第514話 お願いっ、パパ♡ 命名部署に取り計らって、かっこいい識別名を付けてもらってね♡

 睡眠は、時間旅行に喩えられることがある。意識の断絶は一種の時間加速と捉えられる。

 レミレは他者を眠らせる生体物質を持つが、彼女自身は眠ることがあまり好きではない。


 眼を閉じて、じっと動かずにいる数時間が、無駄に失われてしまったように思い、もったいないと感じてしまうのだ。

 それよりは愛する者に寄り添い語らい、美食を堪能しセッ……肉体的な愛をアレしたり色々したい。


 種族能力としてレミレと同じ催眠鱗粉を持つ姉妹たちも母も、それぞれ睡眠に対する解釈が異なり、それがそれぞれの固有魔術として発現するのかもしれない。

 あるいは単にレミレの生得属性が時間系だっただけか……それはもうどちらでもいいが。


 とにかく発現に至った彼女の固有魔術は……彼女の性格を反映し、ちょっとひねくれた性能となった。

 とりあえずアンネに向かって撃ってみたのだが、避けようとして間に合わなかったアンネが、ものすごいスピードで横へ動いたのだ。


「「……!?」」


 体感したアンネと見たレミレ、両方が度肝を抜かれる。

 他者の固有魔術を発現・覚醒させるエキスパートでもあるアンネより、自身による戦闘経験豊富なレミレの方が、理解に及ぶのが少しだけ早かった。


「……なるほどね」

「なんですかー、レミレちゃんー!? わたしを強くする魔術に目覚めたってことですかー!? わたしのことが好きなら素直にそう言えばいいのにー! 今すぐ飼ってあげますねー!」


 さりげなくヤバいことを言いながら接近してくるアンネに、レミレは再度固有魔術を行使した。

 同時にレミレが拳を軽く突き出すと……釣り針に食いつく魚のように、それはアンネの顔に存外深く叩き込まれている。


「なっ……!?」


 レミレの膂力では難しい、アンネの鼻を圧し折るほどの打撃が無造作に実現していた。


「もう、せっかちさん♡」


 明らかに異常を感じたのだろう、レミレの煽りにも乗らず、すぐさま後退して距離を取ろうとするアンネだったが、ただのバックステップでなにもない地面に踵がつまずいてスッ転んだ。


