第4話 オカルトマンションの怪

 墓地の入り口は施錠されていなかった。

 すっかり落ち着いた私は、恐怖よりも変質者の女と対峙する緊張で軽く手が震えていた。

 運動は得意ではない、どちらかというと虚弱体質だ。

 山城の部屋から見た限りでは、女の体型は小柄だし、なんとかなると山城には言ったが、包丁や凶器を本当に隠し持っていたら、無傷では済まないかもしれない。

 私は墓地へそっと足を踏み入れる。

 マンション横の細い通路を抜けると、視界が拓けた。

 電灯はない。

 墓地を照らすのは、墓地を囲む建物の窓の明かりだけ。

 恐怖心が麻痺している私でも流石に緊張した。

 幽霊がいるかもしれない場所に行けと言われれば、なんの躊躇もなく行くことができる。だが、今回はそうではない。

 いるのは恐らく深夜の墓地に今日をあわせて少なくとも二回以上訪れる理由がある女だ。

 そんなものが碌な人間であろうはずがない。

 正気を失っているか、ストーカーか、自分のように怪異を金に換えるクズ。あるいはその全てを満たす者しかありえない。


 而して赤い服の女は墓地のど真ん中に立っていた。

 窓が開け放たれた山城の部屋をじっと見上げている。

 周囲のマンションの数少ない光にうっすらと照らされた顔に化粧気はないが、美人に分類されるのは間違いない。整った顔をしているのがわかった。

 髪はボブカットで薄く茶色がかっている。

 年齢はよくわからない。非常に小柄で中学生か高校生にも見えるが、私と同い年くらいにも見えた。

 赤いワンピースを除けば、幽霊には似つかわしくない風貌である。

 彼女は私の存在に気づいたか気づかないか、顔を下ろす。


「すみません」

「あ、はい」


 女はまるで話しかけられているのが、自分でいいのか確信が持てないようなそぶりで不安げに返事をした。

 この墓地でこの女以外に話しかけられるような者はない。

 できれば、確信を持って返事をしてほしかった。

 私の方はますます不安になった。


「こんな時間にここで何をしてらっしゃるんでしょう?」

「えーっと、ご迷惑でしたか?」


 どうにも会話が噛みあっているようないないような。

 正直に言えば、この女は立っているだけで他人に迷惑をかけている。


「そうですね、大変申し上げにくいんですが……迷惑です。あなたが今見上げていた三階の部屋の住人が僕の後輩なんですが、あなたに怯えてまして。要するに深夜の墓地に幽霊が現れると思い込んでるんですよ」

「えっと、あの窓が開いてる部屋ですか?」

「そうですね。最上階の」


 女は小首を傾げ、莞爾と微笑んだ。


「それはどうもすみませんでした」


 意外と物わかりが良くて、私は安心した。

 こんな深夜の墓地のど真ん中で言い争いにでもなったらどうしようかと心配していたのだ。だが、それは杞憂に終わるらしい。


「いえ、わかっていただければ結構です。今後は昼間とかにしてください」

「うーん、やっぱりこの時間に来るのは駄目でしょうか?」


 ――おいおい、こいつ本気かよ。勘弁しろよ。


 私は恐怖ではなく、話が通じないことからくるストレスで頭が痛くなってきた。


「駄目でしょう。通報されてもおかしくない状況ですよ」

「そうですよねぇ……困ったなぁ」

「あのー、いったいどういった理由で深夜の二時にこんな所に?」

「うーん……言っても信じてもらえるかどうか?」

「とりあえず、話していただかないと判断できないので……いや、別に僕がもう二度と来るなとか言える立場ではないんですが」


 すると、彼女は再び視線を山城の部屋に映し、人差し指で差した。


「あの部屋に何かあるんですか?」私は尋ねた。

「勘違いさせてしまったのは申し訳なかったです。ただ、私が見てたのは三階じゃなくて、その上なんです」

「あぁ、山城の部屋じゃなくて、四階の部屋を見てたんですね。って、それでも駄目でしょう。あなたが住んでる部屋ならともかく」


 そこまで口にして私は何かがおかしいような気がしたがその違和感の正体がすぐに思い当たらない。


「誰か住んでるのかなと思って」女が言う。「見てたんですけど、深夜の二時にしか見えないんですよね、あの部屋」


 彼女が何を言っているのかよくわからないまま、四階を眺める。

 なんの変哲もないマンションだ。三角形の土地に無理やり建てていることを除けば。

 いやそれがおかしいのだった。


「え?」


 私は目を疑った。


 彼女が見ていたのは、四階だった。

 私が見ているのも四階。


 ――このマンションは三階建てだ。


「気になりませんか?」


 彼女に問われた私は曖昧に頷いた。


「あれ、なんなんですか?」

「それが知りたくて、ここに来たんですが……まぁ、でもあそこには行けそうにないので。実はマンションに忍び込んだり、こっそりよじ登って屋上で待ってみたりもしたんですが、そうすると辿りつけないんですよね」

「そ、そうですか」

「でも試せることはだいたい試しましたし、あそこに入るのは難しそうなので諦めることにします」


 その時、私の行為は無意識だったように思う。

 ポケットのスマートフォンを取り出し、カメラを起動するが写真は暗すぎて上手く撮れなかった。

仕方がないのでメモ機能を起動し、この状況を認める。

 その姿が彼女にはどうやら滑稽に映ったらしい。


「ふふ」

「なんですか?」

「メモ取ってるのがおかしくて」


 たしかに墓地でメモを取る人間というのはなかなかいないだろう。

 そして、こんなところに一人で来られる女性からしたらそれは同類だと判断するに足る行為であったようだ。


「どうしてメモなんて取るんです?」


 私は手短に自分がこのすぐ近くにある私立大学に通う傍らオカルト雑誌のライターをしていることを説明した。

 そのつながりで山城と知り合い、仕事の取材を兼ねて、幽霊に怯える彼のために一肌脱ごうとしたのだと。


「それは素敵ですね!」

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