第494話 イリャヒがミミズを苦手な理由①
死んだ父母が口々に責め立ててくる。明晰夢でもきついものはきつい。
『よくもよくも』『親殺しなど大罪を』『誰が産んでやった』『誰が育ててやった』『身の程知らず』『礼儀知らず』『恥知らずの』『恩知らずめが!』
「恩なら知っていますとも……フフ……返したじゃないですか、きっちりと……恩を……
意識が浮上しつつあることを、半ば自覚しながらのそれは、寝言とは呼べないだろう。
そうやって口から出ていく悪態を止めないことで、せめてものストレスを解消しているのだと、そこもまた自覚が及んでいた。
眼が覚めたイリャヒは、悪夢のたびに掻く冷汗を、うんざりしながら手の甲で拭う。
吸血鬼の夜目が薄暗がりを見通し、ベッドで眠るアクエリカの周囲で雑魚寝する護衛チームの中の、寝袋の一つから上体を起こす姿を認めていた。
「おやおちびさん、起こしてしまいましたか」
イリャヒが小声で問うと、妹は眼を擦りつつ立ち上がり、もそもそ歩いて近寄ってくる。
イリャヒも起床して軽く身なりを整え、ソネシエの答えを聞きながら、彼女の寝乱れた長い髪を撫でた。
「わたしもおそらく、兄さんと同じような夢を見ていた」
「それは災難でしたね。もうすぐ陽も登りそうです、朝のお散歩に行きましょうか?」
「同意する」
二人は白み始めた空を静けさが支配する、修道院の庭に出た。
井戸を見つけて顔を洗おうと考えたのだが、それより先に快音を聞きつける。
鶏の声ではない。ユリアーナが小ぶりな斧を手に、薪割りに勤しんでいる。
魔力感知で察したのだろう、手を止めて振り返った彼女は、汗を拭って微笑んだ。
「おはようございます、イリャヒくん、ソネシエちゃん。起こしてしまいましたか?」
「いえいえ、子供のように魘され、飛び起きるのは我らの勝手。それよりこんな早くから精が出ますね」
「あはは……私も一度眼が冴えてしまうと眠れなくなる
「おはようございます、ユリアー……ナ、様」
「すみませんユリアーナ様、うちの子、相手を呼び捨てか尊称以外で呼ぶのに慣れていないのです」
「あら、そうなんですか? なら、そうですね、シスター・ユリアーナとでも呼んでください」
「了解した。兄さんもシスターにちゃんと挨拶して」
「おや、これは失礼しました。おはようございます」
「はい、おはようございます。ふふ、仲が良いんですね」
「はい」「肯定する」
まったく照れも衒いもないノータイムの返事で、なにかを察したのだろう、ユリアーナの笑みが少し悲しげなものに変化する。
「本当に仲が良いんですね。素晴らしいことですよ」
「ありがとうございます。やはり季節柄、必要な作業なのですね」
「そうなんです。この時期が一番生木が乾燥していますし」
当たり障りのないやり取りが始まったことに焦れたのか、ソネシエがウロウロし始めたかと思えば、ユリアーナに近づいて固有魔術で斧を生成する。
「あらソネシエちゃん、手伝ってくれるんですか?」
「刃物の扱いなら一家言ある。斧とて例外ではない」
「頼もしい子ですね!」
「頼もしいのはいいのですが、そろそろ謙遜を教えないとと思っていましてね」
「いいじゃないですか、得意なことは自慢するのが健全ですよ」
言っている間におちびの妹が、切り株に置いた薪を縦半分に割っている。
というか斬っている。明らかに薪割りに必要ない技能を使っているが、作業内容として間違ってはいない。
「うわっ、すごい切れ味!」
「こんなこともできる」
「わーっ、空中で捌けるんですね!」
「ああもう、そんなに細かくしてしまったら、薪として使えないでしょうに。ねっ、褒めるとこうやって調子に乗るのですよ」
「いやいや、でもほんとにすごいですよ」
「ふん。わたしはすごい」
