第512話 悪運、邪視、不貞の告発

 まずい相手と当たったかもしれない、とデュロンは考えていた。

 スティングやガップアイのような錬成系との併用なのだろうが、ここまで肉体活性の練度が高い悪魔と戦うのは初めてだった。


「うーっひゃっひゃっひゃっ! そんじゃここは一丁、殴り合いといきますかねぇ!?」


 ダーダリンがカンタータの骨張った両拳に、これも肉体活性と変貌能力の応用なのだろう、蜘蛛の鋏角アゴを生成し、不気味に開閉してくる。

 狙いはわかるが受けるしかない、デュロンも拳を握って構えを取る。


 形勢は徐々に傾いていった。肥狼形態オビシティモードのデュロンは一撃が重く当たればデカいが、同じくらいデカくなりつつも絞り込まれた細身のカンタータは下半身である蜘蛛の脚で軽快なフットワークを見せ、デュロンの鈍重な連撃を躱しつつ、あちらは確実に当ててくる。

 打撃自体のダメージはないに等しいが、噛みつく鋏角アゴから分泌される蜘蛛の毒が、デュロンの拳や腕に付く傷から徐々に浸透してくる。


 カンタータの毒は土人形に込められていた高濃度のものでもおやつにできたが、ダーダリンのものを上乗せされるとさすがにキツい。

 毒の強度で無理矢理効かされたデュロンは、死なないまでも分解に相当な体力を使わされたことで、蓄えたエネルギーをほとんど消費し、普段の体格まで縮んでしまった。


「あはははは! 良かったよね!? 蓄えがあったからけど……次は死ぬかもよ、キミ」


 ダーダリンの言う通りだ。自力で寛解できただけで、ダーダリンの毒がもたらす症状自体は食らい、その片鱗を味わう羽目になった。

 一度にいくつもの異なる感覚を脳味噌に詰め込まれるような……そして当然ながら痛みもあり、デュロンは自分が大量の汗を流していることを遅れて自覚した。


 やはり悪魔の毒はどうにもならない、アネグトンのときと同じだ。ヒメキアがいないとキツ過ぎるが、今から彼女に頼るわけにもいかなかった。

 カンタータ本人とは似ても似つかぬ、姿勢の悪い猫背でデュロンを捕捉したダーダリンは、嬉々としてその毒牙を再度振るった。




 一方その頃、東へ向かったギデオンは、ようやく目的の姿を見つけることができていた。


「ソネシエ!」


 呼びかけに応えて振り返る少女と視線が合うことで、赤帽妖精レッドキャップの空間踏破能力が発動、一瞬で彼女の至近へ到着する。

 珍しく息を切らして建物の陰に隠れる彼女の様子を訝るも、オノリーヌからの言伝を耳打ちする。ソネシエの反応はなにか不服そうに、「むむっ」と唸るというものだった。


「確かに伝えたぞ」

「了解した」

「確かに多少の時間がかかるから、それが隙になるという、お前の懸念はわからんでもない」

「それもある」

「他になにがあるのか知らんが……仕方ない、俺が時間を稼いでやろう」

「やめておいた方がいい。あれは本物の怪物」

「ギデオンさん、危ないよ!」


 怯え切って口数の少ないヒメキアも忠告してくれるが、そこまで言われると意固地になってしまうギデオンである。


「いいや、もう決めた。あの薄衣露出狂女に、手傷の一つも与えてやるまでは、ここを離れられん」

「ギデオン……!」

「ギデオンさん!」

「応援ありがとう」


 二人の制止を振り切って通りを曲がったギデオンは、街の惨状に眼を剥いた。

 魔族は頑丈だが、魔族時代の住居も頑丈だ。市民が住む建物は多少欠けたり凹む程度で済んでいるが、ほぼ人間時代からの流用である道路や広場は、巨人が暴れたようにめちゃくちゃに破壊されている。


