第511話 さあ坊や、曲に合わせて踊りなさい
音楽家であり声楽家でもあるカンタータの声は、朽ちた聖堂内によく響く。
「安心なさい、この通りアクエリカはまだ殺さないわ。先にデュロン・ハザーク……あなたを殺して、その変わり果てた姿を見せてあげないとね。アクエリカの反応が楽しみだわ」
実際カンタータはヴァレンタイン枢機卿からアクエリカの殺害も許可されてはいるのだが、まだその気はない。
この蛇には最低でも、カンタータが味わったのと同等の屈辱と落胆を噛み締めてもらわないことには、気が治まらないのだ。
「さあ坊や、曲に合わせて踊りなさい!」
カンタータが両手の指で爪弾くと、都合五十体の土人形が一斉に動き始めた。
カンタータの固有魔術は〈
そういうことも実際にできるし、某国の王を暗殺できたのは、それを使って毒を盛るという手口ではあったのだが、それはカンタータの本領ではない。
カンタータの「横糸」は、
色やデザインにはさしたる意味はなく、肝はカンタータの生成する糸には、彼女自身以外の魔力・魔術を吸収する性質があるという点である。
そして彼女の「縦糸」は、数十体の土人形を街一つ程度の範囲なら並行して精密に操れる、実体のない魔力の糸である。
〈黒騎士〉ゲオルクくらいの魔術師ならば、フリーハンドで余裕だろうが、カンタータの実力はせいぜい
「横糸」で作った服を「縦糸」で錬成した土人形に着せることで、まずは魔術への対応策はほぼ完成する。事実、推定悪魔級と噂される、イリャヒ・リャルリャドネの〈
「縦糸」がカンタータの本当の固有魔術と呼べるわけだが、人型に固めた土塊を動かしているというよりは、リアルタイムで変形させ続け、錬成圧で攻撃しているというのが正確である。
そしてその錬成圧……つまり個々の土人形が発揮できる膂力は、眼前のデュロン・ハザークのそれと同程度と認識していいだろう。
一体あたりのパワーはそのあたりが上限なのだが、それを何十体も同時並行で出力できるというのは大きい。
つまり現況のデュロンは実数でも実態でも、一対五十の多勢に無勢で肉弾戦を制しなければならない。
やれるものならやってみるといい。人間よろしく気合と根性と加護と補正で、圧倒的不利を覆してみてほしい。
策はあるのか? あるなら結構。
ないならここで肥やしになれ!
デュロン・ハザークの対応は……襲い来る土人形たちの頭を踏みつけ、その上を跳び渡るというものだった。
しかし案の定すぐに捕まり引きずり倒され、早くも頭部が血だらけだ。
先ほどの交戦で学習しなかったのだろうか、とカンタータはむしろ呆れた。土人形に斬撃は無駄だ、すぐに手足が生えてくる。打撃は効くものの、かなりのダメージを与えてようやく一体撃破、効率が悪過ぎる。
しかしデュロンはどうしても足掻きたいようで、制帽の下に眼などないにも関わらず、己が流した血で土人形に目潰しを食らわせた。
その真意を悟ったカンタータは……それでもやはり嘲笑を禁じ得ない。
「ぬううあああ!!」
あの血は彼のマーキングだ。乱戦の中でどれでもいいから一体に対し間違いなくダメージを蓄積できるよう、見失わぬよう色をつけた。
確かにデュロンは他の土人形に邪魔されながらも、狙った一体へ瞬く間に数発の蹴りを叩き込み、容易に撃破・粉砕してみせた。
だが、それがなんだというのか。一体を土を溢す袋に還したところで……と思ったところでデュロン・ハザークが、靴を靴下ごと脱いで、周囲の土人形たちに飛ばし散らかすのを見て、カンタータは再度安堵した。
なんだ、狙いはただの拡張活性か。この結界内の地面が吸い上げられない代物と見て、多少頭を捻ったようだが、浅知恵で残念だ。
当然そちらも対策してある。
残念ながらカンタータの土人形は消化変貌、拡張活性、どちらで摂取しても栄養価はゼロ。それどころか魔族の再生能力をも突き破る即死レベルの毒を腐るほど染み込ませてある。
リュージュ・ゼボヴィッチの植物が即枯れたのを見て、己の末路を連想しなかったのだろうか? 果たして足の裏から毒を食らった彼の肌は、不自然な紫色へ変化していく。
眼、鼻、口から血を流す哀れなその顔が正視するに耐えず、慈悲の糸を繰るカンタータ。あまりにも早過ぎる終劇を指令され、弱った少年を土人形たちが一斉に押し潰す。
「呆気ないものね」
カンタータが呟く次の瞬間、デュロンを中心とし黒い渦巻が起こり、すべての土人形が力任せに振り払われ、そのうち二体が破砕した。
「なっ……!?」
砂煙の中に立つデュロンは、すでに健康そのものの血色を取り戻し、舌舐めずりして笑っている。
気持ち一回り大きくなった体で、さらに人形どもを蹴散らしながら跳躍・着地し、さらなる残骸を拡張活性で食っていく。
「毒も栄養みてーなもんだ。おやつのご用意、ありがとさん!」
しまった。カンタータは細い見た目通りコテコテの魔術タイプなので、門外漢の技術である拡張活性に対する認識がいまいち浅かった。
拡張活性が文字通り、生体活性の拡張技術というのはもちろん知っている。生体活性をある程度強化した者が拡張活性を修められるというのもわかっている。
一方で多くの魔族は生体活性で再生能力をも賄っている。つまり拡張活性が使える者は再生能力が優れている蓋然性が高いということになり、猛毒を仕込むことはあまり有効な対抗策とは言えないのだ!
