第505話 ならどうすればいいかというとわからない

「ここですわね…?」

「ああ」


他者ひと探し大全』の捜索セオリーとエルネヴァ自身の魔力感知、両方が指し示した地点は、なんの変哲もない路地のド真ん中だった。

 自分でここへ導いておきながら、自分で首をかしげてしまうエルネヴァ。


「てっきりこのあたりに建物でもあるとばかり思っていましたが……」

「俺もだ……だが確かに姐さんの血の匂いは、ここで急に途切れてる」


 デュロンの嗅覚も同じ結論を出しているのなら、的外れとも思えない。

 近くに窓や扉もない。ここから地へ潜ったり空へ飛んだなら、それはそれでそういう痕跡が残るはずなのだ。


 ならあと考えられるのは……とエルネヴァが思い至るよりも早く、デュロンは気付きを得ていたようだった。

 さすが現役の祓魔官エクソシストと褒めたいところだが、伴う行状がよろしくない。


「ちょっ……デュロンさん、なんですの、その卑猥な手つきは? そんないやらしい動きで空間さんを引っ掻くのはおやめなさいな」

「いや……お嬢も見てたろ。ミマールサさんがこうやって開けてたじゃねーか」

「それはただあの人がいやらしいだけだと思いますわ。ほら、そんなことをしているとオノリーヌさんが悲しみますわよ」


 そう、人間だった頃のパルテノイが匿われていたという、あるいは聖女たちがお茶会を開くために用意したような、隔離空間・認識阻害系の結界が張られており、そこにアクエリカを抱えた刺客が逃げ込んだ可能性がある。

 これは妖精族の血有魔術に近い代物なので、妖精族か魔力を込めた者にしか開けないはずなのだが……例外となるケースを、他ならぬデュロンからエルネヴァも聞いている。


 人間メイミア(パルテノイの前身)が殺害された原因は、人狼と吸血鬼という、二系統の高精度な感知能力を使う種族が共謀したことで、結界の端緒が暴かれてしまったことらしい。

 その辺の雑魚チンピラにできたことが、ミレインのエースと内定聖女にできないとは思えない。エルネヴァはデュロンの傍らにしゃがみ込んで提案した。


「見様見真似の闇雲では、見つかるものも見つかりませんの。あたくし、吸血鬼としての魔力感知能力だけでなく、汎用的な結界術の基礎も押さえておりますの。理論的なアプローチでもお役に立てると思いますわ」

「マジか、助かる。アンタの固有魔術、体系化された技術に関しては万能なんじゃね?」

「そうだといいですが……いえ、今からそれを証明してみせますわ」

「その意気だぜ、お嬢」


 エルネヴァの〈技能目録スキルリスト〉は簡単に言うと、知っていることならなんとなくできちゃう能力、ということになる。

 なにもない空間を漠然と指でなぞりながら、エルネヴァは結界関連の書物を脳内でめくる。


「このタイプの結界術は、外から見ても完全に閉じているというわけでなく、誰にも見えない鍵穴が穿たれていることになりますの。ただ、知らなければそれがどこにあるのかわからないので、理論上は誰にでも侵入可能なのですが、長い合言葉をノーヒントで当てるようなものであって、現実的にはほぼ不可能ですの」

「ミマールサさんの様子を見てた限り、正しい地点に正しい角度で押し込んでようやく『開けゴマ』なわけだ」

「ええ、なので……」


 これ以上の説明は不要なようだ。デュロンは眼を閉じて両手を前に出し、武術家が相手の出方を探って構えを微調整するような動きをし始めた。

 彼が最近習得したという〈最適調整オプティマトウィーク〉についても、魔族の徒手格闘における共通技術の一種であるため、エルネヴァもその原理を本で読み理解している(ちなみに〈技能目録〉の効果でエルネヴァも再現できるが、彼女自身は膂力自体が低いのであまり意味がない)。


