第515話 やれるものならやってみろ
戦闘の合間を縫って現れたサレウスの黒犬から、アンネが確保されたという一報を聞いたゲオルクは、ひとまずの安堵を得ていた。
アンネ自身に大した戦闘力はないが、彼女が恐ろしいのは、他者の固有魔術の発現・覚醒を促すという特性だ。
魔術と演技、両方の資質または素養を備えている者という条件こそあるものの、少し会話をした程度で他者の魔術戦闘力を恒久的に引き上げるというのは、看過できる性質ではない。
結果的にレミレを除けば、スティング一人で済んだというのは大きい。
スティングが弱いと言っているのではない。他におそらくこの条件にイリャヒやソネシエが当て嵌まるので、イリャヒとソネシエよりまだマシという意味なのだ。
特にこの男……今、目の前にいるイリャヒの〈
「くっ……」
民家の屋根の上でゲオルクと対峙する眼帯の吸血鬼は、己の炎がゲオルクに通用しないことに歯噛みし、渋面を見せている。
それでも曲がりなりにも戦闘が成立しているのは、理由は不明だが途中から参戦してきた、パグパブ・ホイッピーの援護が大きい。
油の魔術だからというわけではないが、驚異的な粘りを見せる彼女の継戦能力は特筆に値する。
熱した油脂の生成を基本とする、彼女の固有魔術〈
それでもやはり、地力の差はいまだ大きい。イリャヒとパグパブが二人でやることすべての上位互換を、ゲオルクは一人で実現できる。
変身と演技という違いもあり、成り代われる
ともあれもとより、彼らをここで殺すつもりなどまったくない。
イリャヒは当然として、パグパブもいちおうジュナス様の下についているということになるので(ヴィクターを信用していいかはいまだに微妙だが)、散らすメリットはない。
何度目かの激突を凌いだ彼らに敬意を表するがゆえに、ゲオルクは降伏を勧告する。
「ここいらでやめといた方がいいと思うざんすけどねぇ。そんなに生き急ぐものでもないざんしょ」
「私はただ、
「見上げた心掛けざんすけどね、少しアタシの事情も聞いてほしいざんす。
イリャヒ、さっきお前が見たあの金髪の露出女はオスティリタと言ってねぇ。ジュナス様のご意向を無視して、おたくのヒメキアちゃんを攫いに飛んで行ったざんすよ。
あの子が血に持つ無限の魔力があれば、ジュナス様に本来のお力を取り戻していただけるということでねぇ。
アタシはそれを止めようとしていたというのが、あの場面の真実ざんす。お前が悪いとは言わないが、少しズレてたようざんすねぇ。
で、良うござんすか? オスティリタを放っておくと、戦う相手はお前の妹のソネシエということになるわけだが。なんなら今からアタシとお前とパグパブちゃんの三人で、アホのオスティリタを追いかけて引っ捕らえるというのでもいいと……」
「嘘ですね」
ズバリと言い当てられた動揺は、ゲオルクの顔に浮かばずに済んだ。
しかしあちらは揺るがぬ確信があるらしく、立て板に水で喝破してくる。
「同じ道化の仮面を装う者として、自ずとわかってしまうのですよ。オスティリタといいましたか、確かに彼女をあなたは追ってらっしゃいましたが、端から彼女を止める気はなかった。むしろ流れに棹差して、彼女に合流・助力し、万が一の間違いもないよう念には念を入れて、二人がかりで私の妹を排除し、ヒメキアを攫うつもりだったのでしょう?」
パグパブが絶句し、ゲオルクも今度は表情を取り繕い損ねる。
イリャヒの言った「道化の仮面」をかなぐり捨て、哄笑とともに表明した。