いや、それにしてもこいつの体の強さはなんだかおかしい気もするが……一体の毒を食うたび、デュロンはどんどん強くなる。
あっという間に五十体全部倒して喰らい尽くしたデュロンの姿は、最初の少年とは似ても似つかぬものに変わっていた。
「うっぷ……ちょっと欲張ったがこれはこれで良いとして、
ブクブクに膨れ上がったデュロンの体は……身長四メートル級、体重は……三百キロ? 四百キロ? とにかくただのデブじゃない、筋肉製の丸太のような体型になっている。
ボディプレスが一撃必殺、腕の一振りで壁が砕けるだろう。地鳴りを起こして迫る巨体は、色んな意味で圧が強過ぎる。
「さー、どうやって死にてーんだ、カンタータさんよ? 抱き締めてバキバキにしてやろうか」
こんなもの石像が歩いているようなものだ、毒も糸もなんの意味もない。
結界を解いて脱出する? 相手の瞬発力を考えれば、中で死ぬか外で死ぬかの差しかない。
アクエリカを盾に取るか? 一撃でアクエリカごと吹っ飛ばされ、アクエリカが再生する横でカンタータがタコ殴りにされるだけで終わる。
万事休す……だからこそそんなときの措置を預かっていたのを思い出し、カンタータの顔に余裕のほくそ笑みが戻る。
使い魔の蜘蛛を通して、ヴァレンタイン枢機卿の言った「刺客」「彼女」から合図を受けたヴィクターは、躊躇いなく己の手首を切りつけて、白いうさぎが見守る中で詠唱する。
「形象は土、属性は蜘蛛。第三十一の悪魔ダーダリン、我が元へ顕出せよ」
次いで依代に指定するのはもちろん、ヴァレンタイン枢機卿から聞いた「彼女」の名だ。
「カンタータ・レシタティーボ!」
悪魔憑きが魔術強度だけでなく身体能力……つまり生体活性も底上げされることは、何度か見てわかっているつもりでいた。
しかしデュロンは拡張活性を知ったのが最近なので、そこに含まれることに思い至れなかったのだ。
この妖精族の血有魔術をベースとする結界の地面は拡張活性の対象にできないはずだが……悪魔の引力で強引に吸い上げているのか、そもそも結界の仕組み自体が別物なのか……。
いずれにせよカンタータは下半身を蜘蛛のそれに変貌したまま、
そして残念ながら悪魔に肉体の主導権を奪われたか譲り渡したようで、うるさいのは姿だけではなくなっていた。
「うーっしゃっしゃっしゃ! おやおや〜そこにいるのは、あんときのキミ! デュロン・ハザークちゃん再度ご来店ですね〜!? 今日も良い波乗ってんね〜オイ〜!? ハイ、〈罪の子〉の〜ちょっといいとこ見てみたい! あそ〜れ! な〜んで持ってんの? な〜んで持ってんの? 大器があるのは注ぐため! 悪魔の雫を注ぐため! グイグイよし来いこの野郎〜! もっとちょうだい! もっとちょうだい! 今日は珍しく素面なんだ、地上の娯楽で酔わせてヨイショォ!!」
このウゼー感じ、覚えがある。そして依代が蜘蛛とくれば間違いない。ガルボ村のザカスバダクに一瞬だけ……正確には数十秒間だけ憑依させるという特殊な運用を為されて、あの生体兵器を目覚めさせた悪魔がこいつだ。
相変わらず嫌な想像だけは当たるものだ。
依代を変えて再戦という、まさにあのときの危惧が実現してしまっていた。
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