黒白5:僕にとって、夢と言うのは。

眠ると、逃れようもなく来るもの。

僕の精神を苛み、蝕んでくる季節病。

冷たく、臭くて、騒がしく。

忘れようとしても忘れえない、纏わり付く黒。


さっと眠れれば中々良い。

濃紺の暗闇だけで終わってくれる。

怒声と罵声と痛みだけで済む。

僕が忘れたいモノを視ないで済むから。


深く眠れたら更に良い。

自分自身が望洋として、気づかなくて済む。

自分が眠っていることに、気づかなくて済むから。


何も視なくて眠れるなら最高だ。

だけどそんなことは一度もなかった。


逃げたくて、逃げたくて。

それでも逃れられなくて。

起きた時に「ああ、やっと終わってくれたか」と思い、自分の無事を喜べるモノ。


嫌で、厭で堪らなく。

いつでも僕に張り付いていて。

それを視るのが厭で、夜のこころを眺め。


終わることのない鈍痛。

止むことの無い痛み。

尽きることの無い呪いの如くに。


ーーつまるところ。

僕にとって、夢と言うのはそう言うものだった。



「…う゛ぅ゛…あ゛ぅ…はぁ…はぁ、………」

その日の目覚めはまあ、最悪ろくでもなかった

自分自身が立てる呻き声で目覚めるのはままある事だけど、その日は特に最悪の極みだった。

予報で今季最低の冷え込みと低気圧だとか言ってた通り、馬鹿みたいに寒い。

ビックリするほど最悪だ。


「…はぁ、……くそ」

ぱこん。さーっ。こぽこぽ。

沸かしていたお湯を出してインスタントコーヒーを………


「…冷めてる、嘘でしょ…」

なんたることだ。夜にサボって沸かし直さなかったのが良くなかったか。

ポットの水…そう、水だ。かつてお湯だったものはすっかり水になってしまっていた。


「…くそったれ」

がぢゃがちゃ。構うものか。

いつもよりも手つきが荒いのは自覚してる。

冷めきった水と入れてしまっていたコーヒー粉、砂糖を混ぜて無理に溶かす。

ぐい。そして一息に飲み干す。


「…うん、不味い」

てーか冷たい。僕のバカ。うるせえ僕。

そりゃ暖かいもの飲みたかったのだから当然満足などとは程遠い感触。


「くそったれめ……」

がぢゃん!雑にマグカップを叩き付けてトイレに。


そのままの勢いで僕は布団に潜り込む。

馬鹿みたいに今日は寒いが、布団には自分自身の温もりが残っている。少し位は暖かさがある。

…どうせ今日は講義やるべきことバイトひまつぶしもない。

寝るって言うなら、昼の方がましだ。


ばたん、ばふん。

「…はい!おやすみ!」

そしてそのまま、僕は二度寝を決め込もうとするのだった。



喧騒。無遠慮。

罵声。無配慮。

獣どもの群れ。


視線。


好奇。物見遊山。

怒気。義憤。

憐憫。見下し。


視線。


憎悪。恐怖。

無知。不安。

排除。隔離。弾き出し。


視線。


端。

暗闇。

世界の外れ。


…こころが、おちつく。

すこしだけだけど。


ここは、ぼくいがいには。

だれもいないから。


…悪意。好奇。面白がり。

悪意。巫山戯。遊戯。

悪意。悪意。悪意。悪意。

悪意悪意悪意悪意悪意悪意。


ーー◼️◼️。

ーー◼️。

ーー◼️◼️。

ーー◼️◼️


…ああ。

だからほうっておいて、といったのに。



「…………う”ぁー……」

喉渇いた。お腹すいた。僕のバカ。知ってるよバカ。

時計を見ればもう昼の四時……昼って言うより夕方?或いは夜?


「水……水を……それも一台や二台では……」

クソ寒いが仕方ない。水飲まないと水分が足りない。


じゃー。水道から直にとって飲む。

冷たい。寒い。身体が冷える。


「くそ、だから冬は嫌いなんだ……」

誰も聞くことの無い毒を吐く。

がちゃ。ともあれこんな冷たいもの飲んでられるか。

お湯だ、お湯を沸かさねば――


――ぴんぽーん。その時だった。

我が家のほぼ使われたことが無いインターホンが鳴ったのは。


「…………?」

疑問に思う。僕の家にやってくるヤツなんていたか?

宣伝とかも最近は来てなかっ……………………


「……嘘でしょ……」

――答えはすぐ外に”視”えていた。


ぴんぽーん。ぴんぽーん。ぴんぽーん。

ぴぽーん。ぴぽーん。ぴぽーん。ぴぽーん。

ぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽーん。


驚くほど連打を決めて来た。全く!

