第5話 なにをもって解決とするのか?

 私は彼女と簡単な打ち合わせをした後、山城を連れて近くにある二四時間営業のファミレスを訪れた。


「佐倉乃亜と申します」


 赤い服を纏った小柄な彼女はそう名乗った。

 彼女は私たちの大学の先輩であり――学部は理工学部だったそうだ――今は大学院で量子脳理論の研究をしているという。

 その研究の一環として、怪談の現場を訪れていると説明した。

 ペンローズ・ハメロフ・アプローチがどうとか言っていたが、文系である私たちにはまるで呪文か何かのようで、二人して後から「何言ってんのかさっぱりわからなかった」と笑い合った。


「なーんだ、幽霊じゃなかったんですね」

「怖がらせてしまったようで申し訳ありません」


 私と山城が並んで座り、彼女はテーブルを挟んで向かいに座っていたのだが、テーブルに額がつくほど深く頭を下げた。


「そんなそんな、頭上げてください。俺が臆病だったのが悪いんで。むしろ、こっちがごめんなさいです」


 山城も外国産の鳥の巣のような頭をテーブルに擦りつけるようにする。


「ごめんなさい」「こちらこそ」の応酬が終わるのを、私は紫煙を吹き流しながら待った。



 乃亜は自身が量子脳理論の研究者であると同時にオカルトマニア――怪談の現場に足を運ぶほどの――であると我々に説明した。


「オカルトスポットを巡っていたんですが、まさか私自身が幽霊だと間違われるとは……お恥ずかしい限り。ミイラ取りがミイラみたいな話ですね」


 私は何が恥ずかしいのか理解できなかったし、彼女の例えも適切でないように思えたが水を差すように思えたので、口には出さなかった。


「いえいえ、こちらこそよく見たら、可愛らしい女性だったのに、ビビりなばっかりに米田先輩まで巻き込んで大騒ぎしてしまいまして」

「まぁ、そういうわけで、山城の家は別にオカルトスポットでもなんでもなかったわけだな」


 私がそう言うと、山城は逡巡した後、再び不安そうな顔になった。


「でも……」

「でも、なんだ?」


 そうは言うものの、私は彼が言わんとすることがわかっていた。


「その……」

「お前の部屋に出たって赤ん坊のことだろ?」

「そう、です」


 そこが解決されていない以上、山城も安心して寝られるというわけではないのだ。

 ひょっとしたら、このままなんとなく流れでその件も解決したような雰囲気にもっていけるのではないかと思っていたが、世の中そこまで甘くはないらしい。


「実はそれはとっくに解決してる」

「え?」

「幽霊女の件が解決してから説明しようと思ってたんだ」



 そして、私は山城が赤ん坊の幽霊を見たというのが勘違いであるということについての説明を始める。


「山城が赤ん坊を見たと思ったのは、テレビだ。お前が赤ん坊の幽霊を見た日のテレビ番組表を調べたんだよ。で、深夜の時間帯に勘違いしそうな番組がないかと思ったら、案の定あった。産婦人科医が主人公のドラマの再放送がやってた。おそらく、テレビのリモコンを踏んだか何か、意図せずに電源を点けてしまったんだろ。で、ちょうど赤ん坊が出てるシーンを観て、幽霊が出たと勘違いしたわけだ。家から退避してる間に一定時間の未操作による自動電源オフ機能でテレビが消えてしまったから、家に帰ってきても真実に気づけなかったんじゃないか?」

「な、なるほど。先輩の言うことは筋が通ってる気がします」

「最初に話を聞いた段階で、そんなことだろうとは思ってたんだけどな」

「じゃあ、最初から言ってくださいよ」


 安心したら、喉の渇きが気になってきたのか、山城はメロンソーダを一気に流し込み、むせた。

 私は彼が落ち着くのを待って続ける。


「最初にその予想を伝えて、もし赤ん坊が出てくるような番組が見つからなかったら、それこそ大変なことになるだろ。それに僕の予想で一番有力だったのは消音状態でホラー映画を点けてしまって、気づかなかったんだろうってのだ。実際に調べてみて、あぁ、ホラー映画じゃなくて、これのことだなって思ったわけだし」

「なるほど」


 山城は相好を崩した。

 どうやら完全に納得したらしい。


「今回は不幸な偶然が重なって、心霊現象みたいに見えただけってことだね」

「先輩……ありがとうございます」

「可愛い後輩のためだからね。でも、早めに引っ越した方がいいとは思うな」

「なんでですか?」


 山城が急に不安そうな表情になる。


 ――いちいち表情に出る男だな。


 私はしばし神妙な雰囲気を醸しだし、しっかりと間を溜めてからこう言った。


「実際に行ってみて思ったんだが、三角形の部屋は住みにくい。角が使えないから実際の敷地面積どおりにスペースが使えなくて損だろ」

「あぁ、そういうことですか」

「それに今回はお前の勘違いだったにしろ、墓地の目の前であることには変わりないからな」

「そっすね……バイト全部夜勤にしたおかげでちょっと金できそうなんで、もうちょっとしたら引っ越すことにします」

「うん、そうしなよ」

「今度、お礼に飯奢らせてください」

「いいよ、そんなの別に。でも、雑誌にはどこまで書くかは悩ましいところだな……ま、山城が話してくれたとこまでが妥当かな」


 これにて一件落着ということで解散になった。

 しかし、ここまでの話はあくまで山城のために吐いた嘘である。

 彼にとっての真実はこれでいい。


     *


 解散した後、私は佐倉乃亜と今度は二人で先ほどのファミレスに戻っていた。

 正直、この女にはあまりお近づきにはなりたくないというのがこの時の私の気持ちだった。

 風貌は私の女性の好みには一致している。

 だが、内面の異様さに本能が距離を置きたがっていたのだ。

 目の前で莞爾と微笑む中学生にも見える年上の女性はどちらかと言わずともヤバい奴である。

 私のように仕事というわけでもなく、山城のようにオカルト現象の被害をこうむっているわけでもない。ただの趣味で深夜の墓地を単独で訪れることができる女に魅力を感じるのは難しい。

 しかし、先ほど一芝居うつのに協力してもらった手前、彼女の〝今度は二人で話しがしたい〟という誘いを無碍にはできなかった。

 この出会いが昼間であれば、尻尾を振ってファミレスではなくもっと洒落た店を訪れていただろうが……。


「先ほどはありがとうございました」私は改めて頭を下げる。


 自身が幽霊などではないと後輩の前で証明してもらい、さらにどういった条件下で起こるのかは謎だが、三階建のマンションに四階が出現することを黙ってくれていたことに対しての礼だった。


「いえいえ」


 彼女は小さな手をひらひらと振る。


「ところで、お話というのは?」

「米田さんはオカルト雑誌の編集者なんですよね?」


 ちょっと違う。


「編集者、ではないですね。編集っぽいこともやらされてますけど、基本はライター・記者です。バイト契約なんですけど」


 彼女は小さな口で何かを咀嚼するようにして考える癖があるらしい。それはまるでリスの食事のようだった。


「でも、怖い話とか不思議な話は集めてるんですよね?」

「まぁ、それはそうですね」


 私は嘘を吐くこともないだろうと正直に言った。


「素敵ですね。私と連絡先を交換しましょう」


 彼女はスマートフォンを取り出しながらそう言った。

 私は――あぁ、ヤバい女に目をつけられたな――そう思った。

 そして――。

 丁重に断った。

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