第527話 死の形を見よ
そこでニパルは自分の腕の中で震えが止まらなくなっている女を見下ろし、命の危機ゆえ勝手に変貌を起こした、彼女の頭頂部の獣耳に向かって囁いた。
「おっ、お嬢ちゃんもしかして猫系獣人かい? 名前はなんてぇの?」
「ひゃ、ひゃい……けけけけけケイトって言います……こ、殺さないで……お空、嫌……」
「おぉ、安心しなよ。俺っち悪党だからよぉ、犬より猫が好きなんだ。だからオメェのことは手元に置いてかわいがってやるよ」
「あああありがとうござざざいまましゅニパルしゃま……!」
「良いってことよ」
そうしてニパルは男たちを見上げて、笑みを浮かべたままだが極めて事務的に告げた。
「そうだなぁ〜、わかりやすく言うと、お前らには三つの選択肢がある。三つも! 俺優しすぎじゃねぇ!? じゃあ順番に言うぞ!
①一生俺の奴隷になる。
②お空へ旅行する。
③一生屋外へ出ずに生活する。
解答しなくていいぞ、行動で示せ」
能力を解いた男たちが落ちてくるのとほぼ同時に、地下通路の市外方面側から、地下酒場の客だった飲んだくれどもが現れた。
かつて〈青騎士〉と同じように常連として入り浸り、楽しそうに酒をかっ食らっていた頃の面影は、わずか数十分で消え去り、今はどうしようもない怪物に首根っこを抑え込まれた、圧倒的無気力に支配された虚な表情をしている。
五人の男たちがまだそうなっていないのは、幸か不幸かわからない。
逆上と恐怖で顔をグチャグチャに歪めつつ、五人の男はケイトを抱きすくめたままのニパルを囲んで殴りかかった。
「そうだ、言い忘れてた」
軽やかに身を翻し、一人目の顎を拳で打ち砕きながら、ニパルはこともなげに言う。
「俺を殺すと、今までこの能力をかけた相手の全員がオンになる。つまりみんなでお空の旅へゴーだ、楽しいなぁ〜?」
これがハッタリかどうかは大した問題ではない。呪詛系の魔術が術者の死後も継続するかという議論も待たない。
自分が助かるかどうか以外に、誰も関心はない。自分がニパルを殺し切る前に、自分だけオンにされてしまったら、どの道意味がない。
「いいね、確かにこの場が最初で最後の、俺を安全に殺せるチャンスだ。行動力あるぅ〜」
恐怖とは可能性だ。確定していないからこそ縛られる。
そして恐怖する者の動きは単純だ。二人目の腹を蹴り込んで嘔吐させながら、ニパルは付け加える。
「それと、何度オンにしても何度でもオフにもできるだけで、能力自体の解除も俺にはできねぇ。すまんな〜、悪気はねぇんだけどな〜」
ニパルは
やがてニパルに手ずから叩きのめされた五人を、地下酒場の元常連たちが引きずっていく。ニパルのお気に入りになったケイトという女も、彼らと同じ虚無の表情で後に続いた。
「ハァ〜……久々に運動すると堪えるなぁ、〈青騎士〉の旦那ぁ〜? 俺も今年で四十八なもんでよ〜、そろそろ現場出る齢でもねぇかなと思って」
座り込んで酒を補給するニパルを見下ろし、〈青騎士〉は端的に尋ねた。
「で? さっき言いかけたのはなんだ?」
「あぁ。もしあんたが今回の件を少しでも恩に感じてるなら、ちょっとした報酬をもらいたいと思ってね。なに、大したことじゃねぇ。そのフードを外して、素顔を見せてほしいってだけだぜ。いいだろ、減るもんじゃなし」
「機密と権威は減るもんだ……と言いたいとこだが……どうせお前に見せても、答え合わせにしかなるまい。いいだろう」
求めに応じて〈青騎士〉は、フードどころかローブごと取り払う。
己自身がどんな姿をしているか、〈青騎士〉以上に知る者はいないだろう。
