第6話 操山出版の仕事

 週に四日、操山出版で仕事をしている。

 大学には週に三日。

 講義とバイトが重なる日があるので、休日は二日ある。

 今はゴールデンウィーク中なのでバイトしかしていない。

 もはや自分が学生なのかどうか自信がなくなってきていた。


「はい、責了」


 自分のデスクで先日の山城のマンションでの出来事について記事を書いていたところ、社長/編集長から紙束を渡される。

 私は基本的に社長ではなく編集長だと認識しており、そう接していた。

 編集長の矢田部は春先だというのに汗だくだった。

 体重が三桁の巨漢であり、ただ存在するだけで周囲の体感温度を三度上げている。

 年中半袖だが、「寒い」と口にするのを聞いたことがない。


「ありがとうございます」


 私は受け取ると、スキャンデータをとり、ウェブデザイナーにウェブページが責了した旨とあわせてメールで送信する。

 怪談雑誌だけではなく、操山出版のHPの更新も私の仕事だ。

 小さな版元のHPであり、大したコンテンツなどない。

 月に一度、翌月発売の雑誌や単行本の刊行予定を差し替える程度だ。アルバイトがやっても問題がない。

 雑誌や書籍の内容が固まったタイミングで、どこをどう差し替えるのか、テキストや書影のjpgデータなど必要なものをまとめて外部のウェブデザイナーに送るだけである。


「お前もだいぶわかってきたな」

「なにがですか?」

「誤字脱字がかなり少なくなってきたし、ヤクザ関係の箇所は完璧だな」

「あぁ。まぁ、あれだけ叱られれば……」



 以前、編集長だったか私だったかのミスでとある組の若頭の名前の「萩」の字を「荻」としたまま校了してしまったことがあった。

 もちろん、きちんと校正が入る雑誌ではなくHPの次号予告の部分だ。

 本誌はその筋に詳しい外部校正者に見てもらっている。

 その筋に詳しい校正者がなぜ詳しいのかは怖くて聞けていない。

 次号予告は雑誌の台割を見ながら、私が書くのでおそらく転記ミスだった――結局、台割が間違っていたのかどうかを確かめることはしなかった――のだと思う。

 実際に印刷されて世に出るものに誤字があったわけでもなく、すぐに修正されたにもかかわらず会社にはクレームの電話が鳴り響き、実際に会社にまでヤクザが押しかける事態になった。

 たまたま私が休みの日の出来事だったので、その場面を直接見たわけではないが、後に営業担当の東【ひがし】さん――以前、編集長と同じ版元にいたという不健康そうな中年男性――に聞いたところ、編集長はすべて自分のミスだと言って土下座したそうだ。

 特に暴力を振るわれるようなことはなかったという。

 そして、次に出社した時、編集長に私は泣くほど怒鳴られ――実際に泣きはしないが――、HPに訂正の謝罪文を掲載することになった。

 東さんとしては、当然ながら校了責任があるのは編集長であり、自分のせいだと土下座したところで恰好良くもなんともないし、社員でもないライターの私が責任を感じる必要はないと言ってくれた。

