第510話 分水嶺となってくれ

 大前提として、魔力は思念の力である。固有魔術は術者の精神性に強く紐付けされていることが多く、喰屍鬼グールの消化変貌による借用などの例外を除けば、固有魔術はその名の通り一人に一つ、その者に固有の能力である。


 これに関連してよく言われるのが、多重人格者は人格ごとに固有魔術を有しているという話である。

 人格を切り替えるごとに別々の強力な魔術を用いることが可能なら、確かにその者は精鋭の魔術師となるだろう。


 ただ、多重人格者かつ、複数の人格が魔術の才能を豊富に有するという都合の良いことは、残念ながらなかなかない。

 小児期のストレスやトラウマが多重人格を生み出すことも多いので、作為的に調整することも理論的には可能かもしれないが……イリャヒ自身がそうであるように、およそ怪物は作り出した者を、最後は殺すようにできている。


 ましてそうした複雑なメソッドを自分自身に適用しようとすれば、破綻は免れないはずなのだが……。


「ほらほら、どうしたざんしょ!? 威勢がいいのは最初だけざんすかね!?」

「くっ……!」


 噂には聞いていた。〈黒騎士〉ゲオルク・モルクは口調に紐付けした擬似人格を四つ組み上げており、それらの交代に伴って魔力の属性回路を容易に切り替え、四大元素を自在に組み合わせた魔術攻撃を可能としていると。

 よくある属性混合型や分類不能型ならまだしも、四つがそれぞれ独立し、すべてを神域級まで鍛え上げているので、付け入る隙もへったくれもない。


「ごめんねぇ、ちょっと相性が悪かったねぇ」

「関係、ありま、せん……!」


 ちょうど今、〈水〉から〈風〉の役柄キャラに切り替わった。巨大な竜巻が〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉ごとイリャヒを吹き飛ばし、終点で隆起する岩塊に圧搾される。


「バカヤローが、挑むにしても身の程を弁えろってんだ、コノヤローめ」

「……!」


〈土〉の役柄キャラは口調通りに乱暴だ、頭が潰れても再生する高位吸血鬼でなければ、今の一撃だけでも一回死んでいる。

 イリャヒは即座に〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉を再展開するが、ゲオルクが放つ普通の赤い炎に圧倒され、再度吹き飛び地面に叩きつけられる。


「無駄ですよ、無駄。諦めなさい、あなたにはまだこのステージは早過ぎます」


 そしてこれが〈火〉の役柄キャラ……16年前、ジュナスの傍らで範を示してくれた、いわばイリャヒの原点そのものである。


「やはりさすがですね、〈黒騎士〉ゲオルク・モルク……我が揺籃の師よ」

「おや、気づいてたざんす? ならなおのこと、昔のよしみで通してほしいものざんすがね」

「感謝はしています。これはジュナス様にも申し上げたことですが、あのときのあなたの助言がなければ、今の私はないと言っても過言ではなく……ですが……」


 挑発するように掲げた二指に、性懲りもなく青い炎を宿した。


「すみませんね。私、恩を……仇で返すタイプなのでね」

「そっか……なら、仕方ないざんすね」


 ゲオルクの四属性にも、意外とそれぞれ練度に差がある。本当の意味で神域に到達している……銀の魔力無効化性質を無視して破壊できるといった、概念化能力の領域に到達しているのは、〈火〉の一属性だけと見られる。

 だが他の三属性も、自然の水・風・土を用い質量攻撃による流動圧・暴風圧・錬成圧で押し潰すという、攻撃規模を窮めた帰結であるため、一言で「強い」という点においてなんら遜色なく、まるで気休めにもなりはしない。


 ゲオルクが指を一振りするだけで、近くの井戸から逆さの瀑布が迸り、イリャヒを圧殺するには十分過ぎる水量が、波濤となって襲い来る。

青藍煌焔ターコイズブレイズ〉はあらゆる物質を破壊できる。ただし一度に処理できる限界量が存在し、文字通りの波状攻撃で徐々に押し込まれていく。


 万事休すと思われた次の瞬間……横合いからもたらされた大量の油が水を弾き、火勢を強め形勢を覆した。

 煙を上げて再生するゲオルクの皮膚から傍らへと視線を移すイリャヒに、相手は微笑みこう言った。


「ちなみにわたしは、恩を恩で返すタイプだからね」


 赤土色の髪を首元で二つに束ねた、葡萄色の眼の少女だ。

 確かガルボ村事変を経てヴィクターの仲間になったという、パグパブ・ホイッピー。


「ありがとうございます。が、なぜ私を?」

「一昨日の夕方に、あなたの妹がいなければ、わたしの従弟が死んでいた場面があったんだ。だからあなたの妹を探してたんだけど、途中であなたが苦戦しているところを見ちゃってね、代わりにこっちでいいかなと」

「フフ……あなたも相当な酔狂のようだ。私に与すると、ヴィクターに怒られませんか?」

「許可は取ってきたし、それでなくてもいいんじゃないかな。あなたは友達だって聞いたよ、ヴィクターも満更じゃないでしょ」


「そりゃまた結構……美しい友情ざんす」


 火傷の癒えたゲオルクは、斑となった道化の化粧を一旦剥がし、一瞬で塗り直す。


「この〈水〉は元々メイク落としのために修得したものでね……戦闘に使うつもりはなかったざんす。

 だが10年前、ある画期を経たことで、やはり四属性すべてを極める必要を覚えた次第でござんして。

 君らもアタシの、越えるべき分水嶺となってくれれば、大変良うござんすがね……」


 空中に水の珠をいくつも浮かべ、そのうちの一つに乗って飛び、道化は笑んで宣告する。


「〈四騎士〉が一人、〈黒騎士〉ゲオルクの、本意気を少々ご覧いただきたくござんす」

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