第506話 意外と素直な子が多いようざんすね

「ダメだね……」


 四体の土人形のうち、西へ逃げた一体をリュージュとともに追ったオノリーヌだったが……街の端近くまで差し掛かったところで、アクエリカの痕跡ごと、煙のように消えている。


「聖女たちが使っているあの結界かとも思ったのだけど、いかんせんわたしでは、感知精度が足りないのだよ」

「すまんな……知っての通り竜人わたしは感知は並程度なのだ、五感もそれ以外も」

「いや、というか、複数系統が必要なのもそうなのだけど……最適調整オプティマトウィークを修めたデュロンに比べると、わたしの嗅覚はどの道このレベルでは役に立たないのであるからして、結論としてはデュロンすごい!」

「どこからでもブラコンに繋げるものだなあ。デュロン褒めてるときだけヒメキアと同じ喋り方になるのだよな……」

「いずれにせよ前例に則れば、吸血鬼……イリャヒ、ソネシエ、エルネヴァのいずれかとの再合流が最低条件と心得たまえ。とはいえどちらかというとわたしは、ここに見た目通り本当になにもない場合の方を、むしろ危惧しているのだけどね」

「それは、どういう……?」


 リュージュの疑問に答える前に、二人の背後から陰気な声が降ってきた。


「やあ、見つけたぞ。正直俺が勝てるとは思えないけど……ちゃんとやんないと仲間に嫌われちゃうかもしれないからな」


 二人が振り返ると、そこには赤錆色の長髪を金色のバレッタで緩くまとめて、緑色のローブを着た長身の男が立っていた。

 そういう演技で油断を誘っているわけではないようで、実際に落ち込んでいる感情の匂いがする。


「君はヴィクターの仲間なのかね」

「そうとも。君らに恨みはないけど、故あって邪魔立てさせてもらうよ」


 答えを期待して訊いたわけではなかったのだが、存外素直な男のようだ。

 オノリーヌの前にリュージュが立ち、拳骨を鳴らしながら気炎を吐く。


「この男はわたしに任せて、合流を優先しろ。一刻も早く猊下のご安全を確保するのだ」

「わかった。気をつけなよ」


 即座にこの場を離脱するオノリーヌを、男は特に注視しない。

 不気味な奴だ、いまいちなにを考えているかわからない。


 しかしやはりそれよりも胡乱なのが、アクエリカを拉致した実行犯の手口だ。

 なにもない場合の方を危惧していると言ったのには、大きく分けて二つの意味合いがある。


 一つは例の隠蔽結界が頭をチラつくせいで、本当になにもない場所に無駄手間を取らされる可能性があること。

 仮に全部の土人形が囮であり、すでにアクエリカの身柄を市外に持ち出されているとしたら非常にまずい。


 もう一つは……四方向に分かれた痕跡のうち一つが、実際にアクエリカを連れ込んだ場所に通じているとしても、それは必ずしも拉致犯の浅慮を示すとは限らない。

 他の三方向が追っ手を分断するためのせめてもの陽動に過ぎないとしたら……術者は持てる魔術的リソースのほぼすべてを、アクエリカを連れ込んで待ち構える、その一地点に集中していることになるからだ。


 こういうときデュロンは、結構当たりを引いたりする。

 その幸運が不運に裏返らないことを、オノリーヌとしては祈るばかりだった。




 南の痕跡を追うイリャヒとレミレの前に何者かがヌッと現れたのは、唐突ではあるものの、予期すべきことでもあった。

 ただ問題はその相手が、どうもアクエリカを拉致した人物とは無関係らしいことだ。


「やぁっと見つけましたよぉぉレミレちゃぁぁぁぁぁぁん!! ここで会ったのも絶対に絶対になにかの縁ですぅぅ! やはり〈劇団〉はあなたとわたし、二人でやるべきというなんか神的なアレの啓示的なヤツですそうに違いない!!」


