第499話 我が愛しき亡霊どもよ

「……これはまた、ずいぶんな面子だな」


 一同に執務室へ踏み込まれた当代ゾーラ教皇サレウス一世の反応は、半ば予期していたような、そうでもないような、微妙なものだった。

 一同が聖下に向かってジュナス教式の一礼をした後、ジョヴァンニが恭しく進み出て口を開く。


「貴重なお一人のお時間をお邪魔しまして申し訳ございません。しかしこの顔ぶれを並べたくなるほどの用件ということで、どうかご理解、ご寛恕いただきたく……」

「前置きは結構だ、本題に入るといい」


 切り捨てるような言い方だが、この男がどうでもいい話をしに来るはずがないという、ある種の信頼の表れなのだろう。

 それを聞いたジョヴァンニは気を悪くするどころか薄く微笑んだが、すぐに真剣な表情に戻り、一拍置いて口火を切った。


「短刀直入に申し上げます。我々はそろそろ、〈災禍〉なる者と一定の決着をつけるべきかと上申に参った次第でございまして」


 眉の動き一つを返事に代えるサレウスに対して、ジョヴァンニは臆することなく続きを話していく。


「もちろん彼奴きゃつめを討ち果たしたところで、あなたに掛けられた呪いが解ける公算は、その様式ゆえ低いと目されている旨は、重々承知の上でございますが……それを踏まえてなお、あなたが彼奴の討伐に消極的であることが……いえ、その所為せいなどとは申しませぬが、巷間で彼奴の正体について、ある怪しからぬ噂が立っていることは、聖下におかれましてもご存じのことと理解しております」


 いきなり大胆に踏み込むものだと、メリクリーゼは気後れを自覚せざるを得ない。

 サレウスがなにも言わないのをいいことに、ジョヴァンニは長広舌を広げていく。


「いわく、しばしば目撃される彼奴のあの姿は蔓草のようにうねる影の魔術で形成された分身が、仮初の衣を纏っているだけだとか……当代教皇に掛けられた死の呪いは、いつでも解呪できる自作自演に過ぎないなどと……つまり畏れながら〈災禍〉の正体とは、数多の枢機卿らや司教たちと同じく、ひとところに留まらざるを得ないまま、世界の何処いずこへも干渉可能な魔術を持つとされる、教皇サレウス一世であると」


 不遜極まるその告発も、ジョヴァンニとサレウス、どちらの心をも波立たせてはいない。

 固唾を呑むは周囲ばかり、やがてサレウスが二の句を継いだ。


「……お前がそうして王手チェックをかけるからには、ここをひとまずの勝負所と見た……私の後釜に座る目処が立ったと見て良さそうだな」

「いちおうは。それにあまり複雑な手は打てませんでしたが、最善は尽くすつもりです」


 話が見えない。仮にその話が本当だとして、もしこの場でサレウスを討てたとして、それを理由に次期教皇の座に着けるわけではない。

 しかしもちろんそんなことはわかっているようで、ジョヴァンニはふと頬を緩める。


「誤解なきよう明言しておきますれば、我々は〈災禍〉の正体を知っている。もちろんそれがあなたではないという当然の事実もね。異端の口から出た言葉ではありますが、信じるに足る根拠がある。にも関わらずあなたが……えー、あえて濁した表現をしますが……〈災禍〉めに連なる筋である、あー……救世主ジュナス様を名乗る例の男を放置しておられる理由も、もちろん我らは承知しております」

「ねえちょっとジョヴァンニさん、さっきからどういう主旨で喋ってんの!?」

「トビアスくん、君にしては結構我慢したね」

「申し訳ございません、うちの猊下が」

「ベニトラちゃんはなんかオレの保護者になりつつあるよね!?」

「なりつつあるというか、とうにそのものだと思うけど……」


 てっきり本気でサレウスを脅迫するものかと思ったのだが、彼の重い腰を上げさせるための形ばかりの口実の一つに過ぎなかったようだ。

 ジョヴァンニはようやく一同を振り返り、穏やかな表情で説明を加えた。


「理由はね、ズバリ〈四騎士〉だ。救世主ジュナス様とされる例の人物が、いわゆる本物かという議論はこの際もういい、あまり意味がないからね。ここにいるレオポルトくんを筆頭とする、神の受肉を認めない宗派が〈護教派〉なら、その逆は〈護神派〉とでも呼ぼうか。ともかく彼らは間違いなくあちら側に属する」


 なおも首を傾げるトビアスに、辛抱強く教え込むジョヴァンニ。


「いいかい、つまり聖下が〈災禍〉を公式告発しないのは、それが実質的に組織の最高戦力が四人まとめて離反することを意味するからだ。そのご判断が蓋然的に正しいことは議論を待たない、これもわかるよね。

