第2話 墓地を見下ろすマンション
彼の話をかいつまむとこういうことだった――。
昨年、上京してきた彼は東京の地理に疎く、不動産屋の「絶対に大学から少し離れたところに住んだ方がいい。家賃は安いし、友達の溜まり場にされずに済む」という言葉にまんまと騙され、東京と言っていいのか一瞬悩むほどの西端に住むことになった。
しかし、住んでみれば家賃は安くとも何処へ行くにも交通費がかかり、結果的に大学近くのアパートに暮らすのとほぼ変わらない出費となってしまった。
それだけではなく、午前中の講義に出席するためには通勤通学ラッシュでもみくちゃにされる。その苦痛は、電車慣れしていない田舎出身の彼には耐えられるものではなかった。
契約は二年だったが、このままでは大学に行かなくなってしまうのは時間の問題だと、一念発起した彼は二年生に上がる前に大学近くのマンションへの引っ越しを決心したのだった。
そして、受験合格発表前かつ卒業生が出ていくために狙い目と言われる二月に物件を探し、三月に大学近くに引っ越してきたのだが、またも不動産屋に騙され……今度は幽霊マンションに住むことになってしまったのだという。
「そのマンションって何が変なの?」私は尋ねる。
「三階建てのマンションの最上階なんですけど……部屋が三角形なんです」
「は?」
「部屋が三角なんですよ」
「聞こえなかったわけじゃないよ」
「すみません。まぁ、それは納得して借りたんでいいんですけど」
「そこはいいのかよ」
「はい、だから安かったってのもありますし」
「はぁ……まぁ、うん。内覧はしなかったの?」
「しました。したんで、部屋が三角ってこと以上に変なとこなんてないって思い込んじゃったんですよね。今、思えば変なとこあったんですが……」
「どこ?」
「窓が全部かなりきつい摺りガラスだったんですよ。内覧に行ったのが夜だったから、外の景色が見えないことに気づかなかったんですよね」
私はなにやら嫌な予感がし、自分の唾液が苦くなってきたのを誤魔化すために珈琲を口に含んだ。
「で、窓開けたら何が見えたの?」
「まぁ、ベタな話なんですけど、墓地です」
「墓地なんてこのへんあったかな」
「ふつうに大学に通ってるだけだと見つけられないと思います。なんか細い路地入ったところにぽつんとあるんですけど、大通りからだと見えないんですよ」
どのあたりか具体的な場所を聞いたが、それでも私にはピンとこなかった。
毎日のように近くを通っているはずの位置なのにだ。
「で、幽霊が見えるっていうのはその墓地に?」
山城は何を見たのかを訥々と語り始めた。
引っ越し当日、彼はマンション最上階の自室の窓を開けた瞬間に騙されたことを知った。
不動産屋は窓の外の景色のことは何も言わなかった。
今思えば、夜遅いとか、ご近所の迷惑にならないようにとか、なんとなく窓を開けにくくなるようなことを遠回しに言いながら、自分を窓に近づけようとしなかった。
なぜあの時、外の景色が見たいと言い出せなかったのか。自分の迂闊さを苦々しく思うが、時すでに遅し。
引っ越し業者によって荷物がどんどん運び込まれてくる。
彼はなるべく窓を開けずに生活するしかないと覚悟を決めたという。
もう一度引っ越すほどの貯金はないのだから。
引っ越し当日の晩、窓のすぐ外に墓地があるというのはどうにも落ち着かず、さらに三角形という奇妙な形状は思った以上に家具の配置のすわりが悪い。
まだ中身を出してもいない段ボールを部屋の端に寄せ、部屋の中心に布団を敷いて寝ることにするも、様々なことが気になって、彼はなかなか寝つくことができなかった。
引っ越しの疲れからか一旦は意識が飛んだのだが、誰かに見られているような視線が気になって目が覚めてしまう。
