、あと一つか二つ楽に単位が取れる講義で卒業できるはずだ。

〝なぜ一年時からこのようにやっておかなかったのか?〟と自問するも、まったく理由がわからない。オカルトである。


 ふいに二人掛けテーブルの正面の椅子が引かれる。

 私は顔を上げる。

 そして、全く隠そうという気もなく、不快感を露わにした。

 私の目の前に座ったのは、深夜の墓地に通っていたヤバい女――佐倉乃亜だったのだ。

 あの日と同じ赤いワンピースを纏って微笑んでいる。


「お久しぶりです」

「はぁ」


 私の「はぁ」は挨拶であり、溜息でもあった。


     *


 佐倉乃亜が持ってきたのは都内にありながら、東京とは思えない静かな住宅街にぽつんとある廃屋とそこで撮影された自主制作映画の噂だった。

 私に会うための嘘というわけではないらしい。

 ただ、正確な場所を投稿メールに書いてしまうと、私が一人で調査に行ってしまう、それは困るということで、あえて曖昧な内容にしたという。


 私たちは珈琲をもう一杯ずつ注文する。


「佐倉さんはなんで僕に付きまとうんですか?」


 極力冷静に言ったつもりだったが、苛立ちを隠し切れたかどうかはわからない。


「米田さんが調べてる怪談に興味があるからです。やっぱり私一人では調査にも限界があると思ってました」

「はぁ。じゃあ、雑誌買ってくださいよ。調べたこと大体ちゃんと書いてますよ。実話怪談を謳ってますから、多少の脚色やリライトはしてますけど、投稿者が嘘吐いてない限りは本当のことが書いてありますんで」

「買いました。買って読んだから、こうしてここにいます。米田さんが取材して、雑誌に載せていた怪談やオカルトスポットは私の研究にとても重要なんです」

「意味がわからないな」

「意味がわかりませんか?」

「むしろ、どうやったら僕がわかってると判断できるのか不思議でならないですね」


 彼女は細くて白い腕を組み、逡巡した。


「わかりました。以前にファミレスでお話しした以上にきちんと説明します。それで……納得してもらえれば、私を取材に同行させてください。邪魔はしません」


 正直面倒ではあるし、同行されるというだけで邪魔なのだが、彼女が投稿してくれた廃屋や映画の噂には興味があったし、その真摯な態度に少しくらいなら話を聞いてやってもいいかという気持ちになっていた。

 決して、昼間にちゃんと喫茶店で向かい合ってみると、彼女が可愛らしい容姿をしていると再確認してしまい、好意を持ち始めているからというわけではない。多分。


 彼女は普段はまっとうな――学会で発表することができ、就職活動の際に企業推薦がもらえるような――研究をしている。

 以前に私と山城に説明した量子脳理論の研究はあくまで趣味的研究であり、専攻としては神経科学になるらしい。

 私にはどっちがどのようなものかはわからないが、彼女の趣味はかなりオカルト寄りのもので、研究室で大きな声で言えるような代物ではないという。

 オカルトスポットや怪談を研究に繋げるなんてことがまっとうでないことくらいは私にも理解できる。

 彼女自身マッドサイエンティストの類であることの自覚はあるという。


「で、まだよくわからないんですけど、それが怪談と何の関係があるんですか?」

「私はあの世といいますか、この世界からは観測が難しい異界があると信じていてですね、それは科学的に証明できるとも思ってます。オカルトスポット的なところでの行方不明者は別世界に行ってしまっているんじゃないかなと」

「はぁ」


 私はこの日何度目かの溜息を兼ねた相槌を打つ。


「ただ具体的にどういうものか証明したいというわけではないんです。ただ特定の条件下で異界に行けるのなら行きたいと。そんな夢を見ているわけです。実際に入口らしきものは何回か発見しているんですが……」

「あぁ、それで……そういう場所を調べてるわけだ」

「はい。先日、お会いした山城さんのマンションで私と米田さんが一緒に見たあの行くことができない四階のようなものがそれですね、異界の入り口だとネットの掲示板に書いてありました。具体的な場所は書かれてなかったんですが、同じ人の別の書き込みから場所を推測しまして……ただ、どうしても入ることができなくて。書き込んだ人に質問もしてみたんですが、無視されました」

「そうですか」

「私はそういった類の怪談を蒐集してるので米田さんに情報提供ができます。ただ、取材の名目がないと行きにくいところがあります」

「なるほど……」

「そういうわけで、どうでしょう? お互いに協力するというのは」


 彼女が一人だと行きにくい場所があるというのは理解できる。

 私も深夜に出歩いたり、写真を撮ったりすることで、何度か職務質問を受けたことがある。

 その度に名刺と自身が執筆した記事に助けられてきた。

 だいたいの場合、ちょっとした雑談だけで解放される。

 女性が一人で深夜をうろうろすると職務質問以外にも危険はあるだろう。

 彼女が記事の材料を提供し、私が出版社の名刺や取材の名目で現場を訪れる際に同行というのはお互いに得しかないのは確かだ。

 一つ、彼女に抱いている感情をどう処理するかだけがネックだった。

 しかし、明るい場所で会った彼女の魅力に抗えず、逡巡したものの首を縦に振ってしまったのだった。


「では、これから一緒に頑張りましょう。私たちはもう同志ということで敬語じゃなくていいですよ」

「じゃあ、佐倉さんも敬語じゃなくていいよ」

「私は敬語がデフォなのでこのままで」


 ――はぁ。じゃあ、お互いに敬語のままでもいいじゃないかよ。

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