 一瞬ごとの動作に合わせた、厳密かつ迅速な形態変化なのだが、これにより実質的な総合値だけでなく、一つ一つの身体能力精度も上がるとされている。

 それは感覚器官による感知能力も例外ではなく、デュロンの嗅覚ははもはや匂いがどんなふうに流れているか、絵に描いたように見えるレベルにあると考えられる。


 やがて彼の手はある一点で止まり、眼を開けエルネヴァの方を見て、指で指し示してくる。


「ここだな。ここにこっちからこう入ってる」

「了解ですわ! ではあとはあたくしが、魔術的アプローチで!」

「……おい、お嬢……」

「……なんですの? 気が散りますわ」

「その卑猥な手つきやめろよ、家令さんたちが見たら悲しむぞ」

「……そう言われても、自然とこういう動きになってしまいますのよ……ああっ、あと少しで掴めますのに……!」

「やっぱこれ必要な動きだったんだな……後でミマールサさんに謝らねーと……」

「いえ、それはそれとしてあの人はいやらしいかと」

「それはまあ、同感だが」

「っと、開きましたわ!」


 うにょん、と異空間の入口が形成されるが、まだ中の様子は見えない。つまり中からも認識されていない……と思いたい。

 広げた両手の間に躊躇なく突っ込もうとしてくるデュロンの頭に、エルネヴァは面食らって話しかける。


「は、入りますのね?」

「そりゃ入るために開けてもらったからな」

「あ、あたくしはどうしたらいいですの?」

「アンタは入らねー方がいい、どうなってるかわかんねー。今この街中も安全とは言えねーが仕方ねー、なんとか他の誰かと合流して、報告して判断を仰いでくれ。俺は俺で……」


 異変に気づいたのはエルネヴァとデュロン、ほぼ同時だったが、判断も行動もエルネヴァの方がわずかに早かった。

 デュロンの方が踏んだ緊急事態の場数ははるかに多いだろうが、だからこそと言うべきか、エルネヴァはデュロンの指示に従うと、どちらかといえば無責任に即断しただけだ。


「合流・報告、了解ですわ!」

「ちょっ、お嬢……」


 異論に構わず、結界の入口を、デュロンを押し込む形で閉じてしまう。

 ほんの一瞬だけ立ち遅れた人物に向き直り、改めて相手の風体を確かめる。


 ボサボサの黒髪に、ファッションなのか白い包帯みたいなのをいい加減に巻いて、緑のローブを着た中肉中背の少年である。

 さっき屋根の上から見てきていたのと同じ男だ。緑色の眼をすがめて、彼はチンピラ丸出しの表情と口調で脅しかけてくる。


「よぉ、今度こそハッキリ見てたぜ。テメェ、デュロン・ハザークの仲間だったのか。痛ぇ目見たくなかったらよ、俺もそん中通してくれ。悪いようにはしねぇからよぉ、お嬢様よぉ!」


 今、この状況においてもっともまずいのは、自分がこの男に捕まってしまうことだと、エルネヴァは存外冷静に考えられていた。

 結界内の状況によっては、なんならこの男を入れてしまう方が有利になるかもしれない。


 なにもわからない以上デュロンの指示に従うのがベターと思えた。

 幸い、逃げるための隙を作る方法には、いちおうの心当たりがあった。


「ま、待ってくださいな! 降参ですのよ! あたくしの指の一つも食べてくだされば、自ずからすべてわかりますわ! どうぞご自由になさってくださいな!」

「おっ、意外と物分かりが……良すぎるな?? なんで俺が喰屍鬼グールだとわかった? テメェは探偵ですかこの野郎!?」

「た、確かに探偵術も多少は嗜んでいますが、あなたそんなポケットをパンパンに膨らましておいて、しかも色々な魔力の気配がしますわ。どう見てもお肉を沢山詰めてるでしょう?」

