第507話 夜のものは殺せ
ソネシエはヒメキアを連れて、東へ向かった土人形の痕跡を追いかけていた。
ああいった魔力を込められた物体は、手元に置いて動かすよりも、遠隔で操作する方がより多くの魔力を込める必要が出てくる。
従っていまだに残り香のごとく魔力の片鱗が漂っているので、それを追いかけているのだ。
「ヒメキア、こっち」
「わ、わかったよソネシエちゃん!」
ソネシエとしては素直についてきてくれるだけで助かるのだが、ヒメキアはしょぼんと落ち込んでいる。
「ごめんね、ソネシエちゃん……あたしアクエリカさんの波動を、全然キャッチできないよ」
「焦ることはない。もう少し近づけば、あなたにも捉えられるかもしれない」
ヒメキアの生体感知能力は、五感によるものとも魔力によるものとも異なる、独特な様式のものだ。
もとより治癒対象を探すための副次的な能力ではあるのだが……。
「……あなたの生体感知能力は、本来相当広範かつ高精度に対象を捉えられるはず。それがまったく網にかけられないというのは、なにかおかしい」
「ご、ごめんね……」
「あなたを責めているのではない。猊下を拉致した実行犯は、聖女たちと同じ認識阻害結界を使っている可能性がある。あるいは……」
すぐにピンときたようで、ヒメキアが元から丸い眼をさらに丸くする。
「ソネシエちゃんとデュロンがいなくなっちゃったときも、あたし、全然見つけられなかったけど……もしかして」
「そう……わたしの不肖の伯父が
だとしたら……いや、そうでないにしても、敵がかなり周到なのは間違いない。
どんな罠を用意して待ち構えているかわからないところへ、ヒメキアを連れて飛び込むわけにもいかない。
だが幸か不幸か、結果的にその懸念は無用のものとなった。
反射的にヒメキアの背後へ回り込んだソネシエを、展開した氷の盾ごと、甚大な衝撃波が叩きのめす。
「わー!?」
「くっ……」
なんとか防御し切ったが、鉄より高い強度で精製したはずの盾が、役目を終えて粉々に砕け散る。
尋常な威力ではない。現にソネシエとヒメキアがいる地点を除いて、周囲の石畳が割れて陥没し、浅いクレーターを形成している。
「本日のゾーラは、晴れときどき曇り」
舞い降りる羽衣を纏った女は、巻き起こした破壊とは対照的に、柔和に微笑み告知してくる。
「ところにより念力が降るでしょう♫」
蓄えた魔力の量、質……なんと呼べばいいのだろう、とにかく威圧感が半端ではない。
これまで任務で竜や巨人との交戦を避けたことが何度かあったが、彼女は彼ら以上だ。
怯え切るヒメキアを抱きすくめながら、第一印象をそのまま口にするソネシエ。
「あなたは……天の御使い」
「よくわかりましたねえ、ちっちゃなシスターちゃん。敬虔なあなたならわかるでしょうが、わたしたちの神様である救世主ジュナス様が、今あなたの腕の中にいる、赤紫のオーラの女の子をご所望なんです。神の力を紡ぐ貴重な生贄となれるんですよ。喜んで差し出しますよね?」
「ひっ……!」
「ああ、ひよこちゃん自身に尋ねるのも忘れていますね。もちろん身を委ねますよね?」
硬直してなにも答えられないヒメキアに代わって、ソネシエが口を開く。
「ヒメキア」
「な、なに、ソネシエちゃん……?」
「わたしは今まで、『ヒメキアを守る』『ヒメキアの騎士になる』などと言いながら、いつも口先だけだった。なのでこれから、初めてそれらを実行に移すことにする」
「ソネシエ、ちゃん……!」
ピク、と露出狂の変態女の頬が引き攣った。どうでもいいがなぜ服を着ないのだろう。そういう文化なのだろうか。
「ええと、わたしの聞き間違いですか? 抵抗の意思があるように聞こえたのですが」
「あなたは健聴なので、安心してよい」
「なぜです……? 救世主はいつも正しい。その使いであるわたしを疑うのですか?」
「あなたもそうかもしれないけれど、わたしは救世主ジュナス様に救われた。一度は直接敵の傀儡を退けていただいたことで。もう一度は、わたしの兄が幼い頃に受けた啓示により、間接的に」
「だったら……」
「それらの件でわたしは学んだ。わたしの知る救世主ジュナス様は、わたしの親友を奪えなどとは命令なさらない。神託を受けたと豪語する者はまやかし、本当は神の声に耳を傾けてなどいない不信心者」
その言葉を機に女の顔色が明らかに変わり、憤怒の形相は鬼神と化した地母神を思わせる。
「なんですって……!? その言葉そっくりそのままお返ししますよ、ちんちくりんの異端者! たまたま生き残れただけの事実を、かなり都合良く解釈しているようですね!? あの御方は、あなたたちなんかにさしたる興味はない!!」
「矛盾している、それも嘘。わたしとあなたの信仰は異なる模様。あの御方に導かれたから、わたしも兄さんも、生きている。戦えることができている。愛することが、できている」
剣を構えて庇い立ち、ソネシエは偽の天使に分かり切った結論を突きつける。
「雹が降っても、槍が降っても……ヒメキアをあなたに渡すことは、絶対にありえない」
「……いいでしょう……確か
天使の怒髪が天を突き、棚引く羽衣までが荒ぶった。
金色の眼に殺意が宿り、具体的な魔力として放出される。
「なら簡単です。二人まとめて擂り潰し、灰の中から鳳雛を拾って、あの御方に献上するまでのこと!」
こんなのに構っていられる状況ではないが、こいつが敵の一味でない保証もないのだ。
アクエリカを探している間にヒメキアを攫われたとあれば、いよいよ収拾がつかなくなる。
だからこれは必要な戦いなのだとソネシエは自分に言い聞かせたが……。
勝ち目があるかは、また別の話だった。
結界の中は廃教会の様相を呈していた。妖精界の一部であるはずだが、デュロンにはどちらかというと悪魔に侵入された際の、精神世界に似た雰囲気が感じられる。
長椅子は時の嵐に遭ったようにすべてが朽ち果て、床は土の地面が晒されている。
奥の説教壇の前には一基の棺が横たえられ、中には絶世の美女が納められている。
人狼の嗅覚で生体反応を感じ取れなければ、この光景だけで狼狽していたことだろう。
幸いアクエリカは意識を失っているだけで、まだ正常な体臭を嗅ぎ取れる。
だがここからの対処を誤れば棺の蓋は閉められ、彼女の姿を見ることは永遠に叶わなくなる。
そればかりかデュロン自身が彼女の隣で共に眠る羽目になるに違いない。
今、この結界内にたむろしている、都合五十ほどの土人形を、なんとか破壊しない限りは。
できるできないは脇に置き、ひとまずいつも通りに虚勢を張ってみるデュロン。
「なるほどね……考えてみりゃ固有魔術が錬成系なら、穴でも掘って先回りもできたわけだ。どうも複雑に考えすぎたらしい。操ってんのは種族特性の……糸か? それとも……音か?」
もはや信心もなにもなく、説教壇に腰掛ける女は、茶会のときとは打って変わって、酷薄に微笑んでみせる。
オリーブ色のドレスに黒のストール、後頭部できっちりとまとめ額を出した黒髪。
「音楽はただの職業よ。それもどちらかというと演奏や作曲よりも調律の方が得意なの。二つ名の〈調〉は糸を繰る様に由来する。でも私の糸は実体がないから、見えにくいと思うわ」
カンタータ・レシタティーボは、バカにでもわかる示威のつもりだろう、下半身を蜘蛛の脚へと変貌させ、ワサワサと蠢かしてみせた。
「よくここまで辿り着いたわね坊や。ご褒美に調律してあげましょうか。曲の終わりと余韻を強く感じる、高音の断末魔を奏でられるよう」
瑠璃色の強い眼光に気圧されかけるも、デュロンは一歩も退かず、一歩進んで吠え猛る。
「そいつはありがてーや。なら、礼にテメーを調教してやる。二度と俺たちの邪魔ができねーよう、念入りにな!」
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