第529話 そうとも、俺はそういう男だ

「……見解の相違だな」


 使い魔越しの報告を受けた教皇サレウスは、執務室でそう独り言ちた。

〈聖女会〉がいわばアクエリカを裏切るスタンスを取っている一方、その中にもさらなる裏切り者がいることは、「彼女」自身とサレウス、あとは〈四騎士〉くらいしか知らない。


 色々考えたのだが、アクエリカに教皇選挙で当選してもらうことが、教会にとって結果的・相対的に不利益を減ずることができるルートだというのが、サレウスが得る予測だった。

 ユリアーナ以下五人(カンタータも含めると六人)には悪いが、方針が真っ向から食い違う以上、対立もやむを得ない。


 サレウスのスパイである「彼女」の請願により、〈聖女会〉の面々をなるべく殺さぬよう努力はするが、多少手荒な形でリタイアしてもらう可能性は否めない。

 なにより、もし「彼女」の正体がバレ、〈聖女会〉から詰められるようなことがあったら、サレウスは全力で「彼女」を庇う所存である。


「ゾーラ教皇は後継者の選定に関与しない……んじゃなかったんですかい?」


 フードを外し素顔を晒して寛ぐ〈青騎士〉の冗談混じりの問いに、サレウスの方も諧謔気味の答えを返す。


「聖女会はアクエリカを間接的に妨害する……私はさらにそれを間接的に妨害するまでだ」

「ハハハ! そりゃまたギリギリな理屈ですな! なんなら俺がやっても?」

「やめておけ、露骨すぎる……お前には他にもやってもらうことがいくらもある、私に任せておけ」


〈青騎士〉は短めのくすんだ金髪を掻き、その称号に相応しい灰色ペイルの眼を細めた。


「そりゃまた『彼女』の負担が大きいですな。あの子はあなたのことが大好きですから、ずいぶん頑張ってくれるでしょうが」

彼奴あやつに任せるばかりでは、私の器が疑われようというもの……『いないはずの者』という意味では、彼奴もベナンダンテに近い存在と呼べよう……幸い今回、アンネ・モルクとヒョードリック・ドガーレという、隠密工作向きの稀有なる駒を得た。最後の仕事だ、私なりに仕組んでみるとも」


 そしてこれは〈青騎士〉に対しても口に出しては言わないが、アクエリカが落選した場合には、消すべき命が一つある。

 その者の元へあらかじめ、銀弾を放つ刺客を潜入させておくとする。


 恐れ忌まれた〈死教皇〉、その暗躍の集大成がこの程度というのは、我ながら慚愧に耐えかねる。

 自分で出しておいてなんだが、やはり最後は予言頼みに……〈予言の子〉次第ということになるのだろう。




「……っていうことなんだよね」


 ヴィクターが今回のあらましを説明し終わると、エモリーリが腕を組んで総括した。


「つまりカンタータ・レシタティーボは、ヴァレンタイン枢機卿と〈聖女会〉の中継みたいな役割を果たしていたわけね。で、あんたはヴァレンタイン枢機卿と〈聖女会〉に連絡を取り、彼女たちの意を汲んでグランギニョル枢機卿の妨害任務に当たっていたと」

「そういうことになるね」


 話がまとまりかけたところで、エモリーリの隣に立っているパグパブが端的に尋ねた。


「それで、ヴィクターの本当の依頼主っていうのは誰なの?」


 新しい隠れ家に静寂が立ち込める。いまいち理解できていない様子のジェドルが、顔をしかめて従姉に話しかける。


「いや、聞いてなかったのかよ、パグ? ヴァレンタイン枢機卿の依頼で動いてたって、コイツ今ハッキリ言ってただろうが?」

「ジェイちゃんこそ聞いてたでしょ。同条件を提示されるなら、同格の他の枢機卿へ乗り換え可能だって」

「あぁ。だから、これからそうするんだろ?」

「ううん、そうじゃない。すでにそうしようとしたんだよ。ヴィクターはヴァレンタイン枢機卿に乗り換えてもいいかなと思った。でもカンタータ・レシタティーボは十分な働きをできなかった。そしてヴァレンタイン枢機卿はすでにわたしたちを切っている。だから、既定路線に戻すんだ。そうでしょ、ヴィクター?」


