第501話 落ち込まないで子供たち…と、あいつなら言うだろう

 ゾーラの街中を駆けながら、メリクリーゼは一時間ほど前のことを思い出す。


『さあ、身形を整えて、真摯な態度でお願いね』


 ジョヴァンニはそう言って教皇執務室の扉を開けようとしたが、ノックする寸前で手を止め引っ込め、皆を振り向いて言い直した。


『……いや、すまないがもう少し待った方が良さそうだね』


 聖騎士パラディンの候補だった頃から、無意味に何時間も待たされるということがザラだったメリクリーゼは、「聖下の執務に一区切りつくのにもう少しかかりそうなのだな」と思っただけだし、四十分ほど経ってからジョヴァンニがノックするのを見て、「思ったより早かったな」と感じたくらいだった。有力枢機卿三人と上位聖騎士四人がたむろしているのだ、時間潰しの雑談の種には事欠かないというのもあった。


 今にしてみればもしかしてジョヴァンニは、アクエリカが茶会を何十分で切り上げるか予測できるくらい、彼女の行動パターンを熟知しているということなのか……とも一瞬考えたが、そうじゃない。

 ヴァイオレインが放った刺客が茶会の様子を把握していて、そろそろ頃合いだと、あるいはそろそろ始めますという合図をヴァイオレインに送り、それがジョヴァンニに伝わったというだけの話だろう。


 待てよ? とメリクリーゼは立ち止まって考え込みそうになる。もしそうなら刺客は、結界の中に隠密潜入しているか、あるいは……。

 浮かびかけていた疑念を、眼前の光景が断ち切った。


 だいたいこのあたりでやっているという話をあらかじめ聞いていたので、こうやって駆けつけてきたわけだが、その情報自体は合っていたようだ。

 ソネシエ、ヒメキア、リュージュ、デュロン、オノリーヌ、イリャヒ……護衛チームの六人、そしてエルネヴァは全員無事だ。ひとまず胸を撫で下ろすメリクリーゼ。


 だが遠目にも落ち込んだ様子で、七人は項垂れたり座り込んだり、這いつくばったりしていて、声を掛けるのが憚られて、メリクリーゼは少し離れた位置で足を止めた。

 案の定と言うべきかアクエリカの姿はなく、七人の足元には布と土が散らばっている。一昨夜の人形使いが、本腰入れてきたと考えていいだろう。


 もし結界に侵入され、中で刃傷沙汰が起きてアクエリカが攫われたのなら残った聖女たちが出てきているはずだし、皆殺しにされたのなら結界が解けてテーブルなどが出てきているはずなので、つまり襲撃はアクエリカが結界内から退出した直後に起きたと見られる。


 聖女たちが無事なのはいいが、一つ困る点もある。

 聖女たちは結構互いのプライバシーを尊重し合っているので、互いに使い魔を付けるということはまずしない。


 つまり結界内の聖女たちはアクエリカが目と鼻の先で攫われたことに気づいていない可能性が高い。

 アクエリカがいないと結界の端緒を掴むことができないので、メリクリーゼたちは彼女らに協力を仰ぐこともできないのだ。


 それゆえ七人が項垂れているというのもわかる。だがなにも頼るべきは聖女たちだけではない。ちょうどゾーラの祓魔官エクソシストたちが通りかかったので、メリクリーゼは迷わず要請した。


「緊急事態だ、君たちにも勤務があるだろうが手を貸して……」

「申し訳ございません、メリクリーゼ様」


 みなまで言い切る前に、管理官マスターと思しき年嵩の男が断りを入れてくる。


「おっしゃる通り緊急事態であるため、市民の安全確保を厳命されております。ゾーラのことはゾーラの者で、ミレインのことはミレインの者でということで、どうかご容赦くださいませ」

「ッ……そうか、すまない」


 それ以上はなにも言えず押し黙るメリクリーゼに、祓魔官エクソシストたちは一礼して立ち去るが、彼らの眼は一様に冷たい。

 それはメリクリーゼたちが余所者だからでもなければ、アクエリカ護衛チームが〈銀のベナンダンテ〉で構成されているからでもない。


 メリクリーゼたちがだ。これが敵を作るということである。アクエリカがゾーラで嫌われているというのもあるだろうが、単に彼らはアクエリカが失脚すると得する派閥に属しているだけかもしれない。


