第519話 僕の固有魔術もそろそろ覚醒してくんないかなって思うね

 いったいどんな走馬灯を見たのか、にわかに精度を上げたイリャヒの炎に、パグパブはもう一押しを加えてやるだけで良かった。

 攻撃が届いたのは僥倖だが、やはり相手は〈四騎士〉の一角、そう簡単に崩れはしない。


「……ククッ……いいねぇ……そう来なくちゃ面白くない。もっと俺と遊んでいってくれよ、お二人さん!」


 与えた火傷は悠に再生能力の補償範囲内で、化粧が剥げたゲオルクの端正な顔立ちには、〈黒騎士〉の象徴である天秤の刺青が露出している。

 いよいよ本気を出してきそうな雰囲気だな、引き際かなと考えるパグパブだったが、同意を得られる相手が現れた。


『そこまでだ』


 サレウス一世の使い魔である黒犬が現れて、いきり立つイリャヒとゲオルクの間に割って入ったのだ。

 どちらかというとイリャヒと対峙する形で、ゲオルクに向かって言い置く教皇。


『今、オスティリタが退いた。名目も実質も、お前は彼女を追っていたのではなかったか?』

「あの利かん坊が……!? いったいどんな化け物に殴り返されたってんです……!?」


 どうやらヒメキアとソネシエの方はなんとかなったらしい。パグパブの立場から喜んでいいのかはわからないが、ヴィクターからはなにも言われていないので、別にいいのだろう。


「はぁ、やれやれ……潮時と思ったざんすけどねぇ……」


 両手で顔を拭い、乱れた前髪を掻き上げたときには、ゲオルクの顔には道化の化粧が塗り直され、表情も平静なものに戻っていた。


「手前勝手ができるのはこれまでのようでござんして、聖下の仰せのままに。アタシは一旦、本庁に戻りますねぇ」


 言うが早いか竜巻を纏い、愛想良く手を一振りしてから一気に離脱するゲオルクを、安堵の気持ちで見送るパグパブ。

 一方イリャヒは膝から崩れ落ちて這いつくばった。緊張の糸でも切れたかと思ったが、そうではなかった。


「クソッ!」


 石畳に拳の腹を叩きつけ、感情露わに吠えた彼は、いくぶん落ち着きを取り戻したようで、口元に自嘲の笑みを浮かべた。


「二対一で、終始手加減され、挙げ句に悠々と逃げられるとは……我ながら情けない限りですね……」


 驚いたことに、この男は本気で〈黒騎士〉に勝つ気で戦っていたらしい。

 撤収のタイミングが常に頭にあったパグパグとしては、その無謀さが愚かしくも眩しく映った。


 敵味方を超えて、同じ魔術師としての敬意が沸き起こる。

 ひとまず労いの気持ちを込めて、彼の華奢な肩に後ろから優しく手を置いた。


「「!」」


 途端に接触部が爆発。二人は互いに弾かれ、自ずと対峙する。

 やはりそう甘い男ではなかった。肩を掴めていたら次の瞬間投げ殺し、油地獄に叩き込んでやろうと思ったのに。


 実際には触れる寸前に、イリャヒの背中から翼のように青い炎が発せられて、さらにそれに対して咄嗟に反応したパグパグが、掌から油の魔術を放っていた。

 危ないところだ。爆発させて無理矢理距離を取っていなければ、即座に炎に巻かれ、丸焦げ火達磨になっていたに違いない。


「なるほど……今まで相性の良い相手は普通に圧倒してきたので、こういうパターンがあると知りませんでした。勉強になりますね」

「自慢かな?」

「自慢ですが、あなた恩は恩で返すタイプだとおっしゃっていませんでした?」


 服から煤を払うイリャヒに、パグパブは自己再生の終わった手の甲を舐めながら微笑んでみせる。


「言ったよ。だからあなたに加勢したけど……私用が終わったから、ちゃんと仕事もしないとと思ってね。今から始めるんだ」

「フフ……あなたもなかなか酔狂なようで」


 立場が違えば、利害が一致すれば、友達にもなれたかもしれない。

 つまり実際は決裂するしかないと、もちろんわかってはいたのだ。




 ヴィクターに代わって全体の指揮を取ろうと思っていたエモリーリだったが、面倒な相手にブチ当たった。

 金髪ポニーテールの女と金髪縦ロールの女の二人組なのだが、ヤバいのは前者だ。


「……ん? 君はわたしの弟を水場で誘惑した女ではないかね?」

「してないけど!? 弟ってデュロンくんのことよね!? 彼がそう言ったの!?」

「いや? しかしわたしが受けた報告では、君はガルボ村の泉でそのいやらしい踊り子みたいな衣装ごとびしょ濡れになって、解いた髪を振り乱し色香を撒いて踊り狂い、うちの弟の純真に付け込んで言い包め行為に及ぼうとした」