「うっかりさん♡」


 挑発を続けるレミレを見上げる、尻餅をついたアンネの眼に、理解の色が浮かんだ。

 大筋はアンネの認識で合っている。さっきから何度かレミレ自身にも掛けようとしているのだが、この固有魔術は他者のみが対象となるようなのだ。


 レミレに発現したのは、「他者の動きを速くする能力」、あるいは「他者の肉体時間を加速させる能力」で間違いないと思われる。

 基本はメリットを与える支援魔術なので、外れることも無効化されることもほぼないと見ていいだろう。


 ただし、普通の生き物は自分の動きを勝手なタイミングで速くされると、意識がついていけずにミスを起こす。

 遅くなるのも困るだろうが、不意に速くなるのは単純な危険度で言えば上だ。


 迂闊に走っただけでコケるし、相手に突進でもすれば相対速度で倍以上のカウンターを食らう羽目になる。

 陽動や撹乱を得意とする、レミレにぴったりの能力と言える。


「いいいいですねレミレちゃんんん! ますますあなたが欲しくなってきましたよ!」

「あらあら、欲しがりさんなんだから♡」


 先ほどと同じく無闇に突っ込んで来るかと思いきや、脚を狙ってタックルしてくるアンネを、普通に躱して顔面を蹴飛ばす。

 鼻血にも構わず斜めに回り込むアンネだが、貧弱なレミレの普通のパンチを無防備に食らっている。


 固有魔術でアンネを速くし、その加速が終わった瞬間に攻撃すれば、アンネは相対的に遅くなったと感じ、反応が遅れるのではないかと目論んだのだが、当たったようだ。

 しかしさすがに百策百中とはいかず、その後いくつか試した応用の中には、意味のないものや逆効果のものもあり、レミレも何度かダメージを受ける。


 極めつけに、まずいタイミングでシンプルに相手の勢いを助長してしまい、腹に一発いいのを貰ったレミレは、なんとか嘔吐を堪える羽目になった。

 一方のアンネは、彼女自身の加速を利用して結構打たれているにも関わらず、まだまだ元気でむしろ活き活きとしていて気持ち悪い。


「グヒヒヒ……ああ、やっぱりレミレちゃんは本心ではわたしのところへ帰ってきたいんだ。また昔みたいに一緒に暮らそうね! ああレミレちゃんの血おいしいペロペロペロ」

「シンプルに気持ち悪いし、そもそも一緒に暮らしたことはないはずだけど!?」

「デュフフフ……口ではつれないことを言っていても、体は正、直……あれ……!?」


 つい一秒前までギンギラ輝いていたアンネの眼が、急にフニャッと力を失う。

 思ったより時間がかかってしまったが、上手くいったことに安心するレミレ。


「やれやれ、ようやくようね」

「コポォ……!? わたしとレミレちゃんの間に毒も薬も酒も差し挟む余地は……」

「ない、わね。その通りよ。ようやくあなたのいくつあるのかもわからない、擬似人格のサイクルが一周したと、そう言ったの」


 レミレに発現した固有魔術が厳密に言うと「相手の動きのみを加速する能力」であることに賭けたのだが、どうやら当たりだったらしい。

 つまりアンネの体を、免疫や分解機能を置き去りにして、代謝や循環を加速させることができたようだ。


 人格交代のスパンが早まっていることから確信を強めていたのだが、実際に今、すべての擬似人格を寝鎮めることに成功しつつある。

 最初に眠った人格が起きる前に、レミレは瞼の落ちたアンネに背後からのしかかり、両腕を極める形で拘束した。


「……レミレちゃん」


 やがて目覚めたアンネは穏やかな口調で口を開くが、レミレは油断せずそのままの体勢で聞く。


「一つだけ言ってもいいですか」

「どうぞ」

「こないだ……二十歳のお誕生日でしたよね。おめでとう」


 拘束こそ緩めないが、ホッとため息を吐き、少し考えた後で答えるレミレ。


「確かあなたは来月だったわね。一緒にお祝いしましょうよ。〈刹那の棺箱〉の団長としてのアンネ・モルクはここで死んだ。あなたも亡霊として生まれ変わるの。も案外、居心地良いわよ」


 すでに傍らに現れている黒犬に、レミレは苦笑気味に伺いを立てる。


「そういうことでいいかしら、教皇パパ?」

『もちろんだ……今は一人でも多く精兵が欲しい……そこへ来て〈無貌の影〉を取り込めるとは、願ってもない』

「えっ……わたしを、教皇直属の〈銀のベナンダンテ〉に……って、ことですか?」


 拒絶するかとも思われたが、逆だった。あまりに猛烈に表明する賛意として、暴れ出そうとするアンネの体を、レミレは全力で押さえる羽目になる。


「それはつまりまたレミレちゃんと一緒に生活できるってことですよね!? その手があったと気づくのが遅れました! あーよかったー、そろそろレミレちゃん成分を摂取しないと限界だったんです! 昔みたいにパンツやシーツを洗って乾かしてあげますからね! もーレミレちゃんはお世話が焼けるなー」

「だからあなたと寝食を共にしたことはなかったはずよね!? あなたの頭の中ではわたしとの関係はどういう設定になってるの!? ね、ねえ教皇パパ、真に受けないでね!? 絶対ギャディに言っちゃダメよ、温かい眼で見守られちゃうから!」

『心配は無用だ……すでに私もお前をそういう目で見ている……』

「手遅れ!?」

「教皇聖下直々の公認ってことですか!?」

教皇パパー、やっぱこいつ殺していい?」

『ダメだ……』

「もーレミレちゃんたら心にもないことを!」


 思わぬ遭遇から思わぬ収穫を得た……つもりだったが、本当に収穫だったのだろうかと、今さら疑わしくなってくるレミレだった。

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