 エモリーリが発現した固有魔術が、ひたすら威力でブン殴るタイプだったことで、改めてハッキリわかった。

 このチームの参謀は、彼女ではなくパグパブのようだ。ヴィクターは得心の笑みを浮かべ、あえて挑発するように言った。


「そうとも。こうも言ったはずだよ。一年後の最終局面まで、それは僕一人の秘密だと。今のところは大枠で依頼主の思惑通りに進んでいるとだけ言っておこうか。君らには今しばらく、苦労をかけると思うけど……なんというか……相変わらず秘密主義でゴメンネ☆」


 それを聞いたパグパブとエモリーリは、不自然なほどにっこりと笑い、両手の骨を鳴らして近づいてくる。


「ちょ……ちょっと待って!? やめてね? そういうので僕は喋らないって、もうわかってるよね?」

「うん。でもだからこそ、やっぱりお仕置きは必要かなって」

「ただ苦痛を与えるだけの無目的な拷問!!? 一番しんどいやつじゃん!!」

「いやいやいや……でもこういうのが欲しいんでしょ? あんたにとってはご褒美なのよね?」

「いちおう改めて言っとくけど僕マゾじゃないからね!? 痛いのは普通に嫌いで……あ、もう聞いてないなこれ……スティング! ジェドル! ウーバくん! 助けて!」


 男たちに助けを求めるも、反応は淡白だ。


「うーん……いや、別にヴィクターを嫌いとか恨んでるとかじゃないんだけど」

「あぁ。ただまぁ、なんつーか……いいかなぁみてぇな。ヴィクターだし」

「ザマァ見ろって思われてるよりよっぽど酷いんだけど!? ウーバくんは僕の味方だよね!? ね!!?」

「お、おれ……ヴィクターが、わからない」

「恋人とかから別れを切り出されるときに泣きながら言われるやつ! 僕のことを諦めないででででででで痛い痛い痛い!! エモちゃん僕まだ話してたよね!!?」

「うるさいわね、あんたが喋ってることなんか全部意味ないのよ」

「冷酷すぎない!?」

「はーいちょっとヂグッとしますよー」

「それ大丈夫!? 潰れてる擬音じゃない!?」

「大丈夫、優しく踏み躙ってあげるから」

「その道のプロの発言だな!? あっ、ダメ!! そこはダメだから! 子供できなくなっちゃう! うわほんとに優しくしてくるの怖いからやめてほしい!!」


 この〈第四勢力フォースフォース〉はヴィクターにとって、初めてできた仲間だ。

 想像以上に居心地は良く、彼らを裏切ろうという気にはならない。


 だが依頼主や黒幕、協調の相手に対しては別だ。いくら救世主や枢機卿や聖女会がどんな大義を掲げていようと、使えないと判断したら切る他ない。

 あくまで自分と仲間の利益のために、それ以外を利用しているに過ぎない……あの憎っくきデュロンたちも、きっと同じことを考えているのだろうなと、ヴィクターはそこはかとなく思いを馳せた。




 同じ頃、ゾーラ市外へ脱したウォルコらは、とある洞窟で休憩がてら、カンタータから事情聴取に及んでいた。

 ざんばら髪で項垂れて、顔の隠れた彼女がする、訥々とした告白に、三人は耳を傾けている。


「……えーと、つまりまとめると君の婚約者がアクエリカの信奉者になってしまって、さらに当時の彼女が吐いた『救世主ジュナスの逸話のある、オソレー山という霊山での修行を経れば彼女の伴侶候補として認める』とかいう方便に従い行方不明になってしまった。だからアクエリカを殺したいくらい憎んでいるってわけだ。正直君の婚約者がバカとしか思えないけど」