「してませんけど!? 脚色しすぎでしょ!?」

「とホレッキが言っていた」

「あのドスケベ長森精エルフ!!」


 まったく謂れのない濡れ衣だが、ブラコンに理屈も説得も通じない。

 獣の目となり襲い来る彼女を撒くのにだいぶ時間がかかってしまった。


 オノリーヌ・ハザーク……あのブラコンバカ女がデスクワークで体が鈍っていなかったら、地獄鬼ごっこで捕まり刑罰を受けていた。

 エルネヴァ・ハモッドハニーもそこまで運動能力が高くはなく、互いに土地勘がないという条件ゆえなんとか逃げきれた。


「ああ、見失ってしまいましたわ……」

「あの女が要だ、エモリーリ・ウルラプープラだったかね。あいつを捕らえれば、ヴィクター一派の行動をかなり制限できる」


 けっして弟狂いのみで突っ走っているばかりでなく、きちんと理性も動員しているのが厄介だ。

 エモリーリの方は使い魔越しに一方的に把握できたというのも大きい。遅まきながら仕切り直して、不利な局面の風通しを良くすべく奔走せねば。


 スティングはやられた、ヴィクターに任せるしかない。

 まずいのはウーバくんだ、しかも予知でなくすでにリアルタイムでピンチである。


「だァーッハッハッハァー! なかなか粘るじゃねェか、見直したぜェーウーバくゥん!」


 角を曲がった途端に響いてきた濁声を聞き、返答ままならず蹲る大きな背中を見て、エモリーリは苦渋の気分を味わわされた。

 はっきり言ってウーバくんは相当強い。仲間としての贔屓目を抜きにしても、新米聖騎士くらいの実力はあるはずだ。


 彼の体格と膂力を上回り、神域未達の物理・質量攻撃を伴わない魔術を一律で完封してしまう、ギャディーヤ・ラムチャプがおかしいというだけで。

 安定して狩るには上位聖騎士が必要という、文字通りの大駒を、当然のように配置しているサレウス一世が恨めしい。


「……おォ?」

「ひっ……!」


 姿に気づかれて、視線を向けられただけで、エモリーリの小さな肝は縮み上がる。

 歯を剥き出して笑う巨漢の顔は、真意に関わらず威嚇にしか見えない。


「良かったなァーウーバくゥん、ママが迎えに来てくれたようだぜェ。そろそろお帰りの時間みてェだなァ。もちろん逃がさねェけどよ!」


 エモリーリとギャディーヤの身長差、約150センチ。体重差約200キロ。近接格闘で勝てる道理が1ミリたりとも存在しない。

 エモリーリ、固有魔術は未発現。ギャディーヤ、固有魔術は錬成系神域級〈超冶金士ウルトラスミス〉。天地が返っても勝てる要素が皆無である。


 エモリーリにはいつものように、いくつもの未来が見えている。

 もっともそのすべてが、エモリーリが子猫のように捕まるか、エモリーリを庇ったウーバくんがさらに念入りにボコられるかの二通りに大別できてしまうが。


 嫌だ嫌だ、こんなところで終わりたくない。実家に仕送りはしているがまったく足りていない、まだまだ金が要る。

 ウルラプープラの家計はエモリーリの双肩にかかっているのである、長女としての責任を果たさなければならない。


 未来が見える、それがどうした? 変えられなければ意味がない。

 ギンギラに光る巨大な掌が伸ばされ、エモリーリは生まれて初めて明確に死の気配を感じ、走馬灯を見る視界に火花が散る。


 彼女の走馬灯はかなり特殊なものだ。今まで見た何千人もの魔族たちの、禍福があざなえる悲喜こもごもの、未来記憶が迸る。

 その中にこの完詰み状況の打開策があるわけではなかったが……エモリーリが未来を変えてきた彼らが、ある意味で力になってくれた。




 その様子を使い魔越しに見ていたヴィクターは、自ずと微笑みながら独り言ちる。


「そうだよね、エモちゃん……僕や君が求めるのは、やっぱりだよね……」


 体躯には恵まれず、超感覚や悪知恵が取り柄。その辺のチンピラが相手でも喧嘩となれば逃げ回るしかなかった、彼らのようなタイプにとっては、普通の魔族が普通に持っている、普通の攻撃魔術というのは、喉から手が出るほど渇望する対象なのだ。

 固有魔術が願望投影型なら、なること自体はわかる。だがエモリーリやヴィクターがエモリーリの固有魔術として想像していたのは、予見した未来を直接的に実現するとか、そういう系統のものだったのだ。


「……あ?」


 なので今、エモリーリの掌から放出された、正体不明の波動を受けたギャディーヤが、己の口から漏れた血を拭うにあたって、得た驚きは一入だっただろう。

 ダメージを受けてよろめくその様子を見て、エモリーリ自身が呆然とするくらいだ。発現即神域という、レアケース中のレアケースもそうだが、予知ベースの能力で相手を直接ブン殴るという、原理不明さも鮮烈だ。


 あらゆる固有魔術を散々見てきたヴィクターだからこそ、辛うじて推測が及ぶ。


 エモリーリはこれまで、ヴィクターと出会う前もずっと、彼女が見た未来に比較的積極的に干渉してきた。

 事態を好転させることも、悪変させることもあった。天にも昇る幸を与えたことも、地獄のドン底に叩き落としたこともあったろう。


 その、彼女が変えてきた未来の落差に、位置エネルギーのようなものを仮想するとしよう。捻じ曲げた因果の点AからBの間に、運動エネルギーのようなものが発生するとしよう。

 いったんそれを運命力とでも呼称してみる。そんなものが溜まっているなどと、エモリーリ自身考えたこともなかっただろう。それを物理攻撃力に変換して撃てるとは、想像したこともなかっただろう。


 因果系の努力蓄積型。識別名は教皇庁の専門部署に任せるとして……ヴィクターは興奮のあまり鼻血を出しつつ、誰にともなく弁解する。


「いや……別にこうなるからって理由で彼女を勧誘したわけじゃないから、そこは勘違いしないでほしいんだけど」


 もちろんヴィクターにとっても、まったくの予想外だった。

 もっとも、では相棒が未曾有の力に目覚めることが、僥倖でないならなんだというのだろうか?


「いいなあ、エモちゃん。僕も君みたいになりたいよ」

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