がちゃ!僕はわかりきった相手に向かってドアを開ける。


「――そんなに押さなくても聞こえてるよ!シロ!!!」

「結構押すのが楽しくなっちゃって。思ったより元気そうね」


――何時もの真っ白な女の子シロが、目の前に立っていた。



がちゃがちゃ。沸かしていた湯をぶち込みコーヒーを二杯。

一つは僕の前、もう一つはシロの前に置く。


「……んで?なんで態々僕の家に?」

「砂糖入れ過ぎじゃない?まあ飲むけど」ずずー。

「遠慮も何も無いなぁー!?本当に何の用で来たんですかね!?」


ずず……かちゃん。

シロは余裕が無い僕の台詞を軽く受け流し、コーヒーを楽しんだ後に。


「何でも何も。あんなに暗闇こころが滅茶苦茶になってれば心配にもなるわ」


じっと眼を見つめ、そんなことを言い出した。


「御蔭で授業にも身が入らないわ、この家にも迷わず来れちゃうわで、どうなってるのよ。もう」

「……ちょっと夢見が悪かっただけだよ」

「はぁ……あれを”一寸ちょっと”と言えるなら一寸ちょっとの定義を考え直すべきね」


物凄く呆れられた。びっくりする位呆れている。


「……そんなに酷かった?」

「ええ、とても。災害かと見紛う位には」

「そんなに」


過去最悪の目覚めだとは思ってたが、傍から見てもそう言うレベルだったとは。


「参ったなぁ……本当に、何時もの事なんだけどな……」

眼を逸らしつつ、言い訳を重ねていく。


「……あれが”何時も”?」「う……」

じっ……っ、と言う音が似合う程に、僕のくろを覗きこんでくるしろ


眼が逸らせない。

”言い訳も、嘘も、逃げることは許さない”。

そう言う、光り輝く眼でくらやみを見てくる。


「……いつもは、多分もう少しましです、ハイ」

「”もう少し”?いつも、これよりはマシ程度とは言え”なってる”って事ね?」

「……うう…………」


眼を逸らせない。

そのかがやきが、とても綺麗だから。

そのやさしさが、僕を案じてくれてるのだと、分かってしまうから。

引くことも出来ず、進むことも出来ず。

ただ無言で押されるしかできない、情けない僕を。


「答えてみなさい。普段はどれぐらい?」

「……今日の、三分の一位が平均かな……」

「……それ、やっぱり一寸ちょっとじゃないわよ」


はー。シロは大きめに溜息をついた。


「……まあいいわ、どうせ何も食べてないんでしょう?」

「ぎく」

「と言うか部屋、汚ないわね」

「ぐはぁ」

「散らかり具合も相当ね、もっと掃除しなさい」

「ぎゃあー」


やめて。僕の少ない自尊心はもうぼろぼろよ。


「うう……ダメ人間でごめんなさい……」

「……」

どさどさ。シロが何やら持ってきてたビニール袋を置く。


「…ま、そんなことだろうと思ってた。台所借りるから、その間に掃除して」

「え?」


そして彼女はあまり使われていないキッチンへ行ったのだった。



ずるずる。

「おいし……」「私が作ったんだから当然でしょ」


僕は、シロが手早く作った温うどんinネギを食べていた。


『こういう時にはご飯よ、ご飯。温かい物食べれば元気出るわ』

とのことであるが。


「いや、本当に美味しいなこれ……」ずるずる。

「ふふん、もっと褒めなさい」


……本当に、冗談みたい。


「あったかい……」

「ふふーん。宝石こころもそう言ってるのが視えてとても良い気分」


なんともあっさり、五分とたたないうちにうどんは無くなっていた。

汁も飲んだ。


「ごちそうさまでした……はぁ……」

「はい、御粗末様でした」


快い気分で、ぼんやりと上を見た。


「……どう、元気出た?」

「うん、割と……」

「そ。それなら良し」

「……」


そう、思った以上に割と、僕は元気になっていた。


「元気出たなら帰るわ、門限も近いし」

「……」


ぼんやりとその、小さい背中を見やる。

小さくって、暖かくて、眩しいその背を。

僕は、それに何と声を掛ければよいかわからずに。


「……………シロ…」


何かを言いたいのだ。

でもそれが喉の奥から出てこない。


「言わなくて大丈夫、ちゃんと”視”えてるから無理しないで」

「……うん」


何と情けないことだ。

言いたいことも言えず、気を使われて、それを良しとする自分が。

それが、情けなくて、とても心地良い。


「じゃあ、また。クロ」

だから、せめて。


「…うん、また。シロ」

せめて、せめて。これくらいは返さないと、と思ったのだ。


……ぱたん。

静かにドアが閉まる。

かちゃん。とそれを封じ込めるように鍵をかける。


「……ああ」


茫洋としている。

ぼんやりとしている。

ただ、先ほどまでの暖かな時間を忘れたくなくて。


「…………あ、あー」

……何となく、普通の人が言う事の意味が、分かったかもしれない。


曰く、それはとても心地良い時間で。

曰く、それが醒めてほしくないとこいねがって。

曰く、目覚めた後も、それを懐に抱いて生きて。


「……まるで、夢のよう。って事?」


僕にとって、夢と言うのは。

辛く、苦しく、自らを苛むものだった。


僕にとって、夢と言うのは。

罪科の苦しみを思い出し、確認する見分作業であった。


僕にとって、夢と言うのは。

眠るたびに自分に襲い来る災害でもあった。


――そして。僕にとって、夢と言うのは。


「……醒めたく、ないなあ。これは」


僕にとって、夢と言うのは。

眠っているときに視るべき悪夢あんなものでなく。


「……温かいや」


――起きているときに視る現実ものだったらしい、と。

……そう、僕は思ったのだ。

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硝子の宝石 @manta100

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