第509話 刹那の棺箱は中身を選ぶ
レミレ・バヒューテは身長約150センチ、体重50キロ弱。
普通に戦えば現行魔族たちの近接格闘にまったくついていけない体格である。
ただし、バヒューテ家の種族能力である催眠鱗粉をバラ撒けばその限りでない。
相手を睡魔でヘロヘロにしてしまえば、倍以上の体重があるデュロンですら転がせることは証明済みである。
「レミレちゃぁぁん、どぉしてわたしを置いていなくなったりしたんですかぁぁぁ!?」
同い年のアンネは体もレミレより少し大きい程度、数秒も嗅げば即落ちのはずなのだ。
だが実際にはいつまで経っても元気なまま。いくらアンネが暗示のエキスパートとはいえ、生体機能に直接作用できるほどではない。
「どうしてって……そもそもわたしとあなたは単なる幼馴染のはずでしょう?」
「ただのってっ! わたしたち、将来を誓い合う仲だったじゃないですかっ!? 固有魔術なんか発現しなくったって、この魔族社会を強く生き抜いてやろうって言ったじゃないですかっ!」
アンネは興奮するとコロコロ物腰が変わるのだが、これは単なる情緒不安定ではない。
アンネは自ら「弱者の武器」と位置付けた「演技」を極め過ぎ、口調に紐付けて擬似人格をいくつも発現するに至った。
「その表現にはちょっと語弊があるというか、誤解を招くわね……確かにあなたと傷を舐め合っているのも、それなりに楽しくはあったわ。でもごめんなさいね、あなたももう知っているでしょうけど、わたしは出会ってしまったの」
「運命の相手と……とでも言いたそうですね。非論理的見解です。ではわたしの故郷であなたとわたしが行き逢ったこととどう異なるのでしょうか? 納得のいく回答をいただきたいですね」
つまり催眠鱗粉は効いているのだが、寝落ちしそうになるたび別の仮想人格に主導権を切り替え、無理矢理意識を保っていることになる。
レミレもアンネの「人格らしきもの」が総計いくつあるのか把握していないが、少なくとも最初に眠った人格が起きるまで持ち堪えるサイクルを作れる程度に充実しているらしい。
「残念だけど論理的回答はできないわね。わたしの気持ちの問題でしかないのだから」
「なーにが気持ちの問題だっぺか!? ケーッ! ならわだすの気持ちに応えて、二人田舎でグズグズ腐っていっても良かったべ!? それをな、どーしてあんな小汚ぇ筋肉ダルマの元へ走ったぎゃ!? そんなにあいつの神域級の固有魔術が良かったか!?」
催眠鱗粉の二つ目の機能である魔物の使役も近くに対象がいないので使えない。
アンネの格闘能力は、見た目通りの一般市民相当。〈
万事休すと思われる状況だったが、レミレは抵抗を諦めるどころか、普段は凪いでいる心が燃え盛るのを自覚していた。
アンネの誘導に従うのは癪だが、事態を打開するには乗るしかない。
「魔術、魔術……あなたは本当に、昔からそればっかりね、アンネ。あなたを捨てて故郷から出ていったお兄さんのことが、よほど忘れられないのかしら?」
「なんだとぉ……」
「ええ、この際だからはっきり言ってあげる。あなたが本当に執着してるのは、わたしなんかじゃない。まだお兄さんの面影を追いかけて、ついにこの街まで来てしまったのね。わたしに懐いたのは、彼のいなくなった寂しさを埋めたかっただけ。そろそろ素直になったら?」
当たらずとも遠からずかと思って示した見解だったのだが、どうにも的外れだったようで、アンネは素に近い口調で憤怒の表情を見せた。
「なんっでそうなる!? 言っていいことと悪いことがあるだろうが、レミレェ!? クソ兄貴を出し抜くため、見返すため、わたしなりにあいつを超える方法をさぁ、非才のこの身で探してきたって、途中まで同じ道を歩いてきたお前が一番よく知ってるはずだろうが!? 男に走って脳幹から股間まで真っピンクの直通回路ができちまったのか!? そんなんでよく教会なんぞに所属できてるよな!?」
また催眠鱗粉の効果で寝落ちして、覚醒した次の擬似人格が、反転攻勢に回ってくる。
「あ〜そ〜だ、そんなに言うならわたし素直になっちゃおっかな〜? お兄ちゅわわわわ〜ん、アンネだよぉ〜、助けてぇ〜、ムカつく奴らをブッ殺してよ〜って、昔みたいに頼んじゃおっかな〜?