夢と現実を混同しているのだろうと思うも、視線を感じた先が気になってもう寝つくことができない。
そう、窓の向こうから感じる得体のしれない気配。
しかし、カーテンと摺りガラスで遮られている。仮にベランダに人が立っていたとして、室内を覗き込むことなどできはしない。
しかも、彼の部屋は三階だ。
だが、その時は深夜二時。そこから夜明けまで待ち続けるのは避けたかった。翌日はアルバイトの早番だったということもある。
彼は勇気を振り絞ると、部屋の電灯も点けず、窓を少し開き、外の墓地を見下ろす。
――ひっ。
思わず、彼は心の中で悲鳴を上げたらしい。
というのも、下の階の電灯などでギリギリ視認できる程度に照らされた深夜の墓地の中心に赤い服の女が立っており、こちらを見上げていたというのだ。
心臓が止まるかと思ったら次の瞬間、今度は全身が心臓になったかのように激しい動悸と発熱を感じ、咄嗟に窓を閉める。
あれは幽霊なのか、それとも頭のオカシイ女なのか。
どちらにせよ、不気味で仕方がない。
ホラー映画や怪談の類は苦手ではないと思っていたが、実際に奇妙なものを目にするとこんなにも恐ろしいものかと布団の上に四つん這いになって、呼吸を整えようとする。
すると、三角形の部屋の端になにかぬいぐるみのようなものが転がったことに気づく。
ぬいぐるみなんて持っていない。
では、あれは何だろうか。引っ越しの荷物の中に目の前にあるものに近しいものがあったかどうか考えながら、目が慣れるのを待つ。
その輪郭をはっきり捉えた彼はあまりの恐怖に寝間着として着ていたジャージのまま外に飛び出した。
「それはなんだったの?」私は思わず尋ねる。
「赤ん坊でした」
「赤ん坊?」
「そうです。こっちを見て笑ってました。俺の方に向かって暗闇の中、這ってきて……」
「なるほどね。で、家を飛び出してどうしたの?」
「日が昇るまでコンビニで立ち読みしてました。で、朝の五時くらいに家帰って、シャワー浴びて、友達の家行って寝かせてもらいました」
「それは大変だったね」
「あの日からずっと明け方に寝て、昼過ぎに起きるって生活リズムになっちゃってます。バイトも深夜バイトに変えて、夜に家にいなきゃいけない日は電気点けてずっと起きてます」
彼は出会ったときの元気をすっかり失ってしまい、憔悴した面持ちで言った。
「このこと誰かに相談は?」
「してないです。お化けが怖いなんて知り合いにはなかなか話しづらくて」
「まぁ、そうだね。今日はなかなかいい話聞かせてもらったよ。いい記事が書けそうだ。ありがとうね。はい、これ粗品」
私は彼に五〇〇円分の金券を手渡した。
「あのー」
「ん?」
私が伝票を持って席を立とうとすると、何か言いたげに話しかけてくる。
「ここの代金は気にしなくて大丈夫。経費で落ちることになってる」
「いや、そうじゃなくて、これで終わりですか?」
「これで終わり、とは?」
私は彼の言いたいことはわかっていたが、あえて気づかないフリをして恍けた。
「その……なんか、お祓いしてくれたりとか」
「僕、霊媒師でも霊能者でもないからなぁ。出版社でバイトしてるライターだし」
「そうですよね……じゃあ、他にも似たような体験した人がどうやって解決したとか教えてくれたりは?」
「今回の怪談は初のケースであんまり似たようなのは聞いたことないなぁ。バックナンバーとか調べたら出てくるのかもしれないけど。じゃあ、そういうことで」
「いや……ちょっと待ってください」
「まだ何かある?」
「……あ、そうだ!」
彼はなにかを思いついたらしく、子犬のような表情をして、私の袖を掴んだ。
私は嫌な予感がしたが、彼の言葉を待ったのだった。
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