 ただ、紙で同じミスがあると、場合によっては回収になるし、最低でも次号に謝罪広告を載せなければならないので面倒くさいから勘弁してほしいと笑った。

 今回はウェブだからよかった、編集長も最近君が成長してきて色々任せて大丈夫になったからタルんでたし、良いタイミング且つ良い塩梅のミスだったと東さんは言った。


「別にヤクザ関係の記事でも、名前間違ってなきゃいいんだよ。組と構成員の名前だけは間違えると本当にとんでもないことになるからな」

「はぁ」


 イエスともノーともつかない返事をする。

 私はあくまで『怪奇世界』のライターであり、HPの更新でしかそちらに触れることはないのだ。

 しかしこの一件以来、適当に書いていた予告も名前の部分だけはきっちり調べるようになった。

 そうすると必然的にその他の部分の誤字脱字も消えていくというだけのことだ。


「読者側も最近の情勢を知るためというより、自分や尊敬する人間の名前が本に載るってことが嬉しくて読むって側面が大きいわけだからな。そこが間違ってると怒るわな」

「まぁ、そうでしょうね。でも、けっこう厳しいことも書きますよね、編集長」

「そればっかりはな。内部のバラしたらマズい話は書かないが、調べれば誰でもわかる範囲のことはきっちり書かないと。ただのヤクザ写真集になっちまうだろ」


 それが冗談なのかなんかのかわからなかった私は曖昧に笑って、再び担当記事の執筆に取り掛かる。

 アルバイトの立場ながら、自分専用のデスクとノートPCをもらってはいるものの、作業環境としては劣悪であり、時給制かつ好きなだけいてもいいといっても長居したくはないのだ。

 すると、経理の杉本さんが余計なことを言った。


「せっかく育っても、そろそろ卒業でしょ? 次のバイト連れてきてもらわなきゃ」


 彼女は美人だが、胸元から首にかけて覗く火傷の跡が痛々しい。

 どうして火傷を負うことになったのか、本人はもちろん誰かに尋ねたことはないし、全員見て見ぬふりをするのが暗黙の了解となっている。

 三十前後だと思うが、正確な年齢もまたわからない。

 編集長、東さんは大手出版社からの独立だが、彼女だけはどういう経緯でこんなところで、経理をやっているのか想像がつかない。

 そう、留年で一年延長しているものの、私もいずれは就職活動をしなければならない。

 口には出さないが、こんなところにそのまま就職したいとは思っていない。


「そうですね、大学の後輩で興味ありそうなやついないか探しときます。僕も就活ありますし」

「え? お前、就職するの?」


 驚かれるのは心外だ。


「そりゃあ、しなきゃいけないとは思ってますが」


 私だって大学を卒業してからもこんなわけのわからない、いつ潰れるかわからないようなところで働き続けるわけにはいかない。


「あれ、お前って今年卒業だっけ?」

「いや、もう留年確定してるんで、今年いっぱいはここいます。来年卒業できる目途が立てば……冬から就活もしようかなと」

「お前……五月に入ったばっかりでもう留年が確定してるのか」

「そんな顔で見られてもリアクションに困るんですが。語学の単位が足りないのでどう頑張ったところで無理なものは無理なんです。というか、三月あたりに一回この話してると思いますけど」

「一見すると真面目な好青年っぽいのに、実際は全然真面目じゃないのな」


 編集長は私が就職すると困るような口ぶりであったが、留年が確定していることを知ると憐みと蔑みの視線を向けてきた。


 ――卒業してほしいのか、してほしくないのか。どっちなんだよ。


「目は死んでますし、ちゃんとどことなくクズっぽい雰囲気醸し出してますよ」


 杉本さんが言う。

 特に悪気もなさそうだったので、肯定も否定もせずに曖昧に首を傾げたが、少しだけ傷ついてもいた。


「目は確かに死んでる。だが、他人に共感とかできなさそうで、感情の起伏が薄いところは高く評価している。怪談やオカルトに対して過剰に怖がらないが興味がある奴ってのはなかなかいないんだ。いつかはヤクザの取材も任せたいんだよなぁ。お前、うちに就職しろよ。正社員で採ってやるから」


 私はこんな褒められ方をして喜べるような性質ではない。

 だが、怒るのも少し違うので、肩を竦めるだけに留めた。


「考えておきますよ」

「激務薄給でボーナスは出ないけどな」


 編集長は闊達に笑ったが、編集長以外は誰も笑わなかった。

 私はちゃんと就職活動をしようと思った。



 そして誰も会話の穂を接がなくなると、各自仕事に戻っていく。

 メールの受信ボックスを開き、怪談やオカルトスポットに関する投稿メールを一件ずつチェックしていく。

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