同じ神域でも、ギャディーヤは銀合金装甲の自在な解除ができるってだけじゃん? 一方ゲオルクは、その悪魔級以下を無条件に無効化する絶対防御を、容易に崩せるわけだし。
な〜んか聞くところによるとさぁ、あんたの大好きなあのデカブツくん、〈災禍〉だかなんだかにビビって逃げ惑って、悪魔召喚の生贄に使うために、ガキども沢山殺しまくったらしいじゃん? な〜んでそんな奴を教会さんは〈銀のベナンダンテ〉だかなんだか知んないけどさ、生かして囲ってんのかなぁ? 普通に考えて即刻処刑っしょ!? 気持ち悪いから死んでくんないかなぁ!?」
アンネはいつでも欲しい言葉をくれる、敵対している今でさえ。
なので変わったのはアンネではなくレミレの方なのだ。
アンネのメソッドはとっくに完成していた。アンネ自身、そしてレミレも何度も試した。
アンネ自身は魔術の才能がゼロだったせいだが、レミレが固有魔術を発現できなかったのは、別の原因によるものだとわかっていた。
レミレの頭の中の棺箱に叩き込む屍は、姉妹たちでも両親でも、アンネですらも足りなかった。
彼らを愛していないわけではないが、発火に至る激情を宿すには、もっと大きく、絶対的な熱量が必要だったようだ。
レミレがギャディーヤに惚れた理由は、自分でもよくわからない。なにか劇的な場面を経たわけでも、ロマンチックなプロポーズをされたわけでもない。
ただあんなに
春の〈恩赦祭〉の二日前に、ギャディーヤがウォルコの部隊に捕縛されたときに、レミレは初めて自分の気持ちを自覚した。
この人に死んでほしくない……その想いは〈銀のベナンダンテ〉としてゾーラへ飛ばされてきてからも、ますます強まり続けている。
ギャディーヤは意外と簡単に死ぬ。ゾーラで四騎士の力を何度か間近で見て、レミレはギャディーヤもさほど無敵ではないことに思い至った。
アンネの言う通り、もしもゲオルクが本気を出せば、〈
黒騎士や白騎士に撃たれたら死ぬ。
赤騎士や青騎士に蹴られたら死ぬ。
そしてメルダルツの隕石でも死ぬ。
そのすべてを順繰りに想像したレミレの脳は高熱を発し、視界に火花が散り始めた。
固有魔術が欲しくなかったと言えば嘘になる。一方であまりにあっさり発現に至ったことで、拍子抜けしている部分もあった。
魔族が生得する魔力の属性は遺伝したりしなかったりするので、つまるところ未知。
にも関わらず己への期待で、レミレはいつの間にか笑みを浮かべていた。
「いいでしょう……なら簡単な話だわ。モルク兄妹の感動の再会を邪魔してしまうことになるけど、黒騎士ゲオルクはわたしが殺す。今、あなたが焚き付け炙り出してくれたこの力でね」
対するアンネの表情は……歓喜。
その反応でレミレは確信した。やはり彼女はこの街へ、レミレに会うために来たらしい。
「レミレちゃぁぁん、ついに固有魔術が
……それはそれとして、紛うことなき変態で気持ち悪いので、お望み通りにしてやる!
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