 しかしながら聖下、もはや潮時ではないかと存じまする。骨肉剥げども白黒……あるいは、東西……南北でも構いませんが……決するべきかと愚考する次第でございますれば」


 トビアスもだろうが、メリクリーゼがわかりかねていたのはそこだ。

 一気に視界が開けた心地を覚えるが、それはあまり爽快なものではなく、むしろ眩暈を伴った。


「街の不良が組む仲良しグループでもありますまい。来る者拒まず、去る者追わずでやっていきましょうぞ」

「誰かが言い出すかとは思っていたが……お前とはな、ジョヴァンニ」


 サレウスの口調は腕白坊主を諌めるような、険のないものだったが、それを聞いているメリクリーゼはすでに気が気でなかった。

 まずい。まったく方向性の異なる切り口から始まったので、漫然と話を聞いて、完全に油断していた。おそらくその狙いもあったのだ。


「ここへはお願いに参りました。急なお話ではありますが、聖下には〈護教派〉に与する旨の回勅をしたため、午後の会議冒頭で宣言をしていただきたく存じます」


 回勅というのは教皇の名前で出される文書の一種で、信仰上の問題について、教皇が一定の立場を示すものなのだが、それによって教義を決定付けるほどの厳格なものではない。

 法的性格を帯びたものではなく、命令書でもなんでもないので、これでなんらかの強制力が発生するという類の代物ではない。


 有力枢機卿の一人が打つ手としては、なんら特筆すべきものでないように思える。

 しかしそれこそがこの男の恐ろしい点だと、メリクリーゼは忘れかけてしまっていた。


「で、そしたら〈護教派〉筆頭枢機卿のレオポルトくんに加えて、トビアスくんと僕も宗旨を公言する。あっ、後でいい感じの分担ができるように、台詞合わせをしておこうね」

「なんだ、こういうことならもっと早く言ってくれれば良かったのに。ワクワクじゃん」


 当代教皇に続き、次期候補の五指に入る三人の枢機卿が〈護教派〉の立場を表明するのだ。もはや議場の帰趨は決定付けられたに等しい。いや、すべての枢機卿が一様に流れるようならば、むしろ安泰だったかもしれない。


「そ、そんなことをすれば……」


 震える声で口を挟んだメリクリーゼへ、ジョヴァンニは冷徹に返答する。


「そう、アクエリカくんは今の話からすると、〈護神派〉……あ、この造語はちょっと語弊があるよね。受肉を認めることと、彼らに与することは、また別の話だ。アクエリカくんがその辺をどう思っているかは、に訊くとして……アクエリカくんがあっちなら、ヴァイオレインくんもあっちだね。メリクリーゼくん、君はまずもって僕にこう尋ねるべきだったんだ。『ヴァレンタイン枢機卿はいらっしゃらないのですか』と。そうすれば僕はこう答えていた、『』と」


 いや、無駄なことだ、とメリクリーゼは自嘲する。この期に及んでここでそれを聞いても、まだ全貌を理解することができていないのだから。

「ここにはいない」ということは……つまり密かに共謀しているということで……だがヴァイオレインはアクエリカの邪魔をし……いや、そもそもこの認識が……ほら見ろ、こんがらがってきた。


「そうだ。聖下、念のため四騎士の現在位置を教えていただいて構いませんか?」

「……白騎士は特命を帯びて遠地にいる。赤騎士は知っての通りヴァレンタイン枢機卿にべったりなので、宿舎だろう。黒騎士はお前の言う〈当該人物〉に付いて市内を散策中、青騎士は経営権を持つ地下酒場だ。お前の言いたいことならわかる、すでに使い魔で命令を出した」

「恐縮でございます。ならば後顧の憂いなきことゆえ、さて……」


 ジョヴァンニは乾いた、ともすればなんらの感情も伴わない笑みをメリクリーゼに向けてきた。


「そういうわけなんでね、メリクリーゼくん、上手いこと運べば午後の一幕を発端とし、ジュナス教会は大分裂時代を迎えることになるね。残念ながら君らの方が出ていく立場になるはずだから、はミレインでも別の街でも、〈世界の果て〉でも竜の領域でも、まあ好きなところで好きにやったらいいさ」


 口が渇いて言葉が出ない。それというのも、メリクリーゼはアクエリカが教皇になりたい理由は知っているが、厳密にはそれが「教皇」なのか「教皇」なのかを知らない。

 もし後者なら……その機会を永遠に奪うための、こんな方法があるとは思わなかった。


 その場合順当に考えれば、〈護教派〉教皇はジョヴァンニ、〈護神派〉教皇はアクエリカということになるだろう。

 アクエリカの宗旨は……その立場で二人が会談する際にでもいくらでも訊けばいいと、さっきそう言っていたのだ。


 とはいえ、当の「午後の一幕」とやらにアクエリカが居合わせれば、いつもの口八丁で枢機卿たちを言い包め、現状維持に持っていくことも十分にできるだろう。

 そう……居合わせることができればの話だ!


 いつからそうだったのか、もしかしたらついさっき確認した時点で、主がダレているからでなく、気絶しているという原因で、すでに青い有翼の蛇はダメになっていたのかもしれない。

 アクエリカは襲われ……いやもう、攫われている最中かもしれない。やっているのはおそらく、ヴァレンタイン枢機卿の手の者だ。


 だがヴァイオレインもアクエリカと教皇の座を巡って争っているという認識を捨てきれていないはずだ。

 そうでなければ彼女がジョヴァンニの思惑に乗るはずがない……つまり、ヴァイオレインはジョヴァンニと共謀しているつもりだろうが、実際は利用され出し抜かれている最中である。


 ようやく頭を整理できた。

 聞くべき話も聞き切れた。


 もはやこの場に用はない。

 通さぬのならば押し通る。


「御免!」


 気合一閃、斬り開くつもりの道は……特にどうということもなく阻みもされず、酷くすんなり取って返して退室することができてしまった。

 もはや事態は一介の聖騎士パラディン風情がどうこうできるラインを越えてしまったということだ。


 それでもせめて駆けつけたい。なにもできずとも、近くで顛末を見届けるくらいはしてやりたい。

 あの憎らしいバカ蛇女に、こんなことを思う日が来るとは思わなかった。いや、来てほしくなどなかったのだ。


「頼む、間に合ってくれ……!」


 回廊を全力疾走しながら、思わず口から出るのとは別に、心に留める言葉があった。

 我が愛しき亡霊どもよ、どうか邪悪な魔女を守ってやってくれ。

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