エピローグ 3

「……ぼ、く、」

 貴方の愛は受け入れられないと。受け入れてはいけないのだと。そう言うべきだし、言わなければならない。愛されることで至高の美しさを損ねてしまうかもしれないという恐怖が、早く拒絶しろと少年を責め立てる。けれど彼には、そうすることができなかった。

「愛しているよ、キョウヤ。誰よりも何よりも、お前のことを、こんなにも愛している」

「……っ、」

 きっと、王が今差し出している愛情は、少年が幼い頃からずっと求めてきたものに似ている。だからこそ、拒絶しきれない。それを甘んじて受けることはできないけれど、だからといって、いらないとも言えなかった。

 だが、それでも拒絶しなければならないのだ。目の前の美しさが損なわれてしまう前に、早く。

 全身の血が凍るほどの恐怖に晒された少年が、震える唇を開こうとしたとき、そっとそこに、温かな何かが触れた。

 それが王の唇であると気づくのに、どれだけの時間を要しただろうか。だが、口づけの時間自体はそれほど長いものではなかった。呆気にとられた少年が目を丸くしている間に離れていったから、きっと瞬き二回分ほどの時間だ。

「そう難しく考えるものではないぞ、キョウヤ。私がお前を愛したからといって、何が変わる訳でもないのだ。ああいや、変わるには変わるな。私が幸せな気持ちになれる」

 拒絶を紡ぐはずだった唇は、先程の王の体温がまるで火傷のように残っていて、うまく動かすことができない。

「先にこの上ない幸福をくれたのは、お前なのだ。ならば、今度は私が全力でお前を幸せにする番ではないか」

「……そ、んな、」

 貴方に幸せなんて、あげてない。僕が他人に与えられるものなんて、良くないものばっかりだ。

 そう言いたいのに、やはりうまく言葉が出てこない。色々な感情がないまぜになった瞳で王を見れば、炎を孕んだ金の瞳がそこにあった。その瞳の炎のあまりの温かさに、少年はとうとう無意識に、ぽろりと言葉を零してしまう。

「…………いいの、かな……」

 か細い声が少年の唇から漏れ出た。その小さな呟きに、果たして王は何を思ったのだろうか。

「……良い。許しが必要なのであれば、私が許そう。贖罪が必要なのであれば、私が償おう」

 跪いたままの王が、これ以上ないほどに愛情に満ちた、優しい表情を浮かべた。

「愛している、キョウヤ。お前が自分の気持ちに気づけるまで、私はずっと、永遠に待ち続けよう。たとえお前の答えを聞けぬまま死を迎えたとしても、後悔はない。言葉にし尽くせないほどに、心からお前を愛している。だからどうか、愛するお前の口から、お前の言葉で、私の誕生を祝ってくれぬか?」

 何処かから、綺麗な鐘の音が聞こえる。同時に窓の外で歓声が上がるのが、耳に届いた。

 これまでの年が去り、新しい年が誕生したのだ。それならば今この瞬間が、この王が産声を上げた時なのだろう。

「…………ぼく、」

 小さな声が、少年の口から零れ落ちる。しかしそれは、明確な意思を持って紡がれた音だ。

「……ぼく、まだ、あなたのことを、すきかどうか、わからない、」

 言いながら、少年は葛藤する。絶対にこれは間違っている。間違っていると知っている。けれど、こんなにも言葉を尽くしてくれたこの人から逃げるなんて、そんなことはできなかった。したくなかった。

 それはきっと、少年が必死に掻き集めた、一握りにも満たない勇気だった。

「…………けど、でも、ちゃんと、こたえをだせるように、がんばり、ます……」

 今はまだ自分の気持ちなんて判らない。どれだけ待たせてしまうかも判らない。だからせめて、精一杯自分の言葉で、この人が産まれたことを祝うことができたなら。

 新たな年と王の生誕を祝う鐘の音と歓声が、窓の外で輝いている。その輝きに比べれば、少年のそれなど本当に小さなものだろう。だが、この王はそれをこそ欲しいと言うのだ。ならば、少年は勇気を振り絞る。この人を好きかどうかなんて知らなかったが、この人に応えることは、とても大切なことのような気がしたから。

「……お誕生日、おめでとう、貴方」

 泣き笑いのような下手くそな笑みを浮かべた少年がそう言った瞬間、王の瞳が一層の輝きを増し、赤銅の髪が毛先からきらきらと光を放った。少年はそれに見覚えがある。今は毛先だけだが、あの時は長髪の全てが光り輝いていた。

 一体この人は何者なんだろう。

 そんな考えが一瞬脳裏を過ぎった少年だったが、目の前の王の美しさに、そんなことはもうどうでも良くなってしまう。ただ、王の金の瞳を見つめ、中に孕む炎を見つめ、こう思うのだ。

 ああ、本当に、この人は、

「…………きれい……」

 甘く蕩けるような声を受けて、王がふわりと微笑む。ただ一人、王だけをその目に映す少年の頬をゆるりと撫でて、そして彼は、極上の幸福のひと欠片を零すように、愛しさに満ち満ちた音を紡ぐのだ。

「ああ、私も、お前を愛しているよ」

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かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜 倉橋玲 @ros_kyo

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