 いずれにせよ増援は望めない。皆を鼓舞して立ち直らせ、善後策を練らねばと、意を決したメリクリーゼは、落ち込む子供たちに近づく。

 地面に突っ伏していたデュロンがおもむろに起き上がり、ため息とともに口にした所感に、他の全員が同調した。


「ダメだな……」「ああ」「うん」「ですわ」「ですね」「同意する」「であるな」


 やはり完全に心が折れている、どう言ってやれば良いものか、というメリクリーゼの心配は……しかし杞憂だったようだ。


「やっぱどれが本物か全然わかんねーわ」

「……ん?」


 思わず裏返ったメリクリーゼの声を、全員が聞きつけたようで振り返る。


「あっ、メリクリ姐さん。すまねー、アクエリ姐さんを目の前で攫われちまった」

「あ、ああ、そう危惧して駆けつけたのだが、お前たち、存外冷静だな」

「確かにショックは受けたけどな。俺たちにはまだまだあの人が必要なんだ、こんなところで消えてもらっちゃ困る」


 全員が同じ考えのようで、子供たちはすぐに議論を始める。


「魔力の量からして、猊下は再生能力も相当に高いはず。仮にあの攻撃で内臓を破壊されていたとしても、死に至る可能性は低い」

「殺すつもりならこの場でできていただろう、生きたまま連れて行かれたと思う……正確にはそう思いたい。というか、そうでないなら偽装する意味もないはずだからして」

「ああ。アクエリカ姐さんの飛び散った血液の匂いは、四つの方向に分かれて去ってる」

「魔力の気配もです。このうち一つ、つまり取り逃がした土人形の一体が猊下を抱えて移動しているのならいいですが、これらがすべて囮だという可能性もあります」

「しかしこれしか手掛かりがないのだ、四方に分かれて探す他あるまいな。猊下がいつまでもご無事である保証もない、火急的速やかにだ」

「あたし、生き物を見つけるのは得意なんだ。アクエリカさんの波動をキャッチしてみるよ」


 普段ぽやぽやしているヒメキアも、心なしかキリッとした表情をしているように見えた。

 しかし彼女はすぐにしょぼんと眉尻を下げ、メリクリーゼに近寄ってきた。

 ソネシエも彼女に倣い、二人して見上げてくる。


「メリクリーゼさん、大丈夫ですか?」

「師匠、猊下は、わたしたちが必ず見つける。なので、捜索の指示を出していただきたい」


 私の方が心配されたのでは世話がないなと、メリクリーゼは弱気な態度を改める。

 いつものように直立不動で、一同を次々に指差していく。


「まずエルネヴァ、申し訳ないが君にも捜索に参加してもらうぞ。その方が君の安全も守りやすいし、正直言って君の能力にも期待がある」

「もちろんですわ! ソネシエとデュロンさんが失踪した際に読み込んだ『他者ひと探し大全』、あのときはあまりお役に立てませんでしたので、今度こそ活用してみせますの!」

「よろしい。ではデュロン、彼女を守りながらアクエリカの痕跡を辿ってくれ」

「了解!」

「同様にソネシエはヒメキアと組んでもらう。魔力探知と生体探知、お前たちの感覚を頼りにしている」

「師匠の期待に応える」「がんばります!」

「とはいえ、感覚だけでは騙されうる。オノリーヌとリュージュ、お前たちは理詰めの方向で居場所を割り出せ」

「御意」「承知した」

「イリャヒ、お前は私の補佐だ、ついて来い」

「仰せのままに」

「よし、行くぞ! ひとまず分担を……」


 散開しようとした八人の前に、突如として闇より黒犬が現れ立ち塞がる。


「……聖下」

『聞け、メリクリーゼよ……私が立場上、お前たちを阻害しないことはわかるだろう』

「え……ええ。ゾーラ教皇は、後継者の選定に関与しない……と、常々おっしゃっています」

『そうとも……言い換えればこの状況下でお前たちの味方もしない……ゾーラの兵はすべてが私の部下であり、彼らを貸し与えることも私はしない……しても意味はあまりなさそうだ』


 ただし、と代弁する黒犬の後ろから、覚えのある姿が二つ歩み出る。

 薔薇色の髪に牡丹色の眼の小柄な女と、枯葉色の髪に若草色の眼の巨漢であった。


『ただし……ならばどこへ打とうが支障なく……また彼ら自身が志願するとあっては、あえて止めるべくもない』

「そういうことよ。お姉様の危機とあっては、座視するに耐えかねるわ。機動力にはちょっと自信があるの、好きに使ってくださいな!」

「俺ァ感知も機動もからっきしだからよォー、むしろ見つけたコキ使ってくれよォ。突入時の盾としちゃ、それなりの性能を保証するぜェー」

「お前たち……! これ以上の助勢は望むべくもない。なんとかなりそうな気がしてきたぞ……聖下、本当に感謝の言葉もございません」

『構わぬ……予備戦力を割り振ったに過ぎん、それよりやるならさっさと行け』

「ありがとうございます」


 姿を消す黒犬に一揖し、改めて一同を振り返ったメリクリーゼは、自分の声の張りに自分で驚いたくらいだった。


「よし、少し変えるか。イリャヒはレミレと、私はギャディーヤと組む。だが皆、最後に一つ聞け」


 ギャディーヤの厚い胸板を我が物がごとく、遠慮なく叩いて子供たちの注意を引く。


「いてェー」

「嘘だろう」

「嘘だけど」

「わかっているとも。いいか、無条件で無茶をしていいのは、私とギャディーヤの組だけだ。他のペアに戦闘能力がゼロから、やや難ありの者を一人入れたのは、発見次第交戦という選択から自ずと遠ざける意味もある。使い魔の運用能力を持つ者がいないのが痛いし……地の利もいまいちないものの、そこまで広い街でもなかろう。特定したらできれば一旦退いて、可能な限り他のペアを集めろ。もちろん状況によって各自の判断を許可する。ミイラ取りがミイラになるのだけは勘弁してくれよ。以上だ、武運を祈る!」


 まだなに一つとして目処が立っていないにも関わらず、メリクリーゼはすでにいくらか救われつつある心地を、自制しなければならない状態だった。

 ゾーラにいた頃のアクエリカは、聖女たちとメリクリーゼ以外には、本当にただの一人も、味方と呼べる者がいなかった。


 それが今は利害ありきとはいえ、こんなにも身を案じてくれる者たちがいる。

 これであっさり死んでいたら、さすがに承知しないぞと、腐れ縁を辿って念じる。

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