「ん……あー、それもそうか……まぁいいや、遠慮なく喰ってから考えるとするぜ」

「んぎぴっ!?」


 いきなり指を噛み千切られて悶絶するエルネヴァ。


「お、うまっ」

「なななな、なにしてますのん!?」

「は? お前が喰っていいって言ったろ?」

「サイラスとまったく同じ反応! 喰屍鬼グールにデリカシーは皆無ですの!?」

「あ!? お前、サイラスの……」

「ご機嫌よろしゅう御免あそばせ!」

「おぉい!? 逃げ……てん……」


 エルネヴァなりにダッシュで離脱してみたのだが、包帯チンピラ男は……その場でほうけて、一向に追ってこない。

 どうやら予想以上の効果があったようだと、エルネヴァは複数の意味で心臓がバクバクしながらも走り続けた。




 以前デュロン・ハザークの肉を喰って、デュロン・ハザークと戦ったとき、ジェドルはデュロン・ハザークそのものに化けることができていたと、今さらながらに自負している。

 あのときは技量に圧倒的な隔たりがあると感じていたが、実際は能力値から経験値まで完全無欠な模倣をできていたのではないか? それは一昨日、ソネシエ・リャルリャドネに消化変貌したときについても同じことが言える。


 しかし実際ジェドルはデュロンに負けたし、ソネシエの肉を喰ってソネシエと戦ったとしても、やっぱりジェドルが負けると思う。

 理由を突き詰めて考えてみたのだが、実力が拮抗するからこそ、最後の決め手となる魔族が苦手なアレ……精神論が絡むのではないか?


 ジェドルは消化変貌の固有特性〈深淵潜者アビスダイバー〉が象徴するように、そうと決めたら迷わないタイプなのだが、逆に言えば喰屍鬼グールとして常に頭に複数の選択肢がチラついている。

 最初から「膂力任せにブン殴る」「氷の剣でブッた斬る」と決めてかかって戦っているデュロンやソネシエ相手に、彼らと同じ分野で競えば、後れを取るのは当然のことだ。


 ならどうすればいいかというとわからない。正直ジェドルは、まだあまり〈深淵潜者アビスダイバー〉を使いこなせていない感じがする。

 とにかく今は空間の狭間に消えたクソ野郎の後を追わないと、再戦のチャンスすら得られない。


 知らんお嬢様の指を一本いっとくのも、今後成長するにあたり悪い経験ではないだろう。

 仮に体液が毒だろうと関係ない、喰屍鬼グールの胃液はなんでも消化する。現になんの支障もなく、美味しくいただけた……のだが。


「広っ」


 潜った途端に広すぎる。深く潜るのはいつも同じだが、搭載された技能の幅が広すぎる。

 これで一つの能力というのが信じられない、それとも珍しい複数能力持ちなのだろうか?


 だとしたらサイラスはいつもこんな情報量を並行処理しているのか? 脳に負担がかかりすぎる。

 いや、たぶん違う……これは〈深淵潜者アビスダイバー〉だから……広く潜っているせいだ……つまり、どんな技能であっても練達級に極めてしまうから……。


「ご機嫌よろしゅう御免あそばせ!」

「おぉい!? 逃げ……てん……」


 ヤバいお嬢が逃げる。追わないといや追ってどうする? 制圧するなら技は◯◯◯、尋問ならあのタイプは◯◯◯◯法が効くだろう(用語が難しいのでジェドル自身は理解できていない)……しかし待てよ、『◯◯◯◯概論』の◯◯◯理論によれば、この場合は逃がして仲間と合流させるのが吉……いやもっと大局的に考えるならヴィクターの依頼に◯◯◯◯であって、むしろジェドルの方がエモリーリと合流して……そもそもの合理性を指摘するならヴィクターの依頼主は……である可能性が高く……違う、今そんなことはどうでもいい。狼野郎と再戦するんだろ、なら状況からして◯◯式結界だから地道だが◯◯◯法で突破し……でもだがしかしだからこそいや待て止まれ思考を止めろ決まらない決められない全部同じくらい深いからいつまで経っても指針が定まらない!


 結局ジェドルは消化変貌の効果時間が終わるまでその場に棒立ちでなにもできず、結界侵入の手立ても失い、いつものようにキレ散らかしながらエルネヴァが消えた方向に走っていくことしかできなかった。


 反省は……している。対策は……わからん。

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