なぜなら十年前、〈青騎士〉はその姿を、鏡越しでなく肉眼で視認したからだ。
生身一つのその強さを目の当たりにし、次はこいつが欲しいと思い、それを叶えた結果が今だ。
くすんだ金髪に
デュロン・ハザークを短髪にして、十歳ほど齢を取らせたような容姿と言えばわかりやすいだろうか。それほどデュロンとその父ガレナオは、血のつながりを感じさせる、そっくりな面影を宿している。
正確に言えば十年前、享年二十六歳時のガレナオ・ハザークの姿と力を、そのまま保持しているとでも表現すべきだろうか。
さしものニパルも驚愕の表情を浮かべているのを見返し、〈青騎士〉は苦笑した。
「どうした? あまりに男前すぎて、声も出ないってか?」
「いや……こいつはたまげたぜ、〈青騎士〉の旦那よぉ……見当をつけるのと実際に目にするのとでは、天と地ほどの隔たりがあらぁな」
「満足したなら結構」
ニパル同様に腰を下ろして、その辺から酒を掻っ払い呷る〈青騎士〉を、宝石野郎のギョロ目がまだしつこくジロジロ見てくる。
「あんた実際いくつなんだ?」
「さあな。二百より後は数えてねーや」
「先代〈青騎士〉は、この世界で最初の銃使いだったって聞いたが……それもあんたか」
「ああ。俺の一つ前の姿だな」
「とするとあんたの能力はほぼ二択に絞られると考えていいかな」
「言ってみな」
「①相手を殺す、または似たような条件下で発動する、相手の自我と人格以外すべてがそっくりになるように変身する能力。
②これもおそらく条件は相手が目の前で死ぬことだろうが、死体に取り憑き乗り移り成り代わる能力」
「……」
「おい、なんとか言ってくれよ」
「さあな」
「つれねぇなぁ〜、〈青騎士〉の旦那ぁ〜」
酒を放って立ち上がるニパルは、顔に笑いを取り戻し、捨て台詞らしきものを吐いていく。
「まぁ大体わかっただけで良しとするが、要はあんたはガレナオ・ハザーク本人ではない」
「ああ。実は奴が生きてたとかではない」
「あんたの中にガレナオの意思が残っていて、土壇場で肉体を乗っ取り返してくるとか、そういうこともないと」
「残念ながらそういうドラマチックな展開は、ないんだよな。ごめんねニパルくん」
「いや、俺が言いてぇのは、そういうことじゃなく……今後なにかのアレで、俺がデュロン・ハザークをブチ殺しちまうようなことがあったとしても、あんたが俺を殺しにくることは」
「ない。『へー、あいつがあんときのガキか』程度の感情しかない。なんなら展開によっては俺自身があいつを殺すってのもなくはない」
「それを聞いて安心したぜ」
「お前が俺を恐れてるように聞こえるな」
「〈死〉を恐れねぇ奴がいるのか? 態度が悪かったなら謝るが、俺があんたを舐めるような、底なしの間抜けに見えるのか?」
「そいつは悪かった」
「良いってことよ。じゃあなぁ、〈青騎士〉の旦那。あんたの素顔のことは誰にも言わねぇ、それこそ消しに来られちゃ困る」
ニパルの立ち去る姿を見送り、しばらく酒を飲み続けていた〈青騎士〉だったが、この体になってから一向に酔えない。代謝・解毒能力が高すぎるせいで、飲んだ端から分解してしまうからだ。
だからこれは酒を言い訳にした世迷言なのだが、誰でもない男は死んだ英雄の息子に向かって、心にもない台詞を独り発した。
「パパからの忠告だ、デュロン。ニパルとは戦うんじゃねーぞ。触れたら終わりの〈
もちろんその呟きは誰にも届くことはない。だがそれでいいのだ。
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