「あははははは! よくわかったな、イリャヒ! そうとも! お前たちも〈護教派〉などと称する不届き者どもが、その勢力を増していることは知っているだろう? 俺はその様子をずっとこのゾーラで見てきたわけだが……もう我慢の限界なんだ。至高にして無敵の存在であるジュナス様が、受肉しているという事実を認めないとかいう主張の意味がわからん! ジュナス様はあの通りのご寛大さゆえ、教皇選挙の結果を受けて動かれるおつもりのようだが……俺はオスティリタと同意見だ、あと一年も待っていられん。今すぐにあの御方の治世を始め、世界に神威を示すべきなのだ! そのためお前たちのかわいいひよこちゃんにも、今すぐ犠牲になってもらうことになる! 正解だよイリャヒ、お前が今俺を足止めしているのは! というわけで残念ながら時間一杯だ、そこを退いてもらおうか!」
なかなか楽しませてもらったが、遊びはそろそろ終わりにしよう。
ここまでの戦いを経て、なけなしの分析らしきものも、ゲオルクの中では済んでいる。
結局は魔術にも相性というものがある。炎を散らすには風がいい。燃焼促進する厄介な油も含めて、強引に吹っ飛ばせる突風が。
属性を切り替え攻撃態勢に入りつつも、ゲオルクは一方でどこか期待してもいた。
この試練をブレイクスルーして反撃に至るのならば、ゲオルクはまだイリャヒを侮っていたことになる。
道化としての弟子、そして共にジュナス様の麾下にある弟弟子の成長を……願っていないと言えば、それもまた嘘であった。
若者たちを向かい風が吹きつける。
さあ、超えられるなら超えてこい。
限界だ、とソネシエは悟っていた。
魔術の出力で完全に負けている。防御で一杯一杯というのもまだ自己評価が高すぎる。オスティリタはどんどん調子を上げおり、いよいよ凌ぐことすら満足にできなくなってきた。
「おちびちゃーん、今度はどこに隠れちゃったんですかー? 諦めて出てきてくださいな、踏み潰さないのも結構苦労するんですよー?」
引き千切られた噴水の残骸を遮蔽物として、身を潜めるソネシエとヒメキアの頭上へ、破壊天使の勧告が降ってくる。
再生能力で出血こそ止まっているが、すでにソネシエは全身ボロボロ、これで安心してとは言いにくい状態を見せてしまっている。
「ヒメキア、ごめんなさい……」
「ソネシエちゃん……」
怯え切ったヒメキアに寄り添い抱きすくめつつ、ソネシエはギデオンに耳打ちされた言伝を思い出していた。
アクエリカがいない現状、彼女の権限を代行するのはメリクリーゼだが、さらにその一つ下に、
未来の上司であるオノリーヌが、ソネシエに職務命令として、その措置を指示してきた。
ソネシエが自分で思い至っていることはわかっており、実行に移す際の後押しとして言ってきたのだろう。
「謝らないで、ソネシエちゃん。あたし、ソネシエちゃんなら、いいよ……」
ヒメキアも同様で、潤んだ眼でじっと見つめながら、そんなふうに言ってくれる。
「約束、した。友達の血を吸わないと。そう、言ったのに、破って、しまう……わたしが弱いせい。今は……あなたに頼らせてもらう」
「ソネシエ、ちゃん……来、て……」
惹かれ合う二人の顔は接吻寸前ですれ違い、吸血鬼の鋭い牙が、不死鳥人の細い首筋に突き刺さる。
痛みに跳ねるヒメキアの躯体を、ソネシエは一層強く抱きしめて、甘く香る血に溺れた。
もとより吸血鬼は無限に近い魔力を持つ身である。にも関わらず全身に巡っていく桁違いの力に、ソネシエは驚きを隠せなかった。
もはや今自分がどうなっているのかわからない。ただ一つ確信できるのは、今なら誰にも負ける気がしないということだけだった。
「ありがとう。ヒメキア、ここにいて」
単なる貧血か、それとも吸血に伴う官能ゆえか、少し朦朧とした様子の彼女を瓦礫に
相手の表情から侮りが剥がれていく様子は、見ていて少し面白い。
「まだわたしからヒメキアを奪える気でいるのなら、やってみるといい」
そして挑発され湧き立ち、本気の殺意に目覚めた相手を迎え撃つのも、また一興だ。
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