「「!!」」


 その中心に浮く女と眼が合うと、望むと望まざるとに関わらず、やはり空間踏破能力が発動する。

 出会い頭の一撃で、脳天カチ割るつもりで斧を振り上げたギデオンだったが……破壊天使の金髪に触れる寸前で、不可視の力で刃先が止められた。


「また新手! 面倒、不躾、異端です!」


 かなり虫の居所が悪かったようで、そのままギデオンは問答無用で吹き飛ばされた。相当な魔力を持つ女のようで、美しい放物線を描き、凄まじい速度で砲弾のように射出される妖精。


「……ちょっと待て、いくらなんでも飛びすぎだろう……!?」


 さっき走って移動してきたのと同じくらいの距離を飛ばされている感覚がある。

 この際方向はどうでもいいが、さすがにこの勢いで石畳に落下すると、赤帽妖精レッドキャップの頑丈さと再生能力の高さを前提にしても、全身砕けて死ぬ可能性が高い!


「誰か……誰かいないか……!?」


 赤帽妖精レッドキャップの空間踏破能力は、別方向への移動エネルギーを相殺してから、条件を満たした人物の元へ直行することになる。

 視線で引っ掛かりを作って釣り上げてもらうような安全確保が可能なのだが、こんなときに限って街には猫の子一匹いない!


 屋内に籠る避難指示を出されているようではあるが、市民の一人くらい外を覗いていたり、外へ出ていてもいいだろう?

 あるいは誰か仲間でもいい、ゾーラの祓魔官エクソシストでもいい、なんならヴィクター一味の誰かでもいい、枢機卿の使い魔ですら眼球があれば条件を満たす。


 しかし、ダメだった。ヤバい、このままだとマジで後頭部からイッてグチャミソ一直線だ。ギデオンはデュロンに例の茅葺き屋根の家に蹴落とされたときのことを思い出していた。あのときは助かったが、今度はそうはいかない……完全に走馬灯を見る段階に入ってしまっているのがまずい。ギデオンは自然に呟いた。


「厄日、だ…………」




 同時刻。サレウスの執務室には三人の有力枢機卿が、サレウスの許可を得て立て籠もっていた。

 三人ともお付きの聖騎士を「自称救世主ジュナス」討伐に出してしまっているので、無防備となった背を、午後の会議開始まで、互いに預ける格好となっている。


 扉側を向いて座るのがトビアス。彼の椅子とともに背もたれで三角形を作るように布陣しているのがジョヴァンニとレオポルト、という形である。

 トビアスの〈運否天賦ハードラック〉は彼自身の非常時における危機回避にしか基本使えないが、レオポルトは磁力系、ジョヴァンニは重力系、サレウスは闇影系の、それぞれ極めて練度の高い固有魔術の使い手である。


 この部屋を制圧するには、四騎士級が二人は必要というのがトビアスの見解だった。

 なので今の彼には身の安全とは別に、思い出してしまった懸念があった。


「……ねぇ、ジョヴァンニさんさぁ」

「なんだいトビアスくん?」

「ほんとさぁ……こういうことならもっと早く言ってほしかったかなーみたいな」

「くどいぞグーゼンバウアー。賽は投げられたのだ、河の流れを掻き分け泳げ」

「いや、そうじゃないんだよレオポルトさん。あのさぁ、非常に言いにくいんだけど……アクエリカさんの手駒になった、ギデオンっていう赤帽妖精レッドキャップいるじゃん?」

「え……もしかして」


 サレウス含めた三人の沈黙を背中で感じ取るトビアスは、申し訳なさで一杯になった。


「うん……気に入っちゃってさ、オレの幸運を一回だけ……ちょーっとだけよ? あげちゃったんだよね」

「……」

「……うん」

「ほんとごめんなさいね」

「あー、直前に言った僕も悪かったし」

「……いやいや、待て待て。たかが若造一人がツイていた程度で、大局に影響を及ぼすとは」

「でもねほら、オレの能力ってヤバいときほどツキが来るってやつじゃん?」

「……つまり他者ひと付与エンチャントしたときも?」

「その傾向がある」

「……」

「……」

「……うん」

「……んガッハッハッハ!? まあしかしなあ、大したことにはなるまい!? そんな芯を食ったコトを起こす可能性は低かろう!?」

「ドワッハッハ!? だよねだよね!? 戦況覆すようなピンポイントなウルトララッキー引くだとか、オレでもあんまないからね!? あくまで身を守るのが主意の能力だからさ!?」

「じゃろがい!? 笑っとけ笑っとけ!」

「笑っとこ笑っとこ! 福が来るって言うから! ね! ガハハ、勝ったな!」


 言いながらトビアスはどんどん不安になっていっていた。

 大丈夫だよね、ギデオンくん!? 今なにしてる? むちゃくちゃ核心に近いとこに居たりはしないよね!? ね!?