「ウォルコ……貴様にデリカシーという概念はないのか……?」

「さすがの私もちょっと引くよ」


 ファシムとメルダルツがなにか言っているが気にせず、ウォルコはカンタータを注視する。


「……ええ、そうよ。それでも今も彼を愛しているの。一般的な価値観から言うと、彼は私を裏切ったことになるかもしれない。それでも、私は彼に生きていてほしかった」

「その霊山には、彼を探しに?」

「もちろん行ったわ、何度も。だけどあの山はかなりの難山でもあってね、登り切るだけでも死にかける。可能な限り探し回ったけど、私の力では、彼の亡骸すら見つけてあげられない」


 さめざめと泣くでもなく、ひたすら俯き落胆するカンタータの肩に優しく手を置いて、振り仰ぐ彼女の眼をまっすぐ見つめ返すと、端的に提案した。


「じゃあさ、俺たちも一緒にその山を登ろう」

「また妙なことを言い出したぞ……」

「私たちの意思を確認してくれたまえよ」


 ファシムとメルダルツがうるさいので、ウォルコは思わず振り返り文句を言う。


「なんだい、ケチだな、あんたたち」

「ケチとかではなく、そんなことをして我々になんの得がある?」

「いいかい、よく聞いてよ。一人でなく四人で登ることで、全体の生存率が上がるね。カンタータの婚約者は死んだのではなく何者かに洗脳やら封印やらされているだけで、生きているという可能性がある。もちろん魔族の生存能力もかつての人間たちより期待値が高い。そして、彼がもし死んでいたとしても、形見や面影なら残っているかもしれない」

「俺の質問は難しかったか?」

「あんたこそ、もしかしてさっきの話を聞き逃してたのか?」


 訝しげに口を噤むファシムに向かって露骨にため息を吐き、ウォルコは眉をひそめた。


「それとも自分の目的を忘れてるのか? 救世主ジュナスが登り祈った山の一峰なんだよ? もし彼が地上に実在しているなら、直接会える可能性があるとすればそこだと思うけどな」

「……んん」

「現状なにも当てがないわけだしさ、一年後を待つのもいいけど、そっちも確証や保証があるわけじゃないでしょ。試してみても損はないと思うけどな」

「ウム……」


 ファシムを唸らせることには成功したので、次はメルダルツに向き直るウォルコ。


「復讐の神を自称するあんたは、他の神の座す山へ登るのは不服かな」

「失敬な。自称ではなく実際に神だ」

「相変わらずで結構だけどさ、他山の石と言うじゃない。あんたにとっても修行の場として、不足はないと思うけど」

「……一理あるね」

「でしょ。俺はあんたの本懐も忘れちゃいないぜ、メルダルツさん。あんたにとって現状最優先で殺す必要があるのは、ギャディーヤ殺害を妨害してくるサレウスだ。もちろんそっちも、一年後を待ってもいいけど……奴の黒犬を振り払うくらい強大な覚醒を、あんたの固有魔術が遂げられるかは未知だけど、やってみる価値はあると思うな」

「仕方ない……」

「決まりだね。ヴィクターたちもそうだけど、俺たちももうゾーラやミレインには入れない。どうせ河岸を変えるなら、少しでも成算のある場所にしよう。他にたとえばそんな場所なら、仲間にできそうな面白い奴がいるかもしれないってのもあるしね」

「お前はバカのくせに、そういうところは周到なのが不思議だな」

「企画と提案だけは上手いタイプのバカだね、ウォルコくん」


 だいぶひどいことを言われている気がするが無視していると、当のカンタータが当惑気味に声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってもらえる? そこまでのことをしてもらう義理はないわ」