「やめなさいその鼻息、お前は本当にいつまで経っても子供ですね。綺麗に半分にするだけでいいのです、兄さんが見本を見せてあげます」
斧を貸そうとするユリアーナを手で制し、イリャヒは青い炎を薄い刃状に精製して、鋭く振り下ろした。
一発でパカッと真っ二つになったが、妹を振り返ると文句を言ってくる。
「断面が焦げている」
「そこは眼を瞑りなさい」
「すごいですイリャヒくん!」
「シスターが兄さんに気を使ってくれている」
「違います、私は本当にすごいのです」
「二人ともすごいですよ。私もイリャヒくんの真似をしてみようかな、こんな感じ?」
ユリアーナの固有魔術は、雑な表現をするとウォルコの〈爪〉を〈盾〉にしたようなものと言え、薄く研げば切断能力も得られるようだ。
伝え聞く彼女の逸話で攻撃性能が語られないのは、ひとえにそういう使い方をあまりしないというだけなのだろう。
「爆裂系の魔力を生まれ持っても、ユリアーナ様やドラゴスラヴ氏のように、優しい使い方を選ぶ方もおられる。我ら魔族の性質というのもそうそう出自で決まるものではない。夢のあるお話です、特に我らのような者にとっては」
「もう、そんなに褒められたら、私こそ調子に乗ってしまいますよ。ああ、暑い……変な汗をかいてきてしまいました。汗をかいてしまったときは、さらに汗をかくといいんです!」
「ちょっと筋肉寄りの思考ですねえ」
「なんとでも言ってください! お二人も畑仕事とか、一緒にしてみませんか!? 気持ちいいんですよー、朝っぱらから意味もなく働くの!」
「そして言い回しがやや猊下寄り」
「え、私またアクエリ化してました!?」
「それは公式用語なのですか……? 意味はあるでしょう……が、すみません、私たちはご遠慮させていただきます」
途端に及び腰になった二人を、ユリアーナは苦言も呈することなく慮ってくれる。
「あっ、ごめんなさい、今日も護衛任務があるのに、あんまり消耗するのは良くないですね」
「いえ、それもあるのですが……土いじりは、少し……私はミミズが」
「わたしはムカデが、とても苦手」
「そうでしたか、ごめんなさいね。良ければ、理由を聞かせてもらってもいいですか?」
イリャヒとソネシエは互いに顔を見合わせてから、口々に率直な答えを述べた。
「ミミズは足がないのが気持ち悪く感じてしまってですね」
「ムカデはなぜあんなにたくさん足があるのか意味がわからない。間違いなく無駄」
「わー、頭いい子の理屈っぽい答えですね……なるほど……苦手な理由があるというよりは、理由の方が苦手とでも言うべきでしょうか……いいんですよ、誰だって好き嫌いの一つや二つありますからね」
その的確な見解に驚いた二人は、思わず前のめりになってしまう。
「あなたたち善男善女は、なぜそうも私たちの柔らかい部分を容易に察して、なおかつ優しく包み込むことができるのですか? 聖者の方なのですか? あ、すみません、聖女様でしたよね。どうやったらそこまで徳を積めるのです?」
「控えめに言って大天使。心から尊敬する」
「なんですか急に褒めちぎって!? わ、私そういうのほんと弱いんですからやめてください! アクエリカの命令でからかってるわけじゃないですよね!?」
真っ赤になった頬を両手で挟むユリアーナを放置していると、騒ぎを聞きつけたアクエリカが現れて、旧友をイジり倒し始めた。
手持ち無沙汰になったので妹の髪をねじねじ三つ編みにしつつ、二人の痴話喧嘩を眺めながら、イリャヒは納得に至っていた。
なるほど、デュロンが復調するわけだ。
〈聖女会〉がこういう人の集まりならば、護衛にも自ずと力が入らざるを得ない。
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