 なんの前触れもなく結界の天井から落下してきた推定百キロ級の筋肉の塊が、カンタータの頭にケツから着地してくるのは、さすがの悪魔ダーダリンにも予測できなかったようだ。

 いや、デュロンはもちろんのこと、見事ヒップドロップを決めたギデオン自身も状況を理解していない様子だった。


「? ? ??!?」

「は? なに? なんで!? え!!?」

「痛……おい、ここはどこだ……わけがわからないんだが……?」


 ダーダリン/カンタータの頭をケツで轢いて結界の地面に減り込ませ、ワンバウンドでデュロンの隣に転がってきたギデオンは、ひとまず自分が下敷きにしたクソデカアラクネが敵だとわかってくれたようで、即座に斧と杖を抜いて構えてくれる。

 一方カンタータの判断力も大したもので、起き上がり様に視界に入った、ギデオンが落としていた赤い帽子一つで相手を悟ったらしく、即座にカンタータの種族能力で黒い布を織り上げ、目隠しとして顔に巻きつけた。


 そう、赤帽妖精レッドキャップと眼が合うと一瞬で懐に潜り込まれ、遠隔射撃・近接戦闘、どちらのセオリーも容易く崩壊する。

 同時にデュロンも思い出していた。どうやらやはりこの結界は、妖精族の血有魔術をベースとした、聖女たちのお茶会会場に使われていたものと同質のものと考えて良さそうだ。


 幼いギデオンがメイミア(パルテノイ)の住居に迷い込めたのは、当該結界に「妖精族であれば無条件に通す」という性質があるためであった。

 どういう偶然か知らないが、どうやらギデオンが吹っ飛んだ先に、デュロンの入っている妖精界系結界があった……ということらしい。わからんが。


 クソデカ蜘蛛女と互いに距離を取り、相手から目線を切らず一方的に睨みつけながら、デュロンとギデオンは手短に言葉を交わした。


「油断するなよ。蜘蛛は脚で振動を聴く。眼はあってもなくても変わらんかもしれん」

「了解……しかしお前と二人で組むのは、もしかしたらあのとき以来かもしれねーな」


 詳しく語らずとも通じたはずだ。まだ敵同士だった雨の夕刻、なぜだか流れで二人してチンピラどもをシバくことになった。

 あのとき助けた一般市民のリチアさんには、実は後日街で再会した。デュロンが貸した上着は申し訳ないくらい丁寧に洗濯して返してもらったし、二人してお菓子まで貰って恐縮したものだ。


 今また女を巡って悪党と対立している。ギデオンはすでに確信を得ていた。あのときと同じ結末になるだろうと。不届き者を叩きのめし、デュロンがアクエリカに貸した上着は綺麗になって返ってくるし、後日アクエリカは二人にお菓子を奢る。これで決定だ。

 前へ進んでいるのだと、今こそ証明すべきときが来た。


「デュロン、知ってるか。蜘蛛は油で揚げると美味いらしい」

「へへ……たまには下手クソ二人で、男の料理ってのも悪くねーか」


 示し合わせたわけでもなく、二人は右手の人差し指と小指を立てた、角を表す侮辱のポーズを、蜘蛛の悪魔に差し向けた。


「姐さんは返してもらうぜ」

「蜘蛛では蛇は喰らえまい」

「ハッハァ! それが結構いるんだな、キミらの世界のあちこちに! 蜘蛛を食べる蛇じゃない、蛇を食べる蜘蛛がさ! 子供にはちょっと刺激の強い場面だから、キミらにも目隠しをオススメしちゃうね!」


 もちろん眼を逸らすわけがない。

 勝利は前にしか転がっていない。

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