「いや、あるね。婚約者くんの生存を確認できればもちろんそれで良し。だけど彼が見つからなかったり死んでいたりしたら、君はおそらくそれでは気持ちの整理がつかなくなる。その暁には、俺たちの仲間になってもらいたい」

「こいつの勝手さには毎度感心させられるな」

「ここまで来るともはや才能の域だね」


 外野の野次はいいとして、カンタータは納得できない様子でかぶりを振った。


「それは無理だわ。あなたたちがアクエリカの味方でいる限り、私があなたたちに真に与することはない。あの地下通路から助けてもらったことには感謝するけれど、根本的な利害の食い違いはどうにもできない」

「それはどうかな。俺たちの身の上もある程度話したよね、目的を要約するとこうだ。

 メルダルツは、スティングやギャディーヤに裁きを下すために、ヴィクターたちやサレウス一世が邪魔だから、まあまあ利害の一致する俺たちと、仕方なくつるんでいる。

 ファシムは若い頃に命を助けてくれたと思われる、受肉した救世主ジュナスの存在を確かめて、直接会って話し礼を言いたい。そのためにはゾーラ教皇の新任時に姿を現されるという噂程度の言説にも縋るしかない。

 そして俺はデュロンたちと同じく〈銀のベナンダンテ〉撤廃を志す。アクエリカがその公約を掲げているというだけで、本来なら別の枢機卿でも一向に構わないんだ。

 これらの意味するところがわかるかい、カンタータ?」


 憔悴しても血の巡りは悪くないようで、眼に力が戻る〈調の聖女〉。


「そう……鞍替え可能ということは、俺たちはアクエリカのことはわりとどうでもいいんだ。もっと正確に言えば、ファシムは彼女の教皇就任に陣営の功労者の一人として立ち会えればいいし、俺は彼女が公約を果たして養女むすめや元後輩たちの自由と安全を確保できればいい。その後にアクエリカがで亡くなったとしても、俺たちにはなんの関係もない」

「こいつはこういうところがあるよな」

「たぶん元々こういう男なのだろうね」


 ファシムとメルダルツに続いてカンタータも理解が及んだようで、見開いた双眸はドス黒い輝きを帯びている。

 自然に頬が緩むウォルコ自身も、似たような表情をしているのだろうと自覚が及ぶ。


「カンタータは今でも、婚約者のことを大切に思っているんだろう? だったらアクエリカから大切なものを奪わなくちゃ。アクエリカからも大切な相手を奪うってのも悪くはないけどね、メリクリーゼが上限って印象だ、難度の高さも相まっていまいち割に合わない。それよりは」

「……あの女が幼少期からの夢を叶えた直後、絶望と失意の中で殺すことができる……?」

「俺たちがその手引きをするとしたら、道中の補助線を引いてくれるかな?」

「喜んで」


 話が早いのはいいことだ。幸い他の二人ともすぐに意気投合する様子だった。


「俺もミレインを脱する時点で、アクエリカの真意が疑わしくなっていたところだ。異論なしと言わざるを得んな」

「正しい復讐の神である私は、当然カンタータくんの復讐も支持するよ」

「ありがとう。私きっとアクエリカを殺すわ」


 総意がまとまったところで、ウォルコは思い切り伸びをした。


「そうと決まれば、まずはオソレー攻略だね。トレッキングは初めてだ、装備の調達から始めようか」


 ウォルコの願いが叶ったら、昔からの趣味である旅行を、ヒメキアやデュロンたちと心ゆくまで楽しみたい。

 その輪の中に、どの道アクエリカはいないのだ。身内じゃないなら、どんな末路を辿ろうと、知ったことではない。


 最後にウォルコは、なにもない空間を振り返り、律儀に現れる教皇の黒犬へ確認する。


「この方針はあんたの思惑とも食い違わない。そうだろう?」


 使い魔を通して、ジュナス教会の未来をもっとも憂いる男は、重い決断の一語を発した。


『その通りだ』

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