 くしゃくしゃの赤毛に、そばかすだらけの地味な顔立ちをした、なんの変哲もない女だが、今は眼をひん剥いて涎を垂らしている。


「出たわね、アンネ……そろそろ来る頃かなと思ってはいたのよ」

「おやレミレさん、なかなか強火な方とお友達なのですね」

「ごめんなさいね、イリャヒさん……わたしはどうしてもこいつに構ってやらないとならないようだわ。あなたのサポートはできなさそう。先に行ってくれる?」


 レミレが普通に引くレベルというのは、見掛け倒しではなく相当ヤバい相手のようだ。

 部外者が立ち入れる間柄でもなさそうだし、ここは提案に従うべきだろう。


「積もる話もありましょうが、できれば手短にお願いいたします」

「わたしはそうしたいところよ」


 相手はそうさせてくれなさそうだが、少なくともイリャヒにまったく関心を向けてこないのは、不幸中の幸いではあった。

 アンネなにがしの横をなにごともなく通り抜け、しばらく己の魔力感知に従うイリャヒだったが……絹を裂くような悲鳴を聞きつけ、東の空を仰ぎ見た。


「…………」


 そんなことをしている場合ではないのはわかっている。

 デュロンならばいざ知らず、イリャヒはさほど英雄願望の強い男ではない。


 にも関わらずをした理由を、彼は以下のように自己分析した。

 ちょうどこのまま馬鹿正直に土人形の痕跡を追ったところで、アクエリカの身柄に辿り着けるとは思えなくなってきたところだ。


 非常な事態に異常な状況が起きているなら、元凶に至る端緒となる可能性がある。

 いや……そう思いたいだけなのだと、本当はわかっていた。




「ああもう、しつこいですねあのピエロ!」


 街の東へ向かって一心不乱に飛びつつ、オスティリタは背後を振り返っては苛立っていた。

 ジュナス様のお目付け役気取りの〈黒騎士〉ゲオルクが、竜巻を纏って追いかけてきているのだ。


 ジュナス様に本来のお力を取り戻していただこうと奮起しているオスティリタを、なぜ止めに来るのかがわからない。

 だいたいあいつらは、本当に神威を復刻する気があるのかわからない。迂遠な策を練っているつもりか知らないが、大した役に立たないなら、走り回っても意味はない。


 こうしてオスティリタのように、目的に向かって一直線に飛べばいいだけなのに!

 勝利の確信はすでに得ている、あとはそれに従うだけだ。どうにかバカピエロを撒かないといけない。


「……おっ?」


 ふとオスティリタの視界の端に、黒髪黒眼に黒服眼帯、魔力の質と量からしておそらく吸血鬼と思しき青年の姿が眼に入った。

 まだ若いがなかなかの潜在能力を持っているのがわかる、化ければ四騎士級も十分ありうる逸材と見える。


 やはり間違っていないという神すなわちジュナス様の思し召しだとオスティリタは迷いなく解釈した。

 そしてこういうときにどうすればいいかもわかる。実際この約千六百年間で、こういう場面は幾度となくあったのだ。


「キャーッ! 誰か助けてーっ!」


 余計な小細工は要らない、この定型句で事足りる。全裸に羽衣一枚で逃げ惑う絶世の金髪美女(オスティリタのことですよ)、それを追うクソ怪しい竜巻ピエロ、どちらが悪党に見えるかは論ずるまでもない。


 案の定、眼帯の青年は黒い魔力の翼を広げ、ゲオルクへ一直線に襲いかかる。

 ありがとう、名前も知らない吸血鬼ちゃん。これで「無限の魔力」へ向かって邁進できる!




 オスティリタを取り逃がしたゲオルクの、「やりやがった、バカのくせにこういう悪知恵は働くのなんなんだあいつ、今こんなことしてる場合じゃないのに、こういうときはやっぱり四騎士も制服を着るべきだなと今さらながら思うわ、困ったな」……という思考は、すぐに別のものに切り替わった。

 オスティリタに嗾けられて青い炎で牽制してきた若い男の人相が、ちょうど一昨日ジュナス様と話していた、十五年ほど前に一度会ったきりの、あの少年とピタリ重なったからだ。


 あいつもあいつで今そんな場合じゃないだろうに、それでも追い剥ぎに遭っている(ように見える)見知らぬ女をとっさに庇うとは、なるほど確かに祓魔官エクソシストの鑑だ、立派に育ってくれている。

 惜しむらくはその素養を、もう少し別の場面で発揮してほしいものだが……。


「すみません。教会の者なのですが、ちょっとお話聞かせてもらえますか?」


 イリャヒ・リャルリャドネの職務質問に対して、ゲオルクは気づけばこう答えている。


「良うござんすよ。アタシもこれで、積もる話があるものでねぇ」


 身分を明かせば済む話だ。オスティリタの目的を説明すれば、邪魔するどころか協力してくれるだろう。

 だがゲオルクはそうしなかった。目をかけた後輩の成長を確かめるというプロセスに、それほどの